第10話

文字数 5,027文字



 翌日、佐橋と井原は鈴本くんと会うことにした。修に無理を言って協力してくれるように頼んだのであった。挨拶を交わし佐橋と井原の警察手帳を見ると、やはり高校生か好奇心に満ちた目を丸くしてうれしそうな顔をしてこう言った。
「初めて見ました。警察手帳。うれしいな」
 白い半袖の開襟シャツを着て、洗いざらしのブルージーンズにハイカットの白いスニーカー。大人っぽくも、そして清潔で洗練された印象をふたりは受けた。
「いつも修たちと仲良くしてくれてありがとう。今日はわざわざ出てきていただき、かたじけない」と佐橋は慇懃に鈴本くんに頭を下げた。井原もそれにならった。蛍坂駅から少し離れたところにある古い喫茶店。ここはボックス席があるから佐橋は捜査で一般人から話を聞くときによく使う。常連客はカウンター席にいるし、ランチタイムを過ぎたこの時間は客も少ないため話がもれることもない。
「で、修から聞いてくれたと思うんだが、そのケーイーフーズの社長のことなんだが、お父様は他に何かおっしゃってはいませんでしたが」井原が用件を先に伝える。
 顎に手をあて、少しうつむいて鈴本くんはその時のことを思い出そうとする。
「ケーイーフーズの社長のご夫人が党員だったという政党ですが、その政党名は明かさなかったと。その政党名を示唆するような発言や言動。他になにかおっしゃってはいませんでしたか?なんでもいいんです」
 ゆっくり思い出してみてください、佐橋はそういうと「コーヒーと一緒に何かケーキとかはどう?」と少し和んだ空気をつくろうとする。鈴本くんはコーヒーカップを口に近づけたまま、真剣に思いだしている。
 メニューを手に佐橋が「暑いからアイスがいいかな」とウェイトレスを呼ぼうと手をあげかけたとき、井原がそれを制した。
 鈴本くんに目をもどすと、コーヒーカップを口から離し鈴本くんは「ル・・ルファル」と言った。ふたりは鋭い目で顔を見合わせた。
「ルファルが何なのかまったくわからないのですが、確か父がケーイーフーズの話をするまえに、ルファルがどうこうと言ってました。それからケーイーフーズの話が始まったんです」
 ふたりはテーブルに乗り出した、グラスの水が揺れる。
「他には?」
 鈴本くんは目を瞑り、低い声で少し唸って思いだそうとする。ふたりとも辛抱づよく鈴本くんの口が開くのをまった。
「・・・・池内議員が襲われたじゃないですか。そのときどこかの新興宗教団体と云々の話があって。その宗教団体の名前もルファルについて話すときに出ていました・・あれ何て言いましたっけ大明なんとかという・・・・」
 ふたりは鈴本くんに心から謝意を伝えて、また何か情報がつかめたら連絡してほしいと名刺を渡して鈴本くんとわかれた。外に出るともう周囲は薄暗くなっており、夏が終わりを告げようとしていることを知った。気の早い街灯が、近代化が済んだ、というだけの空っぽな開発地の街路をしらじらしく照らしている。
蛍坂署にもどる間に、ふたりは話し合った。鈴本くんの父親の話では池内議員との関係が疑われている大明光会、カルト宗教団体ルファル、反社会的勢力の名前がひとつ話の流れで語られている。これは何らかの繋がりを示すものである。マスクマンの今後のターゲットを推すると、その関係者たちとなるのは想像するに易い。しかし警察が疑っているのは吉田である。マスクマンたちの次のターゲットを推測し、報告したところで捜査方針は変わることは無いだろう。異能者説などもってのほかだ。
ふたりは、とりあえず署に戻り戸田医師にこの件を報告して、今後の方針を固めることにした。
 署にもどると、鈴木刑事が新たな情報をつかんできた。佐橋の指示で鈴木が松井弁護士と繋がりのある堀江不動産の堀江社長を探っていると、堀江が大明光会の信者であることがわかった。そしてさらに堀江不動産が立地している三杉町で聞き込みを続けていると、最初にマスクマンによる事件が起きた、三杉町の被害者四人も大明光会の信者であるということもわかった。
 佐橋は鈴木刑事に礼を言って労うと、引き続き三杉町での聞き込みを命じて、井原とともに解剖室へとむかった。
 少し、待ってくれと言って戸田医師は白衣を脱ぐと解剖室の隣にある研究室にふたりを招き入れ、スツールに座るように促した。佐橋は、池内議員と大明光会、ルファルと反社会的勢力につながりがある可能性が浮上している事をかいつまんで戸田医師に報告した。
「マスクマンたちの性善説と異能者説に則って推測すると、捜査線上に浮かびあがってきた新興宗教団体および反社の連中は、マスクマンたちの格好のターゲットになるな」
 そう言って、戸田はオフィスチェアを軋ませて背もたれに深くもたれて、大きく背伸びをした。
「そうなんです。吉田やルファルは間違いなくマスクマンたちではない。むしろターゲットになりうる存在」井原が身を乗り出す。
「異能者説で捜査することに大きな意味が出てきました。しかし、警視庁にも所轄にも鼻で笑われるに決まっています。でも大明光会やルファルの捜査は続けます。追っていけばマスクマンたちに繋がる糸口が見つかるはずです。戸田先生のほうは何かわかりました?」
「忍者について独自に研究してる組織は存在する。その研究している学者の文献を読んでみたが、彼らは武家の諜報員で暗殺者であった。武家の指示に従い、安い給料で任務を隠密に遂行する組織。ご存じのように武家社会は封建主義で身分制度を重んじる。給料が安かったところをみると、彼らは武家社会では下に位置する。お武家が存在しない現代に、もし彼らの末裔がいたとしてだ。いったい誰の指示で、任務を遂行する?存在するとしたらフィクションの時代劇だけだ」
 少し、唸って井原が腕を組み天井を見上げる。やたらと眩しい蛍光灯から目をそらして「では。どういう組織が考えられると」と言って戸田医師に目をおろした。
「佐橋くんが言ってた八咫烏だ」
 ふたりは、顔を見合わせた。思いつきで言っただけだったので佐橋は驚いた。戸田医師は立ち上がり、コンロに小さなケトルをのせて火をつけた。
「これだけの新興宗教団体が存在するのに日本では宗教戦争は起こらない。オウムの地下鉄サリン事件が過去にあったが。あれはテロだ。戦争までには発展しない。なぜだかわかるか?」
 佐橋は首をふり、井原は頭をかたむけた。
「バランスが取れているということだ」
 マグカップを手にインスタントコーヒーを入れながら戸田医師はさらにつづけた。
「日本においての代表的な宗教は神道と仏教だ。永代橋を東京駅と反対側に向かって渡ると門前仲町だ。江戸時代にはそこに大きな寺があったことは知ってるかい?」
「いや知らないです。富岡八幡宮なら有名で今も栄えていますが。あっ、あれは神社だ。失礼」井原が顎に手をあててこたえた。佐橋も首をふる。
「永代寺だ。今も存在するが江戸時代の大きさの規模からはほど遠い。今は、深川不動尊の参道にひっそりとある。江戸時代は隆盛を極め大規模な寺で大きな力をもっていた。あの辺は今では江東区富岡だが、江戸のころは永代島と言われていた。江戸時代が永く代々続くようにと永代橋がかけられ、永代寺が出来た。しかしそれが明治になって縮小された」
「・・・・廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)ですか?」
 井原君のおっしゃる通り、と戸田医師は人さし指をたてる。
「そう。廃仏毀釈。政策によりバランスを保ったわけだ。神道と仏教のな」
明治維新の廃仏毀釈という仏教破壊運動で、肥大化した仏教を縮小して民衆に神道への回帰を促した運動だという。
「そうか。政策下の武家や仏門、民衆の間で当時どんなことが起きていたかなんて想像できないし、わかりませんものね。けどきっと衝突はあったはず」井原が腕組みをして頷く。
「そうなんだ。根気よく調べていけば、少しはわかるかもしれんが、きっとなんらかの衝突はあったはずだ」
「そこに神道である八咫烏が何らかの形で関与していたのではないか?そして今回も関与していることが考えられる、というのが先生の推論。神道を中心とした日本の宗教のバランスをとるために」佐橋も腕組みをして天井を見あげた。
「そういえば。うちの女房の友だちに神道について、深く掘り下げて調べている人がおってな。もちろん神事もされている方じゃ。その人は八咫烏の人間に会ったことがあるそうなんじゃ」
 ふたりは沈黙して顔を見合わせた。
「その人の話によるとだな―」
戸田医師が話しだそうとすると「ちょ、ちょっと待ってください先生」と佐橋がさえぎった。
「ちょっと待ってください。先生のお話によると、いるってことですか?彼らが」
「存在しているから会ったんだろう、女房の友だちは」
「まあ。そうですけど・・・・」佐橋は頭をかきながら首をひねった。
 話を急ぎすぎたな、と言ってひとつ咳払いをしてから戸田医師は話をつづけた。
「その女房の友だち、Sさんとしよう。Sさんは足かけ二十年、神道、そして神事について調べ続けてきた。太古からある、外来宗教からの影響のない古神道も調べている。当然、古代からある神社の宮司や神主とのつながりもある。そのなかで知り合ったネットワークのなかのひとりに八咫烏の人間だという人がいた」
 井原が大きく目をひらき、瞬きもせずに唾を飲みこんでから言った。
「古神道といえば、奈良にある大神神社は日本最古の神社とされています。昭和天皇も参拝されて、その際は靖国神社よりも巨大な鳥居が建設されたと。三島由紀夫も参拝され、日本文学者ドナルドキーンと社務所に三日間泊まり込んで、ご神体と崇拝される三輪山を登ったと聞きました。そして古代からあるご神体の正体は隕石だと。Sさんのお話は、古代からの繋がりからの情報だと考えると、それを根拠として信用できます。連綿と続く日本最古の宗教神道を守り続けている八咫烏の存在を」
 ちょっと待ったと佐橋が口をはさんだ。
「でも自分は八咫烏だという人物の裏付けをどうやって取れる?まさか神道関係者をひとりひとり嗅ぎまわることなんて不可能だ。そして失礼極まりないことだ」
 その通りじゃ佐橋くん、失礼極まりないと戸田医師は大きく頷いた。
「わしは、人にそういう気持ちが生まれるから彼らは今もいるのだと思う。神道関係者は本当に信用できる人間としか関わらない。そして信用できる人間は口が堅いし、無駄な詮索はしない。そもそも詮索する必要もない。神道そのものが歴史なのだから学ばせていただく姿勢でしか関われないものだ。たとえば女房は私にしか八咫烏のことは話していない。そして当然、君たちに私が話すということは、口外しないと信じて疑わないからだ」
 ふたりは深く頷いた。
「Sさんが会った八咫烏の人が言うには、彼らは全世界に存在している。地下に潜ったまま表に出ずに活動して一生を終える者たちもいるし、住民票もあって一般人に交じって生活している者も一部いる。共通しているのは異常な身体能力。そして超能力のような力を持っているということだ。日本国の存続が危ぶまれるときに現れ、役目を果たすと何一つ痕跡を残さずに消えていく」
 井原が目を輝かせて何度も頷いている。中学生のようだ。
「よしんば彼らがマスクマンたちの正体であったとしても、我々は近づけないし捜査することもできない」佐橋は腕を組みなおして天井を見あげた。
「それにマスクマンの正体を八咫烏と断定して捜査するのも早計かとわしは思う。まだ推論にもならない。想像の範囲でしかない」
「でも。次のターゲットとして大明光会やルファルを張るのは価値があると思います。きっと彼らは現れる」井原が胸をはる。
「井原警部。もし彼らが現われたとして、我々で逮捕できると思いますか?そんな超人たちを」佐橋がもっともなことを言う。
「特殊急襲部隊SATでも連れて行かんことにはなあ」
 戸田医師が大きなあくびをしながら言った。
 三人は大きくため息をついて、しばらく黙り込んだ。
「今のところ異能者説、八咫烏説は私たちの想像でしかない。とりあえず鈴本くんからの情報は、あした本部に報告しよう。大明光会とルファルの新興宗教間の内ゲバ(内部抗争)の可能性もある。蛍坂と川崎の事件とは別の犯人で、池内議員襲撃事件の犯人はマスクマンたちに注意を向けさせるための模倣犯かもしれない。公安の経験と判断は必要だ」
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