第5話 気を付けようね、熱中症 ②

文字数 8,950文字

「うおお……あと少し届かん……っ」

 校内のとある場所、地面に這いつくばり、室外機と壁の隙間に腕を伸ばしながら畑野は呻く。その手が僅かに届かない先に落ちているのは、例の切手である。

「諦めてなるものかぁっ、私は十万円を手に入れるんだぁ……ん?」

 自分とは逆の側から、するりと隙間に侵入した黒い影に畑野は気付く。猫である。

 猫は畑野を見て不思議に思う。この人間は何をしているのだろうか、と。そもそも人とは二足歩行の動物であるはずだ。しかしこいつはどうだろう、何故這いつくばっているのか。もしやすると自分が二本足で立てることを知らないのかも分からぬ。人間、そこそこ賢い生き物と思っていたが、なるほどこういう例外も存在するのか。猫は畑野を嘲る。

「にゃふっ」
「そことはかとなく馬鹿にされている感っ……あっちいけ! しっしっ! あ、でもそれを取って渡してくれたら鰹節あげるっ」

 それとは何だ? 猫は下を見る。そこにあったのは透明の袋に入っている四角い紙切れ。人がありがたがる、銭だ札だとは違うようだがこれはそんなに価値があるものなのか。分からないながらも、猫は試しにそれを咥えてみる。

「えっ、ちょっ、よ、よし! それをこっちに持っておいでいい子だから! るーるるるるるぅ」

 それは狐を呼ぶやつだろう。卑しいイヌ科と一緒にするな。猫は憤慨する。しかし、同時にいたずら心が芽生えた、そんなに大切なものならば少し遊んでやろう、と。

「え、ひゃあっ」

 切手を咥えたまま畑野の頭に跳びのる。そして、そこで足の砂をぺっぺと払いどこかへと走り出した。

「あ、待てこらっ猫畜生がっ!!

 追いかけっこ、第二ラウンド開始である。

     * * *

「あれー、ここら辺からスクープの匂いがしたんだけどなあ?」

 報道部員、井口ゆかりはカメラを手に周囲を見渡す。が、面白いものは何も見当たらない。

「ふむむ、私の勘も鈍ったかな?」

 そう言って彼女は、新たなネタを求めその場を後にした。

     ・

「……行ったか?」
「ええ、大丈夫です」

 井口が去ったことを確認して、及川と劉は安堵する。

「しかし、及川く……じゃなくてお父さん、隠れるにしてもここはないでしょう? もし井口さんがこちらへ来ていたらどうするつもりだったんですか」
「仕方ないだろ、咄嗟だったんだから」

 階段の、Uの字に折り返した裏側で及川は苦々しい顔をする。確かにこの場所では、もし井口が階段を下ってきたなら一巻の終わりであっただろう。

「さっきから何をしてるの、かくれんぼかい? 帰るんじゃないの?」
「帰りつつかくれんぼしているんだよ。命がけのね」
「へえ、楽しいね!」
「ソウダネ」

 一人能天気な結城の頭をぽんぽんとなでて、及川は劉の方を向き直る。

「つーか、お前の権限で報道部の連中には情報規制できないのか? あいつらが敵じゃなくなるだけでかなり楽になるんだが?」

 放課後ということで基本的に人は少ないが、それでも部活や委員会の関係で学校中を移動する生徒はいる。その最たる連中が、ネタを探して練り歩く報道部員であった。その彼らが警戒の対象でなくなるだけで十分、もし味方になってくれるなら大変心強い。

 だが劉は、及川の言葉に首を横に振る。

「残念ながら無理ですね。前にも言いましたが、我々報道部に身内に対する情など微塵もありません。それが友人だろうと、先輩だろうと、そして部長である私であろうと、スクープになると知ったなら骨の髄までしゃぶりつくす。我々報道部はそんな集団です」

 どこか誇らしげにそう語る劉、だが及川は嫌な連中だなと顔をしかめる。それを見た劉はふふっと笑った。

「ええ、その反応が正しのでしょうね。……っと人が居なくなったようですよ。今のうちに行きましょう」

 見れば、先程までまばらにあった人影が、この瞬間はいなくなっていた。絶好の機会である。三人は急いで階段を駆け下りた。


     * * *


「あ、青木君!」
「あれ、会長じゃないですか。どうしました?」

 自分も様子を見にいこうと、保健室に向かっていた青木は椚座と出くわす。随分と動揺した様子の彼女に、青木は少し驚いた。

「え、えと、そのね? 私もその、よく理解できないんだけど……」
「ゆっくりでいいので、落ち着いてください。あ、これさっき買った水です。まだ口付けてないので、良かったらどうぞ」
「あ、ありがとう。お金はちゃんと返すね……」

 椚座は青木からペットボトルを受け取って、水を喉に流し込む。そして、数回呼吸を整えたのち、意を決して口を開く。

「及川君と劉君の子どもがっ、さやちゃんだったのっ!」
「うーわ、ばちくそ面倒くさいことになってるじゃないですか」

 青木は、椚座が何を言っているかは微塵も理解できない。だが、すこぶる厄介な事態が起きていることなら容易に想像できた。

 さやちゃんが連れ子ってことになるのかな、それ以前にこれって不倫になるのかな、などと混乱したままよく分からないことを口走る椚座。そんな彼女を落ち着かせるように、青木は両肩にぽんと手を置く。

「いいですか会長、よく聞いてください」
「う、うん……」
「あなたが見たのは、夏の魔物が見せた悪い夢です」
「なつのまもの」
「大丈夫、明日になれば全部元通りになっています。今日のことは忘れて、早めに休むと良いでしょう」
「わかったそうする」

 とうに脳みそがとろけていた椚座である。青木の言葉をうけて、ふらふらとした足取りで生徒会室に戻っていった。
 それを見送った青木は、廊下の窓を空けて顔を出す。頬をなでる風が心地よい。ふう、と息を吐いて独り言ちる。

「すみません部長、俺、巻き込まれたくないっす」

 そのまま帰宅した。


     * * *


「おかしいだろ。なんで行くとこ行くとこあいつがいるんだよ」
「井口さんは、ネタに対する嗅覚が人一倍優れてましてね。いやはや、追われる側になると本当に厄介ですね」

 及川と劉は、掃除用具入れの中でこそこそ話す。
 あれから、人目を避けて少しづつ移動していた三人だったが、その先々で井口は姿を表した。最短のルートをたどったはずなのに、何故か先回りされているという怪現象も二、三度起きている。かなり恐怖を感じている及川であった。
 さて、そこそこ大きめの用具入れではあるが、三人が入ると流石にぎゅう詰め状態になる。そのかなり息苦しい状況に結城は不平を漏らす。

「お父さん、お母さん、暑い……」
「悪い、あとちょっとだけ我慢してくれ」

 ちょっとだけとは言ったものの、本当にそれで済む保証はなかった。及川は、わずかな隙間から外の様子を伺う。これまでと違い、井口はなかなかその場を立ち去ろうとしない。

「くっそ、早くどっか行ってくれ……」

 祈るように呟く及川。一度、熱中症で倒れた結城にとって、この環境は最悪である。冗談抜きで命にかかわってくるだろう。
 この状況が報道部員に見つかるのは最も恐るべき事態である。だが、死なせる最悪よりは遥かにましだ。もう全部ばれるのを覚悟で出ていこうか、及川がそう考えた時、彼の服を結城がくいっと引っ張った。

「どうした、えーと、さ、さーちゃん? 苦しいのか?」
「ううん、あのさ、私たちはあの井口って人から逃げてるんだよね?」

 突然の質問に、その意味を汲みかねつつ及川は答える。

「え? あー、なんつーか、井口含む全ての人から逃げてるって感じだな」
「なるほど、きちくなんいどだね……じゃあさ、もし見つかっちゃったら、お母さんたちやばいの?」
「ま、まあ正直かなりやばいな……」

 及川の返答を聞いて、結城は「そっか……」とつぶやく。そして少し間を空けてから、にっこりと笑って及川を見る。

「じゃあ私、大丈夫だよ。ちょっと暑いけど、まだまだ我慢できるから」

 苦しそうな息を混じらせて、努めて明るく小さく囁いた。
 その言葉を聞いた瞬間、及川はあっけにとられ固まる。が、やがて深いため息をついて、

「あいてっ」

 結城の額を軽くはじいた。

「はあ……あのな、我慢なんてすんな。お前は、誰かのために苦労を背負いすぎなんだ。もっと我儘を言え、もっと自己中になれ。他人の期待なんか裏切って良いんだよ」

 説教に違いない、だが優しい声であった。

 驚いたように結城は及川を見つめる。そして何かを言おうと口を開いたが、焦り気味の劉の声によってそれは遮られた。 

「お話し中申し訳ありません、ただ、ちょっと不味いですよ」

 それを聞いて及川も、もう一度外をのぞく。

「まじかよ……」

 そこにはこちらへと迫って来ている井口の姿があった。井口としては、一応確認しておこう程度のつもりなのだろうがビンゴである。
 もはやなす術は無い。次に来る最悪の展開を予測して、劉と及川が頭を抱えたその時だった。

「井口! お前今日補習さぼっただろう!」
「げ、見つかった!」

 通りがかりの先生に呼び止められた井口は、用具入れを空けようとしていた手を止める。

「お前が補習済ませてくんないと、俺がパチンコに行けないんだよ。さっき山代先生から確変きたって連絡寄こされて、内心穏やかじゃないよ? 俺」
「そも、定時前に学校を出ていくこと自体、いかがなものかと思いますけどね」

 先生に連れられて、井口はその場を離れていく。彼女が居なくなったことで、周囲から人影はなくなった。及川たちは扉を開け、用具入れの外に出る。

「危機一髪でしたね……」
「本当にな……」
「ドキドキしたあ……!」

 外の空気が美味しかった。


     * * *


「はひぃ……お願い……だから……ふぅ……それ、返してぇ……」

 死にそうな声で懇願する畑野、その対象は塀の上にいる猫である。プライドとかは、もはやないらしい。

 そんな畑野を見て猫は思う。なんて情けのない生き物であろうか、と。
 自分を追いかけて来た時、ああ二足歩行はできたのかと一度は見直した。だがそれだけだった。回り込むとか、餌でつるとか、そういった奸智を一切働かせず、馬鹿みたいに追い回す姿にほとほと呆れた猫である。途中からは間違って撒いてしまわないよう、良い塩梅に手を抜くことに苦労した。

 かろうじて霊長の類ではあろうが、とうてい人には及んでいない。いいとこチンパンジー或いはそれ以下というのが、畑野に対する評価である。

 さてこの猫、弱い者いじめをする趣味はない。

「にゃぺっ」
「あ、やった!」

 畑野に向かって切手を吐き捨てたのち、猫はどこかへと去っていった。
 畑野は、ひらひらと舞い落ちる切手の下に移動する。そして、それを受けとめるべく腕を伸ばす――――、

 が、狙ったようにまたもや突風がふいた。

「噓でしょっ!?

 風によって舞い上がる切手、ついでにスカートも舞い上がったが、その程度のこと十万円の前では些事であった。畑野は一切気にせずに、最後の力を振り絞って切手を追いかける。

「うおおおおおっ、諦めない心おおおおっ!」

 猿と猿の追いかけっこ、いよいよクライマックスである。

    * * *

「ついに、やったぞ!」
「ええ、こんな達成感は久しぶりです……」
「すごいっ、ほんとに誰にも見つからなかったね!」

 校門を出た三人は歓喜に沸く。井口が居なくなったことで、難易度はかなり下がったものの、それでも危険な場面はいくつかあった。その都度機転を利かせ、いくつもの偶然が重なった結果、ついにここまでたどり着くことができたのである。

 ほとんど他人同士である及川と劉が、それも協調性が特にないこの二人が、ここまで協力し合えたのは奇跡と言えるだろう。ひょっとすると、結城の勘違いに付き合ったために、つかの間の家族関係が生まれていたのかもしれない。二人は一瞬そんなことを考えて、勘弁してくれと首を振った。

「やったね! お母さん!」

 結城はそう言って、劉に抱きつく。劉は少し戸惑いを見せたが、すぐにやれやれと笑い彼女の頭を撫でた。

「なんだお前、もう平気なのか?」
「私が嫌いなのは、見た目ではなく中身ですからね。中身だけみれば、この子はほとんど別人でしょう。何の問題もありません」

 意外そうにする及川に、劉は事もなげに答える。

「そういうものか。しかし、改めてみるとすごい光景だな。写真を撮ってもいいか?」
「ははは、ぶちのめしますよ」

 笑えない冗談を言う及川を牽制しつつ、劉は結城に目を落とした。本質は同じであるはずなのに、この彼女には、彼は嫌悪感を覚えなかった。
自分を母親と勘違いされるのは厄介極まる。しかし、それさえなければ、案外このままでいてくれた方が良いのではないか。そんなことを劉は考える。

「それこそ笑えない冗談ですね」

 けれどすぐにそう呟いて、今の思考を否定してしまった。
 さて、そんな不自然すぎる母と子を面白がって見ていた及川であったが、ふと思い出したように口を開く。

「でも、これで解決ってわけじゃないぞ」
「あー……でしたね、明日からどうしましょう。とりあえず仮病を使って休みましょうか……はあ」

 嫌なことを思い出させてくれたと、劉はげんなりする。兎に角、公の場で今の結城と顔を合わせるわけにはいかない。そのためにどうするか、劉は頭を悩ませる。

 その時、ふわりと風がふいた。風が運んできた『何か』が、劉の頬に張り付く。

「ん? これは……」

 手に取って見てみる。そこにあったのは小さなジップロックに入った一枚の……、

「………切手?」
「それは私のだぁぁぁぁあぁぁああぁっ!!
「きゃっ」
「ごはぁっっ!!

 凄まじい勢いで何者かが襲い掛かってきた。はじかれた結城は、勢いよく転ぶ。が、直撃した劉はその比じゃない、盛大に吹っ飛んだ。

「獲ったどぉぉぉおぉぉぉっっ!!

 奇声をあげる変質者、その正体は及川の良く知る人物、都伝部一年あほの畑野である。

「何やってんだお前」

 転んだ結城に駆け寄りつつ、呆れと困惑の混じった声で言う。しかし、興奮状態の畑野にその声は届かない。彼女は、倒れた劉の顔を踏みつけて、手にした栄光を掲げる。それが何であるかを確認し、なるほどと及川は納得した。

「お前、その切手のこと知ってたのか」
「え、あ、部長!?

 切手という言葉に反応して、ようやく畑野は及川の存在に気がついた。一瞬驚いたが、すぐにはっとして、切手を庇うように腕を引っ込める。

「こ、これはもう私のですからねっ! 返すものか断じて!」
「返すって、盗んだ自覚はあるんだな」

 部室の備品は大方把握している及川である。畑野が大事に握りしめるそれのことも、当然知っていた。都伝部の所有物である。それを恥も外聞もなく、我が物と断ずる様は畑野らしいといえば畑野らしい。それが大変嘆かわしい。

 及川はぽりぽりと頭をかく。

「はあ……まあいいぞ、好きにしろ」
「え……?」

 あまりにもあっさりと切手を譲った及川。予想外の反応に、畑野はキョトンとする。そんな彼女に、彼は言葉を続ける。

「何を勘違いしているのか、大方予想がつくから言ってやる。残念、それはレプリカだ」
「……れぷ、りか?」

 瞬間、畑野の時間がピタリととまった。及川の言葉が、彼女の頭をぐるぐる回る。
 レプリカとは何か、ようは偽物のことである。その程度、いくら畑野でも知っていた。知ってはいたが、到底受け入れられる現実ではない。

「え? えええええ、は? はあ? うそ、ちょっ、は? え? 無理無理無理ですってえ!!
「動揺しすぎだろ、壊れかけのラジオかよ」

 全身を小刻みに震わせて半泣きの畑野に及川はつっこむ。だが、ここに至るまでの苦労を思えば、畑野のこの反応も当然といえる……かもしれない。

「普通に考えてみろ。本物をあんな雑に保管してるわけねえだろ」

 もっともな意見である。

「ぞ、ぞんなああああっ、わだじっ、猫にまでばがにざれたのにぃぃっ! ちっくしょおぉぉおぉぉっ!!
「悔しいのは分かるが、顔の上で地団駄を踏むのはやめてやれ。普通にえげつない暴力だから」

 未だ畑野の足の下にいる劉に及川は同情する。が、わざわざ助けてやるほどの義理はないので放置した。

 さて、先ほどから意識はあるようだが、転んだ体勢から起き上がろうとしない結城に声をかける。

「おい、さーちゃん、大丈夫か? 足でもくじいたのか?」
「……を……んと……ぶな……」
「ん? なんだって?」

 何かをぼそぼそと呟く結城。やはり意識はあるらしい。だがよく聞き取れないので、及川はもっと顔を近づける。……近づけたから気がついてしまった。

 彼女の顔は耳まで真っ赤に染まっていた。目に涙を溜めて、ぷるぷると震えている。この反応が意味するところは何か、そう、羞恥である。

 結城はがっと及川の胸元を掴みゆっくりと立ち上がった。そしてその口から、震えつつも強い威圧を込めた声をこぼす。

「私を、さーちゃんと、呼ぶな……!」
「あっ、はい」

 及川は全てを悟る。「ああ、このタイミングでか、記憶もしっかり残ったままか」と冷や汗をかく。そして、なぜこの事態を予測できなかったのかと己を呪った。

 とはいえ悔やんでいても仕方がない。及川は生きるために、なけなしの足搔きを行う。

「あー、結城? そのな、気持ちは分かるぞ? でもほら、安心しろ。劉は立場上このことを他言できないし、俺ももちろん誰にも話すつもりはない。椚座にも見られたが、あいつはいたずらに言いふらすようなことはしないだろう。口止めすればきっと大丈夫だ。他に目撃者はいないし、ほら、全然なんの問題もないだろ? つまり後は、お前自身の問題というわけだ。な? もちろん恥ずかしいというのは分かる。ああ、大いに分かるぞ。でも、人はそういう感じのアレ的なサムシングを乗り越えて強くなれるというか、ここは一つ耐え難きを耐え忍び難きを忍び……」
「ああ、大丈夫だとも……私は、大丈夫さ」

 結城は及川の言葉を遮る。彼女は大丈夫と言うが、全然そんな気がしない及川である。胸元を掴んでない方の手では、筋が浮くほど固い握り拳を作っているではないか、と。

「ありがとう、おかげで記憶を消さなきゃならない人間が、片手でおさまる数しかいない……ふふ、先ずは君からだ」
「待て、落ち着け、人間は殴ったって記憶は消えな……」

 かくてこの日の騒動は、男性陣二名が理不尽に傷を負う形で幕を閉じたのであった。


     * * *


「こーんにーちわー!」

 部室のドアが勢い良く開けられる。姿を現したのは、やたらと上機嫌な畑野であった。

「おい、ドアはゆっくり開けろって言ってるだろ。古いんだからそれ」
「そんなことより聞いてくださいよ! こないだ私に掃除当番押し付けた連中、それがバレて罰則食らってましたよ! ぬはっは、ざまあ無いですわ」

 畑野から、散々恨み節を聞かされていた及川と青木は「ああ、あの事か」とすぐに理解する。

「気持ちは分かるけどさあ、畑野ちゃん? ここ最近で一番の笑顔が他人の不幸ってどうなの?」
「うるさいですー、説教なんて聞きたくありませーん」

 畑野は机に荷物を置いて、どかっと椅子に座る。

「なんかさっき、ちょろっと言ってましたけど、この部室ってけっこう古いんですよね? じゃあなんかお宝ないんですか? こないだの切手はハズレでしたけど、他に金になるもの、なんかないかなあ」
「金金ってお前、実際はいうほど金に困って……いるな。そういえば」
「へ?」

 及川の不思議な物言いに、畑野は首を傾げた。そんな彼女に及川は話を続ける。

「いや、お前この間劉……報道部の部長をぶっとばして踏みつけただろう」
「え、あ、へへへ、あれは何というか事故でして」

 事故でそんなことになるだろうか、青木は思うが話の腰を折りそうなので声にはしない。

「あれで、まあそりゃそうだろうと思うがメガネが壊れたらしくてな。お前、弁償するように言われてるぞ」
「……弁償?」
「弁償」

 ぱちくりと瞬きをする畑野。及川から目をそらし、しばらく沈黙する。それが十秒ほど経った頃、静かに立ち上がりさっき置いた荷物を担ぎなおした。そしてもう一度及川の方を見て、ニコッと笑う。

「これを機に、コンタクトに変えてはどうでしょうとお伝えください!」

 サムズアップとともにそう言い放ち、逃げるように部室を出ていった。

     ・

「まあ、弁償代はもう俺が立て替えてんだけどな」

 畑野を見送ったのち、及川はぼそりと呟く。

「意地悪ですね、部長」
「いいだろこのくらい、散々迷惑被ってんだから」
「確かに、正論です」

 二人ではははと笑う。その時、今度は静かにドアが開いた。

「すごい表情の畑野くんとすれ違ったが、何かあったのかい」
「お疲れ様です結城先輩、畑野ちゃんについてはまあ、気にしなくて大丈夫です」
「大丈夫な形相じゃなかったと思うけど……まあ、いいか」

 入ってきたのは結城であった。慣れた様子で部室の奥へ進み、及川の向いに座る。

「また来たのか、お前やっぱり暇なんじゃねーの」
「ひーまーじゃーなーいー、もう、何回言ったら分かるんだ。今日はほら、この前のオカルト本の続きが読みたくて……ああ、それだそれ!」

 そう言って結城は、及川の手元の本を指差して嬉しそうに声を上げる。及川は、はんっと笑った。

「そうか、残念だったな。これは今俺が読んでいる、見れば分かるだろう? 出直せ」
「君はいつでも読めるんだからいいじゃないか、今ぐらい私に譲ってくれよ」
「お断りだ。そんな義理はない」

 取り付く島もなく、及川は結城の言葉をはねのける。それに、ムッと頬を膨らませる結城だったが、何か思いついたらしい。表情はいたずらっぽい笑みに変わる。

「そんなケチくさいこと言わないで、よっと」
「あ、おい!」

 結城は、及川の手から本をひったくった。当然及川は、それを取り返そうと身を乗り出すが、彼女は人差し指を立ててそれを制止する。そして彼の顔の前で、ちっちっちと動かした。

「我儘、言ってもいいんだろ?」
「はあ? 何言って……」

 及川は、結城の言葉の意味を理解する。それも覚えてやがったかと顔をしかめた。

「……好きにしろ」

 身を引っ込めて、椅子に座り直す。そして不貞腐れたようにそっぽを向く。
 そんな彼を見て、結城は嬉しそうに笑った。



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登場人物紹介

【畑野依織】性別・女

北塔高校一年。都市伝説研究部。馬鹿しかかからない催眠術に馬鹿だからかかった。そして気がついたら都伝部に入部してた人。友達がいない。コミュ力がない。されどグランド内弁慶。あと欲望に忠実。すぐ調子に乗る。寝起きが悪いと暴走し、破壊の限りを尽くす。が、完全に目が覚め理性を取り戻した時には、暴走時の記憶はすっかり失っている。強キャラみたいな設定だが、その実ただの迷惑な人である。

【及川宗一郎】性別・男 

北塔高校三年。都市伝説研究部部長。割と身勝手で自己中心的、デリカシーがないろくでもない。オカルトが大好き。自分が友人と認めた人とそうでない人とでは、態度が露骨に変わる。副会長が死ぬほど嫌い。

【青木浩介】性別・男 

北塔高校二年。都市伝説研究部副部長。顔も良く、何でも器用にこなし、コミュ力も高い。よってモテる。なんで都市伝説研究部なんかにいるんだろう。都市伝説が好きだからか、そうか。



 

【椚座栞】性別・女 

北塔高校三年。生徒会長。顔がよくて性格も良い人っているんだなって、みんな思う。特に性格が良い。善人、というか善の化身、善という概念の具現化、むしろ初めに彼女という存在がいてその後善という概念が生まれた説まである(ない)。ひとまず彼女の前に限って性善説は真理。及川のことが好きらしいので、男選びのセンスはなさげ。結城は幼なじみ。椚座祐一は双子の弟。

【結城沙耶香】性別・女 

北塔高校三年。公安部部長。正義感が強く、腕っぷしも強い(ほんと強い)。理性的で頭もよく回る。されど堅物にあらず、ユーモアも忘れない。だけど「え? そこ?」みたいな所が不器用、料理とか。料理はほんとひどい。身長がちっちゃいのはちょっとコンプレックス。幼なじみである椚座栞の恋路を応援している。劉が死ぬほど嫌い、というか怨敵。

【椚座祐一】性別・男 

北塔高校三年。生徒会副会長。基本的に優等生だが、感情の制御が下手。シスコン。顔と頭は良い。及川のことが死ぬほど嫌い。姉が及川のことを好いている事実は知らない。知らないでこんだけ嫌ってるから、知ってしまったらどうなるやら分かったもんじゃないね。

劉啓一】性別・男 

北塔高校三年。報道部部長。報道部というのはつまり、部活版週刊誌だと思ってくれればだいたいそれであってる。賢いというよりは狡猾。他者の気持ちに寄り添うということがたぶんできない。近くにいると浄化されそうなので椚座栞はちょっと苦手。結城は死ぬほど嫌い、というか天敵。



 

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