幕間! 異世界転移した高校生は看板幼女に手を引かれる

文字数 4,068文字

 スラックスとブレザー姿でリュックを背負った少年は、馬車を追いかけて街にやってきた。
 武器を持っていなかった少年への門番のチェックはおざなりで、あっさり通り抜けることができた。
 いま少年は、物陰から一軒の建物を見つめている。

「食堂? それとも宿屋かな? 幼女とそのお母さんは休んだ方がいいだろうし」

 時おり出入りする人を眺め、また、その際に開いた隙間から中を覗き込もうと少年は目を凝らした。
 不審者に思われそうなものだが、少年に気づく者はいない。
 四人の少年少女は冒険者に連れられて別の場所に行った。
 そちらを追いかけることも考えたが、少年は親子のことが心配だったようだ。

 親子が一軒の建物に入り、少年が物陰から観察を続けて、しばらくして。
 中から幼女が出てきた。
 キョロキョロと周囲を見渡すと、物陰にいた少年は目が合ったような気がして、さっと顔を引っ込める。
 幼女はスタスタと一直線に道を横切って、少年が隠れる物陰に近づいてきた。

「こんにちは! おきゃくさまですか?」

 隠れる少年をひょいっと覗き込んで、笑顔で話しかける幼女。
 先ほどモンスターに囲まれて泣いていたのが信じられないほどの立ち直りの早さである。
 あるいは、切り替えの早い子供ならではの感覚か。

「えっと、俺は」

「うちはやすいし、あんぜんですよ! ごはんもわりびきでたべられます!」

「ご飯()? えーっと、じゃあやっぱり宿屋、なのかな?」

「はい!」

 挙動不審なカケルの問いかけに、笑顔で頷く幼女。
 いきなり見知らぬ場所に来た少年には、とうぜん家もなければ今夜の宿もない。
 「安い」「安全」「割引」に釣られるように、幼女の笑顔に誘われて、少年は物陰を出た。

「こっちです、おきゃくさま!」

 宿は目の前なのに、幼女は少年の手を握って先導する。
 カケルは手を引かれるがままに、幼女について宿に入った。

「おかーさん! やっぱりおきゃくさまだって!」

「いらっしゃいませ」

 宿に入ってすぐの食堂らしき場所を、一人の女性が掃除していた。
 先ほど気を失って幼女にすがりつかれた女性である。
 気絶しただけで体に影響はなかったのか、それともひと時も休めないほど過酷な世界なのか。
 考え込む少年だが、答えは出ない。

「えっと、おきゃくさま、なんぱくしますか? あと、ひとりべやとおおべやがあります!」

 教わったことを思い出しながら話しているせいか、幼女の言葉はたどたどしい。
 母親はニコニコと微笑みながら少年の返答を待っている。

「一泊いくらですか?って俺こっちの金がないや。これじゃ泊まれない、あ、メシも宿もどうしよ」

 幼女に聞かれて、少年は現実に気がついたらしい。
 元の世界のお金であれば多少は財布に入っている、ただここでは使えないだろうと。

「あら、遠い場所から来たのですか?」

「あっはい。どうしよ、なんか売ればお金になるかな」

「そうですねえ、でしたらそちらの上着を売られてはいかがでしょう?」

「え? これですか? 売れんのかなこれ、普通の制服ですけど」

「ずいぶんお仕立てが良いようですし、なんでしたら信頼できる服屋を紹介しましょうか? 一見さん相手に悪どい商売するお店もありますから」

「そっか、あっちだって観光地じゃそういうのあるって言うしなあ。そうしようかなあ」

「ひとまず売値を聞いてみてはいかがですか? いずれにせよお金は入り用でしょうし」

「はい! ポピーナがふくのおみせまであんないします!」

「よろしく、ポピーナちゃん」

「では私は、お部屋の用意をしてお待ちしております」

 女性と話していた少年はふたたび幼女に手を引かれて、今度は宿を出る。
 この宿に泊まることが確定した流れになっているが、少年は気づかない。
 もっとも気づいたところで、「助かった」か「ちょうどいい」としか思わなかったかもしれないが。
 少年は、いまだどこか浮ついたままのようだ。



「こんにちはー!」

「おやポピーナちゃん、もう帰ってきたのかい?」

「うん! おかーさんも、いまはへいきだって!」

「困ったことがあったらなんでも言ってね。ほんと、いい人ほど早く亡くなってしまうのだから」

「えっと……」

「あらやだ私ったら。ポピーナちゃんはお客さんを連れてきてくれたのかい?」

「うん! ふくをうって、うちにとまってくれるの!」

「そう、じゃあおばさん張り切って高く買わないとねえ」

「やったあ!」

「あの、いえそれはそれで助かるんですけど、その、いい人ほどって誰か亡くなって」

 少年はいつの間にか宿に泊まることが確定していることよりも、幼女と服屋の店員の会話が気になったようだ。
 売る気になったブレザーを手渡すと、店員は幼女をその場に残して少年をカウンターの近くに連れ込んだ。

「女将さんのとこの旦那が亡くなってね。女将さんとポピーナちゃんは、旦那の実家まで魔石を届けに行ってたんだよ」

「ああ、それで街の外に……って聞きたいことが多すぎるなこれ」

「帰ってきてすぐ宿を再開するなんてねえ。部屋も空いてるだろうし、お客さんは宿に泊まってくれるんだろ? だったら宿代になるように高く買い取らなくっちゃね!」

 言いながら、服屋の店員の目は少年のブレザーをひっくり返して縫い目をチェックする。
 撫でるように触って生地を確かめ、ほう、と感嘆の声を漏らす。

「お客さん、そのズボンも売る気はないかい? 一緒に売るんだったらこの値段で」

 指でなにやら符牒を示されても、少年には読み取れない。
 もし読み取れたとしても相場がわからない。

 少年は何度も質問を繰り返して新品の服や中古の服の値段、宿や食事の値段を確かめて、相場感をつかもうと試みる。
 一般常識さえ知らない不審な客だが、ポピーナちゃんに連れてこられたことが功を奏したのか、あるいは少年の服を買い取りたくて細かいことはどうでもよかったのか、服屋の店員が少年を叩き出すことはなかった。

 けっきょく少年は、着ていたブレザーとスラックスとシャツ、リュックを満足いく値段で売って、普段着と肌着を何枚か、リュック代わりの布製のカバン、それにこの世界のお金を手に入れた。
 早速着替えた少年の見た目は、服屋に入る前と違ってこの世界に溶け込んでいる。

「まいどあり! もし故郷で同じ品質の服を買えたらウチに持ってくるんだよ!」

「どうですかね、遠いんで帰れるかどうか」

 いい服を買い取れたと店員はホクホク顔で、値段に納得した少年もまた笑顔だった。
 懐を暖かくした少年は、大人しく待っていた幼女にまた手を引かれて服屋を出る。

「えへへー、これでカケルはたくさんうちにとまれるね!」

「ポピーナちゃんはしっかりしてるなあ。妹と同じぐらいの年齢っぽいのに」

 お金が入って余裕ができたのか、少年——十八歳のカケルは、ようやく幼女——ポピーナと自己紹介を交わしたようだ。

「おかーさんにいって、へやもごはんもわりびきするね!」

「いつもすまないねえ」

「いつも? カケルはきょうがはじめてだよ?」

「あー、お約束が通じるわけないか。ポピーナちゃん、『いつもすまないねえ』って言われたら『それは言わない約束でしょ』って言うんだよ」

 十八歳のカケルに言われて、四歳のポピーナはこてんと首を傾げた。
 賢く商売上手な幼女だが、違う世界の、それも少し古い「お約束」は理解できなかったらしい。

 ポピーナに手を引かれて、カケルは異世界の街を歩く。
 女将とポピーナが乗る馬車がモンスターに襲われたのに、自分は助けに行かなかった。
 その後ろめたさを塗りつぶすように、助けになればと宿に泊まることを決意して。

 だが、カケルが二人に「自分もあの場にいて、助けに行かなかった」と打ち明けることはなかった。
 この日から二十二年間ずっと、同じ宿に泊まり続けても。


   * * * * *


「もう、カケルったら……ちゃんと引率してよね。私の結婚式に、お父さんの代わりに」

 二階に上がっていくカケルの背中を見送りながら、ポピーナが呟いた。
 元看板幼女の声は聞こえなかったようで、カケルから返事はない。

 小さな宿屋の食堂の喧騒はひと段落して、ポピーナは厨房に引っ込んで木の椅子に腰掛ける。

「二十二年か、ずっとカケルがいたもんなあ。ふふ、カケルに振られたこともあったっけ」

 あれは何歳の時だっただろ「ポピーナちゃんはまだ子供だから」とか「俺よりいい人が見つかるから」とか言われたっけ、と続けるポピーナ。
 ぼんやりするポピーナを見て、結婚直前の娘を気遣ったのか、母親にして女将の女性は自ら食堂に料理を運んでいった。

「友達と比べたらだいぶ遅れちゃったけど、でも、いい人は見つかったよ、カケル」

 ここにはいないカケルに向けて、ポピーナが口にする。
 この世界においては、二十六歳はだいぶ婚期から遅れているらしい。
 実際、ポピーナの同年代の友人たちは、すでに子育てに奮闘している者も多かった。

「カケルにもいい人が見つかると……いいことがあるといいんだけど」

 そう言って、ポピーナは頬杖をついた。
 すでに恋心はなく嫉妬でもないのに、なぜ言い直したのか。
 カケルが「いい人」を見つけるのは無理だろうとでも思っているのだろうか。
 四十を迎えたEランク冒険者では、恋人を作るハードルが高いのだろうか。

「もうすぐ結婚式、かあ」

 ぼんやりと物思いにふけるポピーナも、その応えはわからない。

 カケルはそんなポピーナの心配を知ることなく、部屋で望郷の思いにふけっていた。

 窓の向こう、夜空に浮かび上がる不死の山を眺めて。

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