再会

文字数 1,214文字

「……若いなぁ」
処分する前に一度読み返そう、と書き溜めた日記を開けば、思わず苦笑が洩れてしまうような青さが一面に散らばっていた。
捲る手がそのページで止まる。そうだ、こんなこともあった。一体いつからだろう、忘れてしまったのは。人生で一番の宝物を手に入れた時だったのに。
秋も終わりの閑散とした空気の中、右耳に付けられた空色のピアスがやけに冷たい。
あの頃私はまだ、夢を見ていたのだ。いつか今の日々は終わり、人並みで、辛いこともあって、それでも幸せな人生を送るのだと。そんな時が来るのだと。
全てを諦めたように傍観していて、それでも心の端には確かに、叶わないことから目を逸らす私がいたのだ。
行き場のない苦しさを吐き出すように書かれた文字は、拙くて、それでいて形のわかるほどに等身大の心情だった。
あの日の光景は、ありありと浮かぶ。今思えば幼い顔も、大人ぶった声も、その全てが鮮明に映るのに、どこか絵画のように非現実的だ。
あの時の気持ちは消えたわけじゃなかった。今も確かに、胸の中にある。けれどそれは昔のように柔らかいものじゃなくて、かさぶたが出来たかのように鈍い想いだ。
時は全てを癒すとはよく言ったものだ。どんな傷も、待たなければいつまでも癒えない。鋭い痛みも段々と鈍くなり、いつかは傷があったことすらわからなくなる。
目も当てられない生傷はすっかり隠れ、もう包帯も薬も必要がなくなった。痛むことがないかと言ったら嘘で、雨の日にぶり返すような、そんな静かで微かな痛みはある。
もうわかった。
私は外れた道にいる。そしてそこから出ることはない。いつまでも、この暗い脇道を行く。もう、身に染みてわかった。
一歩踏み出したが最後、平穏な日々なんてものは望んではいけない。
それがわかっていなかったから、やっぱり私は若かったのだ。
最後のページを読み終えて、音を立て少し乱暴に日記を閉じた。
どうせなら燃やしてしまおう。お焚き上げ、なんて東洋の文化じゃないけど、ただ捨てるだけじゃなくて、一片も残さず消してしまいたかった。
腰を上げ、マッチと少しの油を持って外へ出る。
風が冷たい。
いつもなら賑わう街も、今頃皆、暖かい部屋で誰かと秋を越えようとしているのだろう。
薄い服のまま出たことを少し後悔しつつ、日記を石畳の上にどさりと置き、瓶の口を開けて油を注いだ。マッチを擦ると、小さな灯りが色のない辺りを照らした。つかの間の赤が消えぬうちに、そっと手の内から離す。音も立てずに落ちた火が、濡れた紙の上をあっという間に滑っていった。
過去との訣別。
そんな言葉が浮かんだ。けれど、違う。私がしているのは、殺人だ。未熟で幼い10年分の私を、今、殺している。
黒い破片を拾っていた時、ふと『忘れないで』の文字を見つけた。
触れれば、さらさらと砂のように消えた。
思わず頬が緩んだ。
忘れてもいいよ。
もう二度と、会うことはないだろうから。
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