プロローグ

文字数 3,240文字

 鼻に届いた腐臭に、くたびれた冒険者は顔のシワをいっそう深くした。
 臭気から逃れるように頭を振って、地面に横たわる遺体に手を合わせる。

「死ぬぐらいなら逃げりゃいいのになあ」

 くしゃりと顔を歪めてひとりごちると、冒険者はがさごそと遺体の持ち物を漁る。
 首にかかった鈍色の冒険者証や腰のポーチを外し、横に置いたズタ袋に突っ込む。
 折れた剣を手にとって確かめ、やはりズタ袋に突っ込む。
 ボロ布でわりぃな、と言いながら遺体の顔をぬぐい、傷跡だらけの手でまぶたを下ろす。

 そして。

「……すまねえ。恨むなら、お前を殺したモンスターを恨めよ」

 短剣を取り出して、遺体の右手をゴリゴリと切り落とした。

 顔をぬぐったボロ布で右手を包み、遺品を入れたズタ袋に突っ込む。

「せめてお前がどこの誰だかわかって、コレが家族に届くといいな」

 どこか遠くを見つめ、はあ、とため息を吐いて肩を落とす。
 最後にもう一度手を合わせて、冒険者は立ち上がった。
 古びた膝がぱきっと音を立てる。

「もう四十のくたびれた冒険者が生き残って、まだ若くて未来がある冒険者が死ぬ、か。ままならねえな、()()()()()は。()()()()は」

 ()()()()()で見つけた冒険者の遺体は、そのまま放置されることがほとんどだ。
 動かない人ひとりを抱えてモンスターの巣窟から脱出するハードルは高い。
 立ち上がった男もまた、遺体をこの場に置いていくのだろう。
 冒険者にとっては、死んだ後に遺品が回収されるだけでも御の字だった。

「さて、これで今日のノルマは達成か。俺も仲間入りしないように気をつけて帰らねえと。行きはヨイヨイ、帰りは怖いってな」

 ぐるりと肩をまわしてからズタ袋を担ぎ、冒険者は歩き出した。

 洞穴(ほらあな)と森林が複雑に組み合わさった、ダンジョン『不死の樹海』を。



 『不死の樹海』は、自然が作り出したダンジョンである。
 冷えて固まった溶岩が空洞を作り、長い年月を経ていくつもの空洞が繋がって洞窟を生み出した。
 複雑な構造の洞窟は時に深く時に浅く、唐突に行き止まりとなることもあれば、地上に繋がることもある。
 地上の、深い森に。

 『不死の樹海』は、広く深く森と洞窟が絡み合うダンジョンである。
 はるか昔からこの地にある『不死の樹海』を踏破したものはいない。というか最奥がどこなのかもわからない。
 冒険者が時おり遭遇する強大なモンスターが、他のダンジョンでいう「ボス」なのかもわからない。
 発見されたマジックアイテムを調べる学者の中には「異界に繋がっている」という者さえいた。

 前人未踏のダンジョン『不死の樹海』は、挑む者たちを飲み込んできた。
 だが、いまも多くの冒険者がダンジョンに踏み入れ続けている。

 魔力が濃い場所にしか生えない草花や茸、果実の採取。
 行方不明となった冒険者の捜索、もしくは遺品回収。
 そして、なによりも。

 遠い昔にダンジョンに挑んだのか、それともこの地で生活していたのか、ダンジョン『不死の樹海』では時おり超古代文明のマジックアイテムが見つかった。

 いまでは再現できないロストテクノロジーが使われたマジックアイテムは、発見した冒険者に莫大な富、あるいは強大な力をもたらした。

 前人未踏であったとしても、その多くが命を落とすとしても、一攫千金を夢見てダンジョンを訪れる冒険者が後を絶たない理由である。

 だが『不死の樹海』に足を踏み入れる者の中には、一攫千金を目指していない冒険者もいる。

「おっ、『月雫草』がこんなところに。メモしとくか」

 たとえば、先ほど遺品を回収した、くたびれた冒険者のように。
 男はダンジョンの深い場所には入らず、浅層で採集や遺品回収の雑用をこなしていた。

「咲く頃に採りにくるか。ただ夜に採取しないと意味ないからなあ。リスクを取るかどうか」

 安全に、命を大事に、そこそこの稼ぎで日々を暮らす。

 四十を迎えた冒険者は、若者と違って夢を見ることなく、慎重にダンジョン『不死の樹海』を進む。
 すべてを諦めて、死んだ魚のような、淀んだ目で。



 耳に届いたかすかな音に、くたびれた冒険者は眉を寄せた。
 ゆっくりと頭を動かし、耳をそばだてて音の出所を探す。

「あっちか。んー、行ける方向だな」

 音がした方向と手書きの地図を見比べて男が呟く。
 『不死の樹海』は洞窟と森林が入り組んだダンジョンだ。
 時には洞窟に遮られて、すぐ目の前の場所にたどり着けないこともある。
 だが、繰り返し浅層を探索してきた男の地図によれば、音がした場所へは問題なく向かえるようだ。

「戦闘音。冒険者と……この鳴き声は、ダークウルフか?」

 腰をかがめて重心を落とし、冒険者はゆっくりと歩き出した。
 音を聞きながら思考をまわす。
 冒険者とモンスターが見える場所までたどり着くと、男は低木の陰に腰を下ろした。

「くそっ! この!」
「落ち着けノウス! アヴェーナを守るんだ!」
「アヴェーナ、魔法はまだなの!?」
「待ってください、いま集中して、魔力を」

「新人に毛が生えた程度の冒険者パーティ。見覚えのない新顔か。敵はダークウルフ、リーダーありで10頭ちょい。あれじゃ逃げられねえな」

 気づかれないように、男は冒険者とモンスターの戦闘を見つめる。
 状況を見て取ったところで、男はズタ袋の口を開いて中身を確認する。

「……まあ、どうなるかは運次第だな。アイツらの日頃の行いがいいことを祈ろう」

 そう言って、男はこそこそと動き出した。
 狼型モンスター「ダークウルフ」の群れに見つからないように、森を大きく回り込む。
 腰をかがめて静かに、戦闘場所の風下から()()へ移る。

「こんなもんでいいか。悪いな新顔、俺はモンスターの群れを瞬殺できる英雄(ヒーロー)じゃねえんだ」

 移動を終えた男は、低木の陰に腰を下ろす。
 くたびれた冒険者が移動した場所から、冒険者とダークウルフの群れの戦いは見えない。
 ただ聞こえる戦闘音だけが、4人の冒険者がまだ生きていることを伝えてくる。

 戦闘が続く方向に視線を向けたまま、男はズタ袋に手を突っ込んでガサゴソと探る。
 やがて目当ての物を見つけたのか、男は手を引き抜いた。

「これで少しでもダークウルフの気が散りゃ、生き残れる可能性も上がるだろ」

 取り出したのは、くすんだ灰色の毛皮の切れ端と、干しイチジクのような見た目の乾燥した肉片だった。
 苔を払って岩の上に肉片を置き、毛皮の切れ端をかぶせる。
 毛皮と肉を囲むように、乾いた木片を置く。
 ズタ袋を背負い直して、男は手のひらほどの長さの細い棒を向けた。

「〈点火(イグニッション)〉」

 細い棒から小さな火が吹き出て、乾いた木片に火が移る。
 くたびれた冒険者が手にしたのは、点火のマジックアイテムだった。
 燃えはじめた木片は肉を炙り、毛皮の切れ端を焦がす。

「俺にできるのはここまでだ。遺品回収させんなよ、新顔」

 うっすらと煙が立ち上り始めると、男は静かに移動をはじめた。
 4人の冒険者とダークウルフが戦う場所から離れるように。

 そのまま、ダークウルフを引きつける「狼誘香」の結果を見ることもなく、くたびれた冒険者はダンジョン『不死の樹海』をあとにする。

 見殺しにするほど冷徹ではないが、ピンチにさっそうと現れる英雄(ヒーロー)のような力も意志もない。
 己の実力と才能の限界と現実を知ったベテラン冒険者は、自嘲するような薄笑いを浮かべていた。
 すべてを諦めて、死んだ魚のような、淀んだ目で。

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