第三話 白い救世主

文字数 17,425文字

 ローレスじいさんが図書館に戻ってきて、本格的に図書館業務が動き出した。主に力仕事を俺たちに任せて、アリス様は図書の整理や書類業務などの仕事を任されるようになっていた。
 連日、図書館にはアリス様の姿を見ようと大勢の生徒たちが押しかけてきたが、本当に読書が目的で来た人以外はすぐに親衛隊が抹殺した。 
 仕事がはやいなぁ。
 そして俺は、図書館で仕事の合間に翻訳作業に移っていた。この文字読みの魔法のおかげで誰かの役に立てるのなら、それは喜ばしい事なのだから俺はこれを喜んで行う。ちなみにどうやって翻訳をしているのかは外部の人間には秘密にしている。一応、周囲の警告はきいておかないとな。
「アキトくん、前から思っていたんですけど、たまにアキトくんのやっているその作業って……翻訳作業、ですか?」
「はい。そうですよ。よく頼まれるんです」
「でも、その本に書かれているのって鳥獣語ですよね? アキトくん、鳥獣語をどこで習ったんですか?」
「いえ。習ったわけじゃないんです。鳥獣語を話せもしません。ただ読めるだけです」
「読める? それって……アキトくんって、もしかして何かの秘術でも使えるのですか?」
 俺はアリス様の言葉に苦笑する。
 アリス様はきっと、二年前の俺とのあの出来事を覚えてくれているのだろう。
 だから、俺が秘術を使えるのだと推測しているのだろうが……残念ながら俺のこのしょぼい魔法が秘術と言っていいのか分からない。
「秘術と言っていいのか分かりませんが……俺は、生まれつき『文字読みの魔法』っていうのを持っているんです」
「『文字読みの魔法』?」
「はい。どんな文字も読むことが出来る魔法です」
 ああ、自分で言ってみてもやっぱしょぼい力だ。
 どうして神様も、もっとチートな魔法をくれなかったのか。
 そうすれば、今頃きっと騎士への道も楽に開けただろうに。
 まあ、それでもドングリやカゲと一緒にバカやりながら冒険者を目指すのも悪くはないって考えている自分がいるんだけど。
 俺はのんきにそんなことを考えていると、アリス様はにこっと微笑みながら、
「素敵な魔法ですね」
 と、思わぬ一言を仰った。
「え? そうですか? だって、ただ文字が読めるだけの魔法ですよ? これで魔獣や魔族を倒せるわけでもない、誰かを助けることが出来るわけでもない……そんなどうしようもない魔法ですよ?」
「だって、素敵じゃないですか。この世界にはいろんな言語で書かれた本があります。それってつまり、色んな言語で書かれた、色んな物語が読めるってことじゃないですか。それに、アキトくんの魔法で助けられる人だっているでしょう?」
 そういってアリス様は、俺が翻訳している鳥獣語で書かれた本に視線を移す。
「それに、私だってアキトくんの魔法に助けられた人の一人なんですよ?」
 意外、だった。
 まさかアリス様が、二年前のあの時の出来事を……ちゃんと、覚えていてくれてたなんて。
「アキトくんの『文字読みの魔法』……私は素敵な、優しい魔法だと思います」
「……そう言ってくれたのは、アリス様が初めてです」
 実際、そうだった。
 周囲はこの魔法が価値があるとか言っていたけど、それは戦闘に役に立つかどうか……魔導書が読めるから価値があり、危険な魔法だと称した。
 俺は魔導書に触れるような機会が一切ないので、そう言われてもこの魔法の価値を感じることはなかった。
 だけどアリス様は、この魔法を『素敵な優しい魔法』だと言ってくれた。
 戦闘に役に立つ立たないは関係なく、誰かを助けることのできる優しい魔法だと。
 自分で役に立たないどうしようもない魔法だと思っていたし、自分が思いもしなかった価値を彼女が教えてくれたような気がして……俺は、なんだか嬉しくなった。
「えっと……アリス様は、何か読みたい物語はありますか?」
「え?」
「その、読めない言葉で書かれた本で、アリス様が読んでみたかったり、気になっているような本を、俺が訳します。そうすれば、アリス様も読めるでしょう?」
 精いっぱいの勇気を振り絞っての質問だった。
 『文字読みの魔法』という、俺の一部である魔法に新しい価値を見つけてくれた彼女に対する、今の俺に出来るほんのささやかなお礼のつもりだった。
 もしかすると、出しゃばりすぎて断られるかもしれない。そう思っていたのだけれど。
「分かりました。それでは、さっそく頼んでもいいですか?」
「…………! は、はいっ!」
 アリス様は、「前から気になってた本があるんです」と言いながらその本を探しに書架へと向かっていった。アリス様が差し出してきた本は、エルフの主人公が世界中を冒険する本だった。
「古代エルフ語はまた四年生になったら習うそうなんですけど、今すぐに読みたくて……あの、頼まれている仕事が終わった後で、時間が余った時でいいですから、お願いできますか?」
「も、勿論ですっ! 頑張ります!」
「はい。お願いします」
 ふんわりと微笑んだ彼女の笑顔に、思わず昇天しそうになる。
 まるで夢のようだ。まさか彼女とここまで距離を縮められるなんて……!
 ああ、もう死んでもいい。

 ☆

 俺たち男三人は、大量の魔法関係の本を魔法科のクラーク先生のもとに運ぶために荷台を押していた。もうクラーク先生の部屋までもう少しだ。クラーク先生の部屋は図書館からけっこう離れているから面倒だが、今の俺にとってはどうということでもない。アリス様は図書館でローレスじいさんに任された書類仕事をしている。
「おい、アキト。お前、やけに顔がニヤけているけど何かあったのか?」
「ふっふっふ。まあ、後で教えてやるよ」
「なんかムカつくな」
「同意」
 なんとでも言うがいい。今の幸せいっぱいの俺にはどんな言葉もききはしない。
 と、幸せオーラ満載のまま荷台を押していると……不意に、何かが爆発したような音が響き渡った。
「なんだ?」
「今の音……学園の魔法結界が破壊された音?」
「え?」
 カゲが眼を鋭くして、爆発音のきこえてきた方向を見据える。
 同じくドングリも、何かを警戒しているかのようにその音の方向を見据えていた。
「あれは……魔族!?
「な、なんだって!?
 俺も慌てて音の聞こえてきた方向に視線を向けていると、そこには確かに……背中に黒い翼をもった魔族が空に浮かんでおり、また、地上からも結界を破った魔族たちが学園に侵攻しているのが見えた。
 教師や上級生たちが魔法で応戦しているのが見える。
「な、なんで魔族がここに!?
「恐らく、先日の魔族四天王の一人が勇者に倒されたことが関係しているんだろうな」
「どうしてそれがこの学園の襲撃に繋がるんだ?」
「これも俺の予想だが、魔族は四天王という大きな柱の一角を失った。そして魔族側の勢いが盛り下がっているのも確かだ。そこで、魔族側も人間たちの中の大きな柱を討ち取って勢いを取り戻そうという魂胆だろうな」
「城は城壁にもSランク以上の魔法結界が何重にも張り巡らされている。破るには非常に困難」
 カゲの言葉に、俺は嫌な予感を覚えた。
 まさか……まさか。
 いや、でも外れてくれ。
 そんな俺の淡い希望を打ち砕くかのように、ドングリが現実を突きつける。
「対して、学園側なら高ランクとはいっても王族の住んでいる城に比べると防御は一段階劣る。そして、今学園には二人の王族が通っている。どうにかして勢いを取り戻したい魔族がどっちを狙うかは……明白だな」
「……クロード様とアリス様」
 その瞬間。俺は、走り出していた。だが、そんな俺をドングリが服を掴んで無理やり引き止める。
「どこに行く気だ!」
「図書館だよ! わかるだろ!」
 あそこにはまだ、アリス様がいる。逃げてくれればいいが、図書館の地下で作業をしているアリス様は気づいていない可能性が高い。
「無茶言うな! その方向は、もう既に魔族にかなり入り込まれている。死ににいくつもりか!」
「うっせぇ!」
 無理やり離そうとするが、それでも引きはがせなかった。
 ドングリは力が強いことを今更思い出した。
「お前に何が出来る? 俺たちの使える攻撃魔法なんてたかが知れてる。魔族相手に通用するはずもない。武器もなしに、お前はどうする気だ?」
「お前に関係ねーだろ!」
「生憎、俺は友達を見殺しにするほどデキた人間じゃねーからな」
 俺に出来るのはせいぜい、習いたて覚えたての弱々しい攻撃魔法か、もしくは、何の役にも立たない『文字読みの魔法』のみ。
 アリス様が価値を見出してくれた俺だけの魔法。
 彼女は俺の魔法で助けられる人がいると言ってくれた。
 ……だけど、こういう時に何もできない自分が悔しい。
「アキト、落ち着け。武器もなしに飛び出していくのは自殺行為」
 カゲが焦る俺を制止する。
 さっきまで幸せだった。ほんのささやかな幸せでいっぱいだった。
 だけど今は、一気に地獄に突き落とされたようだった。
 何も出来ない。
 好きな女の子一人すら守れない自分が、悔しかった。
 俺は必死で考えた。
 今の俺に出来ること。
 今の俺が、彼女の為に出来ること。
「武器……?」
 俺は、一つの可能性を見出した。
 それがまだあそこにあるのかは分からない。
 仮にあったとしても、俺なんかに使えるのかは分からない。
 だけど、今はその可能性にかける。
 何もできないで後悔するよりはマシだ。
「……ある」
「は?」
「武器なら、ある!」
 火事場の馬鹿力というやつなのか、それともいきなり意味不明なことを言い出した俺に油断したのか、ドングリとカゲの制止を一気に振り切って、俺はそのまま図書館ではなく、別の校舎に走り出していた。
 近くで戦闘が行われているグラウンドを一気に駆け抜ける。途中、何発か魔法攻撃が飛んできたが、運よく当たらなかった。
 わざわざ入口から入るのももどかしく、俺は先日の授業で覚えた火球の魔法で窓をぶち破り、そのまま研究室棟へと飛び込んだ。
 目的の部屋。ラウド兄さんの部屋は幸いにも誰もいなかった。兄さんに心の中で謝りながら、奥の部屋へと勝手に上り込み、辺りの物をひっかきまわす。
 そして、目的の物を見つけた。
 木箱の中に入っていたのは、この前ラウド兄さんに見せてもらったあの剣の魔導書。これは、もともと魔族が使っていたものらしい。ということは、これがあれば俺でも戦える。
 俺ならば、この剣の魔導書に刻まれている呪文が読める。
 その力があれば、こんな俺にだって、好きな女の子を助けることのできる力ぐらいは得られるはずだ。
 布に包まれたその剣を持って、俺は部屋を飛び出ようとした。
 そこで。
「おいおい。血相変えて飛び出していったかと思ったら、実の兄の研究室に入って窃盗かよ」
「感心しない」
 そこにいたのは、おそらくカゲの秘術でショートカットしながら俺を追いかけてきたであろう二人。
「邪魔すんなよ」
「……やれやれ。別に邪魔しにきたんじゃねーよ。止めても無理やり突破することはもう分かったしな。ただ、さっきも言ったように俺は友達を見殺しにするほど人間がデキてねーからな」
「素直じゃない」
「うっせ」
 ……ああ、そうか。こいつらは、俺の我が儘に付き合ってくれるのか。
「言っとくが、俺たちにだって勝算はあるからな」
「魔族相手にか?」
「当たり前だ。俺はグリーン家の秘術を受けついだ男だぞ。お前と一緒にするな」
「同じく」
 俺たちに何が出来るのか分からない。いや、時間稼ぎもできるかも分からないし、そもそもここで動くことそのものが間違っているのかもしれない。
 だけど確かなことは、俺は好きな女の子が危険な目にあっているのにじっとしているのは絶対に嫌だということだ。

 ☆

 俺たちは図書館に向けて走り出していた。図書館側はかなり魔族に侵攻されているが、まだ学園が襲撃を受けてそこまで時間は経っていない。カゲの『影潜りの魔法』でショートカットをしつつ、俺たちは図書館へと向かっていた。
 あちこちで戦闘の光が見える。俺は、すぐ近くで命のやり取りが行われていることに冷や汗を感じていた。
 カゲの秘術は影の中にしか潜り込めない。よって、ショートカット出来る場所にも限界がある。影が繋がっていなければ、一度外に出て走っていくしかない。
 だが、俺たちは昔からこれをカゲと一緒に繰り返しているので、もう手慣れたものだった。
 よく冒険と称して色んなところに忍び込んだ。
 大人に見つかれば怒られることは確実だったので、怒られるたびに俺たちは更に今度こそは見つからないようにと技術を研究して磨いていった。
 今思えば、俺たちが「怒られたら次は見つからないように工夫する」という考えだったので、大人たちのお説教は意味がなかったのかもしれない。
 だが、今は幼少の頃に磨いた隠密行動の技術が役に立っている。
 その結果、俺たちは何とか無傷のまま図書館の近くにやってくることが出来た。だが、ここから先は魔族との戦闘が激しくて近寄れない。
「魔族があんなにもいる……凄い規模の戦闘だな」
「学園側もアリス様が図書館でアルバイトをしていることを知っているからな。シフトだって筒抜けだろうし、今の時間帯だとまだ図書館にいると踏んで、戦力を割いているんだろう。誰が指示したのかは知らないが、迂闊なことをする」
「そんなことをすれば、こちらの動きで敵の狙いの人物がどこにいるのかバレる」
 幸いにも、図書館はまだ無事のようだ。アリス様がまだあそこにいるのならば、の話だが。
 出来れば俺の予測は外れて、どこかに無事に逃げて隠れていてほしい。
 そのことを考えると心臓の鼓動が早くなってしんどくなる。心臓に悪いっていうのはこういうことを言うんだな、とぼんやりと思った。だが、俺は今から戦場に飛び込まなければならない。
「どうやって近づけばいいんだ……くそっ!」
「落ち着け。とりあえず、魔族が一番少ないところを通るぞ。多少回り道になってしまうが、『影潜りの魔法』さえあればショートカット出来る」
 ここから見える限りの一番魔族が少ない場所。図書館の裏口のある道だ。裏口といえば、最初にアリス様がバイトに来た時に出てきたところだ。確かにその部分だけ魔族の数が少ない。
「待てよ。少ないって言っても、あそこに入ろうとしたら確実に一度は魔族に見つかるぞ!?
「分かっている。まあ、のんきに背中を向けて入ろうとすれば後ろから一撃だろうな」
「だったら……」
「けど、今の俺たちが一番突破出来る可能性のある道だ。違うか?」
 それは頭では分かっている。だが、そんな一か八かの可能性に欠けても勝算は低すぎる。それに、入れば良いってもんじゃない。
 運よく入れたとしても、きっと魔族たちは後ろから俺たちを追ってくるだろう。
「安心しろ。一か八かの可能性に欠けるつもりなんてない」
 そんな俺の考えを読んだかのように、ドングリがメガネを指でくいっと押し上げながら言う。
「俺が魔族を引き付ける。その間にお前はカゲと一緒に図書館の中に入るんだ」
「こんな時にふざけてんじゃねーよ!」
「ふざけてなんかねーよ。俺は真剣だ。それに、勝算もある」
「勝算? 魔族相手にか?」
 俺が自殺しようとしている友人に向かって怪訝な顔をすると、その友人はニヤリと得意げに笑った。
「当たり前だ。俺を誰だと思っている。グリーン家の秘術を受け継いだ男だぞ」
 ニヤリとドングリが意味ありげな笑みを浮かべる。こいつがこの笑みを浮かべている時は、大体が何か考えがあった時だ。
 しかし、今は状況が違う。
 今はこうやって魔族が攻めてきて、目の前で命のやり取りが行われている。
 だが……今は他に方法がない事も確かだ。そもそも、これは俺の我が儘だ。そんな俺の我が儘に二人をつきあわせて、命の危険に晒すのはやはり……。
 そう俺が頭の中でぐるぐると考えていると、図書館の方から爆発が起こった。建物の一部が破壊されており、屋上に黒い、悪魔のような翼をもった魔族が図書館の中へと潜入していくのが見えた。
「迷っている暇はない。いくぞ」
 ドングリとカゲが同時に駆け出した。その動きに迷いは微塵も感じられない。俺は、そんな二人に一歩遅れて駆け出す。『影潜りの魔法』で道をショートカットしつつ、俺たちは魔族たちの集団の中へと突っ込んだ。
 俺は今までで一番の勇気を振り絞り、三人同時に影から魔族たちがいる外の世界へと飛び出した。
 影から一気に飛び出してきた俺たちに魔族はぎょっとした顔をしていた。意表を突かれたからか、俺たちはそのまま魔族を無視して、図書館の裏口へと駆け出す。距離は五メートルにも満たない。それがやけに長く感じられた。
 だが、魔族たちの動きも素早かった。あともう少しで届く――――そう思ったところで、ドングリが走るのを止めて魔族たちの前に立ちふさがり、俺たちに背を向ける。
「先に行け!」
「くそっ……死ぬなよ! このドングリメガネ!」
「うっせー! 当たり前だ、速く行け!」
 俺は大切な友人に背を向けて走り続けることしか出来なかった。それが、酷く惨めに感じられた。

 ☆

 最後にドングリメガネとわざわざ言い残した友達に背を向けたドンは、横目でアキトとカゲが図書館の裏口に飛び込んでいったのを確認した。
「さて、と」
 顔を上げる。
 目を開く。
 前を向く。
 するとそこには、魔族がいた。
 人の形をしており、頭に角をもった者もいれば、尻尾を持った者がいたり、鋭い爪を持った者がいたり、彼らは魔獣のような要素が細部に見られる。
「あぁ? なんだこのガキは」
「粋がりたいトシゴロなんだろ? さっさと殺してさっきのガキ共を追いかけようぜ」
 ギャハハハ、と下品な笑いをあげる魔族を見て、ドンはふう、とため息を吐いた。そして、冷静に魔力を全身に走らせて、中にいる住人を無理やり叩き起こす。
「悪いな」
 内側から膨大な魔力が溢れだしているのが分かった。
 準備は完了だ。
「はあ?」
「あいつらの後を追わせるわけにはいかねぇんだよ」
 ドンが発した端的な言葉に、魔族の一人が怪訝な声を出す。
 何を言ってるんだこのガキは、とでも言わんばかりの声だ。
 それもそうだろう。
 魔族からすれば、見たところこの少年は一年生ぐらいの、今仲間が戦っている教師や上級生に比べればとても頼りないような少年だ。
 現に、この場に気づいた上級生の何人かがどうしてこんなところに一年生がいるんだと、驚きの声をあげている。
「一応、大切な友達なんだ。そいつが命がけでお姫様を助けようとしてるんだよ。ずっと見ていたくせに、それだけで満足してしまう。そんなアホで不器用なやつが、命がけで、ない頭と勇気を振り絞って走ってるんだ。だからよ」
 その少年は、まるで一年生のものとは思えないような――――明らかに実践慣れしている物の眼で、魔族を睨み付けた。
 その時点で、魔族は気づく。
 少年の体から、膨大な量の魔力が迸っていることを。
「何人(なんぴと)たりとも、ここを通すわけにはいかねぇな」
 少年が右手を掲げる。それだけで、空中で魔力の塊が圧縮し、膨張し、圧縮し、やがて一つの武器――――ハンマーを作り出した。
 大地を砕かんばかりの威圧感を持ったそれを軽々と振り回し、少年は、彼の大切な友人たちを守るために立ち上がる。
「普段は俺の魔力(カロリー)を食っていくからどんだけ食っても腹が減るし、食費もかさむから面倒なニートだと思っていたが……やはりこういう時には役に立つな。精霊(オマエ)は」
 そのハンマーは、彼の中に住まう魔神の武器。
 グリーン家の秘術。
 それは、体内に精霊を飼い、その力を引き出すことが出来る魔法。
 そして少年の中には、全てを食らう魔神がいた。
「いくぜ暴食魔神。――――食事の時間だ」
 上級貴族。
 武の名家の一つグリーン家。
 その秘術の結晶である魔神は、魔族を軽々と喰らう。
 
 ☆

 俺とカゲは階段を上っていた。カゲが調べたところ、地下室には誰もいなかったからだ。外の戦闘で図書館の壁の所々が破壊されたせいで、影が途切れている。そのせいでショートカットしながらも、途中からは走らなければならなくなっていた。
 恐らく、アリス様は最上階にいるのだろう。
 だけど俺は同時に、下にいるドングリのことも心配だった。
「大丈夫」
 そんな俺の心配を読んだカゲが、そう言うからには、信じるしかない。もし俺の我が儘であいつが死ぬようなことがあったら……いや、考えるのはよそう。
 今はとにかく進むことが大切だ。
 階段を進んでいくと、まだ破壊されていない部分が見えてきた。影があれば『影潜りの魔法』で一気に道をショートカットすることが出来る。
 だが、そう事態はうまく進まなかった。
「ッ! アキト、伏せろ!」
 突如として飛び出してきた謎の襲撃者。カゲはその存在をいち早く察知して、俺の前に回り込み、その一撃をガードする。いつの間にかカゲの手には真っ黒な槍が握られていた。その槍で、いつの間にか現れた魔族の刃を受け止めたのだ。
 俺に攻撃を加えようとした魔族は一度距離を取る。幸いにも、俺たちは上に続く階段側へと来れたわけだが、どうやらそのまま素通りさせるつもりはないらしい。
「ほう。俺の一撃を防いだか。ただの迷い込んだ一年生かと思ったら、そうでもないらしい」
「……アキト、先に行け」
「カゲ!?
 その魔族は、全身をマントのような物で隠しており、格好だけでなくあいつから漂ってくる魔力が、素人の俺から見てもやばいやつだと分かる。
「心配するな。すぐに追いつく。それより、アリス様のところに行け」
 頭では分かっていても、俺はどうしても背を向けて走り出すことが出来なかった。
「俺はお前たちと三人で一緒に冒険者になるまで死なない。だから、行け」
 それでも、相手は待ってはくれない。魔族が再び攻撃を仕掛けてくる。それを、カゲが槍で応戦する。そのカゲの動きは、明らかに戦い慣れている動きだった。
 上級貴族の中でも武の名家と呼ばれるカゲの実家で、ちゃんとこいつは英才教育でも受けているのかもしれない。
「……行けッ!」
 滅多に声を荒げることのないカゲの言葉に、俺は背中を無理やり押されたような錯覚がした。
 友達に背を向けて走り出す。
 この嫌な感覚は二度目だ。
 こんな短い時間で二度も味わうことになるとは思わなかった。
 せめて俺は、唯一の希望であるこの剣の魔導書を落とさないように、懸命に抱えながら階段を上った。
 歯を食いしばって、懸命に我慢しながら。そして、自分の無力さを噛みしめながら、俺はアリス様の元へと走った。

 ☆

 アリスがその少年と出会ったのは、アリスが八歳の頃である。
 上級貴族の中でも武の名家と呼ばれる二つの家の子が、バイトと称して修行として城で一時期働くのはもはや伝統らしく、その二人は特に気にならなかった。
 だが、その二人に混じって一般庶民の、平凡な子供が働きに来ていたのは予想外だった。
 アリスは、その少年の事を見ていた。自分と歳も変わらないのに、一生懸命働いて、家にお金を入れている。別に強制されたわけじゃないのに、進んでそうしている。
 アリスは純粋にその少年の事を「凄いなぁ」だとか、「立派だなぁ」と思っていた。自分の立場も忘れて。
 使用人に名前を聞いてみると、どうやらその少年は「あきと・ろーど」と言うらしい。
 また、その少年は働き者だけでなく、優しい子でもあった。
 例えば、アリスが飼っていた小鳥が怪我をした時。彼は、二人の友達と一緒にアリスの寝室に忍びこんで(どうやったのかは知らないが)、小鳥の怪我を治療してくれた。どうやら自分の家から、治癒の力をもった高価な魔法石をくすねてきたらしく、後でたっぷり怒られたらしい。
 例えば、アリスが母親からもらった大切な指輪をどこかで落としてしまった時。
 必死になって、二人の友達を巻き込んで探してくれていたと、あとで侍女が教えてくれた。
 あまりに遅くまで探すものだから、心配した両親にこれまた、たっぷり怒られたらしい。
 そこから彼の事が気になりだした。
 十歳の誕生日の時。
 母親が死んでしまい、失意の底にいたアリスに救いの手を差し伸べてくれたのも、あの少年だった。
 母親にしか読めなかったはずの本を読んでくれたことで――――今思えば、そこではじめて母親の死を受け入れられたのかもしれない。
 もう一度本を読んでもらう約束をしたけど、恥ずかしくて言い出せなかった。
 しばらくしてから少年は城から去った。バイトを辞めたからだ。どうやら、入学準備だなんだで忙しくなるらしい。
 結局、もう一度本を読んでと言い出せないままだった。
 王族は代々、王立の学園に通うことがしきたりとなっている。そして、学園に入学してみると、そこであの少年と再会した。
 再会、といっても実際に会ったわけではないけども。
 あの頃と同じように、少年はまた三人組で楽しそうにしていた。そんな彼の事を、ずっと見ていた。
 図書館に通っているのも、半分はただ純粋に物語を楽しみたいから。そしてもう半分は、図書館で働くあの少年を見に行くためだった。昔からの父と母の知り合いであるローレスとも交流があったから、それも理由に含まれているが。
 そして、そんなローレスがある日、「図書館のアルバイトをしてくれる人を探している」と言っていたのをきいた。ローレスには城にいた頃からお世話になっているし、それになにより、図書館にはあの少年がいた。
 思い切って国王である父親に相談してみた。昔からお世話になっていたローレスを助ける為なのだということを押し出してみると、学園内ということもあり、また、父もローレスに昔は世話になったということで許可された。
 母が死んでから、父は……国王は、子供たちにはせめて悔いのない人生を生きてもらいたいと、出来るだけ自由に育てようとしてくれていることもきっと関係していることだろう。
 一国の王の娘がアルバイトをするということで裏では色々ともめたらしいが、何とかアリスの我が儘は通った。
 祭りの時。
 まさかあんなところで会えるとは思わなかった。思い切ったことも頼んでみた。
 本当は一緒にお祭りの屋台をまわりたかったけど、この際贅沢は言わない。
「フン。目が覚めたか」
 まるで夢から現実に引き戻されるように、アリスは目を覚ました。
 外からは激しい戦いの音が聞こえてくる。
 普段は本が収められているはずの図書館の最上階の天井は、穴があけられていてそこから日の光が差し込んでくる。
 そして、床に横たわるアリスの目の前には――――本物の、魔族がいた。メガネをかけた、冷徹な瞳を持つ魔族。背中には悪魔のような黒い翼が生えている。
(私は――――確か……)
 最初は地下書庫で作業をしていて、上の階に上がった時に外から何やら爆発音がきこえてきて。そこから、いきなり魔族が入り込んできた。
 いつの間にかアリスは気絶させられて、気が付けば鎖か何かで縛られて、天井に穴の空いた図書館の最上階にいる。
 状況は……大体つかめた。
「どうして、私を殺さないのですか」
 敵の目的は、王族を殺して人間側の勢いを削ぐことだ。だったら、アリスを見つけた時点でその目的は達成できたはずだ。なのに、アリスは今もこうして生きている。
「お前はまだ殺さない。学園を鎮圧してから、この王都の民衆たちの目の前で、お前を大々的に、そして惨たらしく殺す。もう二度と俺たち魔族に逆らうことが出来ないようにな」
 なるほど。確かに、その『殺す方法』によっては民衆たちの勢いを削ぐことが出来るのかもしれない。
「あなたはいったい、何者ですか? どうしてこんなことを?」
「俺の主は勇者に倒された……次は貴様たち人間の番だ。そして俺は、主の仇を討つ……!」
 興奮しているのか、その魔族は情報を漏らしたことに気が付いていない。
 この言葉から分かることは、この魔族が先日倒された魔族四天王の部下だったということだ。
 魔族四天王の一人が倒された記念に祭りを開催したことが、ここを狙うきっかけになったのかもしれない。
「まずは手始めに貴様だ。……そうだな。民衆の前に連れて行く前に、多少は痛めつけておいた方が、学園の連中の士気を削ぐことが出来そうだな?」
 魔族が魔力によって歪な形をした剣を作り出す。
 純粋な魔力の塊。
 簡単に人の命を奪う事の出来る刃。
 怖くはない。王族として、これぐらいのことは覚悟していた。だからこそ自分は冷静だ。
 そう必死に言い聞かせていたことに、アリスは今更気が付いた。
 まだ彼女はたった十二歳の子供なのだ。
 王族としての誇りよりも、恐怖心が先に出てくることも無理はない。
 もしかすると、さっきの夢は走馬灯なのかもしれないとアリスは、ぼんやりと考えた。
 こんなところで都合の良いヒーローが駆けつけてくれるわけもない。現実を見ろ。
 そう言われているような気がした。
 実際、そうだった。
 いま魔族と戦ってる勇者というヒーローですら、救えない、救いきれない命があるのだから。
 魔族が剣を振り上げる。
 これから自分がどうなるのかは分からない。
 もしかすると腕の一本も切り落とされるのかもしれない。
 自分にできるのはもう、願う事だけだった。
 彼女は自分の命を助けてくださいと願うのではない。
 ただ、無事を祈った。
 ――――どうか、無事でいてください。私で終わりにしてください。お父様とお兄様、民たち、学園の方々、そして……あの人を、助けてください。
 あのその心優しい少年もどうかせめて、この場から逃げていてくれますようにと。それだけを、神様に祈り、願った。
 だがその願いを、神は聞き入れてはくれなかった。
「アリス様から離れろ! そこのアホメガネッッッ!」
 魔族の注意が逸れる。剣が止まる。
 アリスも、思わずその方向を見る。
 その少年は、手に布に包まれた何かを持っていて、そして息を切らしていた。階段を全力疾走で、懸命に駆け上がってきたのだと、一目でわかった。
 この世界に都合の良いヒーローなんていない。
 たしかにそうだ。
 勇者ですら、うまくいかないこともある。救えない命がある。
 いつだってタイミング良く現れて、みんなを助けてくれるような都合の良いヒーローなんてこの世のどこにもいない。
 しかし、今。この場に間に合ったのは。
 階段から駆け上がってきたのは紛れもない。

 彼女にとっての、ヒーローだった。

 ☆

 ぶっちゃけた話。
 俺の全身はガタガタと震える一歩手前だった。いや、足は少し震えている。
 怖いのだ。
 アリス様に剣が振り落されようとしていたから何とか注意を逸らそうとして、あの魔族のかけているメガネが目に入ってきて適当に叫んでみた。なんとか目的は果たしたが、あの魔族の注意は俺に向けられることになってしまった。
 しかもあいつは見たところ、かなり強そうだ。さっき俺たちの行く手に立ちはだかってきた連中とは比べ物にならないぐらいの魔力を感じる。
 素人の俺でも、だ。
 つまり簡単に今の気持ちを言ってしまうと……。
 なにこれ超怖い。
 俺は、なんだかんだ今までは割と恵まれた環境だったと思う。
 両親や兄や姉はトンデモスペックだけど、俺は特に劣等感を感じたことはなかった。割と周りから大切にされて育った方だと思う。ラウド兄さんは幼いころから騎士を志して、それに応えるために父さんは兄さんを鍛えた。けど、その時の俺はとくに騎士になりたいとも思わなかったし、だからこそ父さんも俺に騎士の道を強制しなかった。
 だけど今ほど、俺に戦う力が無かったことを悔やんだときはない。
 そもそも手に持っている魔導書が俺にちゃんと扱えるかも分からない。
 分からないけど……やるしかないということだけは、ハッキリと分かっていた。
 手に持っている剣の魔導書の封を解く。布の拘束を解いて中から現れたのは、力強い輝きを放つ剣――――ではなく、ボロボロに朽ちた剣だった。
 ……あれ?
 おかしいな。俺の予定ではもっと、こう、強そうな剣が出てくるはずだったのに。
 俺は表情を変えずに、ただ魔族を見ていた。だけど内心は冷や汗ダラダラである。
 だが、そんな俺の内心とは裏腹に、アリス様に剣を振り落とそうとしていた魔族は、ぎょっとした目で俺の持っていたボロ剣を見ている。
「それは……ッ! 奪われたはずのSランクの魔導書を、なぜ貴様のような子供が持っている!?
 あるぇー? Sランク? それって上から二番目の上位ランクじゃないですかー! やだー!
 兄さんめ。こんな危険なものを学園の中に持ち込んでいたなんて。
 だが、どうやら奪った相手のことまでは知らないらしい。
 正直、この魔導書を起動させたとしても、素人の俺では苦戦すれば言い方だ。一瞬でやられるかもしれない。俺は死んでもいい。だけどアリス様だけは……死んでも助けないと。
 だから勝つことまではいかなくても、応援が来るまでの時間稼ぎぐらいはしなければならない。ならば俺は戦いを有利に進めなければならないので、その下準備が必要だ。俺の武器はこのボロ剣と……あとは、
「決まっているだろ。これは、俺がお前ら魔族から奪った物だからな」
 ドヤ顔を心がけながら、あたかも俺が力づくで奪い取ったかのように振る舞う。
 ちなみにこれはもちろん、ハッタリだ。
「あの魔族四天王直属部隊隊長からSランクの魔導書が奪われたときいていたが……まさか本当だったとはな」
 え、マジで? うちの兄さんなにやってんの。
「ああ、なんだ。あいつ隊長だったのか。その割には大したことなかったけどな」
 うちの兄さんなら。
「いや、待てよ? だったらなぜ、魔道書を起動させていない。もしかして、ハッタリか何かか?」
「俺は研究が大好きでね。研究の為にこいつを調べていたところなんだよ。当然、既に呪文も解読済みだ」
「……ほぅ。だったら起動させてみろ」
 まだ疑うような視線を向けてくる魔族。魔族だと他のと判別しにくいからメガネ魔族にしよう。
 とにかくそのメガネ魔族は俺がハッタリをしかけていて、実は呪文も読めないと踏んでいたらしい。
 前半は正解。後半はハズレ。
「……いいぜ。やってやるよ」
 予想外であろう俺の言葉に、メガネ魔族が目を見開いた。その顔は「まさか」とでも言いたそうにしている。
 さっきまでのハッタリはハリボテもいいところだ。
 ちょっとした風が吹けばすぐに倒れて、見破れそうな嘘。
 だが、俺が今からこの魔導書を起動させることで……ハリボテの嘘は、限りなく真実に近い嘘へと変化する。
 ボロボロに朽ちた刀身に目を走らせる。
 刀身に刻まれている術式の中に紛れ込んでいたのは、恐らくこの剣の名前であろう一つの単語。これだ。これが呪文だ。
「――――『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』!」
 魔力を剣に送りながらその名を叫ぶ。
 すると、さっきまでボロボロに朽ちていた剣は途端に眩いばかりの閃光を放ち、その本来の姿へと戻っていく。
 次の瞬間に俺の手の中にあらわれていたのは、白銀の輝きを秘めた一本の剣。
 起動した。起動させてしまった。これで自動的にこの剣の持ち主は俺のものになってしまった。
 ああ、ごめんよ兄さん。
 でも緊急事態なんだ。許してくれ。あとでいくらでも謝るから。
 まあ、それも……生きていたら、の話だけど。
「魔導書を、起動させた? まさか……そんな……お前が……? 本当に?」
「彼女から離れてもらおうか。でないと、お前の命は保証できないぜ?」
 内心は、かなりいっぱいいっぱいだ。
 だが、これでやつは俺の嘘を信じたはずだ。俺が、魔族からこの魔導書を奪い取った実力者なのだと錯覚した。
 一度信じてしまえば疑いは更に深まるだけだ。
 もしかするとあの子供は強いのではないのか?
 自分では適わないぐらいに強いのではないのか?
 こんな風に、自ら嘘に嵌っていく。
 そしてその嘘は敵の動揺を誘い、恐怖を呼び、思考を、動きを、そして感情を僅かながらに鈍らせる。
 だが、敵の魔族も、そんなことでは止まらない。
「こんなところで、俺の計画を邪魔されてたまるか……!」
 そういうや否や、メガネ魔族は背中からビキビキという歪な音を出すと、背中の黒い翼を変化させる。刺々しいデザインの翼に変化させ、体中を緑色へと変化させていた。
「ハッ。見てくれだけの変化なんて、俺には通用しないぜ? 仮装大会でもやってろ、メガネ野郎」
 通用してます。もう目を合わせるのも嫌です。いやマジで怖いって。
 だが、いまさら逃げるわけにもいかない。倒すのは無理でも、なんとかして時間を稼がないと……。
 倒すのは無理でも、攻撃を与えるのは無理でも、防ぐことぐらいならできるはず!
 というところで、魔族が先に仕掛けてきた。背中の翼から自在に動く黒い、先端のとがった骨のようなものが何本も現れて、その一つ一つが俺に向かって突き進んでいく。目では追える。だが、体が反応しきれなかった。
 いや待て。これ、死ん――――――――
「――――で、ない?」
 気が付けば俺は、いまだ震えかけている足でそこに立っていた。周囲にはバラバラになった、あのメガネ魔族の翼から出た骨のような何かの残骸が落ちている。
 アリス様もメガネ魔族も、あっけにとられたような顔で俺のことを見ていた。
 何かをした? 俺が? 何を?
 が、メガネ魔族はハッとした表情をすると、もう一度、攻撃を仕掛けてくる。今度は何らかの魔法か何かだろうか。闇の力を秘めた火球が次々と俺をめがけて飛んでくる。
 しかし、俺の体はいたって冷静に、その一つ一つを斬り落としていった。俺は体を動かしているつもりはない。だけど、体が勝手に動いてしまう。これは……なんだ。
 そう考えた瞬間、俺の頭の中に無数の情報が流れ込んできた。まるで、答えを知りたがった瞬間に都合よく剣が教えてくれたように。
 そうだ。この動きは俺の意思によるものじゃない。それが分かる。頭の中に流れ込んできた情報で、分かってしまう。『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』に宿る救世主の魂が、俺の体を動かしているのだ。
 この魔導書の力は、かつて救世主と呼ばれた者の力を、魔導書の使用者に宿らせることが出来る力を持っている。
 そして俺は、その救世主に導かれながら戦っている。
 ……いきなり何言ってんだこいつと俺が言いたいような状況だが、しかしそう頭で理解してしまっている。これは、恐らく俺がこの魔導書(ホワイトセイヴァー)を起動させてしまったからだろうが、情報が頭の中に色々と入り込んできて、ちょっと混乱しているぐらいだ。
 だけど体は勝手に動いていて、敵の攻撃をさばき、そしてかわしている。
 自分でも信じられなかった。
 俺にこんな動きが出来るはずもないのだから。
 だけど現に俺は目の前のメガネ魔族と互角……いや、圧倒している。
 敵の攻撃をかわし、走り、懐に潜り込み、剣をふるう。
 たったそれだけで、相手の体の一部が切り裂かれた。
 緑色の体液のような物がちらっと見える。だが、浅い。
「バカな!? この俺が、こんな……こんなガキに圧されている!?
 驚きたいのはこちらである。正直、魔導書を使う以外に策なんてなかった。
 だが、俺はこうして魔族と戦えている。更に、俺が実際にこうして魔族と戦えていることで最初についた嘘――――俺が本当は魔族を倒せるぐらいに強い学生なのではないかという嘘が、より真実味を帯びてくる。
 距離をとったメガネ魔族は右手から何らかの砲撃系魔法を放った。その威力と大きさで思わず怯みそうになるが、俺は勇気を振り絞ってせめてその場から逃げるような真似はしなかった。
 いつの間にか場所がかわったのかアリス様が背後にいる。ここで逃げるわけにはいかないのだ。
 剣を握っている右手を前に突き出す。
 そして。
 巨大な砲撃魔法を、『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』は一瞬で切り裂いた。
 相手の顔に恐怖の色がちらりと浮かんだ。
 確実に下準備(ハッタリ)が効いている。
 動きに若干の恐怖と怯えが見える。
 だが、俺の方にも余裕がなかった。
 さすがはSランクの魔導書、ということだろうか。
 持っていかれる魔力の量も半端ではない。まだ戦って数分足らずだが、もう息が上がってきた。俺はもともとそこまで飛びぬけて魔力が多いわけではない。Sランクの魔導書なんて使えば、あっという間に魔力(たいりょく)切れになってしまう。
 魔力の調整なんて器用なマネはまだ学校でも習っていない。それに今の俺には調整している余裕なんてない。だから俺にできるのは全力で、一刻も早くこいつを倒すことのみ。
 メガネ魔族は剣を作り出した。それを数度切り結ぶ。が、ここでアクシデントが起きた。
 体力が限界に近いのか、ガクッと膝が落ちる。そこを逃す相手ではなく、相手の大きな斬り落としの一撃を、なんとか受け止める。片膝が地面について、いよいよ体力が限界に近づいていた。
 相変わらず場所的にアリス様は俺の背後にいる。
 ああ、くそ。こんなみっともないところを見せちゃったのは残念だ。
「調子に乗りやがって……! 女の前で格好つけたいだけのただのガキは、とっとと死んでろ!」
 もう限界だった。
 それは分かっていた。
 だけど、ここで頑張らないと、ここで限界を超えないといつ超えるというのか。
 これが最後だ。
「うるせぇ……!」
 もうなにを喋っているのか自分でもわからなかった。白い救世主(ホワイトセイヴァー)に魔力を持っていかれていく。
 意識が途切れかかっている。
「好きな女の子の前で格好つけないで……いつ格好つけるんだよ!」
 剣が光る。膨大な量の魔力が迸る。
 『白い救世主(ホワイトセイヴァー)』から放たれた星屑のように輝くその一撃。その光の刃に飲み込まれた魔族は、断末魔を響き渡らせながら――――消えた。
 ……メガネキャラはあのドングリメガネだけで十分だ。
 そんなことを思いながら、俺の意識は途切れた。


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