第2話 幼馴染と吸血鬼
文字数 5,489文字
つまり、俺の頼みの通り、部屋で大人しく眠っていてくれているということだ。
そんなことにひとまず安心した俺は、キッチンへと向かって材料を冷蔵庫にしまっていく。
すると後ろから幼い少女の声が部屋に小さく響いた。
「なあキサマ、わしはどうしていたらいい?」
不安そうに周りをチラチラと見渡していて、でも口調はいつも通りで、なんだかそのチグハグさが、俺にはとても可笑しく写った。
「好きにしてろよ。あ、暇ならテレビでも見てみるか?」
「てれび?なんじゃそれは」
「ほら、このリモコンを操作して………っと」
俺はリモコンのスイッチを入れて、お笑い番組がちょうどやっていたのでそれを見せてやる。
すると―
「わきゃっ!」
―と小さく悲鳴をあげたシズが俺の腰に掴まる。
「…………もしかしてテレビの音に驚いたのか?」
「な、なんじゃあれは!?いきなり驚かしおって……」
そしてシズは俺の腰から離れると、警戒心剥き出しで、テレビに近づいていく。なんだか猫みたいだ。
でもしばらくするとポケーっと魅入るように画面を見つめる。
「あんまり近くで見るなよー。目悪くするからな」
キッチンからそう告げると、彼女はテレビの画面から目を逸らさないまま、ゆっくりと立ち上がって、テレビから距離を取る。
意外と素直な奴……
「さて、じゃあ俺はカレーを作りますかね。」
意気込みながら袖をまくって、早速野菜を切っていく。
※※
「よし、あとは煮込むだけだな。」
一通り工程を終えて、俺はテレビに魅入っているシズと弱火でコトコト煮込まれている鍋を後にして、秋乃の眠っている自室へと向かう。
トントン――
「秋乃?ほら、夕食できたから―――ってお前何してんだ!?」
「あ、春ちゃん……?何してって寝てるだけだけど?」
「いや!?明らかに部屋がさっきより綺麗になってるんだが!?なんかキラキラしたエフェクト見えるもん!」
もとよりそれほど汚くはしていなかったが、更に部屋が綺麗に整えられていた。それはつまり、彼女が俺の言いつけを破って、安静にせずに、部屋の掃除をし始めた事を意味する。
それに………こいつ部屋の掃除をしたってことは――
「―――お前……クローゼットの中は見たのか?」
「……え?クローゼットの中って………ああ、春ちゃんの大事にしてるえっちな本のこと?」
「きゃあああああああああああああああああ!!!!」
「大丈夫だよぉ、私は理解あるから!ほら、春ちゃんも男の子だししょうがないなぁ、くらいにしか思ってないよ?」
「少し理解あるのが一番嫌だぁ!むしろこういうのはネタにして笑い飛ばしてくれる方が気楽だよ……」
くそ、場所を変えるか……いや、今はそんなことはどうでもよくて。
「――夕食できたぞ」
「うんうん、さっきからいい香りがしてきてるなぁって思ってたよぉ」
クンクンと鼻を鳴らす秋乃は、なんだか犬みたいで可愛らしかった。
その様子を見るとどうやら風邪は良くなってきているらしい。
「………あ、あと……少し報告したいことがあってな」
「どしたのぉ?報告なんて……珍しい」
秋乃は不思議そうに顎に指をやる。
彼女は俺の家族も同然。
シズのことはしっかり話しておかないとな。
※※
俺は秋乃をリビングまで連れてくる。
「………この子はどうしたの?」
秋乃はじんわりとただならぬ雰囲気を纏い始めている。俺にはわかるぞ。これは――怒っている!!
だが、ここで折れる俺ではない。
しっかり言い訳も考えてきているのだ。
「実はな、こいつ俺の従兄弟でさ、シズって言うんだ。今年からこっちの学校に通うことになったから、俺の家で住まわせることになったんだよ。ははっ困っちゃうよなぁ!」
そして、恐る恐る秋乃の方を見ると、彼女は疑うように俺を睨め付けていた。
「本当なの?嘘じゃないんだよね?」
「嘘じゃ―――ないぞよ?」
あ、これダメっぽい。
「ぞよ」ってなんだよバカ。
昔から秋乃は過保護の領域を遥かに超えて、俺の女性関係をかなり厳しく見てくる。だからシズのことを正直に話すと、シズの身が危ないことは俺がよく知っていた。
そして何より、あんな話聞かせられるわけがない。あんな現実味のない話。
俺は冷や汗をダラダラと垂らしながら秋乃の様子を黙って見ていると――
「―――まあいっかぁ…信じるよ」
「………へ」
「聞こえなかったの?信じるって」
秋乃は呆れ混じりにそういった。
対する俺は、思いの呆気なさに目を丸くするばかり。てっきり説得に2ヶ月はかかるものだと思っていたから。
「仮にそれが嘘でも……まあいいよぉ。だって春ちゃんは私に嫌がらせをしたり、やましいことがあって隠し事をするような子じゃないことは知ってるからねぇ」
「――ああ、それは絶対にしない。」
「………そうだよね。じゃあよろしくねシズちゃん。」
そういって秋乃がシズのそばによって手を出す。
しかし、シズはテレビに夢中で何も聞いていなかった様子。今も秋乃の行動をガン無視していた。
「………………いや、ちょっと変わってる子なだけなんだよ。それよりほら、カレーできたから食べような?」
「……うん」
秋乃は大人しく、でもどこか不機嫌そうに席についた。
だが、俺がカレーをよそおうとすると――
「あ!春ちゃん危ないから座っといて私がやるから!」
「だから子供扱いするなぁ!」
そんな俺の絶叫がこだました。
ちなみに、秋乃はカレーを食べている時
「……おいしい……春ちゃんも大きくなったんだね……」
と、なぜか涙を流していた。
本当に恥ずかしいからやめてほしい。
※※
夕食を食べ終えて、俺はテレビを一旦消してシズを席に座らせる。
「さて、じゃあ自己紹介しあおうか。」
思えば俺とシズもまだお互いに自己紹介をしあっていなかった気がする。せっかくのいい機会だし、ここでしとこうか。
「じゃあまず俺から。俺は坂柳春樹。気軽に春樹お兄ちゃんとでも呼んでくれ」
「は?嫌じゃが」
「……………春樹でいい。」
少し願望を織り交ぜたのがよくなかったのかもしれない。また、横で秋乃が「なになに!?春ちゃんはお兄ちゃんって呼ばれたかったの?そんなことなら私がいくらでも呼んであげるのにー!!」とかいってた。気にしないでおくことにする。
そして落ち着きを取り戻した秋乃が、佇まいを直してシズの方に顔を向ける。
「私は坂柳秋乃」
「嘘をつくな」
「――になる予定」
「こいつは木下秋乃だ。俺の幼馴染で、料理が上手なんだ。」
「流されたぁ!でもそっか…春ちゃんはそんな面白も出来るようになったんだねぇ…成長が嬉しい」
母親面もここまで来るといよいよ止められない。
いつものように「お前は俺の母親か!」というツッコミも喉の奥でつっかかってしまった。
「よくわからぬが、こいつはキサマの母親ということか?」
「だからちげえって!!!」
閑話休題。
「はぁ……んで、秋乃。このちっこいのがシズだ。」
「キサマ…ちっこいって言うな!このばか!」
「だってちっこいだろうが!だったらお前も俺のことキサマっていうのやめろよ!」
「嫌じゃ!その方が力関係が如実に出ていていいではないか!」
「え、俺下なの!?」
「当たり前じゃ!!」
衝撃の事実に驚きが隠せなかった。
それはそうと、秋乃は驚いたように目を見張っている。
「……どうしたんだ?」
俺が目を白黒とさせた秋乃に尋ねると、彼女は「いや少し驚いて」と呟いた。
今そんなに驚くようなことがあっただろうか。
「………なんだか2人は従兄弟ってよりは、兄妹みたいだねぇ、と思って。」
「こいつと?」「こやつとか?」
2人はハモる。
俺はなんだか恥ずかしくなって、シズから視線を逸らしてしまう。
「ってことは……シズちゃんも私の妹みたいなものだねぇ」
「……おい、この娘は頭が沸いておるのか?」
「そう言うな。多分どんな結末になるにしろ、娘か妹って扱いに落ち着くと思うぞ。秋乃は母性の塊だから。」
現に俺は息子になってるしな。
目をやると、シズは嫌そうに顔を顰めていた。
「………頼むから合わせてくれよ。」
俺は小声でシズに頼み込む。
すると大きなため息をこぼして「…わかった」と呟いた。
「じゃあこれからは私たち三兄弟――私がお姉ちゃん、春ちゃんが私の弟、シズちゃんが私と春ちゃんの妹って感じになるのかなぁ」
「………屈辱じゃな。」
彼女はプルプルと震えながら、そう呟いていた。
※※
そして夜も更けてきて秋乃を家まで送り届けると、シズはやはりテレビを見ていた。
「………そんなにハマったか?」
「いや、面白くて見ているわけじゃないのじゃ。」
「………どういうことだ?」
「人間観察じゃよ。」
よく聞いてもよくわからない回答が返ってくる。
するとシズは言葉が足りなかったのを察して、説明を続けた。
「今テレビを見てよくわかった。キサマは変なやつじゃと。」
「いきなり悪口」
「いや、そうではない。少なくともわしは、別にキサマを………春樹を嫌な対象には見ておらん。」
「それはよかったけど。」
なんだか気恥ずかしくなってきた。
そんな俺の心を知るわけもないシズは話を続ける。
「……普通、自分を殺そうとした相手を助けようとは思わん。」
「まあ、そうだろな。」
「それでも春樹はわしを助けた。」
「………まあ……そうだな?」
「じゃからなんで春樹がわしを助けたのか、今までよく考えておった。」
「………ほう?」
俺は気になって耳を傾けてみることにした。
厳密には誰かが死ぬところをもう見たくない、と言う理由をしっかり伝えているのだが、きっと非常時というのもあってあまりよく聞いてなかったのだろう。仕方ない仕方ない。
「貴様は………春樹はわしのことが好きなのか?」
「……………え?」
……今なんて言った?
俺が…シズのことを好きだって?いや、寿司って言ったのか?
「ど、どういうことだ?」
頭の処理が追いつかなかった俺は、説明を求める。
「じゃって、わしはこんなに可愛らしいしの。オスの生物が好ましく思って助けようとするのも無理はないからの。」
「……………」
可愛い――それは否定しないが、違うぞ?何より俺には好きな人が………
「じゃから、まあそうじゃな。貴様のその気持ちに報いて付き合ってやってもかまわんぞ?別にわしも春樹のことが好きだから付き合いたい、というわけではなく、あくまで貴様への感謝を込めてこの結論に至ったのじゃからな?」
顔を真っ赤にして言い訳を捲し立てるシズは、なんだか本当に小さな子供のようで微笑ましかったが、内容に関しては寛容になってもいられない。
「いや……付き合わないぞ?別に」
「…………はぇ?」
「いやだって別に俺、お前が好きだから助けたわけじゃないからな?」
「………………!?………はっ………な……ななな…ななな!?」
徐々に顔が羞恥で赤く染まっていく。湯気でも出そうな勢いだ。
「………お……少女の純情を弄びおって!!」
「いやそれに関しては本当に理不尽―――」
次の瞬間、シズは俺の首筋に噛みついて血を吸ってきた。
「……んっ………ちぅ………」
「ちょ!お前……契約は………!?」
俺は引き離そうと腕に力を込めるが、俺の力では吸血鬼には敵わないのかしばらく好き放題血を吸われたのちに、彼女は自分で口を離した。
「ぷはっ…………やっぱり………おいし………」
シズは紅潮した頬を浮かべながら、恍惚とした様子で舌で口周りの血を舐めとった。
「じゃから……これは別に………そういう意味じゃない!わしは貴様の血の味に惚れたからその契約を呑んだんじゃ!!貴様を殺さずにそのままにしているのも、貴様の血が惜しいだけじゃ!!勘違いするでないぞ!!」
「………………」
俺は何が起きたのかもわからないまま、呆然と彼女の話を聞いていた。
ようやく脳の処理が追いついて、理解したのは――
「………お前………ツンデレかよ……」
そう呟いて、俺の意識はぷつりと失われた。
※※
目を覚ましたのは空が明るくなり始めていた頃だった。
「…………あれ?俺の部屋」
昨日の記憶が曖昧だが、確か俺はリビングで気を失ったはず。自室まで来た覚えはないのだが。
そんな疑問をもちつつ、身を起こして辺りを見渡すと、すぐ横でシズのやつが身を小さくして眠っていた。
「………お前が運んでくれたのか……」
すやすやと眠る吸血鬼の頬を俺は撫でてみる。
こうしてみると、本当に小さいなと改めて実感させられた。
それに……可愛らしい寝顔だ、と素直に思った。
銀髪が朝日に照らされて、キラキラと輝いているのも神秘的で、おおよそ同じ次元のものとは思えなかった。
しばらくそうしていると、やがてくすぐったかったのか、シズが目を覚ます。
気まずくなった俺は、手を離して不細工な微笑みを浮かべて「おはよう」なんて呟いてみる。
「…………ふん、急に倒れおって、心配をかけるな、食料の分際で。」
「………悪かったよ。……いやそもそもお前が急に血を吸うから―――」
「うるさい!それより早く血を吸わせろ!」
「流石に死んじゃうって!また夜に吸わせてやるから……」
そんなこんなでわちゃわちゃ合戦(再戦)をしてから、俺は制服に着替える。
そして、秋乃と登校して。
教室で梨夏に絡まれて。
1日ぶりに出会う瀬川さんの姿を目にするのだ。
そして、家に帰ってシズに血を吸わせてやる。
「………馬鹿みたいな生活になったな」
「それはお互い様じゃ」
そうして俺たちは2人で笑い合ったのだった。
人間と吸血鬼――分かり合えないはずの2人は、少しだけ歩み寄ることができた。