スマホはまだ鳴ってる。
鳴っている。
スマホはまだまだ鳴っている。
出るべきか出ざるべきかそれが問題だ。
でもでも。
これってさ。
誰がかけてきてるの?
電波つながらない場所のはずだよね。
うう、怖いよー。
怖いけど出てみよっか。
「もしもし……」
『お前は誰だ』
あっ、だめなやつだ。
こういうのイヤ。嫌い。許さない。
すぐに切った。
で、またすぐにぷろこるはるむが鳴った。
「もしもし……」
『何故そこにいる』
「あたしの勝手でしょ!」
キツめに言ってまたすぐに切った。
ふざけるな、ですよ。
また鳴った。
「ちょっと。人の名前聞く前に、自分から名乗れば?」
『ツキミツルノカミだ』
げっ……。
「こっちの番号、どうやって知ったんですかー」
『我らのテクノロジーをあなどるな。わたしの問いに答えていないぞ。お前は誰だ。この時空に存在しないはずの端末を所持しているのは何故だ』
「答えないし」
バッテリー惜しいから切る。もう出ないからね。
でも無駄だった。部屋の前の戸に、不自然な明るさの光。
あ、わたしがいた世界だったら不自然ではなかったかもしれないLEDぽい明るさだけど。
この屋敷には不釣り合いな真っ白さで、何かが近づいてくる。
「そこにいるな」
さっきの電話の相手の声が、真正面から聞こえてきた。
初対面の相手にむかってその口調。失礼じゃない?
返事をしないでいたら、
「おっと。これはこれは。失礼した。時空違反者か脱法トラベラーかと思ったのでな。少し待ってもらいたい……よし、今、調べがついた。この次元へ入り込んでしまったのは……おお、そうか。クリスマス・フュージョン・プロジェクトの参加者と。どうか無礼をお許しあれ、では引き続きよい旅を」
何言ってるんだろ、この光のひと。
てか、ツキミツルノカミって神なの? 人なの?
「すいません、ちょっと聞いていい?」
「どうぞ」
光の声は愛想良く答えた。
「あなたはツキミツルノカミですよね」
「いかにも」
「お方様の主守の鎧ってやつ、盗んでないですか?」
「人聞きの悪い。メンテナンスが必要だったので回収しただけだ。もうじき、時空間ダイレクト便でこちらへ届く」
あ、なんだー。よかったー。
って、安心してる場合じゃない。
「ツキミツルノカミさんて、お方様をお嫁さんにして連れていくんですよね」
「お嫁さん?」
「結婚式ですよね、今夜。月、赤いし」
「月が赤いのはエネルギー管理局のプログラムだ。わたしとしては月が青くても黄色くてもかまわない。月の色は今夜のわたしの仕事とは関係ないのでね。それともうひとつ。結婚はわたしの世界では存在しない」
はい?
「結婚制度は百年ほど前に廃止されている。君の世界ではまだ人々が結婚しているようだが」
「はあ。まあ」
「聞きたいことはそれで全部かね。では」
「ああああ、待って。もうひとつ」
「あまり時間がないのだが。手短に」
「えっとー。そのー。お方様とお犬さんは、つきあってると思うんです……」
「ん?」
「なので、引き離さないであげて欲しい……今夜、お方様はツキミツルノカミさんのところへ行っちゃうんでしょ? それ、可哀想だと思うんですよね」
「すまないが、君が何を言っているのかさっぱりわからない。お犬さんとは誰のことか」
「えっ、さっきまでここであたしと話してたひとですけど」
「ここは絶滅危惧Ⅲ類1群の歌犬族(うたいぬぞく)の生息域であり、人、すなわち君の考えているところのいわゆる『人間』は存在しない。お方様というのは、群れを保護し、管理し、これ以上の減少を防ぐために駐在している生物学者のことかと思われるが」
「え、そうなんですか。にしては、わたしが住んでいた世界の、ふるーい時代の衣装着てるし、設定がもろ大河ドラマなんですけど」
「ほう」
光が近づいてきて、さらに明るくなった。
で、その光のなかから、丸いものが……正確には、高さ2メートル近い球が現れた。
あ、これ、見たことある。イルミネーションの一種だ。
湘デパのちょっと北側の丘の上、フラワーガーデンにはこれと同じイルミネーションの球が飾ってある。
「そうか……」
と光る球は言った。
「君は時空と次元を通過したとき、『知識のなかにあるものを観る』をデフォルトにしたのだね。なるほど、理解不能なものを観て混乱すれば帰還に障る。元の世界に戻ったときに、不適切な情報が異次元や異時空に紛れ込んでしまう危険もあるから」
「意味わかんないー」
「説明してあげたいのはやまやまだが、今は時間がない。とりあえず、君の一番の希望を今聞こう」
「お犬さんとお方様を引き離さないで!」
「それはできない。研究員の任期は君の世界で言うところの……約20年。超過勤務は法律違反だ」
「じゃあ、お犬さんを、お方様と一緒にツキミツルノカミさんの世界へ連れていってもらうっていう案は?」
「ずいぶんと粘るね……」
光る球が笑った。
「時間というものについて、君の知識と意識では想像がつかないかもしれないが、お犬さんと君が呼んでいる個体に……個体という言い方はひどいな。お犬さんというひとに、ギフトをつけよう。それでどうかな」
「ギフト」
「歌犬族としては長寿になるように、そして生存中いつでも任意の時点で自己を再生できるように。加えて、記憶と意識は全経時データを継続してお犬さんに備わるよう手配しよう。わたしの同僚の研究員……つまり君の言うところの『お方様』は、いつか再びこの地に赴任するはずだ。お犬さんがそれまで待てるなら、この提案は悪くないと思う」
「それ、あたしが決めちゃっていいんですか。人のことなのに」
「君は特典持ちだからね」
「はい?」
「つまり、クリスマス・フュージョン・プロジェクトの」
それ。さっきも聞いたけど意味わからない。
「稀少な歌犬族であるお犬さんの望みと命、そして研究員であるお方様の仕事、この両方をキープしてなおかつ、お犬さんが別離による心理的な打撃を受けないようにケアするとなると、この方法がベストだと思う」
「お犬さん、悲しんだりしないんですよね。離ればなれになって悲しいとか、寂しいとか、不安になったり、泣いたりしないようにしてくれるんですね?」
「ツキミツルノカミの名にかけて約束しよう」
「お方様がいなくなったあとでお犬さんが一粒でも涙をこぼしたら、あたし、怒りますから」
「守は約束を違えない」
「ねえ、お方様もカミなの? ツキミツルノカミさんと同じように」
返事はなかった。
目の前の球はだんだんに昏くなっていって、10秒くらいで光はすっかり消えてしまった。
「……むすめ」
どこか遠いところから、お方様の声が聞こえてくる。
「お方様、もう行っちゃうんですか」
「巡り来て雪ひとひらの淡きゆめ」
そういえばお方様に最初に会ったときもお歌をいただいたんだっけ?
歌にはならないけれどなんとなく
「忘れないでね約束を」
そんな言葉があたしの口をついて出た。
お方様から返事はなくて、代わりに、ほわーんという優しい電子音があたしを包んだ。
次の瞬間、雪の結晶の模様が床と壁と天井とにぱーっと広がった。
わああ、ARみたい。
綺麗〜
雪の結晶が降り注ぐ部屋。
天井には大きな水色の月が浮かんだ。
その月をめがけて淡い桃色の光の粒が、小さな小さな牛に引かれてゆっくりと。
ああ、お方様の乗った牛車なんだ。
天翔る光のひとしずくが今、月に還ってゆく。
お方様。
さよなら。
いつか必ず来てくださいね。
お犬さん、きっと待ってますから。