第2話

文字数 3,995文字

 応接間の扉を開くと、そこには関係者全員が首を揃えていた。高野内が足を入れるなり、皆、怪訝そうな視線を投げつける。高野内はそれに気づかないフリをして、堂々と胸を張りながら颯爽と部屋の中央に躍り出るが、内心は針のむしろだった。
 関係者は全部で四人。
 殺された当主である神林紀彦の一人息子、神林亮一。
 その妻、神林美幸。
 神林紀彦の友人で、彼の主治医でもある野々村春樹。
 そして先ほどの家政婦、佐々木ほのか。
 もちろん全員が容疑者といっても差し支えない。
 佐々木以外は全員ソファーに腰かけ、彼女はその脇に立っていた。
 亮一と野々村医師はブランデーの入ったグラスを傾け、美幸はピザを頬張っている。
 高野内は一礼をすると、握りこぶしを口の前に持っていき、一度だけ軽く咳払いをすると仰々しく挨拶をした。
「コホン。……えーっ皆さんお集まりいただきありがとうございます。私は探偵の高野内和也と申します」
「そんなことは分かっとる」神林亮一は苛立ちを隠そうともせず、今度は佐々木に吠え掛かる「それより佐々木、警察はまだ着かないのか」
 家政婦は萎縮しながら答えた。「さっき電話したのですが、まだ崖崩れの復旧の目処が立たない様子でして、到着は明日にならないと難しいそうなのです。こちらの状況は伝えてありますから、何かあったらまた電話するとのことです」その声は震えている様に感じた。きっと亮一に怯えているのだろう。
 苛立たし気に亮一は自分の膝をこぶしで叩く。「はっ、警察ってのは、肝心な時に全然役に立たないな。こっちは一体いくら税金払っていると思っているんだよ、まったく」
「亮一君、落ち着きたまえ。ここでいくら焦っても仕様がないじゃないか」
 野々村がたしなめると、今度は神林美幸が声を荒げる。
「でもこの中に殺人者がいるんでしょ? もう怖くてたまらないわ。……探偵さん、あなた全部わかっているんでしょ? とっとと誰が犯人なのか教えなさいよ。」
 すると野々村は美幸をなだめるように柔らかな声を発した。
「奥さん、そう焦らずともこの大雨で犯人は逃げられませんよ。ここは探偵さんのやり方に任せて、私たちはゆっくりと耳を傾けようじゃありませんか。それとも精神安定剤を処方しましょうか」
 野々村は医者だけに落ち着いている様に見える。美幸は野々村の申し出に、結構ですと手のひらで制すると、高野内をじっと見据えた。
 視線を向けられた探偵は、とっさに身構えながら顔をこわばらせる。
「ええ、野々村先生のおっしゃる通り、これから説明させていただきます」背中の汗が止まらなかった。「では事件の解説を始めます。……でも、その前に喉が渇いたので紅茶を入れていただけますか、佐々木さん。」
 未だ怯えている様子の佐々木を落ち着かせる為に、あえてキッチンへと向かわせる。もちろん事件を整理するための時間稼ぎの意味合いの方が大きい。もっとも多少時間稼ぎしたところで真相が閃くとは限らないが。
 紅茶は思いのほかすぐに運ばれてきた。これでは時間稼ぎにならない。
 しかし、なるだけ時間を引き延ばすために小細工を試みる。普段はストレートしか飲まないが、この時ばかりは砂糖を多めに入れレモンを浮かべると、高野内は猫舌を演じてゆっくりゆっくり口をつけた。
「おい、何やっているんだ。早く始めろ」亮一の罵声が飛ぶ。
 その声に反応して高野内はすぐさまかつ丁寧にカップをテーブルに置くと、全員の目を順番に睨みつけ、もったい付ける様にゆっくりと口を開いた。
「承知しています。……ですがここで私が華麗なる推理を謳い上げ、高らかに犯人を指摘してもいいのですが、それよりここはあえて犯人のプライドを尊重したいと思います。……紀彦氏を刺した人は、今、ここで名乗り出てください」
 そういって高野内は順番に顔を見廻すが、皆、ピクリとも動かない。
 そりゃそうだ。
「おい! 何考えているんだ? 証拠もないのに、自分がやりました、なんていうわけないだろ。アホかお前は」亮一は呆れ顔だ。
 万が一の可能性に賭けてみたが、やはり無駄な抵抗だったとみえる。
「仕方ないですね。最後のチャンスだったんですが」それは高野内にとっても、である。
 高野内はポケットから手帖を取り出すと、人差し指に唾をつけてからパラパラとページをめくった。そして適当なところでその手を止めると、中をゆっくりと覗き込む。「まずは事件の経緯をおさらいしたいと思います」もちろんそこには何も書かれていない。
「そんなのここの全員知っている。つべこべ言わずにさっさと教えろ。犯人は誰なんだ」
またもや亮一がけしかける。犯人が分かっているなら、こんなに苦労はしない。野々村は相変わらず平然としていた。
「まあまあ落ち着きなさい、亮一君。それがこの探偵さんのやり方なんじゃろう。さっきも言ったが焦らずとも犯人は逃げやしない。時間はたっぷりとあるんじゃから、ゆっくりと楽しもうじゃないか」そうなだめると、野々村は佐々木に声を掛け、紅茶のお代わりを頼んだ。
 犯人は逃げやしない、か。逃げ出したいのは高野内のほうだった。
  白紙のページに目を落としながら、高野内は事件を振り返る。
「事件が起こったのは一昨日の六月八日。このお屋敷で神林紀彦氏の還暦パーティーが行われました。出席者は殺された紀彦氏とここにいる皆さんと私を含めて、計六人。……佐々木さん間違いないですか?」
「間違いありません」佐々木は頷いた。
「パーティーが始まったのが午後六時。間違いないですか?」高野内が念を押す。
「間違いありません」と、佐々木。
「それが終了したのが午後八時。間違いないですか?」と、高野内。
「間違いありません」
「途中で退席した者はいない。間違いないですか?」
 そこで亮一が怒鳴り声をあげた。
「おい、いい加減にしろ! そんなのいちいち確認しなくていいだろ。もし違ってたらこっちから指摘してやるよ」
 もうこの手は使えない。高野内は亮一に従い、話を先に進める。
「失礼しました。……では改めて続けます。パーティーの後は皆さん各自、自分の部屋に戻りました。殺された紀彦氏と亮一さんは三階、それ以外の方は二階でしたね。……それから約三時間後の十一時頃、自室で読書をしていた佐々木さんが、真上にある紀彦氏の部屋から不審な物音を聞きます。それから急いで彼の部屋を訪れてノックをしましたが、返事は無く、ドアノブを回したけれど鍵がかかっていたので、隣の部屋である亮一さんに知らせました。……二人は紀彦氏の部屋のドアを何度も叩きましたが、一向に返事がない。……やがてその音を聞きつけた野々村先生と私が駆け付け、ドアを壊して無理矢理中に入ると、部屋の中央に紀彦氏がうつ伏せで倒れていました。背中にはナイフが突き刺さっていて、先生が脈を取ると既にこと切れていた……。私が窓を確認すると内側から鍵が掛けられていました。……そうです。あの部屋は完全なる密室だったのです」
 説明しながら自分で事件の経緯を整理するつもりだったが、思いのほか早口で一気に話してしまった。もちろん今のところ何の糸口も掴めていない。
 高野内は手帖を一旦閉じ、残った紅茶を口にすると、ハンカチで額の汗をぬぐった。「どうですか。訂正されたい方はいます?」
「だいたいそんな感じだったわね」美幸は右の人差し指をあごに当てながら首を傾げている。
「その後は野々村先生の指示で佐々木さんが電話で警察に連絡しましたよね。その時は警察がすぐにでも駆け付けるとのことだったので、皆さんはそれぞれ自分たちの部屋に戻った」
 一同、深く頷く。
「それで犯人は一体、誰なんですの?」美幸が口を尖らせる。
「それはこれからのお楽しみ」高野内にとっては‟お楽しみ“ではなく‟お苦しみ”だった。
これまでじっと話を聞いていた野々村は、挑戦的な視線を高野内に向ける。「では探偵君、あなたの推理を聞かせてもらいましょうか」
「問題は密室がどうやって作られたか? です」
「そうでしょうな」
「ご存知の通り、紀彦氏の部屋の鍵は一つしかなく、紀彦氏の履いていたズボンのポケットに入っていました。……そこで皆さん思い出してください。あの時、物音を聞いたといって最初に紀彦氏の部屋に向かったのは誰でしたか?」
 一斉に視線が集まる。その先には佐々木ほのかがいた。
「彼女の他に、怪しい物音を聞いた人はいますか?」
 佐々木以外の全員が首を振る。家政婦はおののきながら、まさかという顔をした。
「こうは考えられませんか? あの夜、佐々木さんは皆が寝静まったのを見計らい、紀彦氏の部屋を訪れた。あなたは隙を見て紀彦氏にナイフを突き刺すと、部屋の外に出て、あらかじめ用意していた合鍵を使い、鍵を閉める。そして亮一さんの部屋に向かった。……当然怪しいもの音を聞いたという証言はでたらめです。そしてあなたは……」
「ちょっと待ってください」佐々木は待ったをかけた。「昨日も言いましたけど、旦那様の部屋に限らず、このお屋敷の鍵はすべて特注品ですので、絶対に合鍵は作れませんのよ」
ですよね。高野内は心の中で舌を出した。
 佐々木の言う通り、合鍵が存在しないことは確認済み。やっぱりこの線で攻めるのは無理なようだ。
 高野内は軌道修正を計る。
「……と、思わせるのが犯人の狙いでした」
「どんな狙いだ」亮一は両手を組みながら身を乗り出す。
 高野内はもっともらしくいった。
「おそらく犯人は佐々木さんに罪を着せて、我々の目を真実からそらせるつもりだったんですよ。これが私でなかったら、きっと犯人の仕掛けた罠にまんまと乗せられていたでしょうね」

 その瞬間、雷鳴が響いた……。
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