語らずにはいられない、公安警察と学生運動

文字数 3,100文字

第三話 サクラ、薫風に揺らぐ
 小林栄作は〇大に私服で潜り込む公安警察官。年齢は今年26歳。大学生でもギリ不審を持たれない年齢。カモフラージュのために流行の肩まで伸びる長髪に無精髭、よれよれのジーンズをはく。
 任務は〇大をアジトにする左翼思想の革共連と青社連の監視活動。本来ならば革共連(革命的共産主義連合)の内部に侵入するはずだった。しかしもう半年になるが、こいつらの指示系統が一向につかめないでいる。
 毎日のように拡声器を使って、一様な拍子、
 ♪われわれは、♪すべての人民のために、♪国家権力と闘い、……
 ♪革命をなしとげる、♪のであーる。
 と学内あちこちでがなり立てる。この節回しは誰か教えている者がいる。そう考え中心人物を特定しようとするが出来ない。
 革共連は学内の建物九号棟をまるまる占拠している。総数はおそらく百名はいるはず。しかし奴らは教室ごとにセクト(分派する小さなグループ/十名ほど)を作り活動する。セクトの数は十~にのぼる。

 ゆえにどこが本丸なのかが不明。サクラ(公安の別称)本部での対策会議では青社連(青年社会主義連合)も同様の報告がなされる。この事象について社会思想の専門家の解説映像が中央黒板の白幕に流される。
 セクト主義――
 共産主義革命の戦士たちが必ず採用する行動。思想が近しい仲間が派閥を作り、セクト同志や仲間同士でも監視し合う。そして少しでも革命に妨げになるような言動が見られると総括(罪状審議)し粛清(リンチ)をする。
 なるほど。それでよく分かった。以前にサクラ捜査官一名が〇大学の横を流れる運河沿いに瀕死の状態で発見された。当初は公安だと判明したことによる暴行が疑われた。ところが、身バレを疑われるような事実はサポート班の誰ひとりからも漏れ聞こえなかった。
 おそらく思想を巡る集団リンチがなされたのだ。事前に共産主義教育を受けたとは云え、元々は警察官。詰め寄られれば深い処は解らない。この事件を境に潜入捜査は中止となった。常に近い場所からの監視任務に変更される。
 構内のベンチに座り、流行のボストンバッグから捜査資料を取り出す。資料には捜査対象の人物の顔写真(無い者も居る)と略歴(出身、家族構成、前科など)がファイリングされている。
 昨夜、渡された資料の中に女性がひとり加わった。出身は長崎県、母親のみ、県立高校、前科ナシ。顔写真に惹かれた。キリリとした眉に細面の輪郭、艶やかな黒髪で、どこかエキゾチックな雰囲気がある。とても革命の戦士には見えない。
 革共連の連中はファイリング資料からほとんど見知っている。中には女も居るがどれもいかつい。しかも彼女は九号棟には出入りしていない。一日構内をうろつき、学食も監視するが彼女を見かけたことがない。資料には文学部とあった。〇大は文学部だけ違う区域にある。
 栄作は彼女を捜すために文学部へと歩き出した。正門通りを西に坂をのぼる。
 栄作には付き合っている彼女が居ない。職業柄そんな暇がないし、不気味な職業から大抵の女性は寄り付かない。そこで公安の職員はお見合い結婚が多い。上司や先輩に紹介される。お見合い写真を観てからは先輩を立てる都合上、嫌とは言えないので、自分にはまだ早いと先送りにしていた。どうせ美人はいない。
 公安警察とは刑事事件を担当する制服警察官及び私服刑事とは違い、国家転覆を目論む共産主義、社会主義などの思想犯、学生運動、市民活動、宗教団体、右翼団体等を捜査対象とする。
 本部は中野にある旧陸軍士官学校(中野学校/現警察大学校)の敷地内にある。ほとんどの職員が敷地内の「サクラ寮」に居住しているためにサクラと呼ばれる。いわゆるコードネーム。指揮系統は一般の警察組織とは全く違う。公安警察の活動内容は一切、警察庁には知らされない。
 母体の歴史が戦前の内務省が直属に管轄した特高警察から来ているからだ。いわゆる秘密警察組織。だから前述の粛清を受けた警察官も事件沙汰にはされない。近所の住民からの一報を聞きつけて駆け付けた署轄も、公安案件と知らされれば立ち入っては来られない。
 文学部の門をくぐりスロープを上ってゆく。と、手配写真の女子がひとりで座って居た。膝元には「ベトナム人民に平和を!」のプラカードを立て掛けている。文学部にもアジトがあると踏んでいた栄作は驚いた。
 立ち止まる機を失った栄作は一端通り過ぎ、しばらく間を置いてから戻ろうとした。と、突然、光のシャワーのようなものが降り注いできた。白りん弾か? 栄作は両腕で頭を覆った。熱さを感じない。案の定、腕には何の痕跡もなかった。
「あれ、また戻ってきた」
 彼女は可笑しそうに笑う。栄作は返す言葉が見つからない。
「サクラさん、わたし、何もしてないわよ。見てのとおり、ただ、ベトナム人のためのプラカードを持ってるだけよ」
 潜入捜査の意味がない。これでは警察官の制服を着ていても変わらない。
「サクラってなんのこと。誰かの替わりってこと?」
 栄作はとぼける。
「まぁ、いいわ。ここに座って」
 栄作は彼女の隣に腰かける。花の匂いがする。札幌出身の彼にはそれがライラックだとすぐに分かる。特徴的な香り。
「もう、名前も分かってるんでしょう。だから初対面のご挨拶はナシ。だって、あなたも本名は言わないだろうし、何を知りたいの?」
「何か誤解をしている。僕はそのプラカードに惹かれただけだよ」
 栄作は言い逃れをする。
「あらそう。それは嬉しい。ベトナムでは毎日何百の村人が死ぬ。何の罪もないのに。彼らはただ平和に暮らしたいだけ。どうしてアメリカは平和の邪魔をするの? 米軍が出て行けば平和が訪れるのに」

「共産主義になってもか?」
 つい本音が出てしまう。
「やっぱり、サクラさんの理屈だ。でたね、勝共(国際勝共連合)、ふふ。
 あのねぇ、人民には共産主義だろうが民主主義だろうが構わない。それはほんの一握りの政治家さんのご都合。庶民にはいつものように平和に暮らす権利があるの、以上! 」
 彼女はパッチワークジーンズのバッグの中から一枚のカードを取り出し栄作に手渡した。
「それはベトナムの村の子供が描いた絵だよ」
 確かに子供らしいタッチのクレヨン画だ。半分は土に植物を植えている絵で、もう半分は赤い渦巻きとその下に遺体とおぼしきものが横たわっている。
「それをサクラ寮のお部屋に飾ってね。その子は農民、銃撃で死んだのは母親。考えも替わる。同じ人間なんだから」
 栄作は完璧に一本をとられた。彼は柔道三段、空手二段。大会で負けた記憶がない。負けたのは不公平な判定にだけだ。
 栄作は立ち去ろうとした時に、心の片隅に風穴があいたのを感じた。例えるならば信念と描かれた射撃の的に一発銃弾が撃ち込まれた。そんな具合だ。はじめてベトナムの民に思いが巡った。栄作の祖父母も北海道の荒野を開墾した最初の開拓民。
 確かに彼らには主義思想は関係ない。原野を開墾し農地に替えるまで、日々の生活をやっとの思いで切り盛りし、栄作の父親とその兄弟姉妹を食わせるのに必死だった。そこに銃弾が撃ち込まれたらどうなる? ただでさえ食うのに困っているのに。平原には逃げ場さえない。
 今夜の公安の報告会で容疑者・赤井沙也加についてどう説明しようか?
 明らかに革共連や青社連の連中とは違う。革命の戦士ではない。平和主義者。そうだ、可愛い平和主義者がしっくりくる。けれど、そんなことを言えば間違いなく捜査官から外される。それは出世の道を閉ざされることを意味する。
 この日、公安警察官となってはじめて、やるせない気分で帰路に着いた。
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