ベトナムのことは人民に任せよう! 反戦運動は拡がる

文字数 2,994文字

第四話 転がるボールは反戦集会へ 
 彼女の住まいは都立〇高校の傍だった。アパートではなく女子寮と看板にある。厳重な鉄の門扉がある。その向こうには三階建ての案外立派な鉄筋のビルが。そこの一室に二人で暮らしていると言う。
 夕闇が濃くなって来た。この辺りは緑化も進み枝葉が生い茂る。スモッグの東京には似つかわしくない場所だった。
「送ってくれてありがとう。入ってと言いたいとこだけど、ここは男子禁制です。はい」
 沙也加は「〇〇女子寮」を指さした。別に送りたくて送った訳ではない。ちよっと不機嫌な正孝に、
「明日は学校来る。夕方、スロープで待ってるよ」
 明日は授業がない。部活も一時休養期間中。家近のパチンコ店にでも行こうと思っていた。
「うん、分かった。じゃ、おやすみ」
 つい反対の言葉が出て来た。一体どうなってる。自分に文句を言いながらも、足取りは軽やかだった。



 ♪ When I find myself in times of trouble
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom
Let it be !
And in my hour of darkness ―― ♪


 沙也加の透き通るようなアルトのアカペラが耳を伝う。ビートルズのメンバー、ポール・マッカートニーの新曲♪「Let it be 」。体育会系の学生でもビートルズぐらいは知っている。世界の若者を席巻しているイギリスのロックバンド。65年のベトナム戦争以降は反戦の旗手ともなっていた。
 正孝はほぼ毎日、沙也加と逢っていた。正確には、夕方学内のスロープで待ち合わせをして女子寮まで護衛として送る。沙也加も正孝の立場を理解しているようだ。全体連の学生に反戦運動はご法度。
 リーグ戦間近で部活も開始されると、彼女は練習グラウンドにも姿を見せるようになった。学部の裏手にある蹴球部、ラ式蹴球部、鎧球部(アメフト)共用の土のグラウンド。周囲には三段ほどの客席がある。
 沙也加は選手用ベンチとは遠い観客席のてっぺんにひとり座って居た。いつものプラカードはない。昨今では大学リーグでのファンも多い。いつも観客席には人はいるので目立たなくて済んだ。
 正孝は彼女が見ているとプレーについ力が入ってしまう。部活後の待ち合わせで、「今日のプレーどうだった?」などと尋ねても、「え、何が?」と返される。あまり正孝のプレーには関心がなさそうだった。
 正孝はベトナムについて勉強させられた。戦後、戦勝国のソ連、米国が後ろ盾について政治経済理念に従って身勝手に国家が二分されたこと。いまや同じ民族同士で右左に分かれて代理戦争をさせられていること。
 あまりの劣勢に業を煮やした米軍が参戦したこと。当初は紳士的だったものの予想だにしないベトコン(北ベトナム)の反攻に遭い、今やなりふり構わない暴力集団になり果てていること。確かにその目に余る米軍の行動は戦争カメラマンによって日々報道されている。
 そして最悪の事態が起こる。米軍が森林ゲリラ攻撃に対処するために枯葉剤の空中散布を始めたのだ。この科学物質は日本に落とした原爆につぐ非人道的な化学兵器。これは住民の命よりも戦果をとった悪魔の行為。枯葉剤は食糧である農作物も死滅させる。

            ※枯葉剤の空中散布
 沙也加より米軍の略奪に遭った村の惨状、枯葉剤による人間を含む生物の被害写真をつど見せられた。情報は沙也加の仲間のひとり、ベトナムの留学生からもたらさるようだ。
 学内での変化も起こり始める。沙也加が唱えるベトナムの惨状に同情を寄せる学生が増え始めた。共産革命をスローガンに反政府暴力集団に成り果てた革共連と青社連とは訳が違う。真にベトナムに平和を求める活動に学生たちは共感する。女子学生を中心に賛同者は増加してゆく。
 今では学内の広場でミニ集会も開かれる。そこでは写真でベトナムの惨状が紹介され、寄付と米国大使館宛の抗議文書の署名活動が主になされる。その場には、誰からともなく♪「Let it be 」が合唱される。

 ベトナム人にかまわないでくれ!
 住民がみなで選ぶ道筋に敬意を払ってくれ!

 そうした意味を込めて歌っていた。

「あなたがギターを弾けるなんて知らなかった」
 沙也加は声を弾ませる。正孝の唯一の趣味。グループサウンズに憧れて小学生の頃より五歳上の兄から手ほどきを受けた。今では大概の曲のコード進行は出来る。もちろん♪「Let it be 」も。
「お願い。今度から集会で伴奏してくれない? そんなに上手に弾ける人は女子にはいない」
 正孝はいつもの公園でアコースティックギターを沙也加に披露していた。歓心を買う訳ではないが、体育会系の彼に文化的な行為はこれしかなかった。
 人前でギターを弾くのは憧れ。二つ返事と言いたいところ。けれど全体連の文字が脳裏をよぎる。三年生で全国大学ベストイレブンの彼は執行部に選出されていた。
 全体連の役割はもちろんスポーツの普及。これには大学だけではなくその下の小中高校でのスポーツ振興も挙げられる。そして今や急浮上している役割が学内を正常な状態に保つこと。バリケードストや構内での街宣活動をする輩、革共連・青社連の活動家と大学側と連携して体力を武器に闘うことだ。
 沙也加は二団体の活動家とは明らかに違う。まぁ、問題はないだろう。一応、念のため頭には流行の毛糸帽(現在のニット帽)を被る。一般の学生は長髪。なので短髪は目立つ。すぐに体育会系とバレる。
 こうして正孝はベトナム戦争反対集会に参加するようになった。ベニヤ板に模造紙を貼ってベトナムの地図を描く。そして今の惨状を訴える。そこには戦争写真家たちが現地で取材した写真も全判印画紙に拡大される。これは写真クラブも協力している。
 集会はまずベトナムの歴史から始まる。これはみんなあまり知らない。十九世紀に欧州で大植民地政策が横行し、フランス帝国からの支配が開始される。これはベトナムに限らず東南アジアのほとんどの国がヨーロッパの帝国に支配された。
 植民地になると本国との同化政策を受ける。これはベトナム人への経済協力ではなくて支配。識字率の低い地元民は(土人)とひとくくりにされて、いわば奴隷として労働力に組み込まれる。
 実質的にそれを支配したのは帝国の財閥とインドと中国からの商人(印僑ならびに華僑)と云われる。彼らはコミューンを形作り、その中での言語は母国語とした。もう地元の言葉も失われ徐々にベトナム人の伝統文化は失われてゆく。
 もうこの時点でベトナムの民は力によって平和な日常を奪われていたのだ。 そして何年経っても実情は替わらない。変るのは力を行使する国。今やソ連と米国がシノギを削っている。両国の顔色を窺うように韓国、フィリピン、タイ、オーストラリア、ニュージーランド、北朝鮮、中国も参戦する。人民政府は傀儡と成り果てる。


 もう、私たちに手出しはしないで。どんなに近代化が送れようとも貧しくとも、平穏な日常が欲しい。政府や国家なんて要らない。ただ稲を野菜を育て家畜を養い家族で幸せに人間としての一生を終える。先祖伝来の土地ならば容易くそれが出来る。なぜそれが許されないの?

 Let it be ――
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