文字数 1,528文字

 高校に入学してからの日々は、いかにもとりとめのない時間だった。遠い道のりを一人電車で往復し、与えられる課題を淡々とこなし、あやふやな興味に基づいて進路を選び、曖昧に努力らしきを行った。
 通学電車では時折、鷹崎知穂の姿を目にした。県下で中堅とされる高校に進学したらしく、都会的なデザインの制服に身を包み、誰より華やかだった中学時代からも別人のように垢抜けていた。尊大さや勝気さという要素もどこかにしまい込まれたようだ。多数の少女たちに取り巻かれることもなく、一人きりで駅に佇む鷹崎知穂の表情は、いつもどこか愁いを帯びていた。菜月を見つけると大抵は目を逸らしたが、二言三言交わすこともあった。おはようとか、最近どうだとか、他愛ない会話が彼女の何かを救っていたのだろうか。その後は近隣の国立大学に通っているらしい、とどこかで耳にした気がするものの、菜月には全く関係がない。成人式にも、菜月は行かなかった。
 対照的に、通学路が離れた恵子とは顔を合わせる機会はほとんどなかった。職業科のある高校で、千原史も同じ学校に通っていると聞いたが、学科の異なる二人がすれ違うことも稀であったらしい。高校生の間、恵子とは度々連絡を取り合ったが、中学校の話題に触れることは少なかった。
 史が一年に満たないうちに姿を消したことを、菜月は恵子の口から知らされた。買い物帰りに偶然出くわし、そばの公園のブランコに揺られながら、何気ない話をしていた。日没の少し前だ。

「姿を消した、……って。」
「同じ学科の子もよくわからないんだって。転校したのか、どこにいるのか、どうしていなくなったのか。あまり目立たない子で、まだ友達も多くなかったって。……信じられないよね、中学の頃はあんなに……。」

 恵子は途中で言葉を止め、缶コーヒーを一口呑む。何か思案するように夕空を見上げ、そのまま、隣の菜月に問いかける。

「大丈夫、菜月。」
「……え。」
「今、すごい顔してる。」

 指摘され、初めて気づく。指先の震え。全身の神経が仕事を忘れ、自分のものでなくなったように、体が遠い。菜月が絶句していると、恵子はふっと表情を緩めた。

「菜月、好きだったよね、あの子のこと。」
「え。」
「それくらいわかるよ。親友だもの。」

 ……何も返せなかった。恵子は缶を一気に空けると、じゃあまた、とだけ残し呆気なく帰っていった。
 残された菜月は、空が暗くなっていくのを見つめ、恵子の言葉を咀嚼する。好きだったよね、あの子のこと。あの子――。

「ふみちゃん。」

 自分で聞いたことがないような、今にも泣きだしそうな声がした。脳裏に少女の、長い黒髪と青いマフラーを靡かせ、佇む姿が浮かんだ。やがて短くなった髪を揺らし、振り返ると、菜月を見つけ、黒目がちの大きな瞳を潤ませ、長い睫毛を羽ばたかせ、迷いのない足取りで近づいてくる。彼女の微笑、控えめに結ばれた薄い唇。思う度、胸の奥に暖かいものが込み上げる。わからない、正体の掴めない気持ちを追い、頭の中をぐるぐると回る、本当は、私は……。

「ふみちゃんが、好き。」

 口にした瞬間、だった。堰を切ったように、体中の血が流れだす。どくどくと音がする。熱く、熱く、夕日に染まる西の空のように燃えていた。溢れ出しそうなものを堪えて、震える指を膝の上、強く握りしめる。その拳を冷やすように、天から雫がはらはらと落ちてきた。こんな時に雨、菜月は振り切りたくて、立ち上がり、まだ燃えている太陽に背を向けた。
 顔を上げ、息を呑む。空は深い深い青色をして、無数の星が瞬いていた。

「ふみちゃんが好き。」

 その夜、菜月は眠りにつきながら、あの雫は菜月自身から零れ出て、失った大切なものへと流した涙であったのだと、知った。
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