第13話 衝突
文字数 1,808文字
学校に戻り、正門をくぐるとすでに放課後だった。その足で林原のクラスにむかったけど、奴は教室を出た後だった。
学内を探しても見つからず、電話で呼び出そうと考えた頃には少しずつ頭が冷えてきた。林原を殴って何になるのか。そんなことをしても安西さんに迷惑をかけるだけじゃないか。
何もする気が起きないまま、いつもの習慣で美術室に行くと手嶋さんがいた。彼女はキャンバスにむかって絵を描き続けていた。案の定、こちらには見向きもしてくれない。集中しているのか、それとも無視されているのか。どちらにしても邪魔はしたくないので、離れた場所にイーゼルを構えて無の境地でデッサンを始めた。
お互い会話がないまま一時間ほど経過した頃、「おつかれ!」と言って林原が入ってきた。彼の手に握られた画用紙には、僕の下書きを無視した汚い文字がマジックペンで殴り書きされていた。それも消しゴムをかけた下書きの跡が残ったままで、汚らしいことこの上なかった。
「おい、なんだよそれ?」
「なにって?」
「それじゃ下書きした意味がないじゃないか」
さっき殴らないと決めたばかりなのに、沸々と怒りが沸いた。
「ああ、これ? なんか途中からペンでなぞんの面倒になっちゃってさ」
「だったら最初からやらせんなよな!」
イラッとして怒鳴ると、手嶋さんがこちらを見て迷惑そうな顔をした。大声を出した自分だけが悪者にされた気分だった。
「そんなに怒ることかよ?」
「知るか!」
これ以上続けると自分から手が出そうだったので、話すのをやめてキャンバスを睨んだ。
「怖っ」
林原は悪びれる様子もなく、手嶋さんの横に椅子を移動して座った。それから彼女の絵を覗き込んで、「お、上手くなったじゃん!」と声をあげた。
「ホントに? ありがとうございます」
おまえに絵の何がわかるのかと反射的に思ったけど、褒められた手嶋さんは悪い気がしていないみたいだった。
「ところで週末、どこか遊びにいかない?」
今がチャンスと思ったのか、林原は僕が目の前にいるにも関わらず、部活中の彼女を口説き始めた。
「でも安西さんはどうするんですか?」
「どうするって?」
「付き合っているんですよね」
「へいきへいき。だってそれ過去形だから」
林原がまるで他人事のように言った。泣いていた安西さんの姿が脳裏をかすめて、僕の怒りが我慢の限界に達した。
「林原、てめぇいい加減にしろよ!」
安西さんや手嶋さんに迷惑がかかるかもしれない。それでも林原に掴みかかっていた。
「な、なんだ?」
林原は一瞬怯んだものの、すぐに掴み返してきた。腕力は彼の方に分があり、僕はあっと言う間に壁際へと押しやられた。その衝撃で壁の絵が床に落ちて、額縁ごと音を立ててバラバラに壊れた。
「ちょっと、トン先輩には関係ないでしょ!」
味方だと思っていた手嶋さんに責められ、胸が痛くなった。けれど彼女の言う通りだった。
「何考えてんだ。バカじゃねぇの?」
林原は僕を突き放して吐き捨てた。
「それはこっちの台詞だ!」
「あ?」
ゴッ!
言い返されてキレたのか、林原が僕の顔面に拳を叩き込んだ。脳が揺れて足元がぐらついた。
「やめてよ!」
手嶋さんに制止されて林原が舌打ちした。
「先に手を出したのコイツだぜ?」
「あの……やっぱり息抜きはやめておきます。次の展示会も手を抜きたくないし」
手嶋さんは僕を一瞥してから林原に告げた。
「じゃあ文化祭の後は?」
「それは……考えておきます」
「んじゃヨロシク」
林原が憮然として教室から出て行くと、手嶋さんは無言でロッカーから塵取りとほうきを出し、額縁の破片を拾い始めた。
「手嶋さん、自分でやるよ」
慌てて声をかけると、彼女は清掃用具をこちらに突き出した。
「そんなの当たり前じゃないですか」
床を片付けている間、彼女は黙々とデッサンを続けていた。もう彼女が以前のように笑顔で話してくれることはないのかもしれない。でもそれは仕方のないことだった。
掃除が終わったので立ち去ろうとした時、背中で「先輩」と声がした。振り返ると手嶋さんが立ち上がっていた。
「口が切れてますよ」
手嶋さんに絆創膏を差し出され、僕は目頭が熱くなった。
「さっきは邪魔してごめん」
溢れそうな気持ちをこらえて謝ると、彼女は絆創膏の袋を開けながら微笑んだ。
「でも邪魔してもらって……少しうれしかったです」
それは体育祭でお弁当をわけてくれた時と同じ、とても優しい笑顔だった。
学内を探しても見つからず、電話で呼び出そうと考えた頃には少しずつ頭が冷えてきた。林原を殴って何になるのか。そんなことをしても安西さんに迷惑をかけるだけじゃないか。
何もする気が起きないまま、いつもの習慣で美術室に行くと手嶋さんがいた。彼女はキャンバスにむかって絵を描き続けていた。案の定、こちらには見向きもしてくれない。集中しているのか、それとも無視されているのか。どちらにしても邪魔はしたくないので、離れた場所にイーゼルを構えて無の境地でデッサンを始めた。
お互い会話がないまま一時間ほど経過した頃、「おつかれ!」と言って林原が入ってきた。彼の手に握られた画用紙には、僕の下書きを無視した汚い文字がマジックペンで殴り書きされていた。それも消しゴムをかけた下書きの跡が残ったままで、汚らしいことこの上なかった。
「おい、なんだよそれ?」
「なにって?」
「それじゃ下書きした意味がないじゃないか」
さっき殴らないと決めたばかりなのに、沸々と怒りが沸いた。
「ああ、これ? なんか途中からペンでなぞんの面倒になっちゃってさ」
「だったら最初からやらせんなよな!」
イラッとして怒鳴ると、手嶋さんがこちらを見て迷惑そうな顔をした。大声を出した自分だけが悪者にされた気分だった。
「そんなに怒ることかよ?」
「知るか!」
これ以上続けると自分から手が出そうだったので、話すのをやめてキャンバスを睨んだ。
「怖っ」
林原は悪びれる様子もなく、手嶋さんの横に椅子を移動して座った。それから彼女の絵を覗き込んで、「お、上手くなったじゃん!」と声をあげた。
「ホントに? ありがとうございます」
おまえに絵の何がわかるのかと反射的に思ったけど、褒められた手嶋さんは悪い気がしていないみたいだった。
「ところで週末、どこか遊びにいかない?」
今がチャンスと思ったのか、林原は僕が目の前にいるにも関わらず、部活中の彼女を口説き始めた。
「でも安西さんはどうするんですか?」
「どうするって?」
「付き合っているんですよね」
「へいきへいき。だってそれ過去形だから」
林原がまるで他人事のように言った。泣いていた安西さんの姿が脳裏をかすめて、僕の怒りが我慢の限界に達した。
「林原、てめぇいい加減にしろよ!」
安西さんや手嶋さんに迷惑がかかるかもしれない。それでも林原に掴みかかっていた。
「な、なんだ?」
林原は一瞬怯んだものの、すぐに掴み返してきた。腕力は彼の方に分があり、僕はあっと言う間に壁際へと押しやられた。その衝撃で壁の絵が床に落ちて、額縁ごと音を立ててバラバラに壊れた。
「ちょっと、トン先輩には関係ないでしょ!」
味方だと思っていた手嶋さんに責められ、胸が痛くなった。けれど彼女の言う通りだった。
「何考えてんだ。バカじゃねぇの?」
林原は僕を突き放して吐き捨てた。
「それはこっちの台詞だ!」
「あ?」
ゴッ!
言い返されてキレたのか、林原が僕の顔面に拳を叩き込んだ。脳が揺れて足元がぐらついた。
「やめてよ!」
手嶋さんに制止されて林原が舌打ちした。
「先に手を出したのコイツだぜ?」
「あの……やっぱり息抜きはやめておきます。次の展示会も手を抜きたくないし」
手嶋さんは僕を一瞥してから林原に告げた。
「じゃあ文化祭の後は?」
「それは……考えておきます」
「んじゃヨロシク」
林原が憮然として教室から出て行くと、手嶋さんは無言でロッカーから塵取りとほうきを出し、額縁の破片を拾い始めた。
「手嶋さん、自分でやるよ」
慌てて声をかけると、彼女は清掃用具をこちらに突き出した。
「そんなの当たり前じゃないですか」
床を片付けている間、彼女は黙々とデッサンを続けていた。もう彼女が以前のように笑顔で話してくれることはないのかもしれない。でもそれは仕方のないことだった。
掃除が終わったので立ち去ろうとした時、背中で「先輩」と声がした。振り返ると手嶋さんが立ち上がっていた。
「口が切れてますよ」
手嶋さんに絆創膏を差し出され、僕は目頭が熱くなった。
「さっきは邪魔してごめん」
溢れそうな気持ちをこらえて謝ると、彼女は絆創膏の袋を開けながら微笑んだ。
「でも邪魔してもらって……少しうれしかったです」
それは体育祭でお弁当をわけてくれた時と同じ、とても優しい笑顔だった。