理由

文字数 1,274文字

師匠は時折、血塗れのまま帰ってくる。
なんの仕事をしているのか、聞いても教えてくれなかったけど、きっと、暗殺者か何かなのだと思う。昼間はうちを連れて、髪を染め、瞳の色も変えて、別人のような姿で街を歩く。夜は真っ黒な服を着て、キラキラ光るナイフを持ってどこかへ行く。そうして、うちが寝てる間に帰ってくるのだ。
一度、帰ってきた師匠と鉢合わせたことがある。初めて血塗れの師匠を見た時は、どこかを怪我してるのかと思ってすごく焦った。半分泣きながら突っ立っていたら、師匠はいつもみたいににっこり笑って、うちの頭を撫でてくれた。
「なんでもないわ。良い子は寝る時間よ」
怪我してるわけじゃないんだと分かって、うちは安心して頷いて、ベッドに戻った。
その時はすごくびっくりしたけど、何度かそういうことがあっても師匠は何も変わらなかったから、気にしないことにした。

ある夜中、なんだか眠れなくてベッドから出ると、ちょうど師匠が帰ってきたところだった。寝ぼけた目を擦ると、ぼやけた隙間から真っ赤な血が見えた。
師匠の胸から血が出ていた。
ぼたぼたと、血は途切れずに流れ続けていた。
喉の奥を冷たい空気が通って、師匠の顔を見上げると、師匠は、背中がぞわぞわするほど鋭い目で、遠くをじっと見つめていた。
血はずっと流れてて、月明かりで見えた師匠の顔は真っ白だった。
このままじゃ死んじゃう。そう思ったけど、恐怖で声は出なくて、師匠はぼんやりしたまま動かなかった。震える足を進めて、何も言えないまま、黒い服の袖を引いた。
ゆっくりと師匠はうちを見て、びっくりしたような顔をした。
「…どうして泣いてるの?」
うちは首を振って、ぼろぼろ泣きながら袖を強く引っ張った。
しなないで、とか細くて情けない声が口から洩れた。
師匠はしゃがんでうちを見上げて、いつもみたいに、にっこり笑って涙を拭ってくれた。
「大丈夫。死にはしないわ」
信じるしかなかった。うちには何も出来ないし、これ以上駄々をこねて師匠を困らせたくなかった。
頷いて、促されるまま布団へ入った。おやすみと言って、師匠はおでこにキスしてくれた。唇が冷たかった。
ドアが閉められたあとも嗚咽が止まらなくて、一生懸命抑えながら、枕に頭を埋めていた。
手当が終わったのか、しばらくしたらシャワーの音が聞こえてきた。
どうしようもなく悲しくて、言うことを聞くから死なないでください、なんて内容の手紙を書いた。丁寧に折りたたんで、明日の朝渡そうとぐるぐるした頭で考えて、またベッドの中に戻った。
シャワーの音はずっと続いていた。

あの手紙はどうしたんだろう。よれよれで恥ずかしくて、結局渡さなかったんだっけ。ずっとあの家に置いてあるのだろうか。それとも、誰かに捨てられてしまっただろうか。
あの夜、響いていたシャワーの音。今でも鮮やかに残っているあの音が、どうしてだか、師匠が泣いているように思ったのを覚えている。
分からないことだらけだ。
うちは、何も知らない。
師匠。
うちにも、その理由がわかる日が来るでしょうか。
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