第5話 看病と吸血鬼
文字数 6,558文字
「………風邪ひいたなぁ」
俺は1人でそう呟いて、これからの事に頭を悩ませるのだ。
※※
朝、俺が風邪で学校を休むから登下校は一緒にできないと秋乃に伝えると、秋乃は「えぇ!?じゃあ今から1日付きってきりで看病してあげるよぉ!」と言って家の中に押し入って来そうだったので、なんとか学校に送り出す。
全く…気持ちは嬉しいが――流石にもう風邪くらいでそんなに心配されるほど、子供ではないのだ。
そうして、俺は顎に引っ掛けたマスクを、もごつかせながら即席で作ったおかゆを食べる。
すると、階段を降りる音が聞こえてくる。
「………わ!なんじゃ春樹。学校はないのか今日は」
シズがボサボサの髪の毛でそんな事を尋ねてくる。
「あちゃぁ、髪がぐちゃぐちゃだよ…ほら、櫛でといてやるからこっちこい。」
「む、別にわしはこのままでも構わんのじゃが。」
「レディが身嗜みを気遣わなくなったら駄目でしょ。ほら、文句言わずにこっちおいで。」
俺が膝をポンポンと手で叩くと、シズは気恥ずかしそうに俺の膝の上にちょこんと乗っかる。
シズは身長も150センチほどだし、見た感じ最低限の脂肪しかついてないように見えるので、想像以上に軽い。
もう少し血を与えたほうがいいのか?なんて、心配をしてしまうほどに。
そんなこんなで俺は櫛を手に取って、丁寧に髪をといてやる。
昔、秋乃によく《やってもらっていた》からある程度の感覚はわかっているつもりだ。
「……………」
この時間はいつも騒がしいシズも、俺の膝の上で、心地よさそうに目を閉じて、大人しくしている。
そんな姿を見ると、なんだか妹ができたみたいだ、と少しだけ楽しくなってくるのだ。
「――――さて、ほらこんなもんでいいだろ。」
俺が櫛をテーブルに置いて、シズを持ち上げて膝から退かすとシズは暴れ出す。
「だっ…抱っこするな!子供扱いはよせ!」
そんな、俺がいつも秋乃に言うみたいなセリフを吐くのだ。
いやぁ、秋乃の気持ちもわからんでもないなぁ。
誰かの世話を焼くのって意外と楽しいのかもしれない。
そして、俺はシズを床に下ろしてやって、おかゆの続きを口に運ぶ。
「……どうしたんじゃ?今日は学校の日ではないか。」
シズは改めて、と尋ねてくる。
そういえば髪をとくのを優先して、伝えるのを忘れていたな。
「……実はな、俺風邪引いちゃって。そういえば、吸血鬼って風邪とかかかるのか?」
「む?風邪?なんじゃそれ」
「ええと、病気みたいなもんだ。」
そう言うとシズが驚いたように目を開く。
「びょ―病気じゃと!?死ぬのか貴様!?」
「いやそんな大層なもんでもねぇよ。死なないから安心しろ。」
俺は一旦シズを落ち着かせるためにそう告げる。
するとシズは安心したかのように、ほっと胸を撫で下ろしながら息をつくのだ。
そんな様子を見てしまうと……
「……何だお前、心配してくれてんのか。」
そんな風に勘繰ってしまう。
シズはしばらく疑問符を頭に浮かべて、やがて自身の発言がどのようなものであったのかを思い出す。
「――! 別にわしが心配じゃったのは血が吸えなくなる、という心配じゃからな!?勘違いするでないぞ!」
と、シズはいつものように顔を真っ赤にして誤魔化す。
最近ではそんな様子も微笑ましく思えてくる。
※※
うぅ…いよいよ身体がキツくなってきた。
俺はうつす可能性も考慮して、シズを部屋から追い出し、1人寂しくベッドで横になっていた。
閑散とした部屋の中。
おそらく下の階にはシズがいるのだろうが、あまり存在を感じる事はできない。音がしないことが、こんなにも気味悪いことだとは思わなかった。
俺がひとたび、荒い息遣いを我慢すると、急激な無音が俺に孤独感を覚えさせる。
―最近は家に帰ってもずっとシズと一緒だったからな。
よくよく考えてみれば俺は、シズが来る前までは1人で寝ていたし、秋乃が夕飯を作りに来れない日だって変わらずいつも通り過ごしていたのだ。1人でいるくらい何でもないはずなのに。
そのとき、俺は少しシズとの騒がしい日々が恋しい、と思ってしまった。
―早く治してみんなに会いたいもんだ。
そういえば今日は瀬川さんと会ってないなぁ。
1人でいると、いろんな考えがポカポカと浮かんでくる。
当然、その中にはマイナスなものもあり、そういうものは、ひとたび思いついてしまったら、続々と列をなすかのように生まれてきてしまうのだ。
――今日、遠足の班決めとかしてて、自分だけあぶれてたらどうしよう。
――俺がいない日に他の男子達が、「チャンス!」と言わんばかりに、秋乃にしつこく絡んでいたらどうしよう。
――今日、誰かが瀬川さんに告白して、俺の知らぬ間に俺の恋が終わっていたらどうしよう。
――梨夏が宿題を写せずに、先生に怒られていたら………まあそれは自業自得だな、たっぷり怒られてくれ。
ふぅ、梨夏のおかげで負のループから抜け出せた。
一応感謝だけ心の中で浮かべておいた。
ありがとな。
「……………」
………やっぱり部屋は静かだ。
俺の心の中はこんなにも騒がしいというのに。
そんなギャップが、今の俺にはさらに寂しいものに思えて、心が窮屈になっていくのを感じる。
「……シズもあの日、こんな気分だったのかなぁ」
※※
春樹に部屋を追い出されたシズはテレビゲームをしていた。
しかし、今日の彼女はなぜか、いつものように楽しくプレイすることができない。なにか喉につっかえているかのような感覚を覚えていたからだ。
だが彼女には、そのつっかえの正体がなんなのか分からず、もどかしい気持ちを沈めたままコントローラを握ることしかできなかった。
現在やっているのは、対戦型の格闘ゲーム。以前春樹とやって、ボコボコにされた記憶が新しかった。
だが、日々の練習のおかげか、シズは上級者向けのネット対戦でも、白星をあげられるくらいには上達していた。
すでに春樹の実力くらいなら追い越してしまっているかもしれない。
「……まあ、気にしておっても仕方ないか。」
シズはつっかえの正体を探るのをやめ、いつも通りゲームに没頭できるように熱を込め始める。
画面には対戦相手のキャラクターが表示される。
――春樹がよく使っていたキャラクターじゃ。
シズはふと春樹の顔が頭に浮かべる。
それと同時に思い起こされる思い出の数々。
その中には、平日1人でいるのを、シズが寂しがっていた時、春樹が渋々ながらもこのゲームで遊んでくれた記憶もあった。
「……ふふ、懐かしいの。まだあれからそんなに時間も経っておらぬが。」
なぜだか春樹との日々は、とても濃密で長いものに思えたのだ。シズにその理由はわからないが、確かに彼女はそう思っていたのである。
そして画面は進み、ついに戦闘開始。
「………おう……なかなか………強いじゃないか!」
敵のキャラクターは、ちょこまかと動きながらシズを翻弄していく。
「………面倒臭い!じゃが、絶対に負けないのじゃ!」
ガチャガチャとコントローラを動かしながら、シズは相手の猛攻撃をなんとかいなし続ける。しかし、このゲームは敵の攻撃を防御しても、少しだけ体力が減る仕様になっていた。このまま逃げ続けてもジリ貧である。
とはいえ、それを知らないシズではない。
彼女もまた、なんとか反撃の隙はないかと、プロボクサーを彷彿とさせるような眼光で画面を睨み続けていた。
これだけの実力者。
きっと、隙を見せるならチャンスは一瞬だ。
「…よく見るのじゃ………しっかり………」
まだ――まだ手を出すな。
「……考えてみよ……この程度の実力ならば……まだ春樹の方が上手であったろ!」
そして―その時は訪れた。
相手がコンボを繋げる寸前で、誤入力をしたのか一瞬だけ変な動きが入る。
「ここじゃああああ!!!」
『KO!!』
「……はぁ……はぁ」
シズは…なんとか勝利を手に掴む。
しかし――なぜか心は晴れない。
先ほどのつっかえがまだ取れた気がしない。
普段なら、ゲームに勝てば飛び跳ねるくらい嬉しくなれる筈なのに、今日は全くそんな気になれない。
「………よく考えれば、わしは1人なのか。今日も。」
しんとしたリビングを見回す。
2階には春樹もいる筈なのに、今日も1人だ。
「…………」
もしかしたらこの胸のつっかえが取れるかもしれない。
彼女は試しに2階に上がってみることにした。
※※
「……息が苦しい……」
ぜぇぜぇと息が切れ、身体全体が直接熱されているかのような気分である。
頭ものぼせたようにクラクラするし、鼻は詰まっていて呼吸が苦しい。
視界もぼんやりとしてきたし―なんだか五感が鈍ってきている気がする。
がちゃり―
扉が開く音がする。
秋乃―――か?
―わからんが、助かった。
「ふん、別に貴様が心配できたわけじゃないからの。」
……声が遠く感じられて、なんて言っているのかはわからないが、秋乃にしては少し声が高い気がするのは気のせいだろうか。
でも、シズは今ゲームに夢中だろうし秋乃以外あり得ないのだが。
とりあえず――誰だとしても、お礼は言っておこう。
「……ありがとう」
※※
「―――!」
なんじゃこいつ、お礼などらしくもない。
しかし、シズは彼の弱った姿を見て理解する。
「―――春樹も心細かったのか」
そう思った途端、シズには今、目の前にいる春樹の姿がかつての自分のように思えてくる。餓死寸前になる以前――自身の家族と暮らしていた頃のことを。
意外な話かと思われるかもしれないが、吸血鬼シズは、身体が他の個体に比べてだいぶ虚弱であった。
家族にもだいぶ迷惑をかけてしまうくらいに、彼女は小さな頃から病に苦しめられていた。
「――ぐ……」
―嫌なことを思い出してしまった。家族のことは…もう忘れると決めた筈だったのじゃが。
シズは頭を振って思考を振り払いながら、目の前の春樹の側に腰掛ける。
わしが黙ると、春樹の荒い息遣いだけが部屋に響きわたる。彼の苦しそうな姿は、シズにとっても本意ではなかったが、先ほど1人でリビングにいた時よりも、気分は悪くない。
春樹は大変な思いをしていると思うがな。
――そうじゃ、何かできることはないじゃろうか。
シズはかつて、自分が病で苦しいんでいた時、家族はどんなことをしてくれたのかを思い起こす。
すると苦しかった日々、心が温かくなった日々、いろんな思い出が鮮明に色づいていく。
「――まずは頭を冷やさなくてはな。」
シズは冷水を汲みに、下の階へと降りていく。
※※
「はぁ…」
再び扉が開く音が聞こえる。どうやら秋乃が部屋から出て行ったらしい。
―――熱い、身体がとにかく。
しばらくして、そそっかしい足音と共に、扉が開かれる音がする。秋乃が帰ってきたようだ。
「………秋……乃ぉ……」
名を呼ぶ。
しかし、返事は返ってこず、代わりに冷たい感覚が額を中心に広がっていく。
極限まで熱った身体が、穏やかに冷まされていく。
そんな心地よさに、思わず息を漏らしていた。
「……ありがとう」
もう一度お礼を言っておく。
身体が冷まされて、秋乃が来て安心したからか、眠たくなってきて、瞼がどんどん重たくなってくる。
それも束の間、瞼の重みに耐え切れなくなった俺は、意識を暗闇に手放して、夢の世界へと沈み込んだ。
※※
再び目を覚ました頃。
夕の日がカーテン越しに差し込んでいて、かなり長い間眠っていたことを確認する。
「あぁ、春ちゃん起きたぁ。無事でよかったよぉ」
「ん、ああ悪いな。」
そして俺は額に置かれていた、冷たいタオルを手に取って改めてお礼を言っておく。
「これ、お前がやってくれたんだろ?本当に熱くって死にそうだったから、助かったよ。」
そう告げると、秋乃はきょとんと不思議そうな表情を浮かべる。俺の発言がよく分からなかった、といいだけな顔だ。
「………あのぉ、春ちゃん?私は冷たいタオルなんてやってないよ?やろうとはしたけど、元から乗っかってたから。」
「えぇ?でも俺、そんなことしてないぞ?」
「そんなはずは……私はてっきり春ちゃんが自分でやったのかと思って、成長に震えたんだけど………ああ、そういうこと。」
秋乃は視線を俺からずらすと、何やら納得したかのように目を細めた。
その視線の先をゆっくりと追っていくと――
「………シズ」
ベッドにもたれかかるように眠る、吸血鬼の姿がそこにはあった。
よだれなんか垂らしていて、すごく間抜けそうに眠っている。
「…………なるほどな。てっきり秋乃かと思った。」
「えぇー?私もお夕飯とか作ったり、タオルを水に付け直したりしたんだけどなぁ。そのままお礼し続けてくれてもいいのに?」
秋乃は頬を膨らませながらジトっとした目を向けてきて、俺は「ありがとな。お前には本当に頭が上がらないよ。」とふんわりとした頭を撫でてやった。
すると、彼女は「こ…子供扱いしないで」と恥ずかしそうに俺のそばから離れる。いつも俺がやられてることをやり返しただけなのに。
まあそれはそれとして。
俺はシズに視線を戻す。
「……………こいつにもあとで感謝しとかないとな。」
「うん、そうしなよぉ?」
※※
秋乃が帰宅したあと、俺はリビングで秋乃が作ったお粥を食べていた。
するとヨタヨタした足音が、階段の方から聞こえてきてやがてリビングの扉が開かれる。
「………む、わしより先に起きていたのか」
「おかげさまでな。」
苦笑を浮かべながら、俺はお粥に再度口を運ぶ。
おかしいな。お礼をさらっと言うつもりだったのに、直前になって緊張してきた。
そんな俺の緊張を知るはずもないシズは、俺の向かいの席に座って、なにやらこっちをじっと見てくる。
「……………なんだ?」
「……いや?春樹の間抜けな顔をじっくり見ようかと思ってな。」
「いきなり悪口かよ。美人様はいいよな」
俺は、お礼を言うどころか悪態をついて、お粥を口に含む。
シズは何やら嬉しそうにニマニマしている。
全く何を考えているのか読めない。
しかし、そんなやり取りをしていたら、こちらが悩んでいるのも馬鹿らしくなってきて、さきほどの緊張感も薄れていることに気がついた。
「…………シズ」
「なんじゃあ?」
シズはまだニマニマと嬉しそうに微笑んでいる。
「――ありがとな、助かったよ。」
そう告げると――
「――ッ!」
ニマニマ顔をやめて、照れくさそうにそっぽを向いてしまった。
「……フン、まあ今日のは気まぐれじゃ。今日も血が吸えないと思ったから、仕方なくな。」
早口でそう捲し立てる彼女は、何かに言い訳をしているようで、すごく微笑ましく思える。
そして、気がつく。
さっきベッドで1人眠っていたときのような、孤独感が失われていることに。
「……そうか」
俺は気がついた。
俺の中でシズは、もうすでに秋乃や梨夏、瀬川さんのように、なくてはならない存在になってきているのだ、ということを。
「………ははっ!バカみたいだなぁ」
「な、なにがじゃ」
あんなに喧嘩ばっかりなのに。
「それが楽しかったのか?俺は」
そんな日々を、日常だと俺は認識し始めていたようだ。
そうと決まれば
「シズ!よし、ゲームするか」
「―――――!!!!」
俺が一言告げると、シズが嬉しそうに目を見開く。
「わ、わかったのじゃ!今日こそ倒してみせる!わしもだいぶ上手くなったのじゃぞ!」
「そうかぁ?まあ口だけではなんとでも言えるからなぁ。」
慌ただしく席をたったシズは、そそくさとゲームを起動し始める。そして、そのままちょこちょこと走ってきて、コントローラを片方俺の方に渡してくれた。
「じゃあ……わしの力、見せてやるからの!」
「ようし、見してもらおうか!!」
そうして俺たちの戦いは、幕を開けた。
※※
翌日。
「………ぐぅ……頭痛いのじゃあ」
「わ、悪かった。俺を看病してくれたから……お前にもやっぱりうつるのな風邪。今日は学校休んだから、責任もって看病するよ。」
「やったのじゃ!」
「は?お前今なんて……」
「――なんでもないのじゃ。」
「おい、教えてくれても――」
「なんでもないのじゃ。」