前書き

文字数 3,257文字

自分の部屋には、不発弾が埋まっている。
早くも蝉の声が鳴り始めた、7月上旬の夜。
ゴミ袋や空き缶などで埋め尽くされた部屋の中、自分は深々と椅子に腰掛けていた。
目の前にあるパソコンディスクの上で、パソコンのブルーライトが鈍く光っている。
パソコン画面には、小説投稿サイトの、まだ本文もタイトルも書かれていないページが映し出されていた。
自分は一息ついて、白い天井を漠然と見上げる。
椅子の背もたれに体重を預けると、キイーッと高めの声で椅子が鳴いた。
疲労が溜まっているからか、ズブズブと体が椅子へ深々と沈み込んでいく感覚に襲われる。

今日も散々だったなと、振り返りたくもない今日一日の内容が脳裏に蘇る。
早起きして満員電車に揺られて、駅を降りてから工場へ向かうバスに乗り込む。
工場に入ったらまず更衣室に行って、工業油や薬品がこびりついた作業服に着替える。
着替えを終えたら事務所に行って、一日の業務内容をパソコンでプリントアウトして、資料とか上司のくだらないメールとかに目を通す。
始業時刻になると同時に、集団でラジオ体操をしてから、騒音が鳴り響く中で朝礼の司会をする。
そして同僚達に今日の業務内容を伝えるが、毎度の如く「声が小さい」「もっと腹に力を入れて話してくれ」なんて言われる。そんな同僚達の声をあしらって、粉塵にまみれながら現場作業を始めた。
鋼材に塗料を吹きかけ、50キロ近くある重さの部品を腕だけで持ち上げる。白かったマスクは真っ黒になって、爪の中に汚れが入っていく。
リーダー格の先輩が、今日の現場仕事の目標を達成しないと帰れないぞ、なんて皆んなを煽る。
昼休み中にコンビニのおにぎり一つ食べながら、パソコンを開き、他の同僚による作業ミスの始末書や作業のマニュアルを作っていく。
午後には暑い日差しに照らされながら、防毒マスクを身につけて溶剤を取扱う。
合間に皆んなが時々手を止めて雑談している時も、自分は作業があるから一人黙々と作業していく。
それでも、今日もまた定時までに仕事目標を達成することができなかった。
今日も残業か。
そう思い、残業時間前の休憩を取ろうとした。だが気づけば、同僚は皆んな帰り出していた。
慌てて同僚の一人に聞くと、明日もあるから今日は終わろうと、僕を除いたメンバーと上司が、先程雑談中に決めたらしい。
事務所を出ていく同僚の背中を見ながら、急いで現場に戻り後片付けをする。
翻弄されてるのがバカみたいに思えて、片付けなんて放り出したくなった。でも結局は最後まで、片付けと次の日の準備を行なう。
帰りのバスに間に合わせる為に、猛スピードで着替えを終わらせる。
帰りのバスの中で仮眠を取り、電車に滑り込んでは自動ドアに寄りかかる。
電車を降りると、駅近の牛丼チェーン店で簡単に晩飯を済ませた。食べ終わった後、病院から処方されている自律神経を整える錠剤を飲んだ。
それから街灯が立ち並ぶ住宅街を歩いて、自分のワンルームがあるアパートに向かう。
色々な考えとか言葉とか、それを溜め込んで気分が悪い。だから家近くのコンビニの喫煙所に立ち寄って、煙草を一本吸っていくことにした。
セブンスターを吸いながら深呼吸をして、幾らか気持ちがスッキリする。
でも自分の吐き出す灰色の息が、線香の煙みたいに思えて、無造作に灰皿へ投げ捨てた。
それからアパートに戻ると一瞬玄関で気が抜けて、段ボールの山に埋もれて寝落ちしそうになる。
でも歯を食いしばって、手洗いとシャワーを済ませた。
シャワーを浴び終わった時、もう寝てもいいかなと考えたよ。
でも最近は執筆活動ができてなかったから、少しでも何かするかと思って、部屋の椅子に座ってパソコンを開いた。
そして今に至るわけだ。
正直言って今の仕事は、給料や福利厚生だけはちゃんとしてくれているし、仲良くしてくれている先輩や同期が幾人かいるから続けているだけなんだよな。
そんなことないだろうけど、もし定年になるまでずっとこの職場だったらと考えると、不安がよぎる。
幾ら肉体労働で鍛えられているからって、今日はともかく、ほぼ毎日のように残業しては腰とか腕とか痛めるし。土曜日出勤も頻繁にあるし。
そうなると、元々体が強くない僕は疲れ果ててしまう。平日は気が緩むと、アパートへ帰ると同時に玄関で寝落ちしてしまうこともザラにあるほどだ。
数少ない休日の日曜日も、まず体が疲れてあまり動けない。動くとしても、整骨院に行っては体をメンテナンスしてもらう程度。
基本ベッドの上で少しスマホを触って、それ以外はずっと寝てしまう。だから最近は掃除もゴミ捨てもまともにできていやしない。
当然ながら疲れで頭も回らないから、読書とか小説の執筆活動とかも全く捗っていない。
唯一の休日をあっという間に終えて、また仕事だけの日々に戻る。
そんな生活だと、どうしてもね。
生きる意味とか、頑張る理由とか、今まで散々自問自答してきたことを懲りずに考えてしまう。
これから自分は、どうしていけばいいんだろう。
自分は結局、どうしたいんだろう。
これで何回目かの振り出しだ。
お先真っ暗なんてよく聞くけど、まさに今の自分は、先が全く見えない状況なんだよ。

一回深い息をついて、視線を天井からパソコンディスクの方に向ける。
白紙のページを突きつけてくるパソコンの横に、ふと目が止まった。
パソコンディスクの隅には、国語辞典とか偉人の詩集とかが並んでいる。
その中に、中々な厚みを孕んだ半透明のファイルが挟まっているのが目に映った。
あれには確か、昔色々書いた大量のルーズリーフが入っていたっけな。
昔の自分は、何て書いたんだっけ。何て言ってたんだっけ。
自分自身で書いた物なのに、ルーズリーフに書かれている内容がふと気になってしまった。
久々に、分厚くなった半透明のファイルを手に取り、大量のルーズリーフを取り出す。
そして、そのルーズリーフ一枚一枚に目を通していく。
数十行ほどの短編小説にもならない物語。
数十文字ほどの物語にもならない文章。
そして数文字程度の、文章にもならない文字列。
あらとあらゆるものが殴り書きされている。

拍手喝采の聴取による無言の圧力 子供の純粋さ、ここで終了

なぜ、お前は死なずに生きているんだ

願望も恨み言も 「ありがとう」も「死ね」も全て詰め込んだ機関銃で、世界よおさらば

絶望も自己嫌悪も、底まで溜め込んだら言葉になった

神様、ぶっ殺してやる

最後の最後に、いつかあいつらを笑ってやるんだ

どうせ行き着く先は自分を殺す断頭台

自分で決めた事で失敗するのは仕方ない
自分で決められなくなったら、それこそただの死体だ

点でデタラメな、メモ程度のそういった言葉達もルーズリーフの隅々に散りばめられている。
かつて口に出せなかった、まるで爆弾みたいな罵詈雑言の数々。
世界や自分自身を破壊する為に作り上げて、でも結局は誰にも投げつけられなかった、不発弾達だ。
自分はそれらを見て、恥ずかしいような、懐かしいような、形容しがたい感覚に陥る。
思い返せば、このルーズリーフの内容を書いていた頃も、今の自分みたいに、全く先が見えない時期だった。
そう思い出した途端、自分はふと我に返る。
もしかしたら、このルーズリーフ達に、昔の自分に、今の自分へのヒントがあるんじゃないだろうか。
今の自分に教えてくれる、思い出させてくれるものがあるんじゃないか。
この先、どこへ行くにしても。
この先、何をするにしても。
何故、自分は自分になったのか。理想の成り行きというのは、自分の成り立ちを覚えていてこそ、初めて描けるのではないだろうか。
自分が何者であり、どうなれるか。それを教えてくれるのは、過去の自分自身ではないだろうか。
唐突ながら、僕の脳内にそんな考えがよぎった。
なら今こそ、昔を振り返る必要があるはずだ。
今の自分が手に持っている、この不発弾達を作り上げた僕と、再会しないといけない。
そうとなれば、やることは決まっている。
自分は重たい体を起こして、白紙のページを映し出すパソコンに向き合った。

僕は今から、爆破予告を宣言する。
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