第1話

文字数 8,291文字

 プロローグ

 匂う。鼻の奥が湿る。木の芽時だ。水っぽい草木と、土の匂い。その匂いは夜の闇の中でも形をもっている。
 毎年同じだ。ずっとそうだった。感情は邪魔になるから、うっちゃっておきたいが、そうもいかないのがこの春の匂いだ。外した白いマスクを片手に、男はひとりたたずみ、大きく息を吸いこんだ。
広い造成地の片隅。背中に、雑木林がある。これのせいで余計に春の匂いがする。その匂いと、手についたかすかな血の匂いとがまざる。しっかりと手を洗ったつもりだが指先が深く入りすぎたのか。男は、しゃがみこみ地面の砂で両手を洗う。雑木林の向こう側から月がのぞいている。淫靡だ。気に入らない。
男はマスクを地面に落とすと、それに火をつけた。燃えていくマスクを見ながら、考えてもいいことにした。そして少しだけ、感情に任せることにした。そして、その感情はマスクと一緒に捨てて行こう。
おれは何者でもないのだから。そして何者にもなれないのだから。
これからもずっと。そして、だれにも知られることはないだろう。当然だ。おれは存在しているが、存在しないものだから。
でも何者かになりたい、何者かでいたい―と、今思う。この春という季節のせいだ。
男は立ち上がり、雑木林と反対側の景色に目をやる。
この場所は丘陵地であるため、遠くまで見渡せる。宵っ張りな高層ビルは、赤い衝突防止灯を頭にのせ、たくさんの窓から白い灯りをもらしている。高速道路の高架を、血管の中の赤血球や白血球のように行きかう車やトラックのヘッドライト。都市部からこちら側に、ゆっくりと近づいてくる電車の車窓からの灯りが連なって闇の中にうかぶ、動く金のネックレスのようだ。
男は、しばらくその景色に見惚れていた。
おれも、できればこの景色のなかでずっと生きていきたい。何者かとして。普通に。年をとって死ぬまで。
もういいだろう。いい加減にしろ、と男は自分に強く言い聞かせた。
無理な注文。―そもそもおれには人生などない。だから注文などできないのだから。
だから、あきらめろ。二度と考えるな。
そして、染まれ。真っ赤に。血にまみれ続けるんだ。血の匂いも、この春の匂いも同じだ。永遠に変わらない。それは永遠の一瞬だ。だからおれは血の匂い、そしてこの春の匂いそのものになればいい。そうやって消えて行けばいい。誰にも知られることなく。
闇の中を移動する金のネックレスは、すでに消え失せ、高層ビルの白い灯りもまばらになっていた。彼方から、救急車とパトカーのサイレンが聞こえる。この見渡す景色のなかで、起きていること。そこに血や涙がなければ、ずっとあの景色のなかで生きていけそうな気がする。だけど、決してそんな日は来ない。



少し暑いぐらいの陽ざしに火照った頬を、まだ冷たい風が冷やしていく。その風は懐かしい匂いを運んできた。ホワイトシチューの匂いだ。私鉄のプラットホームで、修は後ろをふり返る。近くに小学校があるようだ。給食の匂いか。佐橋修は顔をほころばせた。いいなあ。やっぱ給食はいいなあ。小学校のころはよかった。高校にも給食があればいいのに。
新学年の新学期が始まり、桜が散り、高校二年生の学校生活は、雪解けの川の水に回る水車のように単調に時を刻みだしている。
今日は新設備導入準備とやらで、授業は午前中だけだった。その準備は明後日まで続くという。新型コロナウィルス感染拡大により、マスクをしたまま修は中学校を卒業して高校に進学した。去年も、コロナ感染者が発生したり、職員が感染したりと休校となる日が少なくはなかった。よって学校で過ごす時間の密度は薄く、とうぜん人との関わりも薄かった。一年生の頃に親しくなった友人はたった一人といない。
いったいおれの青春時代はどうなるのだろう。苛立ちをぶつけるかのように、この一年間、修はベースギターの習練と読書に没頭してきた。だが、バンドを組む予定どころか、音楽好きの友だちを見つけることすらできてない。
ぷんっとタバコの匂いがした。匂いの先を目で探すと、プラットホームの端に修と同じ制服を着た男子がタバコを吸っていた。黒髪をギザギザにカットした髪型と、子犬のような目で誰かすぐにわかった。何しろ、新学期初日に最初に覚えた顔だからだ。
各務(かがみ)美空。二年C組。同じクラスだ。
授業中にしかマスクをつけない男。登校時はもちろんのこと、学校構内に入ってもマスクをつけない。
新型コロナウィルス感染拡大が始まってから、おかしなことにマスクをつけないことで逆に目立ってしまう現象がおきた。以前まで風邪予防以外で人がマスクをつけるのは、自分が何者であるかを隠すことが目的だった。しかし今現在の大多数、いや絶対数の人間がマスクをつけることで個別性を失い、匿名性を得ることになった。そんな中で各務(かがみ)美空は、ひとりだけとりわけ目立つ個別性を得ている。
しかし、この現代においてマスクをつけなくとも個別性がなく、匿名という傘をかぶろうとする人は圧倒的に多い。そんななか際立つ個別性をもった各務は、まっ先に教師と生徒に顔と名前をおぼえられることになった。
新学期の登校時に、各務がマスクをつけずに校門を通過しようとすると、すぐに教師に咎められた。「君!君!マスクは?マスクしなさい」と声を荒げる教師に各務は、真面目な顔で口に手をあてると「飛沫が飛散いたしますので、どうか大きな声をださないでください」と慇懃に頭を下げ、ズボンからくちゃくちゃになったマスクを取り出してつけていた。校内に入っても、同じように教師や、生徒に咎められないかぎりはマスクをしようとはしない。
新クラス初日の朝のホームルームのときのことだ。担任教師が、クラス全体を見渡すと、ひとりだけマスクをつけずにニコニコしている各務がいる。当然のこと教師は「各務くん。マスクをつけたまえ」と注意してから、出欠を取り始めた。
が、各務の席周辺から、くすくすと押し殺した笑い声が聞こえてきて、怪訝におもった教師が目をやると、各務は口にではなく目にマスクをしていた。
「各務!ふざけるな!」とうぜん教師は怒鳴った。各務は目にマスクをつけたまま「どーもすいません」と頭をさげて、クラスのみんなに笑われていた。親しみやすいキャラかと思いきや、自分から誰かに話しけることもなく無口で、話しかけても一言二言しか返って来ない。それどころか、肝心の休み時間には姿を消しているし、昼休みもクラスで弁当を広げるわけじゃなし、カフェテリアにいるわけでもない。奴が、どこで昼食をとっているのかは未だに謎となっている。
 なんとなく、関わりたくない相手だ。得体がしれない―。
 駅員がホームに姿を現した。当然ホームは禁煙だ。しかも制服姿で喫煙―。心配になって、修は各務に視線を戻した。と、奴はすでにタバコを片づけ、何食わぬ顔でイヤホンを耳に入れ、スマホで音楽を聴いていた。片足がリズムを刻んでいる。当然のようにマスクはつけていない。―と、その視線が不意に、修に向けられた。子犬のような可愛い目をしているが、射抜くようにこっちを見ている。いやな予感がして、思わず目をそらした。
 各務に気づいてないことを装い、修は持っていた小説の文庫本を開いた。忘れろ。奴の存在は忘れろ。無理やりに活字に集中するんだ。きっと話しかけてはこないはずだ。
 時間にして、ものの数分だったか。すでに小説の物語に引き込まれている修が、背中に何かの気配を感じた途端、後ろから誰かにマスクを剥ぎ取られた。マスクのゴム紐が切れて、頬を叩き痒いような痛みを感じた。驚く間もなく、眼前に各務が顔をだした。
「マスクマンは、マスクを剝がされたら終いだぜ」
 今、自分に何が起きたのかも理解できないし、各務が言ってることの意味もわからない。ニタついてる各務の顔が薄気味悪い。
「プロレスだよ。マスクマンのレスラーはマスクを剥がされちゃいけねえんだ」
 プロレスは見ないがなんとなく言っている意味がわかったような気がした。が、修は憮然とした顔で返答することなく、通学用リュックから新しいマスクをだしてつけた。頬が痛痒い。いきなりなんなんだコイツは。そのタイミングで電車がホームに滑り込んできた。
「でもおれたちはプロレスのマスクマンじゃないから、マスクは必要ないのだ。これでいいのだ。可愛い顔してんね。佐橋修くん」
 そう言って、各務はニコニコしている。
 業腹だったからまた無視した。視線も合わさなかった。馴れ馴れしいどころじゃない。失礼極まりない。
 電車のドアが開いた、自然とふたりは並んで乗車するかたちになった。いくらなんでも電車のなかでは静かにしているだろう。
 しかし最悪なことに各務が降りる駅と、修が降りる駅は一緒だった。鶯丘公園駅。さすがに各務も車内ではマスクをつけた、が鼻と上唇が丸出しだ。駅までの間、各務はスマホのミュージックライブラリーから、お気に入りのロックバンドのアルバムを表示しては修に見せて、あれこれとジェスチャーで語りかけてきた。
 両眉をあげて、大きく頷きながらスマホ画面を修に見せる。このジェスチャーは、おれはこのバンドが大好きなんだという意味。眉根をよせて、泣きそうな目をして身をよじらせるジャスチャーは、大好きよりも最上級の表現のように受け取れた。もう泣いちゃうぐらい好きなんだ。各務はそう言っているように見えた。
 鶯丘公園駅のプラットホームにふたりが乗った電車が入ろうとするときには、修もスマホの画面で自分の好きなバンドを表示しては各務のように、ジェスチャーで気持ちを伝えていた。その修のジェスチャーに、各務は嬉しそうにニコニコして頷いていた。
 ベッドタウン特有の、少し小洒落た駅の構内を出て、ふたりはバスロータリー沿いの歩道を歩く。花壇には、さつきが咲き始めている。
「同じ駅を使ってるのに、去年はまったく各務を見かけなかったなあ」
「ああ・・・・乗る電車が違ってたんだろうな」各務は少し興味なさげに言って、四車線の幹線道路の赤信号で歩みを止めた。乾いたアスファルトの歩道に、砂で汚れたマスクが捨てられている。
「俺ん家は、ここを左に歩っていったところ。修は?」
 やっぱり馴れ馴れしい。いきなり呼び捨てだ。
「おれの家は、この信号わたった先の住宅街。緑町だ」
 信号が、まだ赤であることを確認すると、各務はもじもじしながら腕時計で時間を確認してから言った。
「修の家はレコードとか聴ける?」
 修は、各務がレコードと言ったことに好感をもった。CDとレコードは別物だ。レコードは、レコード針が盤面の溝を滑りながら音を拾い、その音をスピーカーが奏でる。生の空気の震動だ。
「うん!聴けるよ。真空管アンプで!」
 そう言った瞬間、蛍光灯を点けた時のように、ぱっと各務の顔が明るく輝いた。
 その顔とは裏腹に、各務はまたもじもじしながら少しうつむき、上目遣いに「今から聴かせてくれないかなあ?お土産に、どっかのコンビニでジュースとお菓子買うし」と言った。
 馴れ馴れしくて図々しい奴かと思ったが、妙に殊勝な各務の態度に修は破顔した。
「もちろん!ぜひおいでよ。今日はなんの予定もないし、ゆっくり音楽聞こうぜ!」
 ふたりの前の信号は、青に変わった。

 午前授業三日目の午後。初めて話をしてから以来、連日と各務は修の家に来ては、修の自室でCDやレコードをとっかえひっかえ聴き漁った。すっかりふたりは打ち解けて、あっという間に修は各務を「美空」と呼び捨てるようになっていた。
「しかしすげえよなあ。真空管アンプ。高かっただろ?」
 六畳の修の部屋には、壁際の真ん中に真空管アンプとレコードプレイヤーが鎮座し、その両脇にに据えられたラックにはCDとレコード盤が収納されている。そして大きなスピーカー。ベッドは窓枠の下にあり、その前に小さな座卓と座椅子がある。そこに体育座りした各務が、目を輝かしながら修のオーディオセットを見つめている。
「いや。おじいちゃんに買ってもらったんだ。おれさあ、小さいころから体が弱くて。まあ腎臓が普通の人よりも駄目だったんだな。急性腎炎に何度もなって。家で寝たきりになってることが多かったんだ」
 毛足の短いモスグリーンの絨毯に座り、背をベッドにもたせかけてレコードジャケットを眺めている修を、各務は心配そうな顔でふりかえった。
「今は大丈夫なのか?」
「うん」
「子どものころ退屈だっただろ・・・・。いっぱい外で遊びたい時期に」
「うん」
 頷いてから、修は強がるように天井の木目の天板を見あげた。
「家でやることといや。音楽を聴くか、本を読むかしかなくてさ。まあ学校に行ったり、友だちと外で遊んだりすることはできなかったけど、人よりは多くの時間を音楽鑑賞や読書につかえた」
 修のベッド脇の大きな書棚には、たくさんの本が収められている。小説の文庫本や、ルポライトやノンフィクション、近現代史の書籍の単行本。すべて几帳面にジャンル分けされている。
「はじめは、フォノイコライザーがついているレコードプレイヤーと、小さなオーディオコンポにつないでスピーカーで鳴らしていたんだけど、ジャズ好きなおじいちゃんが、ちゃんとした音で聞いた方がいいって真空管アンプを買ってくれたの。中一のときだった。そりゃうれしかったよ」
「フォノイコライザー・・・・」
 各務の眉間にしわがよっている。
「いや。そこは聞き流していいよ。説明がめんどくさい。各務もプレイヤー持ってるの?」
「うん。でもポータブルだから。音も、そんなに強くないし」
「音が強い?」
「うん。修のオーディオセットは音が強い」
 《強い》という表現に修は違和感をもったが、気にしないことにした。
 レコードプレイヤーに乗せられていた90年代のインディーズロックのレコード盤から、ブチっという音とともにレコード針があがった。修は立ち上がり、プレイヤーから慎重にレコード盤を両手で持ち上げて、器用に中袋にいれるとレコードジャケットに収めた。各務が、次は何を聴こうかとレコードラックを本のページをめくるように一枚一枚探す。あっと言う声とともに、一枚のレコードを取りだした。
 ポストハードコアパンクロックのFUGAZIだ。これも90年代。
「おれ。これに最近はまってんだ」
「美空はよくわかってんなあ」修がうれしそうに微笑して続けた。
「おれの親父も音楽が好きでさ。よく言ってたんだ。十代に聴く音楽に年代は関係ないってさ。お前の時代に流行ってなくて、過去のものであっても、お前が気に入って何度も聴いて口ずさむ音楽が、お前の青春時代の音楽だって。その魅力は永遠に持続するんだって」
「詩的で、名言だなあ。修の親父は作家?」
 修は苦笑いを浮かべて、手をひらひらさせた。
「違うよう。そっからはほど遠い職業だ。警察官。刑事だ。となりの蛍坂市警のね。学校では内緒にしてくれよ。いろいろややこしいから」
「かっちょいい。刑事(デカ)長か?」
「おまえ。いつの時代の刑事ドラマ見てんだよ」うれしそうに顎をひいてくすくすと修は笑った。
「美空の青春時代の音楽はどれになりそう?」
 美空は慎重に、レコードをプレイヤーに乗せながら言った。
「うん。おれはレッチリ(レッド ホット チリペッパーズ)かなあ。ヒップホップやラウドロックも好きだけど。レッチリみたいに抒情性のある音楽になりそうだな」
「ああ。それなんかわかる。先鋭性や新しさよりも、抒情性は景色や物語を作るもんね」
「父親ゆずりなのか、修も詩人だなあ」
「詩人とまではいかないけど、歌詞を書いたりはするよ」
 ベッドの足元には、ギタースタンドに立てかけられたベースギターと小さなスピーカーアンプが置いてある。美空はそれらを見ながら、「じゃあベースもそこそこ弾けるんだ」とベースギターを指さしながら目を丸くした。
「うん。曲の原型ならすでに数曲ある。あとはメロディーと唄なんだけどなかなかうまくいかない。歌詞とメロディーが乖離して、なかなか歌にならないんだ」
 家の外から、かまびすしい少女数人の話声と笑い声が聞こえてきた。修は顔をしかめた。妹の桜の帰宅が近いようだ。美空は両手と両ひざをついて、じっとベースギターを見つめている。
 玄関先での妹と友だちのおしゃべりが終わるのに、五、六分の時間を要した。じゃあね、バイバイという声が散りぢりになるとともに、玄関の扉が開き、猫の足音とともに桜が二階に上がってきた。修の部屋をノックをして、修が返事をする前にせっかちにドアが開かれた。白いブラウスに赤いリボンタイ、緑を主としたチェック柄のひざ下スカートの制服姿。漆器のような艶やかな長い黒髪が揺れている。桜はただいまと修に声をかけてからすぐにベースギターに釘付けになっている美空の背中に目をやった。桜の足もとには、白と黒のはちわれの猫、ジャニスが前足をそろえてすわっている。ジャニスの命名者は、修の父親である佐橋博だ。6,70年代のロックシンガーのジャニス・ジョップリンからとった名前だ。彼の青春時代も、自分の年代よりも古い音楽に造詣があったようだ。
「桜。ジャニスを入れるな。毛がつく」
 正座して、のばした両腕を床についていた美空がそのままの姿勢でふりかえった。美空と目が合うと、桜は動物園の珍獣コーナーにいるときのような、驚き交じりの少し歪んだ笑顔で言った。
「お兄ちゃん。なに?この犬」
「失礼なこと言うな」修は立ち上がると、桜を押し出すように廊下に連れていこうとした。
「友だち?なんか可愛い」
 桜が、修の肩ごしから背伸びをして美空を見ようとする。美空はすでに姿勢をほどき、あぐらをかいてレコードジャケットに見入っている。
「だれ?面白そうな友だちね。髪がウニの殻みたい」
「失礼だぞ。いいから出ろよ。ジャニスもだ」修は足もとにいるジャニスをかるく蹴飛ばした。ニャニャッとひと鳴き残してジャニスは走り去る。
 美空は頭をかきながら立ち上がって桜を見た。
「おじゃましております。修君の友人の各務美空と申します」
 そういって一礼すると、またすとんと床に腰をおろしてレコードジャケットを手にとった。
「わかっただろ、美空くんだ」
「可愛い。女の子みたいな名前」と桜は小さく飛びはねる。
「もう!失礼なやつだなあ。早く出ろよ。おれたち忙しいんだ」
 修は桜の両肩をつかむと、くるっと後ろをむかせて部屋の外に押し出し、後ろ手でドアをしめるとそのままドアに背をもたせかけた。
「お騒がせいたした」
 修は、美空にむかって両手をあわせた。
「妹?」
「ああ。妹の桜だ。まったく騒がしい。もう中三なのに幼くて」
「それより修。ベースを弾いてくれないか?はじめて見たんだ本物のエレキベース」
 ええ?いいけどと気が進まないような言い方だが、修の顔は少しうれしそうだ。その証拠に、すでにベースギターを手に取りコードでアンプスピーカーにつないでいる。
「近所迷惑になるから音は控えめにするよ」
 真剣な顔で美空が頷いている。
「じゃあレッチリやるよ。さわりだけ」
 そう言って、修はベースの太い弦を指ではじいた。
 レッドホットチリペッパーズのアラウンド・ザ・ワールドのイントロのベースラインが歪んだ音でスピーカーからとび出した。真剣な顔で修はフレットと弦を見つめて、さわりどころかワンコーラス弾いた。
「巧いな」感心した顔で美空が小さく手をたたく。
「そんなあ。たいしたことないよ」とまんざらでもなさそうな照れ笑いを浮かべ、簡単なベースリフレインを弾きながら修はこたえた。修の後ろにある曇りガラスの窓から、夕暮れ時を知らせる黄色がかった陽光がさしている。美空が初めて、部屋に遊びにきたときからずっと考えていたことがあった。断られるかもしれないけど、修は思い切って聞いてみることにした。
「ねえ美空」
「何?」美空はじっとベースギターのボディに見惚れている。
「おれとバンドやらない?いや、やろうぜ」
「いいよ」
 逡巡するこも迷うこともなく、美空はあっさりとそう答えた。まるでちょっとコンビニに寄らない?と誘ったときの返答のようだったので修は拍子抜けした。でも・・いいよって楽器できんのかよ。
「じゃあ。おれは何のパートを担当しようかな」そう言って美空は腕組みをして思案している。しばらく修はだまって様子を見ていた。
 ほどなくして、美空はパンっと両手を打って「ギターにする。これから練習するよ」と言って子犬のような目を大きく広げ、力強くうなづいた。
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