哀愁

文字数 1,606文字

 翌日のよく晴れた昼下がり、僕はコンビニの袋を手に提げて、森野さん宅の近くにある児童公園に来ていた。森野さんの家がどこにあるかは知っていた。公園から正面に見える、クリーム色の壁の二階建てである。森野さんほどの魅力的な女の子なら帰宅途中に暴漢に絡まれることもあるのではと心配し、ある日の放課後おうちまで送っていったことがあったのだ。ただ僕は暴漢が出ないか用心する必要があり、森野さんから二十メートルほど離れて彼女の背中を見ながら歩いていったので、あるいは僕が送っていったという事実を彼女は認識していないかもしれない。ただいまーと森野さんが入っていったお宅に僕はスマホのマップアプリでピンを落とし、愛する少女を無事に家まで送り届けられた充足感に満たされて帰宅したのだ。

 児童公園では夏休み中だけあって、近隣の少年少女がやんちゃに駆けずりまわっていた。公園は二面に分かれている。ブランコなどの遊具があるゾーンでは、女の子たちが追いかけっこをしたり鉄棒のところに集まってなんかしてたりして、躑躅の垣根を越えただだっ広い広場では男の子たちがサッカーに興じている。広場の方に木のベンチが三つほど並んでいたのでそのうちの一番右のに座った。無人の真ん中のベンチを挟んだ一番左では女子中学生が三人、お菓子を食いながら談笑している。三人とも学校指定らしい水色のジャージを着ていた。両サイドのショートカットとボブの二人はじゃがいものような顔をしていたが、真ん中の髪の長い子はドラゴンフォースのハーマン・リそっくりだった。ベンチの後ろには桜らしい木が生えていて、高いところで蝉が鳴いている。

「飯野、哀愁だよ」トメ吉は言うのである。
「哀愁というのは女性を惹きつける上でなかなか馬鹿にできないぜ。とかく若い女の子は顔がいい男を好むと思われているが、きみみたいな神が手を抜いて創造したような顔面であってももてている男はたくさんいる。何が違うか? 哀愁があるかないかだ。居酒屋のカウンターの片隅で手酌で冷や酒を飲んでいる男の背中、その淋しそうな背中から漂う哀愁が女性を放っておけない気持ちにさせるのさ。きみはネクラだし、哀愁も出しやすいだろう」
 ちょくちょく引っかかる表現があったが、なるほどと思って傾聴していた。

「しかし居酒屋のカウンターでお酒なんか飲めないぜ。僕らはまだ未成年じゃないか」
「別にお酒である必要はないさ。要は淋しさを演出することさね。公園で独りお弁当を食べる、これだって十分に哀愁に満ちてるじゃないか。きみは富永里穂を知っているかい」
 もちろん知っている。隣のクラスの小柄な女子生徒だ。入学当初、男子の間で人気アイドルグループ「バチスカーフ八号」のセンターに似てる子がいるぞと話題になっていたその子である。

「あの子がどうかしたのかい」
「以前あの子から告白されたんだがね、その時僕のどこに惹かれたのかと聞いてみたんだ。そしたら、公園でまるごとバナナを独り食べている姿を見かけてキュンとしたなんて言うじゃないか。まるごとバナナはおいしいやね」

 僕が公園で独り淋しげにまるごとバナナを食べる姿を森野さんに見てもらえるとすれば、森野さん宅の近所の公園がもっとも可能性が高い。必然的に今僕がいるこの公園なのだ。僕はベンチに座って、子供たちのはしゃぐ声を聞きながら、傍らに置いたコンビニの袋からがさごそとまるごとバナナを取り出した。淋しそうな顔で食べるんだぞ、トメ吉は言っていた。淋しそうな顔をするためになにか淋しさを感じた時の記憶をふたつみっつ見繕っておいて、食べながら思い浮かべようかと考えていたが、その必要はなかった。真夏の午後の陽が降り注ぐなか、賑やかな公園で独り食べるまるごとバナナは淋しかった。だがこれも浴衣姿の森野さんと二人、手をつないで花火を眺めるための布石である。僕は包装を剥いてまるごとバナナをむしゃむしゃやり始めた。
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