第17話 デジャヴ

文字数 3,524文字

 コロナ渦の四月、先輩二人が相次いで退職したことを受けて、久美は市立図書館の館長に就任した。
 短大出で二十八歳、シングルマザーの女性が館長になったニュースはインターネットで話題になり、急に市役所の新人に図書館希望者が増えた。
 あまり期待されてもガッカリさせちゃうし、来て貰うならできるだけ普通の人が良いんだけど……久美がそんなことを考えていたら、図書館司書の資格を持つ市の職員が異動してきた。
 久美と同い年の松居敏雄。その名前を聞いた瞬間に、男性が一人もいない図書館の職員たちの口から溜息が漏れる。
「あー、ドジオ君だ……」
 とにかく、彼は何をやっても失敗ばかり。
 図書館には男性職員がいないからと、市役所から手伝いに来てくれたのがその始まりだった。
 初めて来たときは大騒ぎ。身長182センチ、切れ長の目に鼻筋の通った男前なら当然のことだったが、騒ぎは一時間ももたなかった。積み上げた本はひっくり返し、床を掃除すればモップに躓いて本のカートを倒してしまう。極めつけは年末の大掃除で、脚立に登って照明器具の掃除をしている最中に足を滑らせて転落し、自分も怪我をしたうえに、本も数冊傷つけた。

 病院には久美が付き添うことになったが、帰り道にいきなり告白された。
「館長、今日はすみません。こんなときにご迷惑と思いますが……、僕はずっと前から久美さんのことが好きでした」
 驚きのあまり久美はしばらく絶句していたが、気を取り直して返答した。
「付き合ってくれってことなら、無理に決まってるでしょ?」
「ですよね」と笑いながら敏雄は頭を掻いた。「いやぁ、これでスッキリしました。最悪のタイミングで断られたほうが諦めがつくかなって」
 久美は、変な人とその時は思った。

 しかし敏雄が正式に図書館のスタッフになってから、久美にはそれまで気づかなかったことがいろいろと見えてきた。彼は誰に対しても優しいし、本に対しても深い愛情を持っていて、自分の失敗で傷めてしまった本も時間をかけて修復した。それに不思議なのは、久美が何度も遭遇するデジャヴ。あれ? 前にこの人と同じ話したよね? と何度頭の中で呟いたことだろう。
 亡き夫の後輩で、意外と苦労人だということもわかった。若い頃に父親を亡くし、母一人で三人の息子を育て、今は長男の彼が一番下の弟の学費を払っているという。

 敏雄が配属されて二か月が過ぎた頃、オンライン会議が終わって退室しようとしたときに、久美はいきなり彼から尋ねられた。残っていたのは二人だけ。
「オンライン小説サイトのノベル・ライフに吉村次雄のペンネームで書いてるの……館長ですよね? 僕はMATT−Eです」
 優しく思いやりのあるファンレターのコメントに久美はいつも励まされていた。ありがとうと言おうとしたら、誰かに呼び出されたのか、彼は突然画面から消えた。
「今ならハイって言えそうなのに、なんて間の悪い人なんだろう。そんなところは夫にそっくり」と久美は呟いた。

「明日の日曜日は主人の命日なので有休を頂きます。館長不在で迷惑をかけますがよろしくお願いします」と朝の連絡会で久美は挨拶した。すると昼休み、敏雄からいきなり提案された。
「お墓参り、僕に運転手させてもらえませんんか? 僕も明日は公休なのでクルマ借りたんです」
 久美はソーシャルディスタンスが心配になった。
「先週の検査でとりあえずここの全員が陰性って判ったじゃないですか」
 そういうところは意外としっかりしてる。でもそれ以上に運転が……と不安が久美の脳裏を過った。
「僕はゴールド免許ですよ」と敏雄は言う。まるで久美の心を読んでるみたいに。でも、免許証の色は上手い下手とは関係ない。私だってゴールドよ……と言おうか迷っていたら、彼は続けて言う。
「これでもA級ライセンス持ってるんです」
 久美は言葉を失った。でももう一つ心配なことがある。
「子連れだけどいいの?」
「美優ちゃんが嫌がらなかったら」
 実は美優は彼がお気に入りだったから、久美に断る理由はなくなった。

 墓地に着いたら早苗が先に来ていた。
「今日がご命日って聞いてたから。でも明日休館日だから、久美さんは明日来るんだろうなって思って勝手にお花上げちゃいました。すみません」
「ありがとう。きっと次雄さんも喜んでるわ」

 久美たちのお参りを待ってくれた早苗を、敏雄は駅まで送っていくことにした。
「せっかく来てくれたから何かご馳走したいけど、今はそういうわけにはいかないしね」
「あー、また久美さんと飲みたいです」
 名残惜しそうな二人に敏雄が提案した。
「今夜、ZOOMで飲み会とかどうですか?」

 夜、八時頃からリモート飲み会が始まった。美優も九時までの条件付きで参加していたが、すぐにウトウトと居眠りし始めた。
「松居さんも早稲田なんですよね。私インカレのサークルでよく行きますよ」
「女子大ってもしかして?」
「日本女子大です」
「近いね。それで、どんなサークルなの?」
「土曜の午後に子供達と……」
 早苗の説明に敏雄は割り込んだ。
「大空子供会!?」
「大空子供会Ⅱ(ツー)です!」
「僕も!」
「えー? 先輩なんだ。びっくり!」
「ちょっとちょっと、そこだけで盛り上がってる。うらやましいな」と久美は苦笑した。
「近所の子供達と一緒に遊ぶサークルなんですよ」と敏雄が説明する。それで敏雄君は子供好きなのか……と久美は納得した。
「松居君は苦労人なんだよね。見かけによらず」
「見かけによらずって……」
「ごめんごめん」と久美は弁明した。「弟さんの学費払ってるんだよね?」
「今年早稲田に入ったばかりなんですよ」
「じゃ、私知ってるかな?」
「残念ながらサークルは違うよ。テニスでインターハイに出たからスポーツ推薦なんだ」
「兄弟で早稲田なんですね」と早苗は感心していた。「今度弟さん紹介してくれますか?」
「良いけど……彼女いるよ」と敏雄は苦笑いした。「僕と真ん中の弟は一人だけど」
「その弟さんも早稲田ですか?」
「彼だけは東大」
「すごい!」
「でも、親族は早稲田出身が多いかな? 亡くなった父もそうだったし、父方の叔父や従兄弟たちも。それに、母の一番上の姉も……」
 言い淀んだ敏雄の表情を見て、久美は心の中にざわめくものを感じていた。
「伯母さん?」
「僕の母親は六人兄弟の一番下だったんです。一番上の姉とは二十一歳離れてたんですけど。伯母は大学時代に亡くなってるから、母は若い頃は早稲田を避けてたみたいです。でも結局父と一緒になって。その父も亡くなって、息子の僕も弟も早稲田行ったから……まぁ因縁ですね」
「伯母さん、いくつで亡くなったの?」
「十九の時に。そう言えば、名誉館長も早稲田出身ですよね?」
「伯母さん……って、事故……か何か?」と尋ねる久美の声は震えていた。
「ちょっとハードな話ですけど……」と敏雄は一瞬俯いた。「別れた恋人に殺されたんです」
 早苗は驚きのあまり口を大きく開けたまま画面の向こうで凍り付いている。久美は徐ろに口を開いた。
「松岡……早苗さん」
「どうして伯母の名前を?」
「夫の初恋の人だから」
「え〜!?」と今度は敏雄が慌てふためく番だった。どうやら、つまみのナッツの皿をひっくり返したらしい。「ち、ちょっと待ってください……」
 敏雄が皿を拾い上げるのを待って、久美は言葉を続けた。
「その悲しい事件は夫が管理人してたアパートで起きたの……」
 しばらく静寂なときが流れた。最初に口を開いたのは早苗だった。
「こんなことってあるんですね……。でもこれって絶対偶然じゃないですよ」
「伯母さん……早苗さんのお墓参り、私も主人と行かせて貰ったことがあるの。今度一緒にどうかしら?」
「ありがとうがございます」と言いながら敏雄は涙ぐんでいる。「そう言えば、母が何年か前までは伯母の命日に必ず花が供えられてたって……」
「それ、きっと次雄さんだわ」
「いやあ、ビックリしたなぁ。本当に縁は異なものですね」と言って敏雄は天を見上げ、涙を拭いながら向き直った。「もう一度、名誉館長にお線香あげさせてください。今、香炉持ってきます」
 久美は次雄の遺影をカメラの前にセットした。敏雄の画面に香炉が映り、互いに姿勢を正して合掌する。敏雄は線香に火を灯そうとして、しばらくライターと格闘していた。
「あ、お線香折れた」
「燃えてる燃えてる!」
「あちちち!」
 ついさっきまでウトウトしていた美優が目を覚ましてケタケタと笑った。
「ほんとにドジオだー」
 久美は亡き夫に心の中で尋ねた。
(あなたが遇わせてくれたのね? 彼を信じていいのね?)
 アロハシャツ姿の次雄は、画面に映ったフォトフレームの中で静かに微笑んでいた。

   <了>
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