第4話 掴んだ腕は俺よりもずっと細くて、柔らかい。

文字数 3,592文字

「ねぇ、本当にして欲しいことないの?」

「結衣、お前それ今日だけで24回は聞いてるぞ。何もないって、本当に……」

「う~ん。本当に?なんか遠慮してない?」

 結衣は不満そうにほっぺをぷくっとさせる。しかし、24回同じ質問をされ、その24回とも同じような返事をしている俺の身にもなってほしい。

 昼飯を食べ終わってからというもの、結衣はずっとこんな質問をしている。俺は昼寝をしたいのに、おちおち寝ていられない。

「もう、だって朝ご飯の味噌汁のことだってゆーま君は手伝ってくれたし……。その後の昼ご飯の時だってゆーま君が作ってくれたじゃん!」

「私、恩返しのためにここに来てるのに、何もできてない……。迷惑しかかけてない……」

「ばーか。お前、昼飯俺と一緒に作ったじゃん。それで、早く作り終わって食べれたじゃん。それに片付けも。何もできてないなんて言うなよ」

「でも……」

 あっ……。これは25回目が来るパターンじゃん。はぁ……なんかあったっけ、こいつ1人でも出来ること。

 正直、遠慮しているというのは事実ではある。だって、こいつはせっかちで慌てん坊。鍋に身体をぶつけてひっくり返すようなやつだ。

 それに、味噌汁の具材として梅干しやたくあんを選んでくるようなやつである。結衣1人に家事を任せたとして、今度はどんな惨事が起きるか想像できない。1人だととても危なっかしいのだ。

 うーん……。こいつ1人でもできて、なおかつ惨事につながらそうなこと……。

 ……。

 あっ!そうだ、これなら結衣でも……!

「おい、結衣。お前に頼みたいことがあ」

「えっ!なになに!早く、早く教えてよ!」

 結衣は目を光らせて、食い気味に言った。その姿はまるで、必死にえさを求めて尻尾を振る子犬そのものである。てか、俺まだ最後までしゃべってないぞ。

「ねぇ!早く教えてよ!私に出来ること!!」

「まあまあ、そんな急ぐなって。見つけたんだよ、結衣でも出来ること」

「ん?私"でも"……?ゆーま君、それは一体?」 

 ……しまった。つい口が滑った。結衣の表情が少し曇る。なんて弁解しよう。

「あっ……。いや、その……言い間違えたんだ。"でも"じゃなくて"しか"だよな。ごめん」

 我ながらなんて言い訳だ。言い間違えたぁ?いくら結衣でもこんなの通用するわけ……。

 恐る恐る結衣の顔を覗いてみる。するとそこには……いつもの自信の溢れた結衣の顔があった。

「な〜んだ。そういうことだったの!誰にも言い間違いはあるから大丈夫だよ。で、私にしか出来ないことって?」

 なんて素直なやつなんだ。逆に申し訳なくなってくる……。

「……そういえば、今日はまだ郵便受けを確認しにいってないことを思い出してな。ほら、なんか重要なものが入ってたら後々大変なことになるだろ?」

「だから、結衣。俺の代わりにポストを見てきてくれないか?」

「うん、分かった!確認してくる!」

「あっ。ポストの場所は1階の入口の近く、部屋番号は605だからな。間違えるなよ?」

「分かってるって!行ってきま……」

「まぁ、ちょっと待て。あと1つ言いたいことがある」

「もう!何!」

 少しでも早く行きたいのか結衣は強い口調で聞いていた。手は握られていて腰にあり、その場で足踏みをしている。

「結衣、お前はもしかしたら俺の助けなしに1人で何でもやることが恩返しだって思ってるのかもしれない」

「……」 

「でも、俺の手伝いだけでも十分助かってるし、とても嬉しい。何でも1人でやることだけが恩返しじゃないってことを覚えてて欲しい」

「……うん、分かった。行ってきます」

 結衣は顔をこちらに向けないまま、部屋を出ていった。そのちょっと後には、ガチャっと玄関の鍵を開ける音がした。部屋を出る前にチラッと見えた横顔からは、ちょっと赤面していたように思う。

 相変わらず、部屋と玄関のドアは開けたまま閉めていかないが、それでもいつもの元気は失われていた。注意してないのに、ドタドタと走る音が聞こえない。うーん?俺、なんか変なこと言ったか?

 そんなことを思っていると、外から鍵を開ける音がした。……まあ、正確には今、玄関の鍵は開いてるので閉めたことになるのだが。

「えっ!開かないんだけどどういうこと!」

 外から俺の部屋まで聞こえるくらいの大きな声で言っている人がいる。……この声、母さんか?俺はベットを降り、玄関の方へ行ってみることにした。

 玄関の方へ行くと、ちょうどドアが開かれた。

「おかえり、母さん」

「ただいま勇真って、あんた!鍵開けたままにしてたでしょ!泥棒にでも入られたらどうすんの?」

 ……怒られた。相変わらず声でかいな。しかし、数日ぶりに聞いた声に安心感を覚える。

 肩には大きなボストンバッグが掛けられている。しかし、ずっと掛けていて疲れたのか重いのかバッグを床に投げ下ろしてしまった。床には鈍い音が走る。……やめろよ、ここ6階だぞ?

「あの、あんまり床に投げないほうが……。それより父さんは?」

「お父さん?もうすぐ来るはずだけど……」

「それより……」

「それよりって何だよ」

「勇真、あんた明るくなった?」

 母さんが不思議そうな顔で尋ねてくる。いつもこんなテンションだっただろ。

「は?そうか?いつもこんなもんだろ」

「明らかに明るくなったって!私らが旅行に行く前、あんたとても暗い顔してたもん。この数日で何かあった?」

 何かあったかと言われれば、数日どころか今日だけで色んなことがあった。結衣っていう幽霊に会ったし、そいつが朝、鍋をひっくり返した。それに、自分の記憶のおかしさも自覚した。

 ……そういえば、母さん俺に暗い顔してたって言ってたな。記憶がおかしいことに関係してんのか?気になるな。聞いてみるか?

 いや、今はまだいいや。忘れてるってことはそれほどつらい思い出だって結衣も言ってたし。

「ん、どうかした?何か聞きたそうな顔して」

「ううん、何でもない」

 俺って顔に出やすいのか……?後で結衣にも聞いてみるか……。そう思っているとまたドアが開いた。自分より大きくて、サングラスをかけた人が立っている。

「たっだいま〜!おっ、勇真じゃないか。久しぶり、元気にしてたか?」

「父さん、ただいま」

「ん、勇真。お前、元気そうじゃないか。良かった、良かった」

「ねっ、本当に!この数日で何があったのかしら?」

「まっ、いいじゃないか。いつもの勇真が戻ってきたんだ。理由なんてなんでもいいだろ?」

「それもそうね!」

 2人はそう言いながらリビングの方へ行ってしまった。父さんは、床にあったバッグを肩に背負って重そうにしていた。……父さんでもあのバッグ重いのか。どんだけ重いんだ?

 2人がリビングへ行ってちょっとした後、結衣が戻ってきた。顔は赤くなり、ぜぇぜぇと息を切らしている。別に急がなくていいのに……。

「はぁ、ゆーま君、ぜぇ、チラシとか、はぁ、いっぱいあったよ……ぜぇ」

 結衣の手にはチラシやらどっかからの宅配物でいっぱいになっていた。あれ?俺こんなに見てなかったっけ?……てか、母さんも父さんも郵便受けちゃんと見てないな?

「お疲れ様、……ちょっと俺の部屋に行こうか」

「えっ、いきなり何?」

「いいから」

 今、親たちはリビングにいるが、いつ玄関の様子を見に来てもおかしくない。今、他人からはチラシやら郵便物が宙に浮いている状態で見えている。そんなところを見られたら、どう説明していいか分からない。

 俺はすかさず結衣の腕を引っ張って部屋へ連れていった。掴んだ腕は俺よりもずっと細くて、柔らかい。掴んだ時、心臓がどくっとするような感覚がした。

「もう!本当に、いきなりなにするの……」

 結衣は顔を赤くして言う。でも、息切れは終わってるし、帰ってからちょっと時間も経っている。だとしたら、この赤さは一体……?

「あっ……いや、ごめん。いきなりは嫌だったよな……」

「ううん。別に大丈夫だよ……あっ、ほらこれ」

 そう言って、結衣は手にあるチラシや宅配物を俺に渡してきた。

「悪いな、こんなにいっぱい。大変じゃなかったか?」

「うん、ちょっと大変だったかも。ねぇ、ちょっと1番上のチラシ見て……」

「ん?なんだ?」

 結衣に言われた通り、1番上のチラシを見る。

 う~んと、なになに……。”西宮花火大会 場所:西宮海水浴場 日時:8月5日(月)19:00
~20:00”っと。もう、花火大会の季節か。今年も早いな。

「おお、花火大会。明日やんのか」

「……(ボソボソ)」

「ん?なんて」

「一緒に行こう!花火大会!!」

「おっ、おう……」

 さっきまでははっきり見えなかった顔も、今は堂々と覗かせてくる。その顔は帰ってきたときよりも、どんなときよりも赤くなってきており、そんな顔を見た俺もだんだん身体が熱くなってきた。

 夏の暑さはまだ続く。明日の花火大会までにこの身体の火照りは収まるのだろうか。
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