「何者ぞ! そこに直れ!」
突然の大きな声。びっくり。
というよりは、目の前に突然突き出された刃物の怖さに震え上がった。
「えっ、えっ、あたし? ですか?」
怒鳴られてるのがあたしではありませんように。
祈りながら後ずさる。
とたんに、足下がふにゃんと柔らかくなって。
ああああっと思ったときには、尻餅をついてた。
手もついた。
かさかさかさっと、音がした。
えっ、こんなところになんで草?
湘デパのモニュメントツリーのまわりには草とか花とかの入ったプランターとか、コンテナみたいなものってなかったよね?
「名を名乗れ、怪しい奴め! もしや物の怪か?」
大きな声が迫ってくる。
先が尖った金属の切っ先はあたしの顔の前。
50センチと離れていない。
声の向こう側から数人のひとの気配がして、
「お待ち。むすめではないのか。退きや、わらわが検分いたそう」
女のひとの声が聞こえた。
「しかしお方様、身なりからしてこれこのように怪しげなる者、きみょう極まるいでたちゆえ、物の怪やもしれませぬ、近づいてはお危のうございますよ」
それを聞いてあたしはさっと立ち上がった。
「なんのロケか知らないけど!」
目の前の金物っぽいものは怖い。
でもこれがロケなら撮影前の確認が足りなかったとか、何かの手違いだとか、つまり悪いのはそっちでしょ!
いきなり怒鳴ってきて、しかもその言い方ってひどいんじゃない?
「ふざけないで! ひとのこと物の怪って何それ!」
小さな灯りが、ゆらゆらと近づいてきた。
「勇ましいむすめごじゃ。わが手の者が無礼を言うた、許しやれ。村のむすめにしてはハキとしておるの。もしや伴天連の連れででもあるのかえ」
小さな器に小さな炎。ホタルみたいな小さな灯りが揺れている。
話しかけてきたのはあたしよりちょっと小柄な、でもあたしとそう年は変わらない感じの女優さんだった。
時代劇の撮影? なのかな?
え、でもすごい勘違いしてると思う。
あたし、出演者じゃないし。
この服見たらわかるはずでしょ。
「なに伴天連って。違います。女子高生です」
「南蛮のいでたちかと思うたのでな。その……上掛けが」
「ダッフルだよ? 上掛けってなに?」
「だっふるか。さようか。よう似合うておる、愛らしいことこのうえない。わらわはこのさきの城の」
「お方様」
と、その後ろから、別の声が聞こえてきた。
「急ぎませんと。小雪もよいとなってまいりましたゆえ」
「いま暫しのう」
その女の人は軽く笑んでからあたしにもう一度近づいてきた。
「はつゆきの忍び草なる梔はいざ宵こめてもの恋うるなり」
「は?」
意味わかんないんですけど。
「すいません、何を言ってるの?」
「ほっほ……」
女優さんは軽く笑ってから離れていった。
ぞろぞろと、大勢の男たちが歩き出す。
着ているのはどう見ても鎧。
何時代の衣装なのかわからないけれど。
なんとなく子汚い雰囲気の男たち数人が歩いていく。
最後尾のひとりが振り返った。
「お方様の命じゃ。白湯なりもてなしてしんぜよう、ついてくるがよい」
「あのね」
ロケでしょ?
あたしが出演者じゃないって、見てわかんないの?
それにあたしはここで、妖精のテラスの前で一時間待って、タイトと一緒にどんな幸せが指輪にプラスされてくるのか待ってなくちゃいけないの。
そう、指輪……。
え……。
ここ! 湘デパじゃない!?
さっきまで、あたしとタイトがいたコンコースの、モニュメントツリーの下じゃない。
遠くのほうに何かある。あれ何? なんの建物?
形は全然違う。湘デパには似てない。
城ってさっき、あの女優さんが言ってた?
あれが、城?
テレビとかで見たお城と全然、違うんですけど。
あっ!
直感力には自信あるあたし!
タイムスリップしちゃってない?
今、どんな時代?
そして、ここどこ?
「於犬(おいぬ)」
前の方から、さっきの女優さん、ではなくて。『お方様』でしたか。
そのひとの声が聞こえた。
「何か」
あたしの前にいた男のひとが答えた。
「だっふるとやらの縫いようをむすめに尋ねよ。追って誂えてたもれ」
「承知」
男の人が答えた。
「えっとー。聞いていい?」
随意に、と男のひとは振り向いた。
「あのひと、お方様っていうの? あなたの上司?」
「じょうし、とは何か」
「あ、上のひとっていうか、お仕えしてるひとっていうか。部長とか、課長クラスとか、社長さんとか。えっと、もしかしたら先生だったりするのかな。あああ、だめだ。わかんない、この時代の言葉だと、なんて言えばいいのか。もー、だめだ、すいません。あたし日本語めちゃくちゃだね」
「ところどころわからぬが、めちゃくちゃというほどのこともない。しかしそなた、いかにもあけすけじゃのう。そのようなことで忍びはつとまらぬぞ」
「忍びじゃないし」
「戯れ言じゃ」
於犬さんは笑った。
あ、ちょっと。何。
笑うと、タイトに似てる。
「さっきのね」
「うむ」
「お方様がなんか、すらすらっと言ったでしょ? あれ、どういう意味?」
はつゆきの忍び草なる梔のいざ宵こめてもの恋うるなり
於犬さんは黙ってしまった。
聞いちゃいけなかったのかしら。
暗号みたいなもの?
しかしわからん。
雪。
降ってる。
普通に寒い。
でも、この時代のひとびとは寒いとか、いやだとか言わないのね。
なので、あたしも黙って歩く。
黙々と。ほんとうに黙々と。
夜の雪の中を歩く。ひたすらに。
クリスマスイブ? はあ? なにそれ。もう。泣きたいよー。
タイト、今頃どうしてるだろう。
もしかしてあたしが突然いなくなって、慌ててるかも。
なんであたし、妖精さんのテラスに指輪を置こうなんて言ったのかな。
しかも、ひとつしか置いちゃいけないって注意無視して。
ふたつ置いちゃったし。
そのせいでこんなことになったんだとしたら、自業自得だけれど。
あたしが消えてしまったあとでタイトがどんな思いでいるか想像したら、悲しくなってきた。
でも、そんなことを横にいる於犬さんに言っても、どうしようもないよね。
解決できるはずもないしね。
なので、そのまま歩き続けた。
しばらくすると、大きな門をくぐって、広い庭に入った。
目の前に、三階建てふうの、たぶんこれが御城。
その横に平屋の家? 館っていうのかな、たくさんの建物が並んでる。
お方様がしずしずと歩いていって、そのひとつの建物に入った。
あたしは於犬さんと一緒に、別の建物。
玄関に入ると、男の人が桶を持って近づいてきた。
男の人が於犬さんの足を洗う。
ああ、そうか。素足で外、歩くからだ。
でもあたしは遠慮した。ブーツに靴下だもんねー。
洗う必要ないし、男にひとに足触られるのもイヤだし。
水で洗ったら冷たそうだし。これが本音。
そのあと、於犬さんに案内されてつやつやの廊下を歩いていった。
右へ、左へ、渡り廊下、池の端の廊下。
ずいぶん長いこと歩いたあとで、於犬さんは引き戸を開けた。
「ここでくつろがれるがよい」
うわー、この部屋天井低い。圧迫感。
それにこの寒さ。
部屋に家具とか、こたつとか、何もない。
そして! 畳がない。板の間!
ジャパニーズフローリングだよ?
オーガニックにもほどがあるでしょ?
清潔なのはわかる。チリ一つ落ちてない。
でも正直、くつろげないです、この環境では。
だって、あたしは平成の子。
もー、再び泣きたくなってきた。
一時間後にちゃんと湘デパまで帰れなかったらあたし泣きますから。
「すまぬ。尋ねてよいか」
「はい?」
「だっふるをお借りしたいがかまわぬか」
「嘘でしょ。ここ寒いし。脱ぎたくない」
すると於犬さんは小首を傾げ、
「火を用意させよう。それと上掛けを。あとで下人が持ってまいる。寒さがやわらいだらだっふるを。それでいかが」
この部屋が暖まるのを待ってダッフルを貸したら、一時間過ぎちゃうよね。
そのときあたしがこの部屋にいるとは限らないしね。
ちょっと迷ってから、あたしはダッフルを脱いだ。
「どぞ」
服を差し出すと、於犬さんは床に片膝をつき、両手を差し出して、恭しい雰囲気で受け取った。
「かたじけない」
見上げてくる於犬さんの顔が、やっぱりタイトに似てた。
生真面目で優しい表情。
なんでかな。悲しい。
於犬さんが出て行ってから、なんていうか急に。
心細いっていうか、怖いというのとも違う、変な気持ちになった。
タイトに逢いたい。
あたしが何を言ってもほとんど動揺しないタイト。
あたしの我が儘をふんわり包んでくれるタイト。
鈍いとか、反応遅いとかいろいろ言っちゃってごめん。
本当はタイトのそういうところがすごく安心できた。
逢えなかったらどうしよう。
軽い不安もある。
妖精のテラスに指輪ふたつを置いちゃったことをまた思い出した。
ひとつって書いてあったのになあ。
ああもう、あたしったら!
もしもこの時代に閉じ込められたままだったらどうするのーーーー!
だめ。不安に負けないんだよユウア。
きっと大丈夫。そう信じよう。
でも寒いなあ!
早く上掛け持ってきて〜〜
わおおおーーーーーん!
誰もいない小部屋でオオカミみたいに遠吠えした。