第四話 勇者の帰還

文字数 13,563文字

 その戦いの様子は、図書館の傍で戦っていた者たち全員が見ていた。何しろ図書館の最上階は大部分が吹っ飛んでおり、外からはほぼ丸見えだったからだ。
 ラウドは、妹のエミリーと共にたまたま学園の外にいたために到着が遅れてしまい、途中からしか見ていなかったが……どうやら自分の弟がラウドの研究室から勝手に魔導書をくすねてきて、使ってしまったらしい。
 昔から聞き分けも良く、基本的に悪いことはしないアキトがたまに何かをくすねて両親に怒られていることがあったが、そういうことがあった時は決まって何か大切なことがあった。
 どうやら今回もそれに相当するらしい。
 弟が頑張っている姿を見て、すぐさま駆けつけたい気持ちはある。だが、図書館には結界がはられており、出入口からしか侵入できなくなっていた。
 どうやらめんどくさいことに、目の前の魔族を片づけなければならないらしいと踏んだラウドは、すぐさま魔法を発動させる。
 剣を大きく振るうと、それだけで魔族の大半が消し飛んだ。強敵は図書館内部の防衛にあたっているからだろう。そこでも、かわいい弟の友人が暴れているようだが。
「クロード様の護衛には妹があたっていますので、すぐにアリス様の保護を。ああ、それと……おそらく担架が必要になります」
 図書館最上階での戦いは決着がついた。弟が今どうなっているのか容易に想像できる。
 Sランクの魔導書の力をあそこまで発揮させたのだから、確実に魔力が枯渇しているはずだ。
 どうやらこれは、かなり強烈に怒ってやらなきゃならないらしいな。
 ラウドはそんなことを考えながら、残った魔族の殲滅にあたった。

 ☆

 結論だけ述べると、めちゃくちゃ怒られた。
 うん。そりゃそうだろう。
 グリカゲの二人はどっちも無事だった、というか二人とも英才教育を受けたその成果をいかんなく発揮したからか、割と無事だった。ドングリは腹減ったとかいってフラフラになりながら食堂に籠っているらしいけど。
 俺は、寮監督であり、基礎魔法学の先生であるクラーク・オールポート先生や兄さんや姉さんにかなり怒られた。その後、両親も駆けつけてきて一発殴られてから再度、怒られた。
 なんで大人しくしていなかっただの、どれだけ危ないことをしたのか分かっているのかだの、どうして逃げて先生たちに任せなかったんだだの、それはもう色々と怒られた。うん。言いたいことはわかる。自分がどれだけバカな行動をしたかと自覚しております。今思い出しても、やっぱり本物の魔族と正面立って向き合うのは怖いと思う。今回はたまたま偶然、上手くいっただけだ。
 でも、後悔はしていない。
 その……す、好きな女の子がなんていうか、危ない目にあっているのに逃げるのは嫌だったし、次々と状況が悪い方向に傾いていくのを間近で見ていたから我慢できなかったというのもある。
 反省はしたけど、同じことが起こったらたぶん、また同じことをするだろう。
 それが分かっているからか、大人たちからは更に怒られた。

 学園の被害はそこまで酷くはなかった。図書館を除いて、だが。
 同じことが起こらないように、今度は王都中の研究者たちを集めて更に街の防御、として学園の防御を強化する方針が決まったというのは、カゲからきいた。
 図書館のバイトは図書館が修復されるまでは休みということになった。
 また、俺のもとに入院期間中になんと、あのクロード様が訪れた。どうやら姉さんに守られていたらしく、「妹を助けてくれてありがとう。本当に感謝している」という言葉のあと、「本人に直接礼は言ったんだがな。すまないが、君の方からもエミリーさんにもお礼を伝えておいてくれないか」と言われた。
 姉さんに会うと必ず最低でも一回は「ちょっとアンタの体、解体して調べさせてくれない?」みたいなことを言われるので出来れば会いたくはなかったのだが……クロード様、つまり次期国王様に言われてしまえば仕方がない。
 アリス様はどうやら精密な検査を受けており、念のために少しの間、入院するらしい。対した怪我はなかったようで、何よりだ。
 だが、そんなある日の夜。
 俺が病室で一人ぼんやりとしていると、唐突に誰かが入ってきた。
「あ、アキトくん」
「アリス様っ!? え、どうして……」
 夜の病室に入ってきたのは、あろうことかアリス様だった。
「アキトくんのこと、お見舞いしようと思ったんです」
「そ、そうだったんですか」
「はい。あの、よろしいですか?」
 アリス様にそんなことをきかれてNOと言えるはずがない。俺はまだ夢でも見ているのではないかと錯覚しつつ、幸運にも俺はアリス様と一緒にいることが出来た。
「あの、助けてくれて、ありがとうございました」
 そういって、アリス様は頭を下げる。
「と、とんでもない! あ、頭を上げてください」
「でも……私のせいで、アキトくんが怪我を……」
「あれは俺がやりたくてやったことです。それに、アリス様が無事だったのなら、自分はもう何もいりません。だからお気になさらないでください。それよりもあなたが無事で本当に、無事でよかった」
「アキトくん……」
 それから俺たちは他愛のない会話をして少しの時間を過ごした。
 やっぱりまだちょっと緊張するなぁ。でも、少し慣れてきたかもしれない。
 渡すなら、今か。
「どうしましたか? アキトくん」
「え、あのっ……そのっ……」
 頑張れ俺、頑張れ俺、頑張れ俺……。
 永遠とも思えるぐらいのゆっくりな時間が流れた、ような気がする。
「これっ……!」
 相手の顔を見ずに渡すのは失礼だと思うのだが、今の俺にはこれが精いっぱい。
 震える手で、俺は棚から取り出し、一冊のノートをアリス様に差し出した。
「前に、頼まれていた翻訳、です……!」
 魔族の襲撃事件が起きる前。
 俺はアリス様に、本の翻訳をすることを約束していた。だがそれからいろいろあって……いや、それはただの言い訳だ。俺がモタモタしているばっかりにこうやってアリス様に物語を届けるのが遅れてしまった。
 アリス様は少しの間、ぽかんとして黙り込んでいた。呆れられてしまったのだろうか。遅くなっちゃったし。仕方がない、かな。
「えっ……もう、出来たのですか?」
「へっ?」
 アリス様の口から出てきたのは、思っても見ない言葉。てっきり呆れられたりするのかと思ったけど。
 全然違った。逆に驚いている。
「アキトくん、怪我をして入院してましたし……いつ、翻訳を?」
「えっと、入院中は暇だったので。その間に」
「疲れているはずだったのに……ごめんなさい。私が頼んじゃったばっかりに」
「そ、そんなことっ! アリス様に喜んでもらえれば、じ、自分はそれで満足ですっ」
 ちょっと恥ずかしい事を言ってしまったような気がするけど。でも、本心だから気にしない。俺は言いたいこと、伝えたいことをつたえただけなのだから。
 アリス様は翻訳した物語が記されてあるノートを大切そうに手に取ってくれた。
 それからしばらくの間、なんとなくちょっとした無言の時が流れた。
 少しずつ落ち着いてきた俺は、視線を隣にいるアリス様の方に向ける。
 すると、不意に視線をこっちに向けてきたアリス様と目があった。
 慌てて互いに目を逸らす。
 なんだろう。このちょっと気恥ずかしいような感じは。
 わからない。
 今は俺もアリス様も、同じベッドに座っている状態。
 さっき目があってしまったせいで落ち着かなくなって手をなんとなく動かしていると、不意に温かい物に触れた感覚がした。
 これは……アリス様の指だ。
 それを理解したと同時に、ビクッと手が震えて、慌てて距離を取る。
 失礼なことをしてしまったかなと思ってもう一度彼女の方に視線を向けてみると、
「……っ」
「……っ」
 また目があってしまった。慌てて目を逸らす。
 指にはまだ、微かにアリス様の指の感触が残っていた。……ぷにぷにしていて柔らかかったな。
 そんなことをぼんやりと考えていると、今度は手を動かしていないのに、柔らかい感触が小指から伝わってきた。
 ほんの一瞬。ちょんっ、とアリス様の小指が、俺の手の小指とちょっとだけ触れられた。
 ……俺だって男だ。こ、ここで勇気を出さないでいつだすんだ。
 覚悟を決めて、アリス様の小指に、自分の手の小指を重ねる。ちょっと大胆すぎたかと思ったけど、アリス様はちょっと驚いたような顔をして、そこから何も言わなかった。

 ☆

 この学園に入ってから、俺はアリス様と一緒にいることのできる機会が増えた。更に驚くべきことに、学科が振り分けられて冒険科に入った俺たちだったが、アリス様も冒険科に入ってきたのだ。よけいにアリス様と一緒に居られる時間が増えて、俺はとても幸せだった。
 だから、こんな日々がいつまでも続けばいいのになと心の中で思っていて、そして俺はこんな風に彼女との日常がいつまでも続くものだと心のどこかでは思っていたのかもしれない。
 けど、やっぱり。
 魔族襲撃事件の時もそうだったけど、こんな上手くはいかないわけで。
 俺たちがちょうど冒険科に入った頃、国中……いや、世界中に一つの知らせが駆け巡った。
 勇者パーティが魔王を倒したという知らせだ。
 世界中の人々はこの知らせに喜んだ。
 学園ではパーティが行われ、それは連日続いた。
 そんな騒動も収まった頃、なんと勇者パーティがこの学園に訪れた。
 俺たちは物珍しくなって勇者様たちの姿を見に行った。
 そこにはアリス様もいて、多くの生徒たちに混じって学園を訪れた勇者パーティを見ている。
 勇者は黒髪の俺たちと歳の変わらない男の子だ。けど顔はかなりイケメンの王子様のような気品溢れるオーラを身に纏っていた。イケメンオーラってしゅごい。仲間には魔女が二人と男騎士が一人、そして大型の盾と剣を持った褐色の大男が一人。
「あれが噂の勇者パーティか」
「はじめてみた」
 グリカゲの二人が物珍しそうに勇者パーティを見ている。
「アリスは前に何回か会ったことがあるんだっけ?」
「はい。幼少の頃に何度か」
 ということは、俺たちが知らない時……五歳から七歳ぐらいの時かな。
 そういえば勇者様が旅に出かけたのが十歳ぐらいの時だったっけ。
 そんなことを考えていると、勇者様がこっちに視線を向けてきた。そしてその視線をアリス様に捉えると、えらく真剣な顔をして真っ直ぐにこっちに向かってくる。
「おい、なんかこっちに来たぞ」
「逃げる?」
「勇者様相手に逃げるのってやましいことがあるみたいでなんかなぁ」
 まあ、基本的に勇者様が向かってきて困るのは魔族ぐらいだろう。
 そうこうしている間に勇者様は俺たちの目の前に到着し、そしてアリス様の前で片膝をついた。
「アリス姫、お久しぶりです」
「え、あ、はい」
 ああ、そうか。王族にちゃんと挨拶をしようとしていたのか。
 どうして勇者様がこっちに近づいてくるのかが分からなかった俺たちは、密かに安堵する。
 そうして空気が弛緩したところにすかさず爆弾を放り込むように――――勇者様は、言った。
「あなたにずっと会いたかった」
「え? あ、ありがとうございます」
「アリス姫、急な話で申し訳ないのですが……」
 いきなり何を言い出しているのか分かりかねていた俺たちが油断したところで。
 勇者様は流れるような動作でアリス様の手をとって、その一言を口にした。
「私と結婚してください」
「……………………え?」
 ぽかんとしたアリス様の表情。が、俺たちも同じような顔をしていた。
 え、何言ってんだこいつ。え? けっこん? ケッコンカッコカリじゃなくて?
「あなたを愛しています、アリス姫。私と結婚してください」
『な、なにぃ――――――――!?
 俺は今まで、アリス様の傍にいる為にいくらだって頑張ってこれた。
 別にアリス様と恋人だとか、そんなのになれなくなって良いと考えていた。
 どうせ俺には手の届かない人だから。
 でも、彼女との日々を過ごすうちに……彼女に対する恋愛感情は日に日に大きくなって。
 だったらもっと頑張っていつかは彼女と、なんて考えていた時もあったけど。
 これまでは魔族が来ようと頑張ってきたけど。
 世界を救った勇者様が相手って……さすがに分が悪すぎませんかね?

 ☆

「はぁ……」
 昼休みの食堂。
 俺は本日何度目かも分からないため息をついた。
「辛気臭い顔を向けるな。飯が不味くなる」
「同意」
 グリカゲの二人に言われつつも、俺はため息を止めることが出来ない。
 あの勇者様の電撃プロポーズから二日経った今でも、この話題は学園中、いや、王都中で大きな話題を呼んでいた。
 あの時、アリス様は勇者様の突然の申し出に困惑して、あいまいな笑みを浮かべていた。
 それが俺にとっての唯一の救いだ。
「…………」
 そもそも、どうして俺はこんなにもショックを受けているんだろう。
 勇者様がアリス様にプロポーズしたからなんだっていうんだ。
 良いことじゃないか。彼女に相応しい人が現われたんだから。
 アリス様の幸せを考えるのなら、これは何も悲しむべきことじゃない。
 喜ぶべきこと。
 なのに。
「はぁ……」
 ため息が止まらない。
 もやもやする。

 ☆

 襲撃事件のゴタゴタも終わり、気が付けば二学期に入っていた。
 順調かと思われた日々も、あのプロポーズ事件……学内では『勇者ショック』と称されているあの事件のせいで、俺の心の中には常に影が落ちている。
 だがそんな俺の事情にはお構いなしに、第二次勇者ショックが学園を……いや、俺を襲った。
「えー、というわけで、今日から我がクラスに転入してくることになりました、アルフォンス・メルドくんです」
「アルフォンス・メルドです。よろしくお願いします」
「みなさんもご存じのとおり、アルフォンスくんは勇者として魔王を討伐した英雄であり、みなさんもアルフォンスくんを見習って、日々精進するように」
 勇者がうちのクラスに転校してきやがった。
 なんで? え? ちょっと待って。
 なんで勇者が今更学生やるの? おかしいでしょ色々と。
 実習でも勇者はその圧倒的な力で次々とトップの成績を、簡単にとっていった。頑張って努力するのがバカらしくなるぐらいに勇者様の力は圧倒的だった。
「はぁ……」
 そんなとある日の昼休み。
 俺たちは学内の片隅にある中庭に集まっていた。
 勇者様はあろうことか食堂を利用なさっているので、そのファンや野次馬たちが騒がしくてとても利用してはいられない。
 この学園は敷地が広く、中庭のようなものが小さなものならそこかしこにあるので、俺たちはその一つを使っていた。
 まあ、そのおかげでアリス様と一緒に昼食を食べられるようになったのでここは勇者様に感謝しなければならないが。
「アキトくん。最近、元気がないみたいですけど……具合でも悪いのですか?」
「え? あ、いいえ。なんでもないです」
 アリス様に心配されてしまった。
 いかん。いかん。アリス様の前でこんな辛気臭い顔をしているわけにはいかないな。
 とりあえず頑張って笑顔を作ってみようと心掛ける。
「ここにいたのですね」
 ゆうしゃさまがあらわれた!
 コマンド
 たたかう
 にげる
 ひれふす←
「あ、アルフォンス様。どうしてここに?」
「お食事をご一緒したいと思いまして……ご迷惑でしたか?」
「…………いいえ。大丈夫ですよ」
 アリス様はにっこりと笑みを浮かべている。
 そうだよなぁ。やっぱ地位も名誉も権力もあるイケメン勇者様と一緒にご飯を食べれるなんて嬉しいよね。
「おいおい。俺たちには断りなしかよ」
 と、ドングリがちゃかすような、軽いノリで言う。
 授業での交流で真面目系だと判明している勇者様は慌てたように、
「あ、申し訳ありません。不快に思ったのなら謝ります」
「いや、今のはちょっとふざけただけだ。申し訳ありませんでした、勇者殿」
「その勇者殿というのは止めてください。私の事はアルで結構です」
「さすがに英雄様を呼び捨てにするのは……」
 カゲの言葉に同意するように、俺もドングリもミッチェルも、ちょっとそれは遠慮してもらうことを暗に示す。
「アリス姫。あなたも遠慮なさらず、私の事はアルと及びください」
「いえ……私は王族の者ですし、国民たちに示しをつけなければならないので」
 そんなアリス様の返答に、俺は思わず内心ホッと安堵する。
 ……いや、なんで安堵してるんだ俺は。

 ☆

 相変わらず勇者様は学園内の人気者だった。
 学内ではアリス様と一緒に中庭を歩いている姿が目撃されたりしている。二人は学内でもお似合いのカップルとさえ噂されていた。
 学業も今までの勇者生活で培ったものがあるし、もとから優秀な人でもあったので、あっという間に学内成績もトップになった。
 アリス様の傍には勇者様がいつもいて、しかもさまざまな語学や古代語にも堪能な勇者様はアリス様の読みたがっていた本の翻訳まで引き受けていた。
 別に勇者様にはそんなつもりはないのだろうけれど、でも。
 それでも。
 なんだか俺の役割を、奪われたような気がした。

 ☆

 その日はバイトがある日だった。
 アリス様も入っていて、アリス様は地下書庫で作業をしてもらっている。
 俺とドングリとカゲはというと、その上にあるカウンター裏で図書の整理作業をしていた。
「それにしても、ここ最近は色々と騒がしいな」
「そうだな。まあ、魔法実習があるからみんなのテンションが高いのも分かるけど」
「あと、勇者様とかな?」
 ドングリの何気ない一言。いや、こいつは確実に分かって言っている。
 まどろっこしいことは無しだ。
「……何が言いたいんだよ」
「じゃあ率直に言わせてもらうけどな? このままでいいのか」
「いいって……」
「このままじゃアリス様、あの勇者くんにとられちまうぞ」
 とられるもなにも。
 もとからアリス様は俺のものじゃない。
 だから勇者様がアリス様とそういう関係になろうと、別に俺の知ったことではない。
「今度、王族が勇者の帰還を祝してパーティを開くらしい。そこに勇者からの要望でアリス様も勇者様直々に招待されるときいた」
 カゲがまた、どこから掴んできたのかも分からない情報を口にする。
「いいのか。このままで」
 珍しくカゲまでもが口を挟んできた。
「とられるもなにも、別にアリス様は俺のものじゃないだろ」
 俺は頭の中で必死に自分にいいきかせていたことを口に出した。
 そうしないとやっていけない。
 そんな俺の気持ちとは裏腹に、ドングリは変わらず軽い調子で言葉を紡ぐ。
「まあ、相手はハイスペックイケメン勇者だから気持ちは分かるが、せめて自分に嘘をつくのはやめとけ」
 俺が何かを言い返す前に、ドングリは淡々と次の言葉を放つ。
「俺はな、お前の事を結構凄いヤツだって尊敬してたんだよ。何しろあのお姫様のためだけに実践も経験したことがないくせに魔族と戦おうとするし、しかも勝った。俺がお前だったら、絶対にそこまで頑張れなかったと思うぜ」
「同意。アキト、お前はもっと自分に自信を持て」
 珍しく、グリカゲの二人が俺を評価するような事を言ってくる。
 でも自信を持てと言ったって。
 それが何だっていうんだ。
「別に俺は……」
 アリス様と勇者様がどんな関係になろうと知ったことではない。
 そんな俺の言葉を先読みしたかのように、ドングリがその先を遮った。
「嘘つくなよ。本当は辛いんだろ? 勇者様がアリス様と一緒にいるのを見ていて」
「アキト。正直になれ。自分に嘘をつくな。自分に嘘をつくと……辛いぞ」
 それでも俺は沈黙を保ったままだった。
 そんな俺の様子を見て、少しイラッとしたのかドングリはさきほどまでの様子から一変する。
「まあ、でも。お前には何も言う資格なんてないけどな。ああ、そりゃ確かに黙ったままだろう。だって勇者様は正々堂々とアリス様にアプローチしているもんな。でもお前はなんだ。ハイスペックイケメン勇者様に先を越されたからっていつまでも遠くから見ているだけでウジウジと。そんなに嫌ならお前も思い切ってアリス様に自分の想いぐらい伝えてみたらどうだ? 学内の噂がなんだ。どうせ自分よりも勇者様の方がアリス様にお似合いだとでも思っているんだろ? アホらしい。そんなことを決めるのはお前じゃねぇ。アリス様だ。お前の勝手な価値観で人の気持ちを判断するな。そんなお前はそりゃ確かに、勇者様に文句の一つも投げつける資格なんかねーよな。だってお前は何もしようとしないんだから。けどなアキト、俺の知っているお前は、あのお姫様のためならどんな無茶だってやってのけるようなバカだったはずだ。悔しかったら、あの勇者様に何か思うところがあるのなら、お姫様に、勇者様の目の前でプロポーズの一つでもしてみせろこのアホが!」
 ドングリの怒涛のラッシュが、図書館の中に響き渡った。
 俺はまるでハンマーでガツンと頭を殴られたような感覚がした。
 そしてその衝撃で。
 俺の中にある何かが、抜けた。
 今が開館時間前でよかった。
 幸いにも誰もいないし、地下にいるならアリス様たちにもきこえないだろう。
 だから。
「お前に何がわかるんだよ。だって仕方がないだろ? 相手はあの勇者だぞ。世界を救った英雄だぞ? 地位だって名誉だってある。アリス様を守ってやれる力だってある。俺なんかとは違う、彼女を幸せにしてあげて、彼女を守ってやれるようなもんを全部持ってるんだぞ!? だったら諦めるしかないだろ。だったら見ていることしか出来ないだろ! お前は何もしていない? だから何も言う資格がない? 言えるわけないだろ。勇者っていったらこの国の英雄だろうが。王族だって関わっているだろうし、アリス様にも立場があるだろうが! そんな彼女の邪魔が出来るか? 彼女を困らせるようなことが出来るのか? 出来るわけないだろ!?
 ありったけの想いを吐き出す。
 そうだよ。俺には何も言う資格なんかないよ。
 勇者様は凄い。あれだけ大勢の人の前で、何の恥ずかしげもなくアリス様に……好きな人にアピールしている。
 そんな勇者様だからこそ、憎むに憎めない。彼はあくまでも正々堂々と、好きな女の子にアタックしているのだから。
 俺にはまだアリス様を守ってやれるような力はない。
 アリス様に相応しいような地位も名誉もない。
 だからこそ悔しい。
 勇者様は俺とは対照的に、力も地位も名誉も持っている。
 勿論、それを得る為にそれ相応の努力も辛い思いもしてきたんだろう。
 だけど。
 それでも。
 俺はやっぱりアリス様が好きだし、だからこそ勇者様がああやってアリス様と一緒にいるのは、見ていて辛い。悔しい。
 今までの俺の努力はなんだったのだろうって思えてくる。
 俺が必死でしている努力も、魔族を倒したことも、勇者様にとってはなんでもないようなことだったんだ。
「あー、ウザってぇ! グダグダ理屈こねてるが、要するにお前はアリス様が好きなんだろ!? だからそうやって無駄にウザッテぇ理屈を並べてるんだろうが!」
「好きに決まってるだろこのドングリメガネ! 好きじゃなかったらこんなにも頑張れるか! こんなにも必死になれるか! こんなにも……悔しい思いが出来るか! 好きだからこんなにもモヤモヤするんだろ、好きだからアリス様のためならなんでも出来たんだろ、好きだから彼女の幸せだけを考えてこんな思いをしてるんだろうが! つーか、好きだからなんだアホ!」
「だったらウダウダ言ってないでいつもみたいにアリス様の為に何かしてみろ! お前は今までそうやって来たんだろ? 好きな女の子の前で格好つけないでいつ格好つけるって言ってたのはお前だろうがアホ!」
「ちょっとまて! なんでこいつはそのことを知っているんだ!?
「んなこたぁどうだっていい。それよりも、ようやく本心を喋ったな。このマヌケ」
「あ……」
 ニヤリ、とドングリが計算通りとでも言いたそうな顔をしていた。
 どうやら俺はまんまとこいつにはめられたらしい。
 けど不思議と嫌な感じはしない。
 むしろスッキリとしたような、そんな感じだ。
 もう言いたいことを全部言い切ってしまったせいだろうか。
「素直になった」
 隣ではカゲが珍しく微笑んでいた。
 そうだ。そうだよ。俺はアリス様が好きだ。
 でも。
「……でもさ。実際問題、どうすりゃあいいんだよ。確かに俺はアリス様が好きだ。ずっと、好きだった。でも、相手はあの勇者様だぞ?」
「さぁな。俺にもわからん。けどお前は今まで、普通なら勝てないっていう敵にも必死に頑張って勝ってきただろ。だからさ、今度もがんばってみろよ。その結果がどうなるかは分からんが、俺は喜んで力を貸すぜ」
「俺も」
 二人が当たり前のように、こんな俺なんかの為に力を貸すと言ってくれている。
 ……ああ、そうだったな。今までもずっとそうだった。こいつらはずっと、俺を助けてくれていたよな。
「……カゲ。アリス様が招待されたっていうそのパーティさ。俺も参加出来ないかな」
「バイトとしてなら、潜り込めるかもしれない」
 ははっ。バイトか。
 実に俺みたいな庶民らしいポジションだ。
「うん。それでもいいから、頼めるかな」
「了解した。手筈は整えておく」
 コクリとカゲが頷いた。
 本当に、こいつにもいつも助けられているなぁ。
「ん。噂をすればなんとやら、だな」
 ドングリが入口の方に目をやる。するとそこには、件の勇者様の姿があった。
 きょろきょろと館内を見渡して、俺たちの姿を見つけると、すぐに駆け寄ってくる。
 ちくしょう。近くで見ればみるほどイケメンだなおい。
「アキト、ドングリ、カゲ。君たちもここでアルバイトをしているんだよね?」
「ああ。見ての通りな」
「アリス姫もここで?」
 勇者様の言葉に、答えるのは俺だ。
「はい。それで、アリス様に何か用ですか」
「ディナーに招待したくて。……このあと、城で会議があるからこのタイミングでしか誘えないんだ。すまない」
 きっちりと、業務時間中に割り込んでしまった事を謝罪してくるあたり、本当によくできている。
 見ればみるほど、接すればせっするほどアリス様にピッタリだ。
 でも。
「申し訳ありません、勇者様。今は業務時間中です。プライベートなお誘いなら、業務時間外にお願いします」
 ああ、傍から見たらこれは明らかに俺が悪役だな。
 勇者様とお姫様の恋路を邪魔する悪党。
 それでもいい。
 もう見ているのは嫌だ。
 俺は彼女が好きだ。
 だからどんなに醜くても、悪役でも、邪魔はしたい。やっぱり彼女と目の前の男が一緒にいて、お似合いのカップルのように見えるのは……辛いから。だから、俺は邪魔をしてやる。
 そして、彼女に俺の想いを伝える。
 しばらく、俺と勇者様の視線がぶつかり合った。
 そして。
「……アキトの言うとおりだな。すまない。今日は帰らせてもらうよ。業務が終わったら、また来る」
「はい。そうしてください」
 俺は図書館から出ていこうとする彼の背中を見送りながら、心の中で宣戦布告を行う。
 確かにアンタは悪い人じゃないんだろうけどな、勇者様。それでも俺はやっぱりアリス様のことが好きだ。ずっとずっと好きだったんだ。
 だから……。

 ☆

 魔王が討伐された記念として王族が開いたパーティ。それは国をあげての一大イベントとなっているので、基本的には城の庭園で行われるが、外もお祭り騒ぎとなっている。
 なにしろ魔族の長である魔王が敗れたのだ。
 国を挙げての一大イベントとなるのは間違いなく、それどころか世界中で同じようなことが行われているだろう。
 これは世界中の人々が喜ぶべきイベントなのに、アリスの心の中は晴れないでいた。
 むしろ、心の中は曇り空といってもいい。
「はぁ……」
 煌びやかな衣装に身を包み、王族専用席に腰を下ろしながらアリスは一人、ひっそりとため息をついた。侍女たちには「勇者様に会うのだからしっかりおめかししないと」などといって無駄に気合を入れてくれたこのドレスだが、正直アリスにとっては自分を縛る鎖にしか見えない。
 自信を纏うドレスも、宝石も、今はただの重りにしか思えない。
 このドレスよりも今は制服を着て、学園へと行きたい。
 しかも、来賓の貴族たちがどこか期待ありげな目でアリスの事を見ている。
 やはり外にもあの勇者の突然のプロポーズの一件が伝わっているのだろう。
 憂鬱になる。学園だけではなく、こんな場所ですらじろじろと見られなければならないのか。
 学園だけならいい。
 あそこにはみんながいる。
 だけど、この場にいるとまるで自分が一人でいるかのような錯覚に陥る。
「アリス姫? どうしましたか?」
 とはいえ実際は、一人でもなんでもないのだけれど。
「いえ。なんでもありません」
 アリスは隣の席に座っている勇者に向かって微笑みかける。
 王族専用席ではあるが、今回の主役を座らせない理由はない。
 今や彼とその仲間たちはこの世界の英雄だ。
 アリスにもこの国のお姫様という立場があるので、迷惑だというわけにはいかない。
 何しろ彼は勇者にして英雄。
 失礼の無いようにしなければならない。
 咄嗟に笑顔を作って微笑みかけるのは、もはや護身術の一つとして身に着けている。
「少々疲れてしまって……朝から侍女たちに着せ替え人形みたいにされていたので。勇者様の前に出るので失礼の無いようにと侍女たちが張り切ってしまったんです」
 この言葉の中には「勇者様のせいで色々と疲れている」という意味も込められているのだが、実際に言葉に出せればどれだけ楽だろう。
 とはいえそれは、自分の立場的に言えはしない。
「アリス姫」
「はい」
「急かすようで申し訳ないのですが……あの、返事はいつ、いただけますか?」
 来た。
 ここ数日、アリスがずっと避けていた話題である。
 これはもう何度も何度もきかれた質問だ。
 そのたびにアリスは適当にごまかしながら逃げて、それを周囲は「照れている」のだと勘違いしている。
 だが、当の勇者本人相手にどういえばいいのか。
 頭の中で咄嗟に考えを巡らせる。
「えっと……まだ、色々と驚いていて……すぐには、ちょっと……」
 結局、周囲に言っていた事と同じことを言った。
 勇者本人に言った事と、周囲に対して言ったことが間違っていたら色々と厄介なことになる。
 少なくとも、今の段階では、まだ。
「そうですか……そうですよね。驚かせてしまって申し訳ありませんでした」
「いえ……こちらこそ、申し訳ありませんでした」
 勇者の視線から逃げるように、会場の方を見渡してみる。
 そういえば、自分の誕生日の時も毎年、こうやって王族専用席から会場を見渡していた。
 寄ってくるのは王族に取り入ろうとするような輩ばかりで、こういったパーティはたとえ自分の誕生日であってもつまらなく思える。
 ……そういえば、一時期だけつまらなくなかった時期があった。
 母が死んでからの数年のパーティは、ちょっとだけ楽しかった。
 会場で働く、自分と同じ歳の男の子を探していた。
 その間だけは、孤独やつまらないといった感情を忘れることが出来た。
 自分と同い年なのに、毎日毎日一生懸命に働いているなんて、凄いと思っていた。
 気が付けばいつもあの男の子のことを視線で追っていた。
 そう。丁度いま会場でせっせと働いている男の子を……、
「え?」
 思わず我が目を疑った。声にも出てしまった。
 よく見てみると、確かにその男の子がいた。
 あの頃と違うのは、身長や体格といった点。
 だけど、二人の友人と一緒に一生懸命に働くその姿は、何一つ変わっていなかった。
「どうしましたか?」
「ふぇっ、あ、えっと、な、なんでもないですっ」
 勇者からの問いになんとか返事をしつつ、視線だけはアキトの方を向いている。
 見間違えようもない。
 いつも見ていた。いつも見ている彼の姿が、そこにはあった。
 アルバイト、だろうか。
 会場にいる貴族たちに飲み物を運んだり、テーブルに料理を運んだりしている。
 忙しそうだ。
 この過去最大規模ともいえるパーティなのだから、当たり前なのかもしれない。
 だけどアリスにとって、それはまるで昔に戻ったような感覚だった。
 もう一人じゃない。ここにいるのは、自分を国王に近づくための道具としてしか見ていないような貴族じゃない。
「……アリス姫?」
「はい。なんでしょうか?」
 浮かべた笑みは、今度はさっきよりもずっと自然なものだった。
 勇者様はちょっと驚いたような、それでいて……残念なような、そんな微妙な笑みを浮かべていた。
「いえ……なんでもありません」



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