13. 暴発

文字数 3,764文字

「一哉、今日どこに行ってたんだ!?」

ナカジマ達とラウンドワンで遊んで、家に帰った時には、すっかり夕陽が真っ赤になっていた。
父が宗教の集まりを終えて家に戻っていた為、帰って早々に怒鳴りつけられる。
「父さん、今日集まりがあるって言ったよな!?」
「学校があるから行けるかわからないって、朝から言ってたでしょ」
父はイライラしているのか、わざわざ玄関先まで来て怒鳴りつけてきた。
僕はそんな父を尻目に、視線を合わせずに靴を脱いでリビングに入る。
リビングのテーブルの上に大量に置かれた、宗教の聖典や出版物が気持ち悪かった。
「学校があっても、こんなに遅くならんだろうが!!! どこに行ってたんだ!?」
父がイライラしているのはいつものことだけど、今日は特に引き下がってくれそうにない。
僕は、面倒くさいなと思った。
「担任の先生と面談してたんだよ。進路のことで、どこに就職するのかって」
嘘はついていない。実際それで、就職候補の会社の求人票を受け取ったわけだし。
まぁ、今みたいにイライラした父を説得するのはほぼ無理だろうけど。
「就職!? 何回も言っているだろうが!!! お前は高校卒業したら、宗教中心の生活と活動をするんだろうが!!! この世の企業に就職するなんて、許さんぞ!!!」
ほら。想像通りの発言が返ってくる。
自分自身も一会社員のくせに、よく言うよ。
「自分ここに就職しようと決めたから、父さんに見てほしい」
僕はそう言って、鞄から求人票が入ったクリアファイルを取り出して、テーブルの上に置く。
「仕事内容とかそれが問題じゃないんだよ! とにかく父さんは許可しないからな!!!」
すると父は内容を一瞥することなく、そのクリアファイルをテーブル下のゴミ箱へ投げ捨てる。
思わず出てしまった僕のため息が、薄汚れたアパートの壁を上滑りした。
「 学校から帰ってきたばかりで、まだ元気だろ!? ほら、神様へ支えることがどれだけ大切か、聖典を使って教えるから、そこにに座りなさい!!!」
そう言って父はリビングにあるテーブルのイスを強く指差した。
こういう父の高圧的な態度に、僕は今まで、面倒事になりたくてなあなあにしてきた。
でも今日の僕は何故か、とてもそんな気になれなかった。
「いい加減にしろよ。そういうの」
咄嗟に、自分でも少し驚くほど冷えた声が出た。
「神様とか命の道とか、もううんざりなんだよ。自分のことは自分で決めるから」
今までなんとか言葉を濁してきた僕だったけど、もう流石に嫌気がさしたんだ。
僕は生まれて初めて、父に荒い言葉で口答えした。
僕は話の通じない父に呆れ返って、求人票を拾い上げたり父を説得したりする気にもならなかった。
父に背を向けて、僕はリビング横にある部屋へ入ろうとする。
その刹那。
ドンッという鈍い音と一緒に、頭へ衝撃と激痛が走った。
衝撃と激痛でその場で倒れ込み、床に手をつく。
目眩と吐き気が襲ってくる。ぼやける視界の隅で、僕の頭から顔をつたって、床に赤い液体がポタポタと落ちるのが見えた。
一瞬何が起こったのかわからなかったが、この痛みは、小学校の時に経験したことがある。恐らく、頭から流血しているのだろう。
激痛で頭を押さえる。すると肩を掴まれて、無理矢理仰向けにさせられる。
仰向けにさせられて視界に飛び込んできたのは、片手に掃除機を持ち、まさに鬼の表情をした父の姿だった。
ああ、殴られたんだな。
僕は激痛が走る頭の中で、不思議と静まり返った思考でそう悟った。
それと同時に、腹を踏まれる。
そして容赦なく、拳で頬を殴られ始める。
一発。二発。三発。四発。五発。六発……。
口元が切れたのか、口の中に鉄の味が広がり始めた。
意識が薄れていき、何かを喚き散らしている父の声が遠く聞こえる。
このまま殴り殺された方が、いっそ楽になるのかな。
生きたくもない世の中を生き続ける、僕の望みが叶うのかな。
薄らいでいく意識の中で、僕はそのまま身を預けようかと迷った。
でもその時、父の次の発言だけは、はっきりと聞こえた。
「神様が真理を通して自由にしてくださるのに!!! それを無下にしやがって!!!」
その言葉を聞いた瞬間、急に僕の意識が鮮明になる。
そして僕の頭の中で、砂一粒ほどの怒りから、胸の中で何かが爆ぜた。

自由にしてくれる?
なんだよ。それ。

今まで溜め込んできた、あらゆる呪いが体中から湧き上がってくる。
閉じ込めてきた言葉達が、胃の中から逆流してくるのを感じた。
ただでさえ生まれつき欠陥を孕んでいた僕は、何よりも普通を望んだ。
でも普通になろうと努力しても、家庭自体が普通とはかけ離れてしまった。
ただ宗教の教理を強制的に教えられて、その通りに考えるように、生きるように抑圧されてきた。
だから僕自身を、僕自身の手で説き伏せるしかなかった。
考え方も良心も、周りの大人達によって、勝手に形作られた。
自己中心的な汚い言葉を吐くなと、幾千の言葉を殺さざるを得なかった。「言葉を殺した」という言葉だけが僕の中に残り続けた。
幼い夢を見ることも許されず、意思や尊厳を捻じ曲げられた。
そしてその宗教のせいで、街ゆく老若男女に冷たい視線を向けられ続けた。
父や他の信者達には自意識過剰なんて言って助けてくれなかった。聞く耳を持ってくれなかった。
神様なんていなかったよ。クソッタレ。
それで死にたいと願い、結局死に切れなかった夜を何度も何度も繰り返してきた。
今までの人生に、選択肢なんてものは存在しなかった。
今まで生きてきて、一度だって自由だと感じたことなどない。
今までの報われなかった願いが、死にきれなかった日々が、遂げられなかった恨みが、怒りの感情にどんどんくべられていく。
両手にグッと力が入る。
左目に頭からの流血が入ったのだろうか。視界の左半分が赤く染まる。
これまでの僕の生活も、存在価値も、未来も、他人や神様なんぞに勝手に決められてきた。
でもこれからは、僕の意思で選ぶことができるんだ。
これからの僕の人生は、僕の生き方は、僕の死に方は、僕にしか変えられないんだ。
例えどこの誰だろうと、それを指図することはできない。
時の流れによって過去になってしまった、涙を流し、自分自身を殺し、今では悔やむことしかできない日々。
それらに今更しがみつくつもりはないが、それらは未だ何一つ救われていないんだ。
それなら僕がそれらを救い出して、暴き出してやらないといけない。
どのみち、これからの道など選べないんだ。
"じゃあ一哉はその夢を叶えろよ。俺は絶対にパイロットになってみせるからよ。約束な"
"必要以上に苦しんできた一哉くんは他の人達よりも、幸せを深く理解できるし、その幸せを掴めると、わたしは思うよ?"
リュウジとの約束を思い出す。あの娘の言葉がよぎる。
そうだ。
僕には、自由にならないといけない理由がある。
これからも生きないといけない理由を、多く背負ってしまったんだ。
嫌々だけど、僕は屍の上に生かされているんだ。
「結局はかずやんがどうしたいかだろ。そこは間違えるなよ」
僕がどうしたいのか。
それがこれから先の、僕の人生での、最大優先選考基準なんだ。
だからもう押し付けてくるな。放っておけ。
前々から気に食わなかったんだよ。
神様が救ってくださるとか、自由にしてくださるとか、そんな夢物語を信じていたいのなら、勝手にやっていろ。
神様なんかに、僕の人生も、僕の終わり方も決められてたまるか。
どうせいつか終わるなら、せめて、僕自身で終わり方を選ばないといけないんだ。
なら少なくとも、僕の死に場所はここじゃないはずだろ。
ここにいちゃダメだ。
このままじゃダメだ。
「これで反省して、二度とそんな言葉を吐くなよ!」
父はそう言うと、僕の腹を踏んでいた足をどかす。
僕を殴った掃除機を片付ける為か、父が少しこちらへ背を向ける。
「ふざけるな」
その隙に僕は、よろよろと立ち上がる。
それに気がついて振り向いた父と、目が合う。
「クソッタレ」
僕は、小さくそう呟いた。
爪が手のひらに食い込み血が出るほど、強く握り締めた右手を振り上げる。
そして僕は、生まれて初めて、父を思い切り殴った。
反撃されるとは思っていなかったのだろう。僕の右ストレートを、父は顔面へもろに受けた。
手に伝わる感触から、歯が一、二本折れたかもしれないな。
父は殴られた反動で軽く吹っ飛び、リビングに置かれた冷蔵庫に思い切りぶつかる。更に冷蔵庫にぶつかった拍子に足を滑らせて、冷蔵庫とテーブルの間にあったイスに頭を打って、床に倒れる。
そして、父は動かなくなった。
その一連の動作が、スローモーションのように見て取れた。
流血とかしてなさそうだったから、たぶん気を失っただけだろう。本当に大丈夫かどうかは、わからないけど。
未だに流血が止まらずに、怒りに震えた頭で僕は、倒れた父を見下ろしていた。
ズボンのポケットに隠していたスマホを取り出す。
ひとまず僕は頭を殴られて流血してるわけだし、父は気絶しているから、今のうちに警察に電話しておくか。
少し気が緩んだのか、流血による痛みと目眩や吐き気がひどくなり、一瞬119番と間違えそうになった。
スマホの向こうから、すぐに向かうという言葉を聞いて、電話を切る。
僕は、スマホをしまう。そしてよろつきながら、倒れた父の放ったらかしにして、自分の部屋に戻っていった。
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