第六話 五年後

文字数 15,036文字

 五年後の王立メーティス魔法学園。
 その日は、六回生の卒業式が行われた日だった。
 これから卒業する生徒たちは学園を離れ、それぞれの進路に向かって進んでいく。
 俺はこの五年間、一心不乱に強くなることに専念した。強くなることだけじゃなくて、勉強もたくさん頑張った。仮に俺が勇者様を倒せるぐらいに強くなれたとしても、勉強をおろそかにした上での結果じゃ胸を張れないような気がしたからだ。
 おかげで座学においては勇者様を押しのけての首席での卒業となった。が、実技に至ってはいつまで経っても勇者様の成績を追い抜くことが出来なかった。
 そして今日、卒業式を終えた学園の決闘場は異例の盛り上がりを見せていた。
 その理由はもちろん、俺が勇者様に決闘を申し込んだからだ。
 メーティス魔法学園は、『座学』と『実技』の二つの分野で首席と次席が決まる。そして首席、次席に決まった生徒は好きな相手に決闘を申し込むことが出来る。
 これは卒業生の集大成を後輩たちに見せて次の世代にバトンをつなぐ意味合いを持っている。
 そして俺はその相手に勇者様を指名した。座学の首席は俺で次席は勇者様。実技の首席は勇者様で次席は俺である。だから、俺たち二人の決闘ということはそれ以外の人にもう決闘を挑まれる心配はない。
 だから、この一戦に全力を使うことが出来る。
 俺は、この決闘を挑んだ時に勇者様に条件を設けた。
 誰もいない放課後の、学園の校舎の屋上で。
 その条件とは、俺が勝利したらアリス様との婚約を取り消すこと。
 勇者様が勝っても負けてもなんのメリットもないただの決闘だが、勇者様は了承してくれた。
 準備は整った。
 あとは、戦うだけだった。

「お前、ほんっとうにこの五年間頑張ったよなぁ」
 決闘場の控室。そこで俺は、この五年間世話になりっぱなしだったグリカゲの二人と一緒にいた。
 この二人がいてくれなかったら、俺はここまで来ることは出来なかっただろう。
「予想内」
「ん。まあ、カゲの言う通りだな。お前は好きな女の為なら頑張れるやつだ」
「……なんだよ。気持ち悪いな」
「うるせぇな。普通に褒めてやってるんだ。素直に受け取っとけ」
 ドングリはぷいっとそっぽを向いてそんなことを言う。これがこいつなりの照れ隠しだということはこの五年間でもう分かりきっている。
「そういえばカゲ。彼女との仲はどうなってるんだよ」
「…………関係ない」
 一年前、なんとカゲにフィオナという同級生の彼女ができたのだ。フィオナはカゲの世話を焼いているうちにカゲの事が好きになって、カゲはフィオナに世話を焼かれているうちにだんだんと彼女のことを意識するようになって……という次第だ。死ねばいいのに。
「あ、俺この前の休日にデートしているのを見かけたぜ」
「マジかよドングリ」
「ああ。恋人繋ぎをしているもんだから爆ぜろと心の中で念じておいた」
「さすがだな。抜け目がないぜ」
 マジでもう結婚でもしてろよお前ら。
「くっ……人が失恋引きずって何年目だと思ってるんだこの野郎」
『…………ダメだこいつ』
 なぜかグリカゲの二人から女心に鈍いダメ男を見るような目で見られた。

 ☆

 準備が整い、俺は闘技場へと向かう。その途中の廊下で、ひとりの少女を見た。
 ――――アリス様だ。
 この五年間で彼女はますます綺麗でかわいくなった。
 アリス様への想いは諦めた俺は、日に日に綺麗になっていく彼女を見てドキドキしていた。
 恋をすると女の子は綺麗になるってよく聞くけど、どうやら本当のようだ。
 まあ、アリス様の恋をしている相手は俺じゃないんだけど。
 その事実にちくりと胸が痛くなる。
「アリス様、どうなされたのですか」
「この決闘……これが、アキトくんの言っていたことですか? なんとかする、って」
 ああ、ちゃんと覚えていてくれたんだ。
 あの日から、俺がアリス様の恋が叶うようになんとかするという約束のことは何も話さなかった。
 五年が経ったわけだからちょっと不安だったけど、どうやら覚えていてくれたようだ。
 ちくしょう。たったそれだけなのに、とても嬉しくなる。
「……はい」
「そう、ですか……」
 アリス様の表情は嬉しいような悲しいような、そのどちらかのような。
 そんな、曖昧なものだった。
「アキトくんは、どうしてそこまでしてわたしの為に頑張ってくれるのですか?」
 そんな疑問に、俺は質問で返す。
「その前に一つ確認しておきたいんですけど……アリス様は今でもその人が好きですか?」
 あの日アリス様は言った。
 アリス様は勇者様以外に好きな人がいると。
 だから俺は、彼女が一人の女の子としての恋が出来るように頑張ると誓った。
「……はい。大好きです。とっても」
「そうですか。だったら、それだけで理由としては十分です。アリス様が一人の女の子として、その人に想いを伝えられるようにします。……期限はギリギリになってしまいましたけど。でも、絶対に勝ちますから」

 それだけ言い残すと俺は。
 勇者様の待つ闘技場へと歩み始めた。

 ☆

 卒業生同士の決闘は伝統行事だけあって、闘技場自体はかなりの盛り上がりを見せていた。
 その闘技場の真ん中で俺と勇者様は相対する。
「勇者……いや、アルフォンス。約束の件は、ちゃんと守ってくれるのか?」
「勿論だ。勇者として……一人の男として、約束は必ず守る。周りの人間が何と言おうとも、私が黙らせる」
「そうか。なら、それだけ確認できれば十分だ」
 俺は全身の魔力を高めていく。
 アルフォンスの目は本物だった。
 俺が勝てば、彼はきっとアリス様との婚約を取り消してくれるだろう。
 その時、俺はちょっとアルフォンスの表情に眉を潜める。
 彼は笑っていたのだ。
 なんでだ。もしかして、なめられているのか?
「……悪い。バカにしているわけじゃ、ないんだ。ただ、嬉しくて」
「嬉しい……?」
「私は今まで、アキトとは壁のようなものを感じていた。だから、こうやってアキトが本心を剥き出しにして私と話してくれる。それがなんだか、嬉しかった」
「……そうか」
「でも」
 と、アルフォンスは表情を一変させる。
 その目はまさに『勇者』としての眼光。
 修羅場を潜り抜けてきた者の眼だった。
「相手がアキトだからこそ、負けるわけにはいかない。私は越えなければならない。アリスの心を掴むために。アキトだけは、越えなければならないんだ。必ず……!」
 轟!! と、膨大なまでの魔力の嵐が吹き荒れた。
 俺は思わず後ずさりそうになるが、ぐっとこらえる。
 ようやくここまで来たんだ。
「俺もだよ」
 この五年間、アリス様によりそうアルフォンスを見て、何度も心が痛んだ。
 見れば見るほどお似合いのカップル。校内でも似合いのカップルだと評判で、その噂は王都中に広がっていた。
 俺はそんな二人を見ていることしかできなくて。
 ずっと、ずっと、ずっと。
 そこにいるのに手が届かなくて。
 切なくて。
 それなのにどうしようもなくて。

 でも
 今日は。
 今は。
 違う。

「――――――――お前だけには、負けられねぇッッッ!」

 直後。

 多くの観客たちが見守る中。

 闘技場の中心で、激突があった。

 ☆

 俺はこの五年間、ただ鍛えたり学業に勤しんでいただけ、ではない。
 何しろ俺は世界を救った英雄、勇者を倒そうとしているのだ。
 生半可な覚悟では到底なしえない。
 俺はアリス様を解放するためなら……彼女に幸せになってもらうならなんだってする。
 勇者に勝つために、俺は兄さんや姉さんに頼んで魔導書の探索に同行させてもらった。
 時には兄さんや姉さんが有している魔導書を借りることもあった。
 情けないと思う。
 あれだけ格好つけておいて結局、ほかの人の力を借りるんだから。
 でも、俺みたいなあらゆる文字が読めること以外何の特技もない俺が勇者に勝とうとするならばこれぐらいしか手段がない。
 たとえ格好悪くても、卑怯でも、無様でも、他人任せでも……それでも、俺はアリス様が本当の幸せを得るためならなんだってやってやる。
 相手は勇者。
 言ってしまえば、魔王の支配していたこの世界を救った救世主で、物語の主人公みたいな存在。
 対する俺は勇者様の恋路を邪魔するモブキャラみたいなもの。
 勇者上等。モブキャラ上等。
 俺には俺の戦い方があるってことを、見せてやるぜ。
 試合が開始したと同時に、俺は魔導書を取り出していた。
 五年前に手に入れた『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』……ではない。
 俺がこの五年間、兄さんや姉さんと一緒に世界中をまわって手に入れてきた魔導書の一つ、『異空間の管理者』である。
 俺は『異空間の管理者』の魔導書は、魔導書という名前らしく本の形をしている。俺は起動ワードを唱え、すぐに魔導書を起動させる。
 それに対し勇者……アルも警戒を高める。聖剣を抜いてはいるが、やはり慢心はしないようだ。
「いくぜ、アル。ここからが俺の全力だ……『女神の聖槍(アルティナ)』!」
 俺が起動ワードを叫んだ瞬間、目の前の空間から突如として巨大な槍が出現した。槍はバチバチと魔力をまといながら、アルに向かって突き進む。
「これは……これも、『魔導書』か!」
 そう。この槍、『女神の聖槍(アルティナ)』も魔導書だ。
 仕掛けとしてはまず魔導書、『異空間の管理者』は別空間に封印された魔導書を自在に召喚することができる。
 更にこの力で召喚した魔導書は力を格段に強化された状態となる。言ってしまえば他の魔導書と併用することを前提とした魔導書。だが、その分この魔導書にはデメリットがある。
 魔導書を封印する際に膨大な魔力を一緒に持っていかれてしまうのだ。しかもそれは封印する魔導書によって消費量も違ってくる。
 それなりの数の魔導書をストックしたつもりだが、その分かなりの体力を使ってしまった。しかし、戦う何日か前にあらかじめ封印しておいて体力を回復させておけばこのデメリットは回避できる。
 あとは簡単。
 俺はアルを倒すまでひたすら――――強化された魔導書をぶつけ続けるのみ。
 本来、普通の人間にはこの戦い方は出来ない。 
 一つの魔導書が読めても別の魔導書が読めないからだ。
 魔導書に書かれてある文字はすべて同じとは限らない。
 だからこそ、複数種類の魔導書の文字を読めなければこの戦い方は成立しない。
 しかし。俺にはできる。
 俺の唯一の取り柄。
 それは、あらゆる文字が読めること。
 だからこそできる。
 俺はこの世界のすべての魔導書を読むことができる。
 その力を利用し、かき集めた魔導書を使って……押し切る!
「……!」
 それは一瞬の出来事だった。
 ガッギャァァアアアアンッ! と、放たれた『女神の聖槍(アルティナ)』は、アルの聖剣によって、強引に弾き飛ばされたのだ。
 聖剣からは金色の魔力が迸っており、傷一つ無い。
 魔導書はどれもこれもが強力な力を持っている。だがそれを、意にも介さず強引に弾き飛ばすとはさすがは勇者と言わざるを得ない。
 しかし、これは想定内だ。相手は勇者だ。世界を救った救世主だ。
 魔導書を力任せに弾き飛ばすなんてことぐらいは、平気でやってのけるはずだ。
 勝負はまだ始まったばかりだ。
「『巨人の拳(ギガント)』! 『死者を求める手(ベイルアッパー)』!」
 アルの空中から出現したのは巨人の拳。そして下から襲い掛かるのは闇属性魔法の結晶とも言える真っ黒な手の集合体だ。どちらも魔導書によって生み出された魔法。
 上と下からの同時攻撃。
 が、アルはそれに臆した様子も見せずに空中に舞いあがり、まずは黄金の剣で巨人の拳を粉砕。
 次に、下から襲い掛かってくる黒い手の集合体を薙ぎ払った。
 上下からの挟撃は失敗。だが、それも想定内。
 アルが薙ぎ払いの動作に入った瞬間に俺は次の魔導書を発動させていた。
「『風神の怒り(ヴァードラス)』!」
 出現するのは風の巨人。巨人の体は風の魔力で構築されており、高密度のエネルギー体だということが分かる。巨人はその両手でアルを包み込んだ。傍から見たら巨人がただ包み込んだだけに見えるだろう。
 だがあの中は風の刃が全身を包み込む暴風域。どこにも逃げ場はない。
「ッ!?
 ビシッ、と風の巨人に亀裂が入る。その亀裂はみるみる広がってゆき、やがて風の巨人は真っ二つに両断された。爆散した風が辺りに霧散する。
 中から現れたアルは、勇者の証である金色の魔力を身に纏っており――――完全に無傷だった。
「まだ……まだぁああああああああああああああ!」
 一瞬の隙を見つけ出しねじ込んだ『風神の怒り(ヴァードラス)』は俺にとっての渾身の一手だった。しかし、それすらも勇者という世界を救った強大な力の前には無力だった。
 やはり越えようとしている壁は遥かに高く、強大で、絶望的だ。
 でも、だからなんだ。これぐらいで、この程度の絶望がなんだというのだ。
 もとより生半可な覚悟で勇者に挑んでいるわけじゃない。
 すぅっ……とアルの眼が細められる。
 その冷たい眼はまさに実習の時に見せたことのある魔物に対する眼。
 こいつが俺を敵だと認定した証。倒すべき相手として認定した証。
 そのことにちょっと嬉しくなる。俺は、少なくとも勇者の相手になるに相応しいだけの男にはなれたのだ。
「…………いくぞ」
 轟!! と、暴力的なまでの魔力が吹き荒れる。アルは目の前に何かの魔法で作り出した空間のようなものに対して聖剣を振るうと……金色の斬撃が、俺の目の前に現れた。
 放たれたのではない。突然、唐突に、『現れた』のだ。
「――――――――ッ!?
 それがあまりにも突然だったので、俺は防御することを忘れて身を捻っていた。これまでの特訓や経験のおかげで突然の危機にも対応できるようにはなっていた。だが、現れた斬撃はあまりにも巨大だった。身を捻った程度では完全な回避は実現できず、掠ってしまう。
 だが掠っただけだというのに俺の体は闘技場の中を盛大に吹き飛び、地面を転がっていった。何度も地面に叩きつけられて脳が揺れる。
 掠っただけでこのザマだ。あまりにも威力が大きすぎる。
「がッ……はッ……ァ!?
 何度も咳き込んでようやく立ち上がる。
 まずい……掠っただけでもこの威力。まともにくらえばアウトだ。
 俺はフラフラとしながらアルの手元に現れた謎の魔法空間を視る。
 兄さんや姉さんとの特訓で観察眼についてはかなり鍛えられた。よって、さきほどの僅かな情報でも、あの魔法の正体を探るには俺にとっては十分だった。
「攻撃を転移魔法で転移させているのか……?」
「正解だ」
 おいおい……転移魔法ってそんな都合よく小型化できるもんじゃねーぞ……転移魔法は術式いじくるのがどんだけ難しいと思ってやがる。
 ただ攻撃しただけで必ず俺の傍に現れる。反則くせーな畜生。
「転移魔法だからな。当然、こんなことも出来る」
 そう言った途端、アルの姿が消えた。
 転移したのだ。
 転移が完了するまでのほんの僅かな間。俺は周囲の魔力の歪みを見逃さないように目を凝らしていた。転移魔法は転移が行われる直前、空間の歪みが出来る。そこを見れば転移してくる場所が解る。
「そこか!」
 魔導書『ヘカトンケイル』を瞬時に発動させる。
 アルが転移されたそのタイミングを狙って、召喚された魔神から放たれた百の拳を叩き込む。
 この百の拳には一つ一つに別々の属性・効果が宿っている。百通りの効果を持った攻撃を捌き切ることが出来るかという俺の策は一瞬にして打ち砕かれる。
 アルはその一つ一つに対して聖剣を叩き込み、そしてすべてを等しく破壊した。
 思わず笑いそうになる。滅茶苦茶だ。一つあるだけでも国を相手に戦えるとまで言われるモノ。それが魔導書。だが勇者の力はそれを相手にすることなく、ただ力任せに叩き潰すことが出来る。
 反則的なまでの力。まさに魔王を倒すべき物語の主人公というべき存在。
 俺のような凡人では到底届きえない高み。モブはどこまで行ってもモブで、物語にかかわる資格すらないのだろうか。
「終わりだ、アキト」
 アルが近接距離に踏み込み、聖剣を振りかぶる。金色の刀身が視界に入り、その俺では到底手に入れることのできない輝きに思わず手を伸ばしそうになる。
「君を倒して、私はアリスを……手に入れる。アリスの傍に居続ける!」
 この距離では圧倒的に聖剣が有利だ。剣という形をしている以上、近距離こそ真価を発揮されるのだ。
 だからこそ、俺は聖剣の力を十二分に発揮させないために遠距離から魔導書を叩き込み続けていた。
 さっきまでの連撃で魔力も殆ど底をついている。
 正直、呼び出せる魔導書はあと一つぐらいだ。
 だが。
「この瞬間を…………待ってた!」
 異空間から再び魔導書を取り出す。取り出したのは――――布である。
 だが、ただの布ではない。表面に呪文や術式が刻まれている。これも立派な魔導書だ。
 これは先ほどまでの魔導書とは違ってすぐに切り裂かれそうな布にしか見えないだろう。実際そうだ。これも聖剣にかかれば切り裂かれて霧散するだけだろう。
 だがこれの使い方は聖剣にぶつけることじゃない。
 この布、否、魔導書『束縛し奪い取る鎖布(チェイン・アンド・スティール)』をアルの左腕に巻きつける。聖剣が俺に向かって振り下ろされているが、そんなものには構わず俺はこの布をアルの腕に巻きつけることに集中した。
「ぐッ……! あ……!」
 聖剣の刃が肩に突き刺さる、鈍い音がした。いくら決闘とはいっても相手を殺すことは禁じられている。まあ、俺は殺す気でかからないと倒せないと踏んでいたし、まあ殺す気でかかっても勇者なら大丈夫だろうという目算もあった。
 だが、アルは結局のところ俺のことを侮っていたのだ。口ではどれだけいってもこいつは、俺を殺す気でかかってこようとはしていない。
 その証拠に。
 俺の体は、肩は、聖剣に切り裂かれても鈍い痛みしか感じない。いや、肩を切り裂いた程度で済んでいる時点でこいつは手加減をしてくれているのだ。
 肩に聖剣の刃が突き刺さっている。だが俺はそれを素手で無理やり受け止め、持ち上げる。アルは驚愕に目を見開いていた。
 ああ、そうだろう。何しろ勇者の証である金色の魔力が……俺の全身から放たれていたのだから。
 聖剣を力任せに持ち上げる。アルは負けじと力を入れていたが、力はやや俺の方が上だった。
「ッ! 私の魔力を……奪っているのか!?
「ご名答。さすがは勇者様、理解が早いな」
 魔導書『束縛し奪い取る鎖布(チェイン・アンド・スティール)』は、相手の魔力を奪い取るというごくごくシンプルな能力である。しかし条件として、対象と使用者の腕にこの布を巻きつけなければならないという二重の意味での縛りはあるが。
 しかし、この状況だとまだアルが有利だというのは変わらない。勇者の魔力を奪っているとはいっても、こっちはただ相手と自分の腕に布を巻きつけただけ。
 だが、これはあくまでも布石だ――――本当の切り札を呼び覚ますための。

「現れやがれッッッ! 『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』ッ!」

 金色の魔力を介して俺は魔導書『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』を召喚する。
 五年前のあの日から、アリス様を守ることが出来たあの日から使い続けてきた、俺の相棒。
 いつもは白銀の輝きを宿しているその剣は、今は眩いばかりの金色の輝きを放っていた。
 俺はその黄金の剣を手に取り、アルの聖剣に力任せにぶつけた。
 ギャリィンッ! と二つの金色の剣が激突し、干渉しあい、そして俺たち二人は距離をとった。
 アルは『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』を見てまるで信じられないものでも見ているかのような目をし、呆然としながら呟く。
「それは……まさか……聖剣!?
 仮説はあった。
 『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』はそもそも過去の英雄の魂を宿した魔導書である。
 ではその英雄とは何か? この世界で英雄と呼ぶべき存在は何か? 
 答えは、勇者。
 魔王から世界を救う、まさに英雄と呼ぶべき存在。
 勇者と魔王は大昔から戦い続けてきた。
 アル以前にも勇者は存在していたのだ。
 ならば『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』に宿っているという英雄の魂は、もしかしたら過去の勇者の魂なのではないのだろうか? という仮説。
 だが普通のいくら魔力を流して起動させても勇者としての力を顕現させることはできなかった。
 そして俺は気が付いた。勇者の力は聖剣の他にもう一つあったではないかと。
 金色の魔力。それこそが勇者の持つ力。
 聖剣と金色の魔力。この二つが勇者を勇者たらしめている力。
 ならばその金色の魔力を流し込めば、『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』は本来のあるべき姿に戻ることが出来るのではないか?
 しかし、凡人の俺には金色の魔力なんてたいそうな力は持ってはいない。
 物語の舞台に上がるには力が足りない。
 だったら簡単だ。必要な魔力(もの)を持っている相手から盗ればいい。
 だからこそ、俺は『束縛し奪い取る鎖布(チェイン・アンド・スティール)』を使った作戦を思いついた。
 相手には近づいてもらう必要があった。こちらの狙いが接近戦にあることを悟られないように遠距離戦をしかけて注意をそらしていた。
 そして作戦は……成功した。
 相手の金色の魔力を奪うことに成功した俺の手には、金色の輝きを取り戻した『聖剣』の姿があった。
 俺は『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』改め、聖剣の切っ先をアルに向ける。
「……ようやく、お前のいる舞台(ステージ)に上がることが出来た」
 ここまで来るのに、五年かかった。
 だが上がって終わりじゃない。
 俺の役目は、お姫様を助けること。
 そのためのただの一兵士。
 この勇者という舞台(ステージ)に上がるには、お姫様を助けるには分不相応なのかもしれない。
 だけど、それでも。
 俺は俺のやれることを、やりたいことを、ただひたすらがむしゃらに、一生懸命やるだけだ。
 
「これが俺の切り札だ。アリス様が欲しいなら、俺を倒してみろ。勇者様」

 ☆

 金色の剣と化した『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』を俺は軽く振るう。軌道に沿って金色の魔力が溢れた。溢れたほんの僅かで微かな金色の魔力。これがどれほどのものか、実際に掴んでみてはじめて分かった。
 これは、努力だけではとうてい得ることのできない力。
 俺みたいなやつがこの力を得るには、こうして持っているやつから奪うしかない。
 『束縛し奪い取る鎖布(チェイン・アンド・スティール)』は今だアルの腕に巻きついている。
 勇者の力の証、金色の魔力は供給され続けている。
 ならば今の間に奪えるだけ奪う。
 山賊じみた考えだが、もうなりふり構わない。
「くっ……!」
 聖剣を振るい、『束縛し奪い取る鎖布(チェイン・アンド・スティール)』に叩きつけるアル。今や金色の魔力を纏っているこの布はそう簡単に砕けはしない。
 しかし、さすがは聖剣というべきか。何発かは耐えたものの、やがて聖剣の刃によって引き裂かれてしまった。
 いくら金色の魔力を得ているとはいえ、魔導書と聖剣では格が違うということなのだろう。
 だとすれば、魔導書から聖剣へと進化……否、回帰した今のホワイトセイヴァ―でしか対抗できない。
 途中で破壊されてしまったものの、ギリギリまで魔力を吸収していたのでストックは出来た。あとはこのストック分を上手く使っていくだけだ。
 いや、でも、これ……。
(キツイ…………!)
 金色の魔力を得ることは出来たものの、体の全身から焼けつくような痛みがする。おそらくこの魔力は勇者にしか扱えない。だからこそ、凡人の俺が魔力を盗んだところで金色の魔力そのものが拒絶反応を示しているのだろう。
(そんなつれないこと言うなよ、な……ッ。こっちは『金色の魔力(オマエ』が喉から手が出るほど欲しかったんだ……ッ。もうちょっと、付き合ってくれよ?)
 嫌な汗が出てくるのを感じた。だが、そんなことは言っていられない。
「……やめておくんだ、アキト。その魔力は私以外には扱えない」
「だろうな……ッ。けど、だからこそ欲しかったんだッ!」
 剣を構え、アルに向かって突き進む。対するアルも聖剣を再度抜き、振るう。
 聖剣と聖剣が激突し、金色の魔力が弾けた。
 そのあまりのパワーに思わず聖剣が手から滑り落ちそうになってしまう。だが、絶対に離さない。
「あああああああああああああああああああああああああああああッッッ!」
 ただひたすら聖剣を振るう。すべては目の前のこいつを倒すために。
 正面から駄目なら右、右からが駄目なら左、左からが駄目なら上から――――ッ!
「ッ……! アキト……!」
 上から刃を叩きつける。だが、その軌道は完全に読まれているのか完璧に防がれた。
 どうする。このまま連撃を続けるか……いや、このまま押し切る!
 金色の魔力を集約させ、聖剣に纏わせ、威力を向上させる。だが、同じことをアルもしてきた。やはりこの魔力の使い方はアルの方が上だ。魔力を纏わせるスピードが、アルの方が遥かに早い。
 光剣と化した両者の聖剣が再度激突する。この状況はまずい。
 こっちの金色の魔力にはストック分しかない。対するアルはあくまでもストックを貯めたに過ぎない俺とは違って量だけならば大量にあるはず。
 つまり選択肢は初めから短期決戦しか用意されていない、ということになる。
 それははじめからわかりきっていたこと。俺がこの手でアルと戦おうと決めた時から分かっていたことだ。だからこそ、俺はこの時を想定して剣技も鍛えてきたのだ。
 出来るだけ『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』の能力を抑え、消費魔力を節約する。それはつまり金色の魔力で覚醒したであろう救世主の魂のアシストを得られないということだ。
 だからこその剣技。総てはこの時のため。
 兄さんや姉さんに散々、鍛えられた。
 剣技戦に持ち込めばそう簡単に負けはしないという自負はある。対するアルもさすがは勇者というだけあって、実践によって洗練された剣技を有しており、今のところは五分だ。
 唯一の差は金色の魔力の量。だからこそ早々に決着をつけなくてはならない。
(ッ…………!)
 体が焼けつくように痛い。金色の魔力の拒絶反応が頭の中でガンガン響いてくる。全身がマグマの中に入ってるかのような錯覚を覚える。体の所々から血が噴き出してきた。
 だが、こんなのはどうってことない。血が出たからなんだ。血が出たならあとで止血でもすればいい。体が痛いからなんだ。そんなのは耐えればいいだけだ。
 聖剣を振るうスピードを上げていく。アルもそれに合わせて追従してくる。
 剣を合わせていく中で相手の隙を見極めていく。短期で決着をつけなければならないからこそ、ギリギリまで冷静に見極める。
 剣の本数が増えるわけではない。また、勇者といえども相手は同じ人間だ。
 かならずどこかに隙はあるはずで、隙が無いように見えるのはそれを巧妙に隠しているからだ。いや、仮になかったとしても作り出せばいい。
(隙は見せそうにない。だったら……作る!)
 一度大きく剣を弾き。
 直後に、俺は地面に剣を地面に突き刺した。
 ゴッッッ!! と、地面が爆ぜ、爆風が巻き起こる。地面が抉れて破片が飛び散り、爆風によって視界が塞がる。
「ッ!」
 視界を塞いだところでアルには効かないだろう。俺の位置ぐらいは瞬時に特定するはず。
 また、視界を塞いだこと自体は別にどうでもいい。
 剣を地面に突き刺し、爆発を起こしたその瞬間。ほんの僅かな一瞬にも満たない一瞬。
 アルはその予想外の行動に反応したのだ。爆発という攻撃現象に対し、意識をそちらに向けた。
 そのほんの僅かな一瞬にも満たない一瞬。
 俺はそれを待っていた。それを狙って、瞬時に金色の魔力を全身に行き渡らせ、反応速度と身体速度を極限以上に高めていく。
 狙い通り、はじめからこの爆発を仕組み、予定していた俺と違ってアルはわずかに反応が遅れている。気が付いた時にはもうすでに俺の聖剣の刃がアルへと――――、
「……なっ!?
 ――――届かなかった。
 斬ったと思った。だが刃がアルへと届いた瞬間、その体は一瞬で霧散してしまった。
(残像!?
 狙い通りだなんて甘かった。たかがこの程度の奇襲では勇者は倒せない。
 それを示すかのように、背後から攻撃を加えられる気配が襲い掛かってきた。
 咄嗟に反応するも、遅い。
 今度はアルも加減をする余裕がなくなってきたのか、肩が先ほどとは比べ物にならない衝撃で切り裂かれたのが解った。
 体がバランスを崩し、ついに大地へと倒れかけたその時。
「すまない。アキト」
 そんな、声。
 心配するような声が、聞こえてきた。
 それは明らかに、格下の相手を同情するような、心配するような声だった。
 その声に俺は我慢が出来なかった。俺のやっていることが、俺の努力が無駄だったんだと諭されているような気がしたからだ。
「んな……」
「……?」
「そんな……見下したような眼ぇしてんじゃねぇ…………!」
 だんっ! と、俺は倒れかけた体を無理やり起こして大地に踏ん張る。
 肩を切り裂かれた痛みとまだ体内に残っている金色の魔力の拒絶反応により全身はもうボロボロだ。
 けど、そんなことは関係ない。俺はコイツを倒すことだけを考えればいいんだ。
「らぁあああああああああああああああああああああああああああ!」
 残りの金色の魔力を総動員させ、剣に乗せる。奪った魔力の残存量を考えると『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』が聖剣化出来るのももう少しだけだ。もしも通常の魔導書に戻ってしまった場合、いかに『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』であろうとも砕かれてしまう。
 そうなる前に終わらせる。さっきは残像だったとはいえ、刃が届きかけた。
 だったら……だったらもう一度出来てもおかしくはない。
 俺のこの五年の努力は無駄じゃなかった。希望に手が届く程度には。
 勇者という大きな壁に届くかもしれない。その可能性をさっき垣間見た。
 もう作戦も何もない。ただひたすら聖剣をぶつける。拒絶反応によって体がボロボロになっていくのが自分でも解った。でも、止まるわけにはいかない。
 俺は凡人だ。たまたま文字読みの魔法が宿っただけで、たまたまた魔導書が読める力があっただけで、それ以外は至って普通の凡人だ。
 そんな凡人が勇者に勝とうとしているんだ。死ぬ気でやらないとどうする?
 痛みを訴えてくる体を無視して聖剣を下から振るう。アルはそれを避け、反撃の一太刀を浴びせに来る。が、俺は剣を振った反動を利用して回転。そのまま後退することでそれを紙一重でかわす。
 今度は上から聖剣を振り下ろす。だがこれも防がれた。それだけじゃなく、今度は刃をつば競り合いに持っていくことも許されず、はじき出された。しかし今度は弾かれたと同時に足払い。これもかわされた。
 時間と魔力だけが減っていく。だが、ただ減らしているだけじゃない。段々とアルの顔から今度こそ……余裕が消えかかっていた。

 もう少し。
 あともう少しです。
 アリス様。
 貴女が好きな人を好きになれるように。
 貴女のしたい恋が出来るように。
 貴女の想う幸せに手が届くように。

 そのためにこの五年間ずっと努力を重ねてきた。
 全てはアリス様のために。アリス様の幸せのために。
 でも、努力を重ね続ければ、誰かのために戦えば必ず手が届くというわけじゃない。
「……もう諦めろ、アキト」
 それを象徴するかのように、俺の体は既にボロボロだった。気が付けばアルには続けざまに三度も切られており、全身が金色の魔力の拒絶反応でズタズタにされていた。体のあちこちから血が流れており、もう立っているのもやっとの状態だと気付いたのは、アルに諦めろと言葉を投げかけられてからだ。
 朦朧とする意識の中、俺はもう本当に倒れ掛かっていた。だけど剣だけは握りしめていた。とはいえその剣も、既に金色の輝きは僅かにしかなく、元の白銀の姿へと還りつつある。
 アルのように諦めた方が賢明なのだろう。
 今のうちに倒れておいた方が良いのだろう。
 でも。
「……諦めねぇよ……諦められるわけないだろッ!」
 この程度で諦めるのならはじめから打倒勇者なんて目標は掲げていない。
 この程度で諦めるようなら……俺はあの人を、こんなにも好きになっていない。
「そうか……。だったら、」
 スッとアルが目を閉じる。何か、集中するかのような。
 ぼんやりとそんなことを考えていると、次の瞬間には俺の体は空を舞っていた。
「がッ……あ……!?
 徐々に痛みの感覚が追い付き、俺が聖剣によって切り裂かれ、吹き飛ばされたと自覚したのは既に空中を舞っている時だった。
「命までとりはしない。だが、かなり痛いぞ?」
 うるせぇ。そんなことそんなクソカッコいい面で言われなくても分かってるんだよ。
 めちゃくちゃ痛い。とにかく痛い。なんだかんだ命をとらないまでとはいえ聖剣で何度か切り裂かれたんだ。
 朦朧とする意識の中。とうとう俺はあまりの激痛で意識を手放しかけた。
 まだ戦える。まだやれる。諦めてはいない。そう訴えても、体というものはなかなか正直で俺の訴えなんか聞いちゃくれない。俺の意思に反して意識を失いかけたその時。

「―――――――――アキトくん!」

「ッ!!

 声が聞こえた。
 これだけの衆人の歓声の中にいても、絶対に聞き間違えることのない声。
(ア、リス……様……ッ!)
 その声が、失いかけた俺の意識をなんとか繋ぎ止めてくれた。
(まだ……まだだ……! 聖剣で何度も切り裂かれようが、もう金色の魔力がつきかけようが……そんなの関係ねぇ……! その程度で動けなくなるからだじゃないだろ!?

 ――――そうだよね。

「……!?

 なんだ、この声は。
 アリス様のものとは違う。
 男の声? 歳が俺と同じぐらいの、少年の声だ。

 ――――君は、まだ戦いたいんだよね?

 でもなぜか、安心できる。
 この声からは敵意といったものはまるで感じられない。
 それどころかどこか安心できる……そう、まるでグリカゲの二人と一緒にいる時のような感じだ。

 ――――あのお姫様のために頑張りたいんだよね?

 相棒とか、親友とか、そういった類の声。
 この五年間、ずっと俺と一緒にいてくれたような、そんな…………。

 ――――だから僕が、ほんの少しだけ背中を押してあげる。

 体に力が戻った。それどころか、まるで見えない不思議な何かに後押しされるかのように体が動く。
 この感覚。この感覚を、俺は知っている。
 それどころか、ずっとこの感覚と一緒に戦ってきた。

 ――――さあ、あともう少しだよ。

 俺はバランスを取り戻し、再び大地に降り立つ。
 そのままアルに向かって突進する。 

「そうか……お前が……力を貸してくれるのか……!」

 『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』に宿っていた救世主……いや、勇者の魂。
 こいつはずっと俺と一緒に戦ってくれてたんだ。
 そしてこの瞬間でさえ、こいつは力を貸してくれた。
 どうしようもない俺の背中を押してくれた。
 今この瞬間、俺はアルを……今の勇者を超えたんだ。
 アルがまさかの追撃に不意を突かれながらも聖剣を振るう。だが、今の俺はその攻撃は視えていた。
 不思議な力……いや、この五年間、ずっと俺に力を貸してくれた相棒が導いてくれるその道をたどり、俺はアルの剣を潜り抜ける。
 アルは未だ一撃も当たっていない。だからこそ、この一撃で勝負を決める必要がある。
 この僅かな瞬間にありったけの魔力をこの剣に集中させる。
「俺達の勝ちだ……勇者(アル)」
「ッ!?
 既に魔導書へと戻った『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』。
 聖剣を潜り抜けたその白銀の一撃が、アルフォンス・メルドという勇者に叩きつけられた。
 アルはその衝撃で盛大に吹き飛び、闘技場の壁に激突してそのまま意識を失った。


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