6. 段落読み

文字数 2,432文字

夏の強い日差しが、教室のカーテンの隙間から差し込んでくる。

学校の校舎の一室。
女性の先生が、国語の教科書を手に持ちながら、コツコツと黒板に文字を書いていく。
僕は頬杖をつきながら、その黒板に書かれた内容をノートへ板書していた。
正直言うと、いつも疲労感に苛まれている僕は今、とてつもない眠気に襲われている。
実際、授業を聞いていようがいなかろうが、テストで赤点を取らなければ大丈夫な教科の授業は、ずっと机の上に突っ伏して寝ていた。
でも今日の授業は、次のテストの内容が多く出る為、あくびをしながらも起きて授業を聞いている。
「じゃあ、誰かにここからの文章を読んでもらおうかな」
ここで先生が黒板へ走らせていた手を止めて、教科書の段落読みを生徒側へ催促してきた。
当然、自ら手を挙げて読もうとする人間は出てこない。すると陽キャの一人が手を挙げる。
そいつはクラスの中でも、中々性格が悪い陽キャだった。
その時点で僕は、少しだけ嫌な予感がした。
「先生〜、ここは宮城くんがいいと思います〜」
そう言って案の定、僕を名指ししてきた。
僕は眠気が一気に吹き飛び、背筋が凍る。
陽キャの言葉を聞いて、クラスメイトの数人がクスクスと笑う。
わかっている。陽キャの目的は、しがれた声の僕を晒し上げて笑いの種にしたいのだろう。
恐らく、ずっと授業で寝ているのに、教師達にとりわけ怒られていない僕がいけ好かないというのもあるだろうな。自分達も、授業中はずっと喋っていて、授業を聞いていないのは変わらないのに。
小学校の時から、こういうのは多々あった。
教科書の段落読みや、授業の号令、ホームルームの司会など、皆んなの前で声を出さないといけないこと。
それを割り当てられてやる度に、クラスメイトから嘲笑を受けた。笑いながら物を投げられた。
いつしか僕は、そういった物を異常に怖がるようになった。
だからそれをしないように、それをしなくて済むように苦心するようになった。その日の日付の数字が、僕の出席番号に近い数字だったら、一日中ひたすら指名されないように願っていたな。
まぁとにかく、僕は段落読みなんてしたくなかった。
「○○くん、手を挙げて人を指名しろなんて言ってないでしょ? そう言うのなら、自分でやればいいでしょ?」
「え〜、きっと皆んな宮城くんに読んでほしいと思ってますよ〜」
流石に先生もはいそうですかとも言えず、陽キャと何回も押し問答をする。
でもついに先生が根負けして、僕に段落読みを指示してきた。
「じゃあ、宮城くん。ごめんけどここからここまでの文章、読んでくれる?」
この発言に、僕は絶望した。
今のこの教室の雰囲気を見れば、僕が読み出したら笑われるのが目に見えているだろう。
正直、今は死んでも読みたくない。
でも先生に指示されてしまった以上、読まないと仕方なかった。
僕は渋々、教科書を持って立ち上がり、指定された段落を読み始める。
すると案の定、教室の所々から、微塵も隠す気のないゲラゲラとした笑い声と、クスクスと抑えた笑い声が聞こえてきた。
顔に血が集まっていくのがわかる。教科書を持つ指に力が入る。
自分に気にするなと言い聞かせる。しょうがないと言い聞かせる。
こんな嘲笑なんて、今まで何度も何度も経験してきたじゃないか。
小学校や中学校の時なんか、嘲笑されながら文具など投げられていたから、それよりかはまだマシだろ。
そもそも、僕のしがれている声や滑舌の悪さは、さぞ滑稽なんだろうな。笑いの種にされるのも、もはやしょうがないんだよ。
そう僕は自分自身に言い聞かせる。
でも、本音でそう言えるほど僕も大人じゃない。
"お前は馬鹿にされているんだそ"
僕の声が、僕の脳内を支配し始める。
そうだ、僕は馬鹿にされているんだ。
いつだってそうじゃないか。
気にするなと、しょうがないと言い聞かせてきた。
でも本当は、ふざけるなって、そんなのおかしいって大声で叫びたくてたまらない。
徐々に手足が小刻みに震えてくるのを感じる。
なりたくてこんな声になったんじゃない。こんな滑舌の悪さを身につけたわけじゃない。
早産で喉の発達障害を持ち合わせて、それでも普通に喋りたいから、何度も発音を練習した。少ない言葉数で的確に相手へ伝える為に、国語力を身につけた。
他の家庭にはない苦しみと我慢を味わい、自分と世界が嫌になり、何度も自死を考え、生死の境を彷徨ってきた。
この世界で一番、少なくともこの教室にいる奴らよりかは、生きる為に努力してきた。
だから、楽して過ごして、適当に生きてきて、それでいて世界を上手く立ち回れる奴らが、どうしても許せない。
僕にはできなかった普通の生き方ができて、嫉妬に悶えそうになる。
僕もあっち側の立場だったらなと、馬鹿にできる人間だったらなと、そんな馬鹿なことさえ一瞬考えてしまう。
とにかく、人の苦悩も努力も知らないくせに、僕はいつも笑われるんだ。
指定された段落の文章を読みながら、脳内はせめてもの抵抗で、周りの笑っている奴らへの悪態で一杯になっていく。

頭に来る。イライラする。

すると手元で、ビリビリッと大きな音がした。それとほぼ同時に、教室内の笑い声が消える。それで我に返った。
手元を見ると、教科書の読んでいたページが指の力で破れてしまっている。
それを見たクラスメイトが、軽くどよめいていた。
それを見て僕は、やってしまったと思ったけど、すぐにどうでもよくなった。
それで気にせず文章を読んでいたけど、先生が慌てて止めてくる。
僕はもう座っていいと言われ、代わりに別の人が段落読みに指定された。
僕は指示通り、教科書を机に置いて椅子に座り直す。
「おいおい宮城〜、怒ってるのか〜?」
陽キャの一人がそう言って僕を挑発してくる。
僕はそんな声を無視して、教科書に視線を戻す。
ページ本体から破れた部分が、離れて垂れ下がっている。
僕はそれを見て、一思いに破れかけた部分を引っ張った。
ブチッと完璧に破れかけた部分が分離し、その部分を両手で握り潰す。
僕はもう、ダメだな。
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