出発の広島

文字数 1,594文字

 「クレアちゃーん、ブィストリェーエー(急いで)!」
「わかったから、あとちょっと待ってよ。」
ママが身支度をしている私のことをロシア語で急かした。私のママはロシア生まれロシア育ちのロシア人で、大好きな日本の旅行中に私のパパに出会った。詳しくは教えてくれないけれど、ママはパパと大恋愛してすぐにパパの故郷の広島に移り住むことを決めたらしい。その大胆さは私にも少し受け継がれたと思う。私が夏休み最後の週末に一人で横浜へ行くって決めた時、ママはあまり詳しいことも聞かずに、バスのチケットを取ってくれて、家から駅までの送り迎えもしてくれることになった。
 ママと私の顔は結構似ていた。二人とも澄んだブルーの目がチャームポイントだった。私の栗色の髪の毛もママから受け継いだもので、物心ついた時から私の髪型はショートボブにするのが定番になっていた。身長だけは背の高いママと違って私は背が低かった。いつも服を買う時にはネットで「#低身長コーデ」とかを検索してから買うことにしているくらいだ。
 横浜に着ていく服がなかなか決まらなくて、結局ブレザーの制服にスニーカーで行くことにした。なんだかんだ制服がいちばん落ち着くんだよなあ、と思った。準備に手間取ったせいで、ママに送ってもらって広島駅に着いた時にはバスの出発時間ギリギリだった。「気をつけて帰っておいで。」と車からママに見送ってもらって、私は車を降りてバス乗り場へ急いで向かった。 
 「横浜駅経由東京駅行きバス発車しますよ。」
高速バスの運転手のくぐもった声に急かされて、私は21時広島駅発の夜行バスに飛び乗った。バスは冷房がガンガン効いていて、汗ばんでいた私には少し寒かった。窓の外を見るとバスはもう走り始めていた。8月最後の週末とあって街には多くの人が繰り出していた。夏が終わろうとしていた。
 
 それでも私の夏はまだ終わるわけにはいかなかった。

 夏の始め、まだ梅雨が明けきってない頃、私は『恋する❤︎週末ホームステイ』、通称『恋ステ』という番組の企画に参加した。これは、私のような恋がしたい複数の高校生の男の子と女の子が数週間の土日を色々な場所で一緒に過ごして恋愛する企画だ。参加メンバーはそれぞれの初日にチケットの入った封筒を選ぶ。中に入っている白いチケットの枚数によって過ごせる週末の日数が変わってくる。多い人は10枚の白いチケットが入っていて10日間、つまり5週間の週末を過ごすことが出来る。私のチケットは4枚だった。つまり2週間過ごすことが出来た。
 そしてもう一つ大切なルールがある。私たちは白いチケットとは別に赤いチケットが1枚配られる。赤いチケットは告白したい日の朝チケットボックスに投函する。赤いチケットを使ったら、まだ白いチケットが残っていても旅を抜けなければならない。告白が成功すれば相手と一緒に、失敗したら一人で旅を抜ける。それがルールだった。
 私は、胸のポケットから赤いチケットを取り出して眺めた。『恋ステ』に出ていた頃の思い出が蘇る。まだ旅を終えてから1ヶ月くらいしか経っていないのに、どこか遠い世界の出来事のように感じる。
「翔くん、元気にしてるかなあ。」
 私は最後の白いチケットが無くなる4日目に、告白の赤いチケットを使うことなく旅を抜けた。ある出来事がきっかけで好きだった翔くんに告白出来なかった。でも、この恋の気持ちを翔くんに伝えないまま夏を終わってはいけない、そう思った。だから、この夏休み最後の週末に翔くんの住む横浜に行って、私の気持ちをちゃんと伝えるんだって決めた。私は、そのことを赤いチケットに誓って再び胸のポケットにしまった。
 21時に広島を出発したバスは翌朝の8時頃に横浜に着く予定だった。まだ眠くなかったので、私は『恋ステ』1日目、初めて翔くんに会った日のことを思い出していた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み