第15話 桜の絨毯

文字数 2,554文字

「年末年始に初めて家庭の温かさを味わった。物心つく頃から両親は喧嘩が絶えなかったから、クリスマスとかお正月ってこんなに楽しいものなんだ、ってそんなことが新しい発見だったの。ほんの二週間前は、頑なにダメだって言ってたのに、クリスマスには『一緒にシャンパン飲もうか?』なんて言うのよ。キリストへの冒涜にならないの? って言ったら、『シャンパンは修道士が作ったものだからイエスも喜んでくれるよ』なんてね」
「それで、飲んだんですか?」
「ドンペリじゃなきゃイヤって冗談言ったら、ほんとに出してくるんだもん。ビックリした」
 久美さんが食器を片付け始めたから私も手伝った。一緒にシャンパングラスを拭いていたとき「小さなモエ・エ・シャンドンならあるけど、飲まない?」と聞かれた。返事を躊躇《ちゅうちょ》してたら、「早苗さん、まだ飲めるでしょ?」と言うが早いか、久美さんは冷蔵庫から小さなボトルを取り出して栓を開けた。
「ドンペリのほんとの名前知ってる?」
 私は首を横に振った。
「ドン・ペリニヨン。シャンパンを発明した修道士の名前なの。作ってる会社はモエ・エ・シャンドン社」
 久美さんは開けたばかりのボトルのラベルを私に見せながら、綺麗に拭いたばかりのシャンパングラスを並べて半分ずつ注いだ。
「彼は一度やってみたかったんだって。値段が四倍以上違うドンペリがどのくらい美味しいのか飲み比べ。でも、彼らしくない贅沢だったから、私を除け者にするのは気が引けたみたい」
「それで、どうだったんですか?」
「同じグラスを二つずつ用意して、注いだ後に後ろ向いて、もう一人が何度も入れ替えてから、目を瞑ったまま飲むの。彼は迷った末にドンペリを選んだけど、私は断然こっちが美味しいって」と、久美さんは手にしたグラスを目の高さまで持ち上げた。「まるでフランスのブルジョワジーみたいに他愛のない遊びだったけど……楽しかった」

 私たちはまた席に着いて、久美さんは話を続けた。
「年末年始に食べ過ぎて、私は二キロ近く太ったのよ。でも、逆に彼は前に入院したときから五キロも体重が減ってたの。『若い奥さんと毎晩エッチなことしてるからかな?』って笑うんだけど、ちょっと心配になって、病院は苦手だって嫌がる彼を半ば強引に病院に連れて行った。レントゲンに始まって、胃カメラとか大腸カメラとかいろいろ検査したけど、異常はみつからなかった。ただ、腫瘍マーカーの値がすごく高くて、先生がMRI撮りましょうって。それで膵臓癌がわかったの」
 沈黙のまま時が流れた。久美さん、辛かったらもう話さなくていいんですよ……と言おうと思ったけれど、もう少し聞きたい気持ちが言葉にブレーキをかけた。
「アップルのスティーブ・ジョブズも膵臓癌だったでしょ? 最初は治療を拒否したのに七年も生きてるし、スタンフォード大学での有名なスピーチを聞きながら、次雄さんくらいの歳だったら癌の進行も遅いから、八十過ぎまでは生きられるよって話してたの。でもね……」久美さんは涙を拭った。「私だけ先生に呼ばれた。『ステージ4の末期です。肝臓、腎臓、リンパ節など全身に転移していて、手術では切除し切れません』って。告知するか聞かれて迷ってたら、彼に気づかれちゃって、一緒に先生の話を聞いたの。説明が終わった後、『私はあとどのくらい生きられるんでしょうか?』って聞くのよ。『抗がん剤治療を受けなければ、三か月から半年と考えてください』って。抗がん剤治療を受けても一年。それ以上を望むなら延命措置が必要になるかもしれないって言われた。もしかしたら心臓カテーテルしたときの胸の痛みも、転移していた癌のせいだったかもしれないって思ったし、バイアグラなんて暢気なことを言ってた循環器の先生をちょっと恨みたくなった。次雄さんは、延命措置は必要ない。抗がん剤治療も受けずに自然に任せるって言うから、その意志を尊重することにした。彼は仕事をセーブして、私も学校の授業以外は彼に寄り添うことにしたの」
「久美さん、今の私より若かったんですよね。私には想像出来ない……」
「早苗さんとはスタートが違うから……。でもね、一か月、二か月経ってもすぐに容態は変わらなかった。先生は大袈裟に言ったんじゃない? なんて二人で話してたくらい。首の周りの痛み以外に辛いところもあまりなかったみたいだし、診察に行ったら癌は消えてましたなんてことになったら良いのにね……なんてね。そしたら、三月にあの震災でしょ。仙台の剛史とお母さん、母たちのことも心配だったけど、数日間は連絡取れなかった。最初に連絡があったのは高校の同級生から。仙台駅周辺は大丈夫だったけど、海岸の方は津波で流されて見る影もないって。亡くなった人や行方不明者の名前がメールにあったけど、一年のときに一番親しかった子の名前もそこにあった。その後、剛史たち親子と母から電話があって、みんな大丈夫だったって。私、声を聞いて安心したら、すーっと気が抜けて倒れちゃったの。それからなかなか熱が下がらなくて,病人の夫に看病して貰うことになっちゃった……。でも歓びもあったのよ。高校の卒業式直前に妊娠がわかったの。三か月だった。熱も微熱くらいまで下がったから卒業式も出席できて、四月にはすっかり元気になって、留美の命日には彼と一緒にお墓参りした。『留美、叔母さんになるんだよ。私、高校卒業できたよ』って懐妊と卒業の報告。レンタカーを借りて行ったんだけど、帰り道に眺めた満開の桜が綺麗だったから、途中の公園の駐車場にクルマを駐めたの」
 久美さんはMacの画面に次雄さんが撮った桜の写真を開いてくれた。
「公園の桜はもう散り始めてた。クルマの中で彼は『震災で沢山の人が亡くなったけど、僕たちはこうして生かされてる。たぶん来年の桜の季節には僕はもういない。でも今はこんなに幸せで、お腹の子に未来を託すこともできる。僕は罰当たりなくらい幸せだ』ってそう言うと、優しくキスしてくれた。クルマを降りたら、足元にはピンクの花びらが絨毯みたいに敷き詰められてた。それから、二人で手を繋いで花びらが舞う中を歩いたの。美優もお腹にいたから、二人じゃなくて三人ね」
 優しく微笑む久美さんは、いつものお母さんの顔になっていた。


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