第1話 救世主

文字数 1,628文字

 高校三年目の春。過疎化した放課後の美術室に、二人の華麗なる救世主が降臨した。

「一年一組の手嶋久美です。中学時代はずっと帰宅部でした。絵は初心者なので、いろいろ教えて頂けると嬉しいです」

 手嶋さんは大きな瞳とキリッとした眉が印象的な女の子で、茜色の長い髪を橙色の可愛らしいリボンで束ねていた。

「では次の方、どうぞ」

 茶色の髪をポニーテールにしている手嶋さんに促され、彼女の隣でかしこまっていた女の子が小さくお辞儀をした。

「一年三組の安西奈子です、よろしくお願いします」

 控えめな雰囲気の安西さんは、僕ら古参部員とは目を合わせないまま、名前だけ告げると手短に自己紹介を終えて後ろに下がった。

「ちなみに安西は直子先輩の妹さんです」

 言葉少なだった安西さんに代わり、部長の寺山進が補足するように言った。「安西」は馴染みのある苗字だと思っていたので、なるほど、と僕は納得した。

 たしかに安西さんは、今年卒業した直子先輩に顔つきがよく似ていた。彼女も美術部だったけど、僕は先輩が描いた絵を一度も見たことがない。

 安西直子。とにかく男子から人気のある先輩だった。去年の文化祭のミスコンでは、堂々の一位に選ばれていたっけ。

 モテない男子代表の僕にとって、直子先輩はまさに高嶺に咲く花だった。そういう意味では目の前にいる妹さんも例外ではなく、安西家の遺伝子を十分に継承しているようだった。

 ちなみにどうして僕が、この新入生たちを救世主と呼んだのか。それには今後の美術部存続に関わる切実な理由がある。

 今の美術部には部員が三人しかいなくて、全員が三年生だった。さらにそのうちの一人は幽霊部員。だから今年も入部者がいなければ僕らの卒業と同時に美術部には在籍者がいなくなり、やがては廃部になる運命だった。でも今年、彼女たちが入部してくれたことで、何とかこの危機を乗り越えることができたのである。

「ところで直子先輩は元気?」

 僕の横にいた林原圭吾がヘラヘラしながら安西さんに質問した。いつもはウンコみたいな幽霊部員なのに、女子が二人も入部すると聞きつけて、今日だけはやって来たのだろう。

「はい、元気ですけど……」

 安西さんが誰にも目を合わせないまま小さい声で答えると、林原は続けてこう聞いた。

「じゃあ旦那さんは?」

 去年の暮れ、下校中に立ち寄ったショッピングモールの中で、林原と直子先輩が一緒にいるのを見かけたことがある。二人は通路にあるベンチに座り、ポータブルオーディオのイヤホンを片方ずつ使って、一緒に何かを聴いていた。

 僕が直子先輩と付き合えるなんてこれっぽっちも思っていなかったけど、恋人があの林原だと思うと無性に腹が立った。さらに自分が直子先輩と同じ部にいるというだけで、つまらない男に娘を盗られた父親かのような、何とも奇妙な虚しい気分になっていた。

 ところが最近になって、直子先輩から美術部の顧問に一枚の葉書が送られてきた。葉書には、彼女が結婚したという報告が綴られていた。じつは学生時代から付き合っていた大学生の恋人がいて、卒業と同時に籍を入れたらしい。

「直子先輩が結婚?」

 驚きを隠せない僕と寺山に対して、林原は笑顔で知らせを聞いていた。だけど心中は穏やかじゃなかっただろう。なんたって二股をかけられていたのだ。そう考えれば彼が安西さんにあんなことを聞いたのも、あえての強がりだったのかもしれない。

「えっと……旦那さんも元気だと思います」

 林原の質問に対して、安西さんがさらに小さな声で答えた。

「だよね、まだ新婚さんだし」

 林原はニコニコしているけど、その目は全然笑っていないように見えた。

「あの、みなさんのメアド教えてください!」

 不穏な空気を察したのか、手嶋さんが二人の話を遮るように口を開いた。

「オッケー」

 林原が真っ先にポケットから携帯電話を出す。どうせ彼は女子の連絡先だけ確保したら、また部活には出てこなくなるだろう。林原は一年の時からそういう奴だった。
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登場人物紹介

河野琢(こうのたく)

高校三年生・美術部

本編の主人公

安西奈子(あんざいなこ)

高校一年生・美術部

新入部員

手嶋久美(てじまくみ)

高校一年生・美術部

新入部員

林原圭吾(はやしばらけいご)

高校三年生・美術部

幽霊部員

寺山進(てらやますすむ)

高校三年生・美術部部員

美術部部長

安西直子(あんざいなおこ)

美術部OB

安西奈子の姉

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