そして平和への革命は成し遂げられた

文字数 3,964文字

第十話 ♪「Let it be 」革命 
 6月30日、〇大本部構内。創設者の銅像の元に跳び箱が複数置かれ、その上にベニヤ板四枚が
敷かれる。特設のステージとなる。
 銅像前の広場には夏休み前の授業を終えた学生が三々五々集まり出す。明日には故郷に帰る者。学生の特権、長期旅行に出掛ける者。はてまたバイト代稼ぎに本腰を入れる者。どの顔も一様に明るい。明日からは自由の風に身を浸せる。
 ただし世界には、その日の命を脅かされている人たちが居る。彼らには自由など全くない。そんな人たちに勇気を伝えたい。それは時間と体力のある学生の仕事。構内にはメディアのテレビクルーも複数現れた。学生の中にはそのメディアからインタビュー取材を受けている者もいる。
 たったひとりの女子学生から始まったベトナム人民に平和を呼び掛ける運動は今や♪「Let it be 」革命と名付けられた。しかも総長の後援も貰った。様子はメディアの眼を通して全世界に配信される。
 また、「ベトナムから即時米軍撤退!」への署名活動は三十万人を超えた。嘆願書と共に米国大使館にすでに届けられている。運動の目的は大半が本日で果たされる。明日からの休暇を前に学生の数は膨れ上がって行った。
 と、その時、集まった学生たちは摩訶不思議な眼を疑う光景を目撃する。明らかに体育系、全体連の学生たちが集まって来たのだ。総勢百名ほど、柔道部、相撲部など屈強な男子は集会の外側に。そしてバスケ、バレー部など長身の連中はマリアを囲み保護するように立つ。
 全体連とは集会潰しで名高い。そんな体育系の学生が今回の♪「Let it be 」革命では積極的に参加し、まるで集会、そしてマリアを護っているかのように見えた。
 初夏を告げる眩い太陽が西に傾き、学舎に蔭が出来始めた。構内に蒼し風が吹いた。その時、赤井沙也加が登壇する。パンタロンジーンズにピンクの半袖Tシャツ。ソバージュの黒髪は風に舞う。
「皆さん、集まってくれて本当にありがとう! 私たちひとりひとりにはなんの力もない。でも皆で声を合わせて、この曲に、すぐにでも平穏な日常が戻るよう祈りを込めて、精一杯、歌いましょう!」
 ベトナムの人たちに平和を! 

 ♪「Let it be 」

 沙也加の足元には軽音部がギターとドラム、キーボードを構えている。沙也加の声を合図にイントロ演奏を始めた。
 拍手が一斉にあがる。周囲からは、
「マリア! マリア! ……」
 と沙也加を称える声があがる。皆、知っているのだ。雪の降る寒い日にも、茹だるような酷暑の日にも、彼女は独りプラカードを掲げてスロープに座り続けたことを。だから敬意を込めて彼女をそう呼ぶ。
 まずは、マリアのアカペラで始まった。続いて、バンド演奏と共に皆の合唱となる。
 
♪ When I find myself in times of trouble
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom
Let it be
And in my hour of darkness ―― ♪

 マリアの歌声には有無を言わせない迫力があった。ベトナムに本来あった大自然と先祖伝来の豊饒な田園。そこで永年繰り広げられてきた平穏な日常。それは武力で侵害しては決してならないものだ。
 他国、いや大国の政治家の思惑だけでどうして人が殺されなけりゃならない。人民にはイデオロギーはもちろんのこと、傀儡政権の思惑なんてどうでもいい。人民には歴史より学んで来た知恵・秩序が存在するのだ。ベトナム人はいずれ自分たちで未来を切り開く。民族の将来は自分たちに任せて欲しい。主権を脅かさないで欲しい。
 「Let it be 」とは、そう言っているのだ。
 マリアのアカペラに続いて、六千人の学生が一斉に合唱した。平和への祈りは最高潮に達する。

 ところが、思わぬ事態が降り注ぐ。群衆の中に催涙弾、閃光弾が複数撃ち込まれ始めた。
 辺りには白煙が立ち昇る。学生たちは眼、鼻、口、首筋などに痛みを感じ咳が止まらなくなる。あちこちで悶えて蹲る学生たち。その時、いつもの「革命節」が拡声器で轟く、
「我々は革共連である。この闘争は間違った趣旨によるものである。ベトナムには今こそ共産革命が必要なのである……」

 連中は教室の机や椅子を手当たり次第に投げ込み、火炎放射器で火を放った。これは米国が改良した新型で炎と一緒に黄燐(おうりん)を巻き散らす「悪魔の武器」だ。

 キャー、キャー、助けてぇー

 あちこちで混乱の渦が巻き起こる。 群衆の間に丸い隙間が空いて銅像を囲むように巨大な炎の塊が出来た。革共連は青社連と連合して百名近くを動員し手に手に角材を持って学生たちを追い払う。もはや集会は乗っ取られたかに見えた。

 コノヤロー!

 と、その時、集会を警備していた全体連が雪崩込む。屈強な相撲部、柔道部、空手部を前面に、体育系の力自慢、武闘系が先陣をきる。総勢百五十人近く。角材に対抗するためにトレーニング用の鉄の棒を持っている。
 火炎放射器を手にする革共連には防具に身を固めたアメフト部、剣道部員が頭から大量の水を被って複数突進する。火炎放射器を棄てて慌てて逃げ出す者も居れば逆に臆することなく炎を翳す強者も居た。
 肝心なマリーの周りにはバスケやバレー部など長身の部員たちが囲むように護っている。空から飛んでくる物を防ぐためだ。
 辺りは乱闘につぐ乱闘。罵声、怒号と何かがぶつかり合う鈍い音が入り混じる。多くの学生たちがこの機に乗じて、銅像の反対側にある裏門方向に移動しはじめた。
 その時はやって来た。満を持して警察本部のマルキ(機動隊)が〇大正門前に整列する。数はざっと千名。全身のフル装備。手にはジェラレミン製の盾と固い樫材の警棒・警杖を持つ。指揮管理官の突入の号令を待つ。

 ところがだ。鉄製の高さ二メートルの頑丈な正門が、突如閉じられてしまった。左右に分かれて正門を閉じたのは、羽田正孝と小林栄作だった。端から示し合わせての行動。二人は身元が特定されぬよう黒のジャージ上下と目出し帽を被っている。
 機動隊は突入の機会を失う。誰もが移動バス上に立つ指揮管理官を見上げる。管理官は仕方なく、部隊を二手に分け、正門脇の狭い通用門からの突入と一キロ回り込んだ裏門からの突入を指示した。
 栄作は行動を予測していた。通用門には机と椅子でバリケードを積み上げ容易には入れぬようにした。また裏門からは、逃げ惑う学生たちが邪魔になって簡単には入り込めない。
 メディア各社は一番近い建物の二階に上がって動乱の様子を撮影している。報道部記者は見たままを手帳に鉛筆書きで記事をまとめ上げている。
 これは学生たちの闘い。反戦集会を巡って開催賛成派と反対派の闘い。国家警察は介入してはならない。学内のことは学生たちが決める。奇しくもベトナムの民に望むことをいま成している訳だ。
 栄作と正孝は固い握手を交わした。これが正しいことだ。
 戦局はやはり体力に勝る全体連に傾く。敗走する革命の戦士たち。学内にある自分たちのアジトに潜り込む。
 だが、事件は起こった。落ちていた火炎放射器を革共連のひとりが拾って最後の悪あがきをしたのだ。火炎放射器は四方に掃射された。火勢は赤井沙也加を襲った。銅像元のステージに紅蓮の炎が舞った。
 矢庭に、頭上に黒い雲の塊が生じ落雷が落ちた。凄まじい電撃に炎は吹っ飛んだが、沙也加は地面に倒れたまま。すると、次の落雷に乗って真っ白い翼を纏った天使が舞い降りて来た。

「aha Wei Sau kuu、Mary Magdalene」
 ラファエロやミケランジェロの絵画に描かれた天使はそう優し気にささやき、沙也加を抱きかかえ、空に上ってゆく。
 まだ戦闘中だった連中も手を休め空を見上げる。するとたまたま正孝の隣に居た全体連のフェンシング部の女子が呟いた。防具に身を包みマスクを左脇に、右手には剣先に黒いどろりとしたものが付着しているサーベルを持っていた。一体、何を刺したのか?
「Mary Magdalene 、そこだけ聞き取れた。あの子はマグダラのマリーだったんだ」
「え、誰それ?」
「アンタだから頭ん中、ご飯粒って言われるんだよ。
 イエス・キリストの救済活動をただ一人の女性として支援したの。分かる、うん?」
 正孝は仕方なく頷く。でも沙也加が居なくなってしまった現実は残る。ただ絶望感、虚無感のみ拡がる。
 学園で繰り広げられた紛争劇は終焉を迎えた。現実離れした光景を目の当たりにして皆が戦意を消失した。
 今頃になって機動隊が大挙して学内に入り込んで来た。なにやら所在無げだ。戦闘はもうすでに終わっている。怪我をしている学生の対応に当たるしかやることがない。どこからか消防と救急車のサイレンも聞こえる。
 正孝は栄作を見つめた。感想を待っているのだ。
「いや、オレは何も見なかったことにする。こんなこと報告できない。頭がおかしいとしか思われない。危険分子マリアは現場から逃走したんだよ。それだけだ……」
 正孝も不承不承ながら相槌をうつ。
 やがて所轄の警察が駆け付け事情聴取がはじまった。革命の戦士たちは誰一人としてその場には居ない。間違いなく別件で捕縛されるから。居残る全体連の連中も見たことを言わなかった。説明するだけ無駄だ。かえって怪しまれる。
 誰もがいつもの革共連、青社連との学園闘争と語った。
 こうして熱い一日が終わった。軽症者十名。若者は身が軽い。ここに機動隊が加われば確実に重症者や死亡者が出ただろう。

 翌日、学内清掃のおばちゃんたちは眼を丸くした。
 どうやって、これ、片付けるの??

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