第22話

文字数 3,857文字

 佐橋は、少し暖かい陽ざしに春の予感を感じる日比谷公園を歩いていた。日曜日。親子連れや、カップルが噴水の前で笑顔を交わしあっている。
 マスクマン事件は終わった。しかし終結したと言えるのだろうか。メディアはあった事実を報道するほかなかった。
三杉町の空き家で暴行傷害事件。三名重症、一名死傷。容疑者は今も特定出来ず。被害者は散弾銃を所持しており、発砲した形跡あり。あらかじめ武装していたと疑われる。四名の被害者の接点は、同じ新興宗教の信徒であるということだけ。被害にあった場所は、無契約の空き物件であり管理会社は堀江不動産。
 結果的に何も言い訳や釈明することもできず、大明光会やその関係者が責任を負う形になってきた。大明光会は武装していた事実を胡麻化すことは出来ず、テロ組織と認定され、今も公安の追求と捜査が続いている。
 そして元ルファル吉田誠二自殺については再捜査が行われた。井原警部が、大明光会銃殺事件犯行現場である蛍坂市三杉町の空き物件の管理者であることを理由に、堀江不動産事務所内を捜査したところ、吉田誠二の部屋の鍵の複製が発見され、堀江不動産社長はその場で身柄を拘束された。
 どういう形であれ、大明光会の組織は解体へ向かうだろう。池内議員はじめ民国党の他の議員への闇献金や、癒着企業も明らかになり始めている。
そして昨年の五月から蛍坂市を火切りに始まった、マスクマン事件の一連の被害者たちは、過去に自分が犯した罪が暴かれ、罪状は知っていれども、前頭葉の損傷により告白する頭と言葉を失っている。とうぜん言い逃れする言葉も口にすることはできない。
 SNSでは、徐々にマスクマンの犯行ではないか?と勘繰る投稿が出回っている。
桜は、以前のように事件に首をつっこまなくなった。だが一連の被害者たちの背景や過去が明らかになるたびに、そのニュースを見ながら一言で事件を片づけた。
みんな、無様よ。
 一刀両断といったところか。

 井原から電話があった。話したいことがあるから、日比谷野外音楽堂のいつものベンチに来てほしいとのことだった。
 あの蛍坂三杉町空き物件の事件があって、しばらくしてから戸田医師と井原と例の中華料理屋で酒を呑んだ。井原は修と同じように、あの夜に起きた事件のことにはいっさい触れようとしなかった。
 以前、三人で呑んだときと同じように戸田医師と井原は、超能力や古代文明、世にある不可思議な出来事や事件について大いに語り合った。話は宗教哲学にまでおよび、佐橋はついていくのに苦労した。お開きの時間が近づいてくると戸田医師がマスクマン事件について、自分の見解を簡単にまとめて語った。その見解にふたりは同意するほかなかった。
 結論は、日本のバランスが取れた。結局そのひと言に尽きると。マスクマンは悪いほうへ傾きかけていた日本の歴史を修正していった。
 しかし、この先はまだわからない。新興宗教団体は今も根強く存在する。ひとつの組織が絶大な力を持ち始めると、またバランスが崩れる。そういうときに、またマスクマンは現れるのだろう。そしてマスクマンの正体を知る必要はない。何者でもいい。彼らは法や社会生活から離れた場所で我々を統治していると。
 その通りだと、深く同意したが佐橋はひとつの不安を払拭することはできなかった。その不安は新型コロナが感染拡大しはじめた頃から現れ、胸の奥底に親知らずのように根をおろし、不安から鈍痛に変わり今もなお疼いている。
 それはSNSや動画配信と一般民衆の心の動きであった。新型コロナウィルスにより臆病となり、マスクで顔を隠し情報の奴隷となり、自分で考えることを放棄する人々が増えていった。ジャーナリズムは形骸化して情報とSNSと動画が先行し、ネット上は流言飛語と噂やゴシップ記事が飛び交い、ほとんどの人びとが真実と目的を失ったまま霧の中を迷い歩いている。
 そして空っぽな生き方をすることに恥の意識を持てない人々が増えていく。目立つため、再生回数をのばすためなら、何をネット上なら何を言っても、どんな動画を撮影してアップロードしても厭わないという民衆の意識。すでに、今のこの世の中では「恥」という概念は殺されかけている。もしかすると人々はマスクで顔を隠し、スマホを見続ける生き方でもいいと思っているのではないか。そういった風潮までをマスクマンが修正できるわけではない。自分で修正しなければならない。
 マスクマン事件により、少しは地に足のついた考えを持った人々はいるだろう。しかし、人間は狡猾な生き物だ。損得勘定で人間関係や信仰を選ぶ人間は、今後も増え続けるだろう。
本来、素顔で青春時代を生き、生きていくはずの若者が自らコロナ感染予防のマスクで顔を隠し、匿名のSNSの世界で己を隠して生きていく。
 そのなかで、社会の秩序を正してどこかにいなくなる、正体不明のマスクマン。
 結果的にマスクマン彼の存在こそが、民衆に対しての最大の皮肉となり、アンチテーゼとなったのだ。
あるテレビ番組で、マスクマンが素手で三杉町の武装組織を壊滅に至らしめたのではないかと特集すると、またぞろこぞってSNSでマスクマン信仰の投稿や、アンチによる中傷投稿が始まったが、なぜかすぐに収束した。きっと騒げば騒ぐほど恥ずかしくなることに、ほとほと気がついたのだろう。そしてスマホをいじるだけで何もしようとせず、自分が何者なのか知ろうとも、わかろうともしない自分たちは情報社会の囚人となっていることに、やっと薄々気づきはじめるはずだ。もちろん今もこれからも気づかない人は気づかないだろうが。

 明るい青空の下、木立のなかに野外音楽堂の屋根が見えてきた。いつものベンチを探すと、井原が座って文庫本を開いていた。スーツではなく皮のハーフコートを着て、黒い中折れ帽子をかぶっているためすぐに井原とはわからなかった。佐橋は、離れた場所から手をあげて声をかけた。井原が笑顔で顔をあげ、佐橋に手をふった。
「すいません。お休みのところお呼びたてしてしまって」と帽子をとり、慇懃に頭をさげる。横に座る佐橋に、実はご報告がありましてと言う。なんとなく何の話かわかるような気がする。きっとこれからの自分の行方のことだろう。
 佐橋の前に立ち上がると、
「このたび井原冬二は警察官を退官いたしました。今までのご指導ご鞭撻に心から感謝申し上げます」と言って、佐橋にむかって深く礼をした。佐橋は立ち上がり、正面から井原を見た。
「佐橋警部。今までお疲れさまでした」、と右手をさし出した。井原は頭をあげて、涼しげな笑顔で佐橋に、ありがとうございますと言ってその手を握った。握手をして挨拶を交わしあうとふたりは、なんとなくうれしくてくすくすと笑い、ベンチに座りなおした。
 退官後しばらくは、全国を旅して歴史深い場所や神社を巡るという。その後の仕事は考えているのかが佐橋は気になったが、井原は聞かれる前にそれを答えた。
「その後は宮大工に弟子入りします」と井原は言った。
 神門に近しい職であり、一人前になったら自分にしかできない仕事をすることが出来るし、その仕事は残る。
 そして、まだ若いですからと付け加えて、井原は清々しく笑った。つられて佐橋も笑った。
「今日、今から東京駅から奈良に向かいます」と言って、井原は立ち上がった。
 そして奈良を火切りとして、全国各地の古い神社を探しては参拝するという。佐橋は笑顔で強く肯きを返した。
「佐橋さん。一年後にまたここで会ってもらえますか」
「もちろん。一年後にここで会おう」
 佐橋がそう言うと、井原は満足そうな笑顔で深くうなずいた。
 ではお元気で、また。と頭をさげると井原は佐橋に背をむけて、丸の内のほうへと歩き出した。佐橋は立ち上がり、その後ろ姿に「きっとこれからの旅の途中で、忠司くんや各務美空に会えるよ」と大きく声をかけた。
 井原は、ふり返り、なんとも言えない笑顔を佐橋にむけた。そして笑顔でこう言った。
もしこの先でまた彼らに逢うことがあったら、
「もしまた会うことがあったら・・ふたりに言ってやりますよ。君たちにもう逢魔時はないって」
そう言って勢いよく手を振ってから、また歩き始めた。
 佐橋は力が抜けたように、ベンチに腰をおろした。大きく深呼吸をして、日曜日の春の空を見あげる。
 あの事件後に井原は佐橋だけに「マスクマンの目は各務美空だった。似ていたんではない、あれは各務美空でした」と一度だけ言った。今では証明しようのない証言である。証明することに意味もない。佐橋には、修と井原に何があったのかを理解できた。マスクマンの正体は、各務美空だった。でもそれがそうであったとして、いったい何がどうなる。捜査したところで立件などできない。捜査する意味もない。もちろん井原もそれを望まない。
 
 日比谷通りの歩道で、小さくなっていく井原の後ろ姿と皇居外苑の緑を眺めながら、佐橋はなんとなく取り残されたような気がした。そして、自分もマスクマンに会いたかったなと思い、年がいもないと自分に苦笑した。
 井原とここで缶ビールを飲んだときのように、ギターケースを背負った男子高校生ふたりが、笑いあいながら肩をゆらして佐橋の前を通り過ぎていく。
 修、桜。まっすぐに自分を生きろよ。そしたらいつかまた、必ず出会えるはずさ。
 美空君に。




*ご拝読、誠にありがとうございます。寂しいですが次回が最終回、エピローグになります。12月16日土曜日には更新予定です。
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