第4話

文字数 3,466文字

「あの時、紀彦氏の死亡を確認したのは野々村先生でしたね」高野内は野々村に顔を向ける。
「確かにそうじゃ。彼の脈を取り、瞳孔を調べてそう診断したんじゃ。君も確認したじゃろ」
 だが、高野内は首を振った。
「いいえ、死体には触れていません。それが私のミスでした」
「いやいや、素人がやたらと死体に触れるものじゃない。だが、医師である私の診断じゃ。何の問題もなかろう」
「ですが、もしもその時、紀彦氏がまだ生きていたとしたらどうでしょうか?」
 それまで冷静だったはずの野々村は、唐突に大声を出した。
「君は何を言っておる! わしの診断を疑うつもりか!!」
 野々村は意外そうな顔で怒りを隠そうとしない。
 しかし確信があった。対決の構えを見せる高野内。この医師こそが犯人に間違いない。
「私の推理はこうです。あなたは神林紀彦氏と結託して私たち四人を騙そうとしたんです」
「何を馬鹿なことを。どうしてそんなことをせにゃならんのじゃ」
 高野内はさっき浮かんだ仮説を展開する。「あそらくあなたは、事前に還暦パーティーの余興として、紀彦氏にみんなを驚かせようとある計画を持ち掛けていたのです。……計画の内容はこうでしょう。まず全員が寝静まった後、紀彦氏が自分で部屋の鍵を内側から掛ける。次に真下にある佐々木さんの部屋に響くよう、わざと音を立てた。そしてあらかじめ用意していた赤インクを上着の背中部分にぶちまけると、それを着てうつ伏せにころがり、刃のないナイフを背中に立てて固定した。……おそらく板やテープを使ったんでしょう。……ここまではいいですか?」
「続けろ」野々村の表情に動きは無かったが、その口調は荒々しかった。他の三人も口を挟まずに聞き入っている様子だ。
「すると、心配した佐々木さんがやって来てドアをノックし、開けようとするが鍵が掛かっているので当然開かない。不審に思った佐々木さんが助けを呼んで、誰かがドアを無理矢理壊す。みんなが部屋に入ってきて、倒れている紀彦氏を発見させる。あなたは驚いたふりをして紀彦氏に駆け寄り、死亡したとウソの診断を私たちに伝える。医師であるあなたの言葉なら誰も疑わない。……さらにあなたは現場維持のため、死体や物には触れないようにと指示を出す。そして全員に部屋に戻るように促したあと、自分も部屋に戻る。……あとは翌朝の朝食の席で全員が集まったところに紀彦氏が颯爽と登場し、皆を驚かせる。……ミステリーマニアの紀彦氏は喜んでその計画に飛びつき、そして決行された」
 野々村は相変わらず石像のようにピクリともせず、ただ氷のように冷たい目で高野内を威嚇していた。
「……計画は途中まで予定通り進行しました。ところがみんなが再び部屋に戻った後、あなたは紀彦氏の部屋に戻り、彼が着替えるのを待って、今度は本物のナイフを突き刺したのです。……その後はナイフの指紋を拭き取り、部屋の鍵がポケットにあるのを確認するとインクの染みた上着と偽のナイフを持って自分の部屋へと戻った……いかがです。反論の余地はないと思いますが」
 しばらくの沈黙の後、突然拍手を鳴らし、野々村は大声で笑いだした。
「いやあ、実に素晴らしい。なかなかの名推理じゃった。さすがは名探偵だな、恐れ入るよ」
「それじゃ、野々村先生が親父を……」いきり立った亮一は野々村の胸元に掴みかかる。
「亮一君、落ち着き給え。わしは誰も殺しておらん。ただ探偵さんの想像力に敬意を表しておるだけじゃ」
「嘘つけ、しらばくれるのもいい加減にしろ!」亮一は今にも殴り掛からん勢いで迫っている。
「いいからその手を放して、わしの話を聞きなさい」
 亮一は突き放すように手を戻すと、野々村を睨みつけながら不満げにソファーに腰を下ろした。野々村は一同の前に躍り出て弁明をはじめる。
「いいかね。探偵君の話だと、紀彦氏は死体を自作自演するために、赤インクを自分の上着にこぼした事になるが、あれだけの量だと結構な匂いがするはずじゃないのかね。……だとしたら君が彼に近づいた時、――いや部屋に入った瞬間に気づくはずじゃ。じゃが、ワシの記憶だとあの部屋は血の匂いで充満しておった。ワシは共犯者だとしても、他にインクの匂いを感じたものはおらんじゃろう?」野々村の問いに、誰も返答する様子はない。「……それに死体のふりというのは案外難しいものじゃて。……実際に試してみるとすぐ分かると思うが、どんなに演技しても、人の微かな鼓動や息遣いはなかなか誤魔化せるものではないんじゃ。――そんなリスクをわしが負うと思うかね?」
 それでも高野内は反論を試みる。
「……それはあらかじめインクをつけておいて、ある程度時間をあけてから匂いが抜けた上着を使ったのかもしれない。……それにもし私が紀彦氏の演技に気づいたら、そこでネタばらしをするつもりだったのかもしれないし……」さっきまでの自信はしぼんでいき、次第に歯切れが悪くなっていく。
「なるほど、悪くない推理じゃ。……だがよく思い出してほしいのじゃが、彼の脈を取った時、わしの手にべっとりと血がついていた。もしインクが乾いていたらそんなことは起こらないはずじゃろ? もしもあの時、君が紀彦氏に触れたとして血が付かなかったら、それこそ不信に思ったじゃろう。それに君が死体の演技に気が付いたとしてもじゃ。そこに全員がおるとも限らん。現に美幸さんはその場にいなかったしな。……そんな中途半端な状態でドッキリをしたところで、果たして成功といえるじゃろうか?」
 高野内はぐうの音も出なかった。確かにあの時、インクの匂いはなかったし、彼の死を宣言した時の野々村の手には血が付いていた。あらかじめ手にインクをつけていたとは到底思えない。ましてや、そんな演技をしておいて、観客が全員そろわなければサプライズをおこなう意味は全くないといっていいだろう。
 野々村はさらに付け足した。
「あんたは大事な事を忘れておる。何だか分かるかね?」分かりませんとばかりに、高野内は左右に首を振る。「紀彦氏の性格じゃよ。彼はよくいえば真面目、悪くいえば頭が固い人物じゃ。彼にジョークは通用しない。人に驚かされるのを何よりも嫌う彼が、サプライズで人を驚かせるなど絶対にありえない。それに彼の倹約家ぶりは有名で、無駄な金は一切出さないんじゃ。普段のメモ書きにさえ新聞広告の裏紙を使う程にな。――たかがサプライズの為にドアの修理代を払うとは到底思えないし、ましてや警察にまで連絡を許して恥をかくなんて。それに……」
「まだあるんですか?」
「彼はミステリーが大嫌いなんじゃ」
 高野内は紀彦氏の本棚を思い浮かべる。たしかに推理小説の類が全く無かった。
 佐々木ほのかは、ためらいがちに右手を上げながら、それを裏付ける証言をする。
「あの……。確かに旦那様は以前から『あんなもの何処が面白んだ。時間の無駄だ。読む人の気が知れん』とおっしゃっていました」
 神林亮一もそれに続く。「俺も聞いた事がある。親父は昔からミステリー小説を気嫌いしていた。親父は堅物でシャレが一切効かないし、その上ドケチなのもみんな知っている。――そんな親父がドッキリの計画に乗るとはとても思えない」
 完成したはずのジグソーパズルは一気に崩壊した。高野内はぐったりとうなだれる。自信を持っていただけにアイデンティティーはすっかり崩壊したのであった。
「……と、思わせるのも犯人の狙いなんじゃろう?」野々村は頬を緩ませると、半笑いで高野内に問いかけた。
「わしには分かっておったぞ。探偵君は犯人の狙いを承知の上で、さも今の推理が真実であるかのように披露したんじゃな。……なかなかよくできておったぞ。さすがは名探偵、高野内和也君だ」
 野々村の真意は分らぬが、高野内はここぞとばかりに復活する。
「感服しました。……やはり先生に子供騙しの幼稚な推理は通用しませんね」こうなったら開き直るしかない。
「ということは、容疑者は残り一人という事になりましたね」佐々木がそう呟いた。

 旋光が走り、全員がその人物の姿を捕えようと視線を動かした時、耳の中にアイスピックを突き刺したような爆音が響いた。
 どうやら近くに落雷したらしい。
 次の瞬間、突然部屋中の照明が全て消えて、黒だけの世界になった。
 降りやまない雨はその勢いを増している。
 視界の閉ざされた闇の中で、瞬く稲光が高野内のシルエットを映し出した……。
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