第16話

文字数 2,012文字

まるでプロデユーサーのようだと、鈴木くんの話を聞きながら井原はそう思うようになっていた。金曜日の夜。マスクマンの事件は暗礁に乗り上げたままで、新しい情報も他の事件もなく、井原は定時で署をあとにした。
電話口の鈴本くんは、まるで鶯丘TОYSを自分の子どもたちのように愛おしそうに夢中になって話していた。捜査協力者であった鈴本くんはあのロックフェス以降、井原の音楽友だちにもなっていた。老成した彼の音楽の趣味や、ロックからヒップホップに至るまで俯瞰して良質な音を見つける耳には感嘆させられてばかりだった。しかし捜査協力者としてはここのところ開店休業中だが。
「ライブハウス出演時に、鶯丘ロックフェスの映像ソフトを販売する企画を今度かれらに持ちかけようと思うんです」
 プロが撮影したライブの映像のほかに、ミキサーを通した音源がある。その音をリミックスして映像ととも編集するという。商業音楽ではない彼らの音は、インディペンデントで育てていきたい。
話を聞きながら、自分の部屋を見渡す。リビングソファの横にスタンドに立てかけられたエレキギター。高校生の頃から使っている黒いテレキャスター。鶯丘TОYSのライブのあとから、久しぶりにギターケースから出して新しい弦に張り替え、井原は忠司とやっていた曲を弾くようになっていた。新しい曲のモチーフも出来つつある。鶯丘TОYSのライブの衝撃と余韻は長く続いたが、今、井原は自分のこれからについて考えさせられることが多くなった。彼らは新しい可能性を生み示した。可能性を示し、前に進むことが進歩だ。しかしその可能性を生み出すのは難しい。佐橋が前に日比谷公園で言った言葉の意味はあのステージのあとですぐにわかった。―子どもたちが忠司くんの行方を教えてくれるよ―その言葉の意味は字面通りに忠司の行方のことを言っているのではない。可能性のことを言っている。
自分の可能性を信じよ。
そう言っている。忠司も鶯丘TОYSの三人も同じだ。今も自分の可能性を信じている。
別のことを考え、上の空で鈴本くんの話を聞いていた井原は、鈴本くんの言ったひと言で目覚まし時計が鳴ったときのように、身体がびくんと跳ねあがった。
「ごめん。聞こえにくかった。もう一度」
 空き物件と言ったことだけ井原の耳には入っていた。その空き物件が三杉町にあると鈴本くんは言ったように聞こえた。
「三杉町にある空き物件なんですけど。近くに住んでいる友だちの話によると夜な夜な見かけない人たちの出入りがあるって言うんです」、井原の心臓がとくんと跳ねた。
 三杉町といえば堀江不動産がある。空き物件なら堀江不動産が管理している可能性がある。
「その空き物件。鈴本くんは見たことあるの?」
「はい。洋館のような豪奢な家です。家の下に半地下の駐車場があるんですけどシャッターは開け放たれたまま、埃だらけのベンツ二台とBMW一台が放置されたままになっていたんです。それが最近突然なくなった。無くなったと思ったら深夜にまた違う高級車が、二、三台停まっているのをその友だちが見たと。あの辺じゃお化け屋敷と言われてちょっと有名な家なんです。小学生のころよく自転車で見に行ったもんです。僕が生まれる十年以上前、バブル経済が弾けてしばらくしてから、その家の一家は、ある夜を境に突然いなくなったと親父が言ってました」
「その家に管理物件と書かれた札はついてる?」
「ついてたと思います。どこの不動産屋が管理しているのかまでは見てません」

その空き物件は、最初のマスクマン事件被害者宅があった一画の坂道を登りきったところにあった。洋館のような大きな家。バブル経済崩壊から約三十余年。紅茶色の外壁だからあまり汚れと時間の経過を感じさせない。なるほど家の下の半地下の駐車場は空っぽだ。しかし中を覗くと埃っぽくもなく小奇麗に掃除されている。建物の外観を確認すると、窓枠の下に管理物件と印刷されたアクリルプレートがぶら下がっていた。プレートの右下に堀江不動産の社名と電話番号がある。やっぱり―
空き家を確認したあと、井原は鈴本くんの友だちに聞き込みを入れた。その友だちはこう言った。
 武装してるかもしれない、と。
 深夜帯に高級車でやってくる不審な人物たちが、車からゴルフバッグを家に運び込んでいる様子を今までに二度ほど見たということだった。ゴルフから帰った父親がゴルフバッグを家に運び込むのは自然だ。しかしずっと無人の空き家に、突然やってきた人間たちがゴルフバッッグを運び込むのは不自然だ、と。
昼夜問わず、あの空き家の様子になにか変化があったら報告してほしいと名刺をわたした。さすが鈴本くんのお友だちだ。察しがいい。ゴルフバッグの中身は、当然のことゴルフクラブではなく散弾銃やライフルが想像されることも案じていた。
 それから二晩ほど、井原は深夜の張り込みをしてみたが。が、不審な高級車はやってこなかった。
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