第12話

文字数 4,570文字

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 蛍坂三杉町の最初の被害者たちが大明光会の信者であり、元ルファルの信者である吉田に、部屋を仲介した堀江不動産社長も大明光会の信者であること。ルファルと大明光会、池内議員襲撃事件と反社会的勢力が、鈴本くんの父親である投資家の口によって同一線上に語られていたという報告は、捜査会議を大幅に長引かせた。
池内議員、大明光会、ルファルとの関係性について公安が飛びついたからだ。やはり公安は新興宗教団体間の内ゲバ(内部抗争)が考えられると主張した。なんらかの政策や利権をめぐり、大明光会とルファルが対立していることが考えられる。その対立の狭間で、闇献金を受け取っていた池内議員がルファルに雇われた人間に襲われたのだろうと。民国党と反社会的勢力の繋がりが疑われるとなると、捜査線上に上がる全ての組織がお互いの利益を主張して、対立しているに違いないと。
引き続き吉田を監視し、今後は大明光会とルファルの動きも監視する方針で、捜査会議は終わった。公安は、手始めに近々ルファルの施設の立ち入り検査を実施する。佐橋は素直にいいことだと思った。武装している可能性は少なからずある。やつらもバカじゃないから、当然のこと火器や爆発物などは隠すだろう。しかし、自分たちに疑いの目が向けられているということを分からせれば、充分な抑止力となる。

「公安はルファルがマスクマンたちを雇っていると思い込んでる」
 井原がそう言うと、「まあ、そう考えるのが自然なのかもしれな」と言いながら、佐橋は日比谷公園のベンチにゆっくりと腰をおろした。
「襲われたのは民国党の池内議員で大明光会との繋がりがある。利益相反で対立組織と考えられるルファルを疑うのは自然でしょう」そう言って内ポケットからタバコをだす。井原も佐橋のよこに腰をかけて、缶コーヒーのプルトップをあける。夕方の六時前。帰宅する会社員たちが、丸の内にむかって遊歩道を歩いていく。会社員たちの後ろを歩くギターケースを背負った高校生ふたりが、はしゃぎながらふたりの前を通りすぎていく。夏の終わり、夕暮れ時の木立の影やさざめきが、ふたりの楽し気な背中を賑やかに彩っている。
「霞ヶ関周辺に学校なんてあったっけ?」と佐橋が首を傾げる。
「おそらく、どこか目立たない場所でミニアンプで音出して、今まで練習していたんでしょう。青春だなあ」井原は羨ましそうに顔をほころばせた。そして思い出したように、
「佐橋パパ!今週末はとうとう鶯丘ロックフェス」
 佐橋は、一瞬佐橋パパと呼ばれたことにムッとしたが、すぐに顔をゆるませた。
「そうでした」佐橋は木立の枝葉の間に広がる、暮れかかった空を見あげた。
「何もなければいいんですが・・・・」
「大丈夫です。何も起きません」と井原も同じように空を見あげた。
「佐橋さん。僕もバンドやってたんです」
 警部の敬称がない。自分のことを僕と称している。井原は、ここからは警視庁の井原警部ではなく、井原冬二として話したいのだろう。ひとりの人間として。
「僕はずっとギター少年でした。けっこうマニアックで、友だちとはぜんぜん話が合いませんでした。でも、たったひとりだけわかってくれる奴がいて、ギターが巧くてセンスもいい奴でした。そいつと高校三年生のときにバンドを組みました。ベースレスでドラムだけ入れて、ぼくはギターボーカルでした」
 それ、かっこいいなと佐橋はタバコをもみ消しながら、井原冬二の話を促した。が、彼ので(・)した(・・)という言い方がすこし引っかかった。
「当時はジョンスペンサー・ブルースエクスプロージョンとか、ベースレスのバンドが注目を浴びていたんで、ぼくたちもけっこう聴衆に受けました。卒業して大学へ進学しても、続けていました。そいつ、ああ、忠司っていうんですけど、曲作りや音作りのセンスが抜群なんです。ロックからブルース、モータウンのブラックミュージックの旨味を自分の曲に嫌味なく取り入れる。才能があるというか天才でしたね」
 井原くんの演奏聴いてみたかったな、佐橋もわざと警部の敬称を抜いた。それが礼儀と感じられたからだ。
「インターネットのインフラが整いつつあった時代だから、サイトに音源をアップしていました。今も残ってるかな」と井原はスマホをタップする。
しばらくスマホをいじくっていると「ありました。聴いてみます?」と照れくさそうに佐橋に言った。
「ご拝聴いたします」わざと冗談っぽく慇懃に言うと、井原は破顔して佐橋にスマホをわたした。
 聴こえてきたのは、ざらついたギターサウンドとタイトなドラム。巧くツインギターが絡み、ドラムとともにグルーヴを生み出している。そして若き日の井原冬二の歌声。ハスキーだが文学青年のような危うさと甘さが匂う。確かに、センスがいい。楽曲も演奏も研ぎ澄まされている。
「凄い!忠司って子だけじゃなくバンド全体のサウンド、楽曲に生命力が漲っている」
「あっ、忠司もよく言っていました。生命力を感じさせなきゃって」
 ふと井原の顔に翳がさしたように見えた。陽が暮れだして、公園内が少し暗くなってきたからだろうか。
「ここでライブしたこともあるんです」井原は首のばし、緑の木立にかこまれた野外音楽堂に遠い目をむける。
「盛り上がったでしょう。観たかったな」と佐橋も井原の目の先を追う。
「ほんっと最高のステージで、最高の夜でした」
 懐かしそうに、嬉しそうに笑う井原の顔には、明らかに翳がさしていた。
「新橋で打ち上げした帰り道。実はここで、このベンチで忠司とビールを飲んだんです。この夜が永遠に続けばいいのにって、何度思ったことか。また音だそうなって言ってここで別れました。ぼくは四谷方面、忠司は丸の内のほうへバイバイしてから歩き出しました・・それが彼と過ごした最後の時間でした」
 佐橋は混乱した。こういう時。質問しないほうがいいのかと。佐橋は、井原のあごのあたりに目をやりながら、井原が話し出すのを待つことにした。
「翌日。忠司から電話があって、親の都合で海外に行くことになってしまった。バンドを続けることはできない、ごめんと一方的に別れを告げられてそれきりでした」
 しばらく沈黙が続いた。
「・・・・近いうちに忠司くんは帰ってくるような気がします。私はそう思います」佐橋は無責任だと思いつつも、なぜか、そうなるはずだという確信に近いようなものが胸の奥底にあった。
「今から十年ほど前のことです。いま井原くんはまだ三十一歳。始まりに遅い時期なんてものはない」
 井原は小さく微笑みながら「なぜか、ぼくも今そんな気がするんです」とベンチをなでた。
「今、佐橋さんと、むかし忠司と座ってたこのベンチで話しているからかなあ」
 佐橋は微笑んで立ち上がり、井原警部をみた。井原は、微笑みながら大切そうにベンチをなでている。優秀な警視庁のエリート警部。その頭を佐橋はやさしく撫でたくなった。その代わり、
「今週末。子どもたちが忠司くんの行方を教えてくれるよ。井原くん。ぼくは音楽も一種の超能力だと思うんだ」
 井原冬二は満面の笑顔で、佐橋を見あげて深くうなづいた。その瞳は潤んで輝いていた。

 翌日、佐橋が目を覚ますと、井原警部からのメールが受信されていた。蛍坂署ではなく、今日は警視庁に来てほしいと。
 顔を洗い、身支度を整え朝食の食卓にすわると、桜が珍しく家族のだれよりも早く食卓についていた。すでに制服に着替えている。おはようと声をかけると、桜はそれに応えながらリモコンでテレビのチャンネルをかえる。天気予報。
「明日、八月三十一日は晴れ。だいじょぶだ」と言ってトーストをかじりながら、またチャンネルを変える。。
「ずいぶんと早いな。修は?」と咲子に聞くと、咲子は少し可笑しそうに微笑んで桜に視線を送って答えさせた。
「美空ちゃんと走りに行ってる。最終調整だって。あたしついていけないから先に帰ってきちゃった。しかし美空の足って普通じゃないわ。お兄ちゃんもそろそろ帰ってくる」
「またなんで?」
「舞台に立つ以上は見た目も大事なのよね」と頬を緩ませたまま咲子はコーヒーカップを佐橋の前に置く。
「お兄ちゃんなんて最近、腹筋われてきたんだよ。上半身裸でベース弾くんだって」
「ああ。レッチリのフリーか」と佐橋もトーストをかじる。
「顔がベビーフェイスだから凄みないけどね」と桜の口の端があがる。
「ああ咲子、おれ今日は警視庁だ。でもそう遅くはならないと思う」
 超高速で桜の首がまわり、佐橋をみた。
「何かあったのか?佐橋刑事」
 桜、と咲子がいさめる。
「まだ何も聞いてない。それにとうぶん何もないよ。チャンネル変えていいか」と佐橋はリモコンを手にする。テレビはNHKの子供番組が放映されている。
 三人で、ぼんやりとニュースを見ながら朝食をとる。ここのところニュースはマスクマンに関してまったく報道していない。池内議員襲撃の事件は、本人が未だに言葉が話せず、精神錯乱状態で安定剤の投与が続いているため闇献金についての証言は得れず、何の情報もないためメディアは沈黙している。テレビのニュースは、新型コロナの先日の感染者数と、四回目のワクチン接種について報道している。一昨日だったか、東京都の陽性者数が一万六千人を記録した。そのうちの、七割が三回目のワクチンを接種していたとテレビは報道した。なぜか、ワクチン接種者が増えるたびに、感染者が増え続ける。さすがにワクチン接種する意味はあるのかと素朴に疑問に思う。ネットでも報道されていたが、陽性者の七割がワクチン接種していたという記事はすぐに見れなくなった。すでにSNSでは、新型コロナのことに触れるとその発信は自然と制限がかかるようになっている。
 珍しくだまってニュースを見ていた桜がトーストを食べ終えると、口をひらいた。
「あたしも当分の間は何もないと思う」
「なんで?」佐橋のトーストを持つ手が止まる。
「マスクマンたちは正義の自警団でしょ。だったら鶯丘ロックフェスティバルの邪魔になるようなことはしない。絶対にしない」
 また自分都合な根拠のないことを言う。
「そうだといいけどな。父さん明日聴きにいくぞ、ずっと楽しみにしていたんだ。咲子、井原警部もくるから紹介させてくれ」
「井原警部が来るの!」桜が目を輝かせ、両手を握り合わせる、漆黒のおかっぱボブの髪が揺れる。
「・・ってお前知らないだろ?」
 桜がバツの悪い表情にかわった。足もとにジャニスがすり寄っている。
「また盗み聞きか」
「ごめんなさい。聞くとはなしに聞かせていただいてました」珍しく悪びれて殊勝に頭を下げている。「どういう日本語だよ」と佐橋は鼻白む。
「でも警視庁の警部さんで、異能者説を唱えるなんて素敵じゃない。推理小説の主人公みたいであたしファンになっちゃた!」と桜は肩を揺らし、少し目を潤ませている。
 こういうのをキラキラ女子というのだろうか、それとも女子力が高いというのだろうか・・・・うるさいファンになりそうだ。ここは釘を刺しとかないと。
「ステージが終わったら、バッグステージに行ってお前たちに会わせる。彼はずっとライブを楽しみにしててくれたんだ。でも桜、事件のことには決してふれないように」
 もちろんです佐橋警部、と桜は父親に敬礼でかえした。

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