雨上がりの夕陽

文字数 2,619文字

 横浜の雨は1時間ほど降り続いて止んだ。
 雨宿りしていた赤レンガ倉庫を出ると日は沈みかかっていて空はオレンジ色に変わっていた。昼よりも暑さは和らいでいたが、夕立のせいで湿気が増えて、むわっとした熱気があたりを包んでいた。私は、2棟の赤レンガ倉庫の間を海に向かって歩いていた。少し離れたところでたくさんのカモメが集まって鳴いていた。海からの向かい風は潮の香りを運んできて、それが夏の終わりを感じさせた。
 私は、海沿いの柵のところまで来て立ち止まって、胸のポケットから赤いチケットを取り出した。結局、広島を出る時に赤いチケットに誓った約束は守れなかった。それはとても悔しかったけど、横浜まで来て1日中諦めずに歩き回った自分を責めるつもりはなかった。そして、私がここまで一生懸命に物事に向き合えることに気づかせてくれた翔くんに感謝した。私は、取り出した赤いチケットで紙飛行機を折った。
「きっともう翔くんに会うことは出来ない。でも、私の気持ちはあなたに受け止めてほしいの。」
私は、海に向かってそう呟くと、赤いチケットで折った紙飛行機を海に向かって飛ばした。
 紙飛行機は最初まっすぐに飛行していたけれど、海風に負けて180°回転した。そして、海とは反対の赤レンガ倉庫の方へ飛んで行った。
「海ですらも、私の気持ちを聞いてはくれないのね。」
私は、悲しい気持ちになりながら、赤い紙飛行機の行く先を追って振り返った。紙飛行機はゆらゆらと飛行し続け赤レンガ倉庫の間を歩いている人混みの一人の後頭部コツンと当たって落ちた。その人は、紙飛行機に気づいたようだった。そして落ちていた紙飛行機を拾い上げてこちらを見た。

 私たちは約1か月ぶりに目を合わせた。

 「翔くん!」「クレアちゃん!?」
私はもう泣き出していたと思う。私は力が抜けてその場にしゃがみ込んでしまった。夕陽がもう一段階沈んで、空が赤く燃えていた。翔くんがこちらに走ってきた。
「こんなところで一体何してるの!」
「翔くんに会いに来たの。」
でも何から話していいのか分からなかった。そして一番どうでもいいことを聞いてしまう。
「翔くんこそ、なんでここにいるの?」
私が横浜にいることに比べれば、翔くんがみなとみらいにいることは不思議な事でも何でもない。現に私はそれを期待して今日1日探し回っていたはずだった。でも、もはや翔くんに会えないと思っていたから、今、目の前に現れたのが信じられなかった。
「今日バイトがいつもより早く終わったから、この辺散歩してたんよ。そしたらクレアちゃんがいるからびっくりして。」
そう言って翔くんはハンカチを私に渡してきた。私はそれを受け取って涙をふく。翔くんの優しさが胸にしみる。
「僕に会いに来たなんて、そんな。」
そう、そんなバカな話はないなと、私も我ながら思う。でも本当なんだ。
「私、『恋ステ』を抜けた後もずっと翔くんのことを考えていたの。そしてあの最終日の日に告白できなかったことをずっと後悔してた。夏の間何度も忘れようとしたけどできなかった。だから今日その気持ちを伝えるために私は広島からここに来て翔くんを探してたの。」
 それを聞くと翔くんは持っていたカバンから私のあげたマトリョーシカを取り出した。
「僕はこれをずっとこれをお守りとして持ってたんだ。『恋ステ』が終わってからもクレアちゃんのことを思い出さない日はなかった。でも、クレアちゃんみたいに行動を起こすことは出来なかった。やっぱりクレアちゃんはすごいよ。」
ずっと持っていてくれて、ありがとう、翔くん。
「でも、私は全然すごくないの。本当の自分はとてもちっぽけなのに、そのマトリョーシカのように自分の周りに殻を作って、大切なことから逃げて隠れてきたの。」
そう、だから、あの日、翔くんの短冊を見た時もそこから逃げ出してしまったし、次の日に告白する勇気も持ち合わせてなかった。
 翔くんは私に合わせてしゃがんでくれていた。そして、パカパカとマトリョーシカを開いて大きい人形から順に地面に並べていった。そして、最後の一つの人形にたどり着いた。一番小さい人形は親指と人差し指で軽く摘めるような大きさだった。そして、それを私に大切そうに見せた。
「でも芯は絶対に変わらない。一番小さくて一番強い。」
翔くんはそう言って大切そうにマトリョーシカをまた片付けると私に返した。
「これは大切なものだと思うから、自分で持っていた方がいいと思う。僕はこれがなくてもクレアちゃんのことを忘れることはないから。」
「ありがとう。」
 そして翔くんは自分のスマホを取り出して1枚の写真を見せてきた。そこには6枚の短冊が写っていた。「美和ちゃんともっと仲良くなれますように!」と書いてある短冊の隣には、「啓太ともっと仲良くなれますように!」といった風に名前だけ変えてあの日の参加メンバー全員分の短冊が写っていた。
「美和ちゃんの分は美和ちゃんに促されて書いたんだ。でも自分ではしっくりこなかった。だから他の全員分書いたんだ。みんなともっと仲良くなりたいという気持ちは嘘じゃなかったからね。でも勘違いさせちゃってごめん。」
そして画面をスワイプして短冊が一枚だけ写っている写真を出した。そこには、「クレアちゃんと結ばれますように。翔」と丁寧な字で書かれていた。
「こっちは他のみんなにはばれないようにこっそり書いたんだ。」
 そして、翔くんは今度は自分の財布から赤いチケットを取り出した。
「僕も告白の赤いチケットは使わなかったんだ。だから、今日ここでこの赤いチケットを使いたい。いいかな?」
「うん、いいよ。」
 しゃがんでいた翔くんは先に立ち上がって、私が次に立ち上がるのを助けてくれた。そして私たちは赤レンガ倉庫をバックに向き合った。私たち2人の影は、夕焼けで赤く染まった海沿いの遊歩道に長く伸びていた。
「クレアちゃん、僕は君のことが好き。」
「うん、私も、翔くんのことが好き。離れていてもずっとずっと好き。」
そして私たちは抱き合った。2つの影が一つになる。夕方になり涼しくなった海の風が熱くなった体に当たって心地よい。
「夕陽が沈む前にあそこに行きたいの。」
私は、大桟橋の方を指差した。朝バスに乗っている時に見た夢が正夢になりそうな気がしたからだ。
 私たちは、大桟橋へ向かって駆け出した。
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