第七話 エピローグ

文字数 5,258文字

 学園を卒業してから、学生たちは当然のことながらそれぞれの進路へと歩み始めることになる。例えば冒険科なら当然のことながら冒険者となり、まずは冒険者ギルド教会に登録をはじめる。魔法科は魔法研究に関連するところや魔法が絡んでいるならほぼなんでもいけるので選択肢がもっとも幅広いだろう。騎士科なら多くの生徒はそのまま騎士となる。まあ、騎士の中にも階級があったり見習い騎士からはじめたりするので騎士になってからも色々あるのだろうけど。
 ちなみになぜ俺が今、こんな進路だのなんだのという事を言っているのかというとだ。
「完全に出遅れたよなぁ……」
 俺は、王宮にある病室のベッドの上にいた。
 見てみてれば辺りは結構ボロボロで所々が補修されている。
 目覚めた俺は体のあちこちが痛かった。
 ぼーっとして頭が痛い。とりあえず生きていたことにほっとしている。
 アリス様が無事だということはなんとなくだけど分かっていた。
 だからだろうか。余裕が出てきて、つい卒業後の進路の事なんかが頭の中をよぎってしまったのだ。
 卒業後は冒険者になるつもりでこの学園に入ったけど、これは完全に同期において行かれたな。
 周囲の様子からして俺が魔王と相対した日から何日か経っているようだし、他の冒険科のみんなはもうギルド協会に冒険者登録をして冒険者になっていることだろう。……なんとか勇者に勝った……というか、相手にアリス様との婚約を取り下げることは出来た。でもあの後、魔王がアリス様の体を乗っ取って、なんとかなって。
 これでもう、本当に、全部やりきったって感じだよなぁ。
 それを思うと体から力が抜けてしまって……なんだかぽけーっとしてて。
 進路がまだ決まっていないという危機感も薄れてきてしまっている。
 いかんいかん。こんなことじゃだめだ。
 さっさとこの傷を回復させて、冒険者ギルドに行って冒険者登録をしてこないと。
 と、俺が一人で就職活動を頑張る事を決心していると病室に誰かが入ってきた。
 そのままスタスタと淀みのない歩調でこちらに向かってくる。
 誰かなと思って顔をその歩いてくる誰かの方に向けると……思わず息が止まった。
 ――――アリス様だった。
「あ、アリスさ、痛ッ……!」
「だ、大丈夫ですか!?
 アリス様が来たから上半身を起き上がらせようとしたらまだ傷が完全に直っていないせいか激痛がはしった。本当はアリス様の前で寝たきりにはなりたくなかったんだけど……ここで無理して傷口が開いたら優しいアリス様に迷惑がかかる。
 アリス様は俺のベッドの傍に置いてある椅子に静かに腰かけた。
「目が覚めたんですね。よかった……」
「あ、えっと……はい。おかげ様で」
「……本当に、心配しました」
「それは……えっと、ごめんなさい」
 アリス様の目があまりにも真剣だったから、つい謝ってしまった。
「アリス様はお体の方は大丈夫ですか? 一時的にとはいえ、魔王に体を乗っ取られていたわけですし……後遺症などは……」
「大丈夫です。それよりも、アキトくんの方が心配です」
 そういってアリス様は、何とか傷口に影響のない範囲で起き上がろうとした俺をやや強引に寝かせた。
 なんだか今日のアリス様はちょっと……いつもより強引というかなんというか。
 ていうか……、
「あの、アリス様」
「なんですか?」
「…………怒ってます?」
 俺の気のせいではなければ、今日のアリス様は何というか……そう。怒っている。
 病室に入ってきた時はそうでもなかったんだけど、でも今はどうしてか怒っているように俺は見える。この短時間の間に何かやらかしてしまったのだろうか。何をしてしまったのだろう。俺は身に覚えがない。でもアリス様は怒っているわけだし、きっと俺が無意識のうちに何か失礼なことをしてしまったのだろう。
「……別に。怒ってません」
 とうとう隠す気もなくなったのか、むすっとした表情でそんなことをいうアリス様。
 むすっとした表情もかわいいなぁ……なんて思っているのは俺の気が緩んでいるからだろうか。とにかく絶対に怒ってるよねこれ。
「あ、あの、ごめんなさい。俺、アリス様に無礼なこと……今までも、ずっと無礼だったですけど……」
「そうじゃないです。そんなんじゃ、ないです」
 彼女は相変わらずむすっとしたままの表情で俺の言葉を遮った。
 違うとなればなんだろう。俺にはどうしても、アリス様の怒る理由が思い当たらない。一生懸命頭を捻って考えているのだけれども、どうしても答えに思い至らない。
 俺が頭を捻って考えていると、アリス様はため息をついてぼそっと何かを口にした。
 かわいらしくほっぺたを膨らませて。
「…………様付け」
「?」
「アリス『様』って、まだ呼んでます。あの時は、『アリス』って呼んでくれたのに」
「え、あ……」
 そ、そういえば魔王がアリス様の中にいた時にそんなことを言った気が……。
 しまった。今思うとあれこそ無礼の極みじゃないか。
「あの時は、その、ああやって呼んだ方が……アリス様に、届くかなって思って」
「届いてましたよ。全部」
「あああああああああああ……。ほ、本当に申し訳ありませんでした! 王族に呼び捨てなど本当に無礼なことを……」
「謝らないでください。私は……その、とっても嬉しかったですから」
「へ?」
 アリス様はぷいっと俺の方から視線をそらしてしまう。
 顔が赤いのは気のせいだろうか。
「だから、また呼んでほしいんです。私の名前。今度は、『様』なんてつけないで」
「えっ…………」 
 様なんてつけないでって……。
 ていうか、嬉しかった? どうして。
「呼んで、くれますか……?」
 じっと上目遣いでそんなことを言ってくる彼女に、俺の心臓はもう張り裂けそうになっていた。
 ていうかあまりにも心臓がバクバクと動きすぎて傷口開きそう。
 俺は顔が真っ赤になっているのを感じていた。でも彼女の願いに応えたくて、俺は決心を決めてゆっくりとその言葉を絞り出した。
「アリスさ……。じゃなかった」
「あ、いま『様』ってつけそうになった。もう一度です」
「……あ、アリス」
「ちょっとつまってたのでもう一度」
「アリス」
「ん。よくできました」
 俺が何とか言葉を絞り出すことに成功すると、アリスはにこっと笑顔を見せてくれた。その笑顔だけで、もう傷なんかすぐに治りそうに思えてくる。
「これからずっとそうやって呼んでくださいね?」
「え、いや、そんなわけには……」
「約束です」
「えっと……」
「や・く・そ・く・で・す」
「はい……」
 強引に押し切られてしまった。なんだか今日のアリス様……じゃなかった。アリスは色々と強気というか強引というか。
「でも、いいんですかアリス」
「あ、敬語もなしでお願いします」
「それはさすがに……」
「だめです。これも約束です」
 もう押し切られることは分かりきっていたので俺は渋々その提案を受け入れた。
「でも、いいのか? アリス」
「何がですか?」
「その……こんなところにいて」
「どうして?」
 俺がおそるおそる聞くと、アリスはきょとんとしたように首を傾げた。
「だって、せっかく勇者様との婚約も破棄されたのに。こんなところにいないで、好きな人のところに行けばいいのに。もう、アリスは自由なんだから」
 俺はその為に、ずっと頑張ってきたのだから。
 だから……だから、俺なんかのために、アリスの好きな人との時間を削ってしまうのは申し訳ない。
「ふふっ。それなら大丈夫ですよ」
 不思議なことに、アリスはクスクスと笑っている。
「だってもう、好きな人のところにいますから」
 アリスは小悪魔のような笑みを浮かべて、そんな事を言う。
 その笑みにちょっとドキッとしてしまいながらも、俺は別の意味で緊張してきた。
「えっ? こ、ここにいるのか? でもこの病室には俺とアリス以外にいないし……ということは、王宮に勤めている人? ってやっぱり騎士?」
 アリスの好きな人。どんな人なんだろう。
 こんなにもかわいい女の子を独り占めできる男。
 仮に俺がアリスを好きでなくても(そんなことは絶対にありえないけど)、こんなにもかわいい女の子を独り占めできるような男は一発ぐらい殴ってやりたい。
 俺がきょろきょろとしていると、アリスが呆れたようなため息をついた。
「もうっ。鈍すぎです」
「え?」
「私の好きな人は、ここにいます。この、病室に」
「この病室? でもここには……」
「はい。私と、アキトくんだけです」
 …………。
「そして私の好きな人は、いま私の目の前にいます」
 ……………………。
「私の好きな人は鈍くて、頑張り屋さんで……そして、とっても優しい人です」
 ………………………………。
「私の好きな人は私の為に命がけで私を助けてくれた人です。私が子供の頃からずっとずっと好きだった人です」
 …………………………………………。
「私の好きな人は、今ベッドの上にいて、大怪我をしているのに無理に起きようとして、私の気持ちを全然察してくれないとてもとても鈍い男の子です」
 ……………………………………………………え?
「ここまで言っても、伝わりませんか?」
 アリスが……顔を真っ赤にしたアリスが。
 俺の目の前にいて。
 俺の事をじっと見ていて。
 俺の、ことを……。
「私、実は子供の頃から憧れていたことがあるんです」
「…………は、はい」
「告白やプロポーズは、好きな男の子の方からしてほしいって」
 さあっ、と窓の隙間から入ってくる風が俺とアリスの頬を撫でた。
 俺にはどうにも風が俺の言葉を急かしているようにも感じた。
 アリスは頬を赤く染めながらも、優しい笑みを浮かべている。
 俺が好きな笑顔を。
 俺にはもう向けられないと思っていた笑顔を。
 俺に、向けてくれている。
「……………………アリス」  
「はい」
「俺は、あなたが好きです」
「はい」
「だから……だから、俺と――――――――」
 瞬きもせずに、ただ彼女の宝石のような瞳を見つめながら。
 俺は、自分の想いをそのまま言葉に換えた。

「――――――――――――俺と、結婚してください」

 ……ちょっと待て。
 いま、俺、なんて言った?
「嫌です」
「ですよね!」
 知ってた!
 俺ってどうしてアリスがからかっていることに気が付かないで調子に乗ってこんなこと言っちゃったんだよぉおおお!
 恥ずかしい! 死にたい! ていうか死なせて!
「結婚はまだしません。でも、恋人にならなります」
「……………………え?」
 なんですと?
 ていうか、え?
「ふふっ。ごめんなさい。でも私、まずお嫁さんの前にアキトくんの恋人になってみたいです。ずっと憧れてたので……恋人っていう関係」
 ……これは夢じゃなかろうか。
 アリス様が、俺と、恋人に?
「それにしてもアキトくんって本当に面白いですね。まさか告白とプロポーズを同時にされるとは思っていませんでした」
「あ、や、えっと、あ、アリスには先に告白されたもんだから……プロポーズはこっちからって思って……っていうか、え、冗談、だよな?」
「アキトくんは冗談で告白とプロポーズを同時にしたんですか?」
「冗談じゃないよ!? 俺は真剣だった。すごく。でも、アリスが俺の……こ、こ、恋人になってくれるって言ってきたのが、夢みたいで……」
「私もです。アキトくんの恋人になれるなんて、夢みたい」
「……夢じゃないよね?」
「夢かどうか、試してみます?」
 答える暇もなかった。
 アリスは一気に近づいてきて、俺たちの目は互いを見つめ合う形となった。
 宝石のように綺麗な彼女の瞳はすぐ目の前に近づいてきて。
 そのまま俺たち二人の唇と唇が触れ合った。
 ほんの僅かな時間。一瞬ともいえる程度の時間。
 だけどそのぬくもりは未だに唇に残っていて。
 そのあまりのリアルさに俺はこれが現実の事なんだとつくづく思い知らされた。
「これも、本当はアキトくんの方からしてほしかったんですよ?」
「ご、ごめん……次からは、頑張るよ」
「無茶はしちゃダメです。当分は体を休めてください。体もあんまり動かしちゃだめって先生が言っていましたよ?」
「う……でもそれだと……その、俺の方から出来ないし……」
「それはアキトくんが動けるようになるまでのお預けです。でも……動けるようになるまで。動けない間は、覚悟しててくださいね?」
 アリスは自分の唇を自分の指でそっと撫でた。
 その動作がどこか色っぽくて、思わず見惚れてしまう。
 なんだか、体が動けるようになってからもなんだかんだで当分の間は主導権を握られたままになりそうだ……と俺は思った。 



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