第1話 始業式と吸血鬼
文字数 9,321文字
そんな日に桜に囲まれた一本道を歩いている俺は、坂柳春樹、嶺原高校の2年生。
成績も運動もちょうど中間くらい。
目立つ方でもなくて、クラスに数人は同じ特徴のやつが見つかるだろって感じの、いわゆる普通の高校生ってやつ。
自分で言っていて、少しだけげんなりしてくるけど、本当に取り上げることがそれくらいしかないのだからしょうがない。むしろ普通―それである事が、僕の特徴といえる。
そんな普通の高校生の俺は、年頃の青年らしく恋煩いに悩まされていた。しかも、その相手は高嶺の花と周りから噂される女性で、かれこれ1年以上の片思いが続いている。
その相手というのが――ああ、今ちょうど見えた。
サラリとした黒髪が、春の太陽に照らされて白く輝いている。背は俺とほぼ変わらないくらいで、女性にしてはかなり高い方で、モデル体型ってやつだ。
肌は新雪のように真っ白できめ細かく、思わず見惚れてしまうような美しさ。全体的に真面目そうなオーラが漂っている彼女だが、俺は知っている。話してみると意外と砕けた感じの人柄であることを。そして、その身近に感じられる人柄もまた、彼女の魅力なのだ。
そんな彼女の名は――瀬川美冬という。
「おい、瀬川さんだよ。今日もめちゃくちゃ美しいなぁ。」
「本当だよなぁ…俺もあんな人と付き合いてぇなぁ。」
「ばか、お前じゃ無理だろ」
「わかんねぇだろそんなの……はぁ、告白してみようかな。」
そんな会話が、彼女の周りではよく見られる。
俺も何度告白しようか悩んだものか。しかし、ついぞ俺にそんな勇気は訪れなかったけど。
※※
俺と彼女の接点は、去年たまたま同じクラスで、同じ保健委員会に入っていたということだけ。
した会話なんて両手で数えられるくらいだし、俺は毎回
緊張しすぎてうまく喋れなかった。
客観的に見なくてもわかる。
どう考えても脈なしだ。
きっと彼女の中で俺は―ただのクラスが同じで、少しだけ話したことがある男子って存在でしかないんだろうな。
「……しかもクラスも2年からは変わるかもしれないし……これからのクラス替えのプリントを見るのが怖いなぁ」
そうやって独り言を舌で転がすと、後ろからバシンとちょっと強めの衝撃を受ける。背後にいたのは――
「よー!元気ないなー?どうしたんだー?」
「………梨夏」
今うしろから俺の背中をバシンと叩いたのは、工藤梨夏。去年からクラスが一緒で、席がたまたま近かったから仲良くなった俺の数少ない友人の一人でもある。
梨夏は……そうだなぁ…瀬川さんとは真逆のタイプで、元気はつらつ!当たって砕けろ!猪突猛進!!みたいな女の子。誰とでも分け隔てなく接するクラスの中心人物で――
「――春樹が元気ないとアタシも元気なくなっちゃうぞ!ほら元気出して今日もがんばろー!あ、クッキー食べる?疲れた時は甘いもの食べるといいんだよ!」
「いって!ちょ、もう叩かなくていいだろうが。クッキーは後でもらうよ。」
――意外と面倒見が良かったりする。
「そういえばー秋乃ちゃんは一緒じゃないの?」
「……風邪ひいたんだよあいつ」
「えー秋乃ちゃんがいない生活なんてきゅうりのないケーキバイキングみたいな物だよー」
「お前普段どんなケーキバイキング行ってんの?」
そんな会話をしつつ、俺たちはクラス替え結果が書かれているプリントの前に出来ている列に並ぶ。この調子だとあと数分はかかりそうだ。
ちなみに、梨夏の言っていた秋月ちゃん、というのは俺の幼馴染の女の子なのだが、さっきも言った通り、彼女は今風邪をひいてしまっていて学校を休んでいる。まあどうせ、彼女とはまた同じクラスになるのだろうなぁという長年の勘が働いていた。これは幼稚園からずっと続いている、一種の運命的な物だと、秋乃が言っていたな。俺もそれに関しては異論はない。運命、という言葉の危うさ以外は。
前の生徒が1人2人と列を抜けていく。
ようやく俺たちの順番がやってくる。
「頼む……!瀬川さんと!」
同じクラスでありますように。
※※
俺の教室は2年4組だった。
そして今俺は、窓側の席で昼下がりの眠気を誘う温かさに身を任せていた。
ふと、視線を前方へ向けると瀬川さんの黒髪が目に入った。後ろからだと何をしているかわからないが、おそらくいつものように読書をしているのだろう。
「はぁ…綺麗だなぁ」
「ん?アタシ?」
「お前じゃなくてな?瀬―――梨夏!?」
「ん?そんな驚く?」
あっぶねぇ!あと少しで俺の好きな人バレるとこだった。いや、別に好きな人がバレるのが恥ずかしい、みたいな小学生じみたことを言いたい訳じゃない。
――梨夏はダメなんだ。梨夏だけは。
コイツは口が軽い―というレベルではなく、本当にいつも何も考えずに発言をするから、ついポロッとなんてこともあり得る。
しかも、梨夏は社交性のステータスがカンストしているのもあって、近寄り難さを放つ瀬川さんにもよく話しかける。そんな梨夏に俺の気持ちがバレると――
「あ!美冬ちゃーん!そういえばね春樹が美冬ちゃんのこと好きって言ってたよ!」
「え……そうなんですか?ごめんなさい春樹くん、私あなたとは付き合えないわ。」
――なんて事になりかねない!!
せめて俺は告白してからフラれたいのだ!いや、断じてフラれたくはないけども。
「そ、そういえばさお前ともまた同じクラスだったな。それに秋乃もいるし……なんかあんまり新鮮味ないなぁ、ははっ」
「そうだね、でもアタシはすごく嬉しいな!また春樹と同じクラスだし!」
「――――ッ!!」
他意は多分ない。
いつも何も考えてないような奴だ。きっとその延長線で今もそんなことを口走ったのだろう。
俺は驚きで赤くなった頬を隠すように窓の外へ視線をズラす。なんだか今梨夏と目を合わせるのが気恥ずかしく思えたからだ。
「えー!どしたの急に窓の外なんか見て?黄昏たくなっちゃったの?」
「違うよ…いやもうそれでいいや。」
なんだか、照れているのも馬鹿らしくなってきた。
俺がため息を押し出すように吐くと、いきなり教室の扉が開かれる。おかしいな、もう全員席に着いているはずなのに。
「春ちゃん!!?!?!!」
「秋乃!!?!?!?!」
お互いが疑問符と驚きに塗れた感情の中、名前を呼び合う。
「あれー?秋乃ちゃん今日は風邪だったんじゃないの?」
「風邪くらいで春ちゃんを一人で学校になんて行かせられないよ!!春ちゃんは何をしでかすか分からないんだから!」
「お前俺のこと5歳児だとでも思ってんのか!」
「勘違いしないで!春ちゃんは2歳とかそこらだよ!」
「俺幼児だと思われてんの!?」
流石にショックを隠せない。
まさか長年苦楽を共にしてきた幼馴染に幼児だと思われていたなんて。
まあでも、なんとなくそうなんじゃないかな、って思う状況は結構あったんだよな。
例えば――
「今日もお昼ご飯美味しいねぇ、春ちゃん」
「そうだなぁ」
「あ、春ちゃんほっぺにご飯粒ついてるよぉもう」
「ちょ!なにすんだよ!流石に子供扱いがすぎるぞ!」
「だって、春ちゃんは子供だもん」
――とかな。
そもそも「春ちゃん」というあだ名を高校生になってまで使ってくるというのも、なんだか一種の嫌がらせのようで。おかげで去年の一時期、男子達にそのことで馬鹿にされていた。しかし、本人に悪気は全くないのだから尚更たちが悪い。
※※
彼女――木下秋乃と俺は幼稚園からの付き合いで、家も近かったからよく遊んでいた。きっと彼女の中で、俺は今も幼稚園の頃と変わらない「春ちゃん」なのだろう。
「というか、お前風邪だろ?学校来たらみんなにうつしちゃうかもしれないだろ。お前自身も辛そうだし。」
秋乃の顔は熱っぽく、肩で息をしているような状態。
明らかに平生の彼女とは言い難かった。
それはもう、梨夏ですら心配そうにしているくらいに。
しかし秋乃は「大丈夫だよ」と気丈につぶやく。
「だって、春ちゃんを1人にできなくて…」
「だからお前は俺の母親かっての。」
「………私はそのつもりだよ」
「…………」
これはネタでもなんでもない。
そして、彼女が自分を母親だと勘違いしている、という痛い話でもない。
俺には両親がいない。
思えば、秋乃のお節介が過ぎるようになったのも、両親が死んだ小学生頃からだった気がする。
「……別にそんな気を回さなくていいんだよ。」
「気も回すよ。春ちゃんは私が守らないと」
「……俺はヒロインかよ。」
そんな事もあって、俺は秋乃からのこの扱いを無碍にすることができずにいた。
「………え、何このしんみり空間。」
梨夏が無神経な発言をこぼした。
でも、そのおかげで笑うことができた。
※※
思えば今日も瀬川さんと話せなかったな。
またクラスが同じになった、ということを話題に話しかけようと思ったのだが、梨夏がいた事もあって話しかけにいけなかった。
――いや、言い訳はよそう。俺にはやっぱり勇気が足りない。梨夏の存在の有無関係なしに、俺は瀬川さんと話すことを躊躇っている。何かの拍子で、彼女に嫌われてしまう可能性を恐れているのだ。
今日は始業式だけ、というのもあって日はまだ高い。
そんな太陽の下で、俺は秋乃と2人で帰っていた。梨夏は部活の方で集まりがあるらしい。
「けほけほっ」
秋乃がマスクの下で渇いた咳をする。
「やっぱり今日は休んどいた方が良かったんじゃないか?」
「だめだよ、何回も言うけど春ちゃんを1人にはしておけないから。」
「ばーか、俺は1人でも生きてけるよ」
そう言って胸を張ると秋乃が一瞬固まってから笑い出す。
「そうだよねぇ春ちゃんは強い子だもんね。」
「おい、なんか声のトーンが幼児向けじゃないか?」
「そんな事ないですとも」
秋乃は悪戯っぽくカラカラと笑った。
家の近くまで歩いてきた頃、俺はふと思いついた。
「今日も親遅いのか?」
「うん、いつも通りだよ」
「そっか、ならチャンスだな。今日の夕飯は俺に任せてくれ。」
「――――――」
秋乃がいきなり滝のような汗をかきながら、固まってしまった。
「お、おいどうしたよ」
「だ、だめだよ、春ちゃんに料理なんかさせられない!包丁だって火だって使うんだよ!?そんなのほぼ春ちゃんを戦地に送り出すようなものだよ!」
「いや全然ベクトル違うだろ!たかが料理くらいで大袈裟な。」
「で、でもぉ……」
「心配なのは分かったけど、流石に料理くらい作れる。だから今日は俺に任せてお前は安静にしとけよ。ほら、俺買い出ししてくるから先部屋で休んどけよ。」
そう言って俺は家の鍵を開けて、秋乃を俺の部屋に案内する。
「あ、ちゃんと掃除してある。」
「じゃないとお前に怒られるからな。」
「えらいよ春ちゃん」
「ちょ、頭撫でんなよ!」
俺は気恥ずかしくなって彼女から距離をとる。
そして赤くなった頬を冷ますように顔を振ってから、ベッドを整える。
「ほら、休んどけ。料理諸々が完成したら呼ぶからさ。」
「…………うん」
「シャワーも好きに浴びていいから。でも危険なことはするなよ?しっかり安静にな?」
「わ、わかったよぉ!もう、春ちゃんだって人のこと言えないよ?」
「……………じゃあ、買い出し行ってくる。」
恥ずかしくなって俺は部屋から逃げるように出る。
※※
今日は少し遠くのスーパーに足を運んだというのもあって、さっきまでは真上で強い存在感を放っていた太陽も、月に主役を任せるかのように沈み始めていた。
そんな時でも、太陽は燃えるような夕暮れを伴って消えていく。やっぱ太陽ってすげぇな。お日様様々だ。
「それにしても……ちょっと張り切りすぎて、遅くなったなぁ」
秋乃もお腹を空かせているだろう。早く帰って料理を作ってあげないと。
今日の献立は俺の得意料理のカレーだ。これしか作れない、とかそんな事はない。数ある中からそれを選んだのだ。ガチで。
「ふふっ…俺がどれだけ美味いカレーが作れるかを教えてやろうか。きっと驚くだろうなぁ」
「ふむ、そうかもしれぬな。」
「ん?」
突然背後から声をかけられる。
聞いたことのないそれに、自然と声が漏れた。
そして俺の体は、その声の主を目にしようと反射的に動く。
「………子供?」
「子供じゃないわ!!!!!!キサマ……わしを誰と心得る!?」
「………………子供?」
「しっかり考えた末に出た結果がそれか!」
いやだって仕方ないだろ。
だって俺の前にいるコイツはどこから見ても子供なのだから。
肩くらいまで切り揃えられたふわふわとした銀髪に、俺の胸ほどまでしかない背丈。触れば折れてしまいそうなほどに細い手足。これらを見て尚、子供ではないと判断できる者はいるだろうか。少なくとも俺には14歳そこらの子供にしか見えない。
「全く……近頃の若者は年配への配慮が足りとらん!」
「はいはい、おじいちゃんの真似してるのか知らんが、はやく家に帰るんだぞ。そろそろ親御さんも心配してるだろうから。」
「じゃから!わしを子供扱いするでない!わしは立派な大人のレディじゃぞ!」
なんだコイツ面倒臭い。
流石に俺も相手をするのが億劫になってきた。
それに、この現場を誤解した誰かに通報でもされたら秋乃に面目が立たないどころの話じゃないぞ。
仕方ないここは早く切り上げて家に帰るとするか。
「じゃあ、俺早く家に帰らなきゃだから。お前も早く帰るんだぞー。」
「ちょ…ちょっと待つのじゃ!」
「なんだよ……まだ何か用か?」
「いや…その…なんじゃ……少しお願いがあっての。」
お願い?一体見ず知らずの俺にどんなお願いがあるというのだろう。
俺は頭に疑問符を浮かべて、改めて彼女に向き直る。
すると彼女はちょいちょいと自分のそばによるように、と指をクイクイと動かして合図した。
俺はため息を漏らしつつも言われた通りに背丈を彼女と同じくらいにするために、しゃがみ彼女のそばによる。
その瞬間―――――がぶり
「!?!?――いッッて」
突然の首筋への痛みで、俺は反射的に身体を離す。何が起きたのかわからない、という状況にただただ困惑していると、少女が面倒くさそうに舌なめずりをした。
そして、驚くべきことに彼女の口元には―血がついていた。
「……お、お前俺に何を……?」
俺は痛む首筋に、まさか、と思い手をやると、ぴちゃりと液体の触れる感覚がする。そしてその手をそのまま視界内に持ってくるとやはり、俺の手にも血がついていた。
「…噛んだのか!?なんでそんなことを」
「………食事じゃ。悪いか?人間」
「食………事!?」
つまり、こいつは……俺を食事の対象――食料として見ているということか?
いや、まとめてみても意味がわからない。
それに、こいつの言った「人間」という呼称も違和感だ。それではまるで、自分は人間ではないと言っているような―――
「――お前……何者なんだよ!!」
血を吸う。
美しい姿。
人間ではない存在。
この時点で聞くまでもなく、俺の中では一つの存在が思い浮かんでいた。
それでも、俺は彼女に尋ねる。
そして彼女はニヤリと嘲笑うかのようにこちらを見下ろしてながら口を開く。
「吸血鬼――じゃ。」
その答えは、俺の想像していたそれと同じで、だからこそ驚きは思ったより少なくて、判断は素早くできた。
逃げる、という判断が。
「まっ――待つのじゃ!」
今度は待たない。
自身を食料と見なすような存在を前にしていられるものか。
俺はジクジクと痛む首筋を押さえながら走る。
その姿はさぞ滑稽だったかもしれない。
その点で見れば、辺りに人がいないことが不幸中の幸いかもしれない。
無論、だからこそ助けもないのだが。
「……っはぁ…はぁ」
俺は走る。
だが、そのスピードは腰が抜けかけている分かなり遅い。小学生のような見た目の少女でさえ、追いつけるくらいには。それに加えて相手は吸血鬼だ。おそらく人間ははるかに超越した身体能力だってあるかもしれない。
だが、いつまで経っても俺は追い付かれるようなこともない。
それが気がかりで、ふと視線を後ろに向けると、少女が道の真ん中で倒れていた。
足が止まる。
「………ど……どうしたってんだ。」
俺は反射的にそんな語句を口にしていた。
自分でも理解ができない。
俺はもしかして、あいつのことを心配しているのか?
足が再び動きだす。
その倒れている少女の元へ、だ。
「お、おい……具合悪いのか?」
返事はない。
本当に具合が悪かったとしたら――どうなるんだ?
吸血鬼は人の血を吸う。そう考えたらあいつがどうなろうと、知ったこっちゃない。むしろいない方がいいに決まってる。
そう思っているのに――なぜ俺は倒れている少女の元に足を戻している?
「…………おい」
ついに先ほどまでと同じくらいの距離感まで戻ってきた。
だがそれでも彼女なぴくりともしない。
「…………大丈夫………ッ!?」
うつ伏せ気味に倒れていた彼女の身体を起こしてやると、彼女はつらそうに息を切らしていた。
その姿は――今の秋乃のようで。
「……お前具合悪いのか?」
自然とそんな言葉が紡がれる。
その少女は辛そうに薄目を開けて、俺の姿を確認する。
「キサマ…なぜ戻ってきたのじゃ?」
「…そんなの知るか。俺だって聞きたいくらいだ。」
「……変なやつじゃの。ははっ」
少女はつまらなさそうに形だけの笑みを浮かべた。
でもやはりその姿は辛そうで、秋乃の姿が重なる。
そう思ったら再び口が動いていた。
「お前は…吸血鬼なんだよな?」
「…そうじゃと言っておる…はぁ…はぁ……それがどうした?」
「1つ確認させろ。お前は今どうしてそんなに辛そうにしてるんだ?」
彼女は呼吸を整えるようにして深呼吸を一度する。
そして俺の問いに答える。
「……吸血鬼は血が不足するとこんなふうに体調不良を起こすのじゃ。栄養不足でな。」
「血を吸われた人間はどうなる?」
「死ぬに決まっておるじゃろ。」
「…そうか。」
血を吸われた人間は、死ぬ。
だいたい想像の通りである。
つまり、こいつは今まで何人も自身が生き永らえるために、殺してきたわけだ。
だが、それは俺たち人間とやっている事は変わらなくて、人間である俺には彼女を責める事はできない。
よし、決めた。
「………わかった。俺の血を吸わせてやる。」
「――!いいのか?」
「だが、1つ条件がある。」
「………なんじゃ」
彼女は熱を帯びた頬を上気させながら問う。
それは交渉に応じる意思があることを意味する。
「俺の血を少し吸え。そして、明日もまた少し吸え。その次の日も少し吸え。そうすれば俺は死なないし、お前も死なないだろ?」
「……そんなことができると思うのか?わしは吸血鬼でキサマは人間……相容れられるわけがないじゃろ。」
彼女は苛立ったように眉を顰めて俺の考えを否定する。だが俺はそれでも意見を述べる。
「いや、出来る。絶対にだ。」
「わしはキサマを信用できん。キサマがわしを捨てれば、わしは栄養失調で死ぬ。それにわしがキサマを裏切って血を吸い尽くせば、キサマは死ぬ。キサマのその契約にはお互いを信頼し合わないといけない、という大きな壁があるのじゃ!」
「よく考えろ。俺はお前を見捨ててもいい立場なんだ。今すぐにでもこんな契約をせずに家に直行して仕舞えば自分の命を守ることができる。それでもこうして戻ってきている意味を。」
「………なぜじゃ?」
吸血鬼は本当にわからないというように目を潜める。
仕方ない、答え合わせだ。
「俺が…お前に死んでほしくないって思ったからだろうが!」
「………いや、やはりわからん。わしは吸血鬼でキサマは人間じゃ。しかも会って数分で、更にわしはキサマを殺そうとしたのじゃぞ?助けようなどという考え、到底浮かぶわけが―」
「そんなの関係ない。俺はな、会って数分だろうが、自分の知っている奴が死んだら嫌なんだよ。……もう死んでほしくないんだ。」
俺は今は亡き両親の顔を思い浮かべる。
そして吸血鬼の少女はいよいよ本当に辛そうに、息を切らし始める。
「――早く吸え!!死にたくないなら!」
「…………わかった。キサマを信用する。じゃが、わしはいつ裏切るかも分からんぞ?」
「それはダメに決まってんだろアホ!お前も俺を裏切るな!」
「……………はぁ、わかった。」
そう言って吸血鬼の少女は俺の肩を小さな手で抱いて、首筋に顔を埋める。
その瞬間、鋭い痛みが身体を走り、俺は思わず少女の体を抱きしめてしまう。
「―――ッ」
痛みで声にならない声が出る。
その間も彼女はチウチウと俺の血を吸っていて、なんだか力が抜けていく。
そして少しすると、彼女が俺から顔を離す。
「――っぷは……はぁ…はぁ」
口に血を滴らせて、満足そうに息を切らしている。
そして、一言呟いた。
「……………おいし」
気がつくと再び俺の首筋に顔を埋めようとしてくる。
「ちょ、もう充分だろ!流石にそれ以上の量を毎日吸われたら死んじゃうって……」
「むっ……離すのじゃ!あと一口!」
「ああ!やめろ!おい契約はどうした!?」
「別に量は言っとらんかったろ!『少し』としかキサマは言ってない!」
その後もしばらくわちゃわちゃ攻防(俺からすれば命懸けの)が続き、やっと諦めてくれた吸血鬼が俺の膝の上から体を起こす。
「まあよい。」
「……そんなにうまいのか俺の血って?」
「ああ、これまで飲んだ中で一番。我を忘れるほどの美味さじゃった。」
それは、いいことなのか?
まあなんにせよお互いに命が助かってよかった。吸血鬼も元気っぽそうだしな。
「……そういえば、いつまでも吸血鬼吸血鬼呼ぶのもなぁ。お前名前とかあんのか?」
「名前?なんじゃそれ」
「いや……改めて聞かれるとなんで言えばいいか……そうだなぁ。その人を表す言葉?みたいな。」
「フン、そんなものはない。」
「そっかぁ」
吸血鬼と人間だとそういった違いもあるのか。まあ人間のように名前を授けられるという方が異常なのだが。
でも、これからの事を考えると名前くらいはあった方がいいよなぁ。
「………シズはどうだ?」
「なにがじゃ?」
「お前の名前だよ。俺はこれからお前をシズと呼ぶことにしようって提案」
そう告げると、彼女は不思議そうに俺の瞳を覗き込んでくる。口元にはまだ血がついていて少しギョッとしたが、次の瞬間、彼女が可愛らしく笑みを浮かべたことによってそんな感情はどこかに行ってしまう。
「ははっそうか、わしはシズか。なんだかこそばゆい心地になるの。」
「……気に入ったのか?」
横で嬉しそうに笑みを浮かべる彼女に俺は尋ねてみる。
「ああ、これからわしのことはシズと呼べ。」
意外と素直にシズはそう答えるのだった。
名付け甲斐がある奴だ、ともう二度と抱きそうにもない感想を抱く。
「さて、じゃあ帰るか。」
「そうじゃの。血を吸えぬのは残念じゃがのー」
「だからそれは……」
「いやわかっておる。大丈夫じゃ。だって――
―――明日も吸わせてくれるのじゃろ?