第二話 学園での日常

文字数 16,787文字

 王立メーティス魔法学園。

 ここは、十二歳から十八歳の魔法使いの卵たちが六年間通う学園だ。俺はここでドングリやカゲたちと一緒に寮生活を送っている。設備は割と充実しており、俺はここで平凡なりに、本を読んだりしながら生活を送っていた。

 この学園に入学してから約三ヶ月。もうそろそろ寮生活にも慣れてきたし、授業にも何とかついていける頃になっていた。

「平和だよなぁ」

 昼休み。

 俺たち三人はいつもの中庭で日向ぼっこをしながら昼食をとっていた。そして寝ころんでいたドングリも、のんきに呟く。

「ホント、平和だよな。この国の外では、勇者様と魔族が戦っているなんて信じられねェわ」

 確かに、ドングリの言う通り。そんなことが信じられないほど俺たちの周りの環境は平和そのものだった。

「俺たちと同じ年の男子が魔族と戦って全世界の人の役に立ってるんだぜ。すげえよなぁ」

「お前のメガネは役に立たないのにな」

「同感」

「お前らメガネなめんなよ」

 昼飯は食堂にある購買でもしゃもしゃと食べる。さすがは王立。購買のメニューも美味しい。

 俺は生活費は基本的にバイトで稼いでるからだろうか。働いて買ったご飯は美味しいものだ。

 ……そういえば、あれからもう二年か。アリス様とはあれきりだ。もう一度読んでください、と言われて期待しなかったと言えば嘘になる。けど、所詮俺はただの平民のバイト。よく考えればこれが当たり前なのだ。

 あれからアリス様との接点は殆どなく、そして学園に通うことになったので俺はバイトを辞めた。

 今は図書館の学内バイトをやっている。子供の頃から図書館に通っていたこともあって、図書館の学内バイトに興味が沸いて応募したのだ。そして、当選したのでそこでバイトをしている。まあ、図書館のバイトはこれはこれで良いことがあるので俺からすれば最高のバイトだ。

「あーあ、俺もドングリとカゲみたいに家がもっと上の貴族だったらなぁ。そうすればアリス様に近づけるのに」

「そんなすげぇ魔法を持ってるだけでも良いじゃねぇか」

「『文字読みの魔法』なんてしょっぼい魔法で何が出来るってんだよ」

 あくびをしながら俺はドングリにならって寝ころぶ。。

「お前なぁ。もう少し自分の魔法の価値を知っておいた方がいいぞ」

「価値っつってもなぁ……そりゃ、二年前はこれ以上ないぐらいにこの魔法の価値を感じたけどさ」

 それも、もう昔だ。今やアリス様と俺はただの他人でしかない。ただ、遠くから眺めることしか出来ない存在だ。

 相手は一国のお姫様。そもそも二年前がイレギュラー過ぎたんだよな。

「とりあえず、お前はもう少しその魔法の価値は自覚しとけ。その魔法、知られれば色んな奴から狙われるぞ。どこぞの犯罪魔法集団とか――――魔族、とかな」

 まさか。

 それこそあり得ない。

「『ただ文字が読めるだけの魔法』なんて。誰が欲しがるっていうんだ。そんな物好き、いるわけねーだろ」

「そうとも限らない」

 口を挟んできたのは意外なことにカゲだった。

 普段は物静かであまり口を開くことはないカゲが。

「まだ誰にも読まれたことのない魔導書なんてこの世界にはごまんとある」

 魔導書とは、魔力の秘められた物の事だ。それに書かれている魔法を唱えれば、魔導書の力で物凄い魔法を使えるとかなんとか。要するに、魔力さえあれば誰でも強力な魔法が使えるようになるという優れものである。その代り、魔導書に書かれている文字が読めないと使えないのだけれども。

 だが、『魔導書』とはいってもその形は様々である。本の形のしたものもあるし、他にも剣の形をしたものや、壺、ペンダントなどもあるそうだ。その物に呪文と、あとは魔導書たりえるだけの術式を刻み込んでおけばいいわけなのだから、ようは形はなんでもいい。

「つってもなぁ。魔導書なんてそうそうお目にかかれるもんじゃないだろ」

「用心しておくことに越したことはないだろ。もっとも、お前の家庭事情ならばそれも杞憂か」

 家庭事情? ああ、父さんや母さんたちのことかな。確かに二人とも、騎士だったり凄腕冒険者だったりしたからな。夫婦喧嘩も魔法が飛び交う凄まじいものだ。昔は一度、寝室を木端微塵にしたこともあった。

 昼休みを終えて、授業がはじまる。語学系の授業だ。俺にとって語学系ほど楽な授業はない。何しろこの『文字読みの魔法』があるのだから。例えるなら、外国語の教科書を読んだとしても俺にとっては全て母国語で書かれているようなものだ。入学テストでも語学系の科目は満点である。

 そんなこんなで授業が終わり、

「アキト。放課後、カゲと一緒に露店巡りするんだが来ないか?」

「またこの前みたいな食べ放題ツアーに行くのか」

 それも悪くない。一応、生活費はある程度確保してあるし、今は金銭的にも余裕がある。それに、こいつの食べ放題ツアーは何気に美味しくて値段が安くて多く食べられる店が多い。行きたいのはやまやまなのだが……。

「悪い。今日は図書室でバイトがあるんだ。また今度誘ってくれ」

「ああ、そっか。わかった。頑張れよ」

「頑張れよ」

「ん。さんきゅー」

 学校の図書室にバイトが必要というのはあまり考えられなかったが、このメーティス魔法学園の図書室はかなり広い。校舎とは別の建物がまるまる一つの図書館として使用されるぐらいに広い。高さだけでも校舎に匹敵するぐらいはある。

 この学園の図書室――いや、もはや図書館か――には莫大な量の本が収められている。それだけに、本を管理するのは手間がかかるので、バイトが必要なのだ。しかも、俺の『文字読みの魔法』はこの図書館の管理人であるローレンじいさんに知られているので、ことさらこき使われている。

 というのも、

「おい、アキト。この本、表紙はなんて書いてある?」

「んー。これは……『メイドなマーメイドの物語』……って、こりゃたぶんマーメイド族の文字で書かれてるんじゃないのか」

 図書館には長年勤めているじいさんですら把握仕切れていない量の本がある。そしてその中には人間の使う文字で書かれていない本も混じっているので、そういった本が見つかった場合、それがどんな本なのか確かめるのが俺の仕事である。

「マーメイドが書いた本だったのか。あの文字はいまだにわしも理解しきれておらんからな……助かったわい」

「いいって別に。それと頼まれてた翻訳、終わったぞ」

「いつもすまんな」

「その分、バイト代もはずんでくれよ」

「わかっておる」

 今の会話の中で出てきたように、俺はたまに人語で書かれていない本の翻訳を頼まれる。翻訳といっても、本の内容を人間の使う文字に翻訳して紙に書き写すだけ。。

 ただ問題は本ともなると量が多くて多くて……。しかも普段の図書館業務もある。地味に大変な仕事だ。

「なあ、じいさん。新しいバイトは募集しないのか?」

「ふむ。それはわしも考えておった。が、なかなか見つからなくてな」

 そりゃ、こんな広い図書館のバイトなんかやる物好きはなかなかいないだろう。地味に体力使うし。

 でもこっち側としては人でが欲しい。切実に。

「だよなー。んじゃあ、俺はそろそろ返却図書の収納に行ってくるよ」

「おお。気をつけてな」

 俺は籠に入った大量の本を抱えながら地下からの階段を上がって一階ホールに出る。地下で分類しておいた本を、棚に持っていく。空いているスペースに本を差し込んでいると、いつもの場所に座っていつもの人が本を読んでいるのが見えた。

 アリス様だ。

 周囲には彼女目当てで図書館に通っている男子生徒たちが遠目で見ている。なんでも、裏組織である『アリス様親衛隊』の手回しによって、アリス様の読書時間は遠くから見守ることが暗黙の了解とされたのだ。マジパネェわ。親衛隊。



 俺は仕事という大義名分があるので、そこらの野郎共よりもアリス様に近づくことが出来る。あくまでも仕事の途中、だけど。だから仕事をこなしながらたまたま視界に入った時に脳にそのお姿を焼き付けることしか出来ないのだ

しかし俺はあくまでもただのバイト。仕事をさぼらす、ちゃんと働いているうえで仕事に支障が出ないレベルでしかその姿を見ることはできないのだ。

 こうしていると本当に……二年前のあの日が嘘のようだ。

 まるで俺たちの間には何もなかったかのように。

 初めから何もなかったかのように。

 俺と彼女の距離は、こうして開いているのだから。



 ☆



 今日はバイトの入っていない珍しい日だ。こういう日はドングリやカゲと一緒に街に出てぶらぶらとしながら遊んだりするのだが、二人ともそれぞれ別件があるそうだ。ドングリは魔法生物飼育係の当番らしく、カゲはどうしても探らねばならない情報があるので探っているらしい。

 そして暇人の俺は図書館へと足を運んでいた。もともと、本を読むのは好きだったし、それになにより図書館に行けばアリス様に会える。

 俺は面白そうな本を何冊か手に取ると、テーブルに置いて読み始める。しばらくすると、いつもの席にアリス様がやってきた。アリス様親衛隊たちによって生まれた聖域に座って読書をするアリス様は、やっぱりかわいい。

 こうして、同じ空間で読書をしているだけで、十分に幸せだ。

 たまにアリス様の方に視線を向ける。

 アリス様はいつも傍に奥様の形見である絵本を置いている。

 懐かしい。あの絵本を、一度だけ俺は読んだことがある。

 あの時はまた読んでくださいと言っていたから期待してた時期もあったな……実際はそんなこと全くなかったわけだけど。

 ただ、俺はアリス様の姿を見ることが出来るだけで、それだけで幸せだった。

 もう前みたいな期待はしない。

 遠くからでもただ彼女の笑顔を見ることが出来れば――――それだけで十分に幸せだ。

 俺は昼休みにもたまに図書館に足を運んでいた。読書をしながら、アリス様が見れればいいと思っていたからだ。アリス様も昼休みは毎日図書館に来るわけじゃないから、見れないこともあるけど。

 だけど、たまにふとした時にアリス様と視線が合うとそれだけでもう幸せだし、だけど恥ずかしくて視線をついそらしてしまう。

 期待するだけ無駄と分かっていても、俺はたまに考えてしまうことがある。例えば幸運に幸運に幸運に幸運に幸運が重なって、その時、不思議なことがおこってアリス様と……その、良い感じになったりするような自分を。

 ダメだなー。俺って。一国のお姫様相手に何を考えているんだろう。

 俺みたいな一般庶民に手の出るような相手じゃない。

 こういうのはイケメンで実力のあるエリート上級貴族様がぴったりだ。

 というか、今の俺は叶わぬ恋について悩む前に、入学してからちょくちょく感じる誰かからの視線について考えるべきなのではないのだろうか。

 そう。俺は、この学園に入学してからと言うのもたまに誰かからの視線を感じていた。俺はそう誰かから見られるようなやつじゃないんだけどなぁ。

 ちなみにドングリとカゲに相談したら鼻で笑われた。

 くっ。なら頼れる兄と姉に相談するしかない。

 そう考えた俺は、久しぶりに兄と姉に会うことにした。この学園で頼れたり、何かを相談できるような相手はもうこの二人ぐらいしかいないし、それに長期休暇ぐらいしか返ってこなかった兄さんと姉さんに久しぶりに会ってみるのも良いかもしれないと思ったからだ。

 入学式の時にはわざわざ両親と一緒に駆けつけてくれたけど、もうそろそろ学園には慣れてきたと報告して、二人を安心させてやるのも良いかもしれない。特に兄さんは俺の事を心配してたからなぁ。

 騎士科に向かう前にカゲに兄さんの居場所を試しに聞いてみると、「個人研究室にいる」と言った。なんでお前がそんなこと知ってるんだよ。マジで

 本人いわく、「影に潜って色々と話を盗み聞きしているうちに拾った」らしい。そういう拾った情報が多いからこそ、こいつは色々と知っているんだろう。

 騎士科の個人研究室に向かってみると、兄さん――――ラウド・ロード兄さんは紙に何やらサラサラと書いていた。今日も熱心に何かを研究しているらしい。兄さんも姉さんも揃って学生の身でありながら熱心に研究をしている。

 細身でありながら、その体は鍛えられていることが制服の上からでも分かる。野性味のある、整った顔立ち。女子生徒たちからの人気も高く、俺と同じ血が通っているとは到底信じられないイケメン様である。

 しかも四年生でありながらその実力は騎士科全体の中でも上位に位置するという。

「兄さん」

「おお、アキトか。どうした?」

「ちょっと相談したいことがあって」

「そうか。とりあえずてきとうなところに座ってくれ。茶でもいれよう」

 そう言いながら、兄さんはお茶を入れてくれる。ううむ。姉さんならこうはいかないな。もし訪れていたのが姉さんの部屋だったら、「久しぶりねアキト。ねえ、ちょっと体調べさせてくれない? 軽くバラバラにするだけだから」とか言っていただろう。

 ある時から、研究魂に目覚めた姉さんは俺の『文字読みの魔法』を調べたくてうずうずしており、兄さんと、父さんと母さんからそれぞれ一撃ずつ拳骨をもらっている。

 ただ、それでも懲りなかったので幼少の頃、姉さんにストーキングされていたので、俺は逃げるようにバイトに勤しみはじめたというわけだ。

「アキト、そろそろ学校には慣れたか?」

「えっ、ああ、うん。慣れたよ。ドングリやカゲたちもいるし、さ」

「そうか。よかった。本当はもう少しはやくお前の様子を見に行こうとしたのだが、あいにく、研究で手一杯でな」

「うん。知ってるよ。兄さんは今、何の研究をしているんだ?」

「ん。ああ、とある魔導書の研究だ」

「魔導書?」

「ああ。本物の、な」

「いいの?」

「ああ。見せるだけなら問題ないさ。まあ、流石に文字は見えないようにはさせてもらうがな」

 ニヤリと笑みを浮かべた兄さんは部屋の奥から大きな木箱を取り出してきた。その中に入っていたのは、一本の長剣。刀身には俺が文字を見れないようにするためか布が巻かれていた。

「これが……魔導書?」

「ああ。形は長剣だがな。この刀身にこの剣を起動させるための呪文、それと術式が刻まれてある」

「別に俺が使おうってわけじゃないんだけど……俺がこの剣に書かれてある呪文を読めば、兄さんの研究に少しでも力になれないかな?」

「なれるだろうが遠慮させてくれ。こいつは一度、起動させると起動させた持ち主が登録されてしまう。最初に呪文を唱えた者が死ぬまで、剣はその者の物となるからな。実際、もともとこれを持っていた魔族が死んだ瞬間、この剣は力を失った」

「これって、もともと魔族の物だったの?」

「ああ。そいつを俺がぶち殺して奪い取った」

 そんな山賊みたいな。

「あ、相変わらず凄いね、兄さんは」

「そうか? 父さんや母さんに比べれば何でもないさ。それに、エミリーのやつだって相当だぞ。あいつも魔導書の研究を行っているのだが、休日の間に軽く魔族を狩りに行って魔導書をぶんどってきたらしいしな」

 何やってるんですかエミリー姉さん。

 しかも「ちょっと遊びに行ってくる」みたいな軽いノリで魔導書奪い取ってきてるし。

 兄妹揃って山賊みたいなことやってるなぁ。

 はぁ。こんな「もう全部こいつらでいいんじゃないかな」みたいなスペックの兄や姉がいて俺はこんなにも平凡なんだろう。

「そうだ、そういえばお前、なんで俺のところに来たんだ? まさか近況報告だけじゃないだろ。入ってきた時の様子だと」

「あー。そういえば。実は……」

 投書の目的を思い出した俺は、兄さんに相談内容を話した。

 この学園に入ってきてから、たまに誰かの視線を感じることを。

 薄情なグリカゲ(ドングリとカゲ)の二人とは違って、流石できる兄。真剣に考えてくれている。

「ふむ……エミリーのやつじゃなさそうだな」

「うん。エミリー姉さんなら感じる視線は『たまに』じゃなくて『常に』だろうし、俺も姉さんにストーカーされればすぐに気づくぐらいには慣れてるよ」

「だよなぁ」

 ストーカーに慣れているというのは平凡な男子としてはどうなのだろうか。まあいいや。

「まさかとは思うが……魔族、もしくは犯罪魔導集団か……」

「大げさだよ。それに、俺の気のせいかもしれないし」

「バカを言うな。全然、大げさじゃないぞ。お前はもう少し自分の持っている魔法の価値を理解しておけよ」

 兄さんの警告に、俺は肩を竦める。図書館のバイトぐらいにしか役に立たないような『文字読みの魔法』というしょぼい魔法が魔族や犯罪魔導集団に狙われるなんて、ありえないだろう。

 ていうか、どうにも危機感を抱けない。何しろ今まで魔導書なんて見たこともないし、魔導書と一口に言ってもランクがあって、強い物もあれば弱い物もある。

 また、魔導書はそうそう一般人がお目にかかれる物じゃないし、持っている人も少ない。解読された魔導書なんて一握りで大半が解読中である。

「兄さんもドングリと同じことを言うんだなぁ」

「ほう。ドングリくんも同じことを」

 よかったな、ドングリ。お前は兄さんにもあだ名で呼ばれてるぞ。

 まあ、グリカゲとは昔からの腐れ縁で、何度かうちに遊びに来たこともあるしな。面識も普通にあるし。

「あの子は昔から頭がまわる子だと思っていたが、どうやらその頭脳にも更に磨きがかかっていそうだな」

 おお、兄さんから良い評価をもらえてるってかなり凄い。

「それよりも、お前の感じる視線についてだが……悪いな、見当もつかん。本当にすまんな。頼りのない兄で」

「いや、気にしないでよ。きっと俺の気にしすぎだし」

「用心しておくことに越したことはないだろう。とりあえず、俺の方でも打てる手をうっておこう」

「う、うん。ありがとう、兄さん」

 うーん。これはちょっと大げさになっちゃったかな。心配してくれるのは嬉しいんだけど、兄さんはちょっと、昔から俺の事を心配し過ぎているところがあるからな。まあ、姉さんのストーキングがきっかけなのだろうけども。

「研究の邪魔になっても悪いから、そろそろ俺は寮に戻るよ」

「そうか。別にまだ構わないぞ?」

「気持ちだけ受け取っておくよ。それじゃ、またね兄さん」

「ああ。何かあったらまた遠慮せずにこいよ」

 結局、兄さんにも心当たりがないようだった。

 手を打ってくれるとは言ったけど、研究で忙しい兄さんに余計な手間を増やしちゃったかな。反省しよう。



 ☆



 ある日、ローレスじいさんから連絡が入った。なんでも、新しい図書館のバイトが見つかったらしい。タイミング的にはバッチリ、なのだろうか。ちょうど俺も、ドングリとカゲのやつもバイトに誘っていたところだったのだ。そして、OKを貰った。二人とも、小遣い稼ぎにバイトを探していたところだったらしい。なんでも、二人とも上級貴族の出身ではあるのだが、両家は方針として子供にそう無尽蔵に金貨を上げるようなところではないようだ。

 俺が図書館業務のことを話してみると、二人にも出来そうだったので了承してくれた次第だ。正直、あのバイトは人手があるだけ欲しい。

 ローレスじいさんのいうバイトはどうやら三日後から来るらしい。そして今日はローレスじいさんが別の仕事で図書館にいない為に俺が新入りであるドングリとカゲの教育係を任された。俺は二人に図書館での仕事を教えていく。物覚えが良い二人は次々と仕事を吸収していった。何気に優秀だなこの二人。

「お前、進路はどうするんだ」

 返却図書のチェックを行っていた俺は、同じ作業をしていたドングリの質問にむぅ、と唸る。

 一年生の後期からはそれぞれの学科に分かれる。

 このメーティス魔法学園には騎士科、冒険科、魔法科、一般科の四つの学科がある。

 騎士科は文字通り騎士を志す者たちが集まる学科。入科試験がある、エリートが集まる学科だ。

 冒険科は冒険者を目指す学生たちが集まる学科だ。戦闘技術だけでなく、魔法技術や薬草など、四つの中で最も幅広く様々なことを学ぶ。

 魔法科は、魔法について学ぶ科だ。魔法を使った戦闘技術だけでなく、術式や魔法の応用など、研究的なことも学ぶ。今も最前線で活躍する魔法研究家の中にはこの学科の卒業生だっているのだ。

 そして最後の一般科。普通の生活で使うような魔法や護身用の攻撃魔法など、他の科に比べれば割と普通のことを学ぶ。この学科には俺のような平凡な一般家庭出身の子が他の学科の中よりもダントツで多い。

「んー。まあ、一応決めてあるんだけどなー。兄さんと姉さんのこともあるし、これは割と自然に決まったかも」

「確か、アキトの兄が騎士科で姉が魔法科だった」

「お前の両親も兄も姉もかなり優秀だよな。どっちも騎士科でも魔法科でも割と名が通ってただろ」

 そうなのだ。俺の兄さんも姉さんもそれぞれの学科の中でも割と優秀な部類に入る人だ。それに比べて俺はかなり普通である。『文字読みの魔法』以外はかなり平凡。チートどころか普通の中の普通の程度の能力しか持ち合わせていない。

「きっとアレだな。俺は兄さんと姉さんに才能を吸い取られたんだ。俺もお前らみたいに何らかの秘術的なものを受け継げたらよかったのに」

「簡単に言うなよ。結構大変なんだぞ。こっちもこっちでな」

「同意」

 上級貴族様の息子であるドングリとカゲは、確かそれぞれの家に代々伝わる『秘術』、つまりその家だけの魔法を受け継いでいるはずだ。カゲのは前に見たことがある。確か、『影に潜り込める魔法』だった。カゲはこれを使って普段から情報収集や隠密行動を行っている。また、この魔法からこいつのあだ名はカゲになった。そのまんまじゃねーか。誰だ考えたやつは。

 まあ、いまだにドングリが受け継いでいるはずの『秘術』は見たことがない。そもそも『秘術』はそう簡単に人に見せてはいけないものらしいのだが。

「つーか、お前は何科なんだよ結局」

「たぶん、お前らと同じところ」

「冒険科」

 カゲの言葉に、ドングリは拍子抜けしたような表情を見せる。ということはこいつもそうか。

 兄さんが騎士科。姉さんが魔法科。そして、母さんが昔は冒険科に所属していて、母さんが行った冒険の昔話を小さいころからきかされているうちに俺は自然と冒険者に憧れるようになっていった。それと、兄さんや姉さんとは違う学科に入りたかったというのもある。

「ということは、まだお前らとの腐れ縁は長く続きそうだな」

 ドングリの言葉に俺たちは苦笑する。十歳ぐらいのころからなんだかんだバイトとかで俺たちの関係は続いている。どうやらまだまだこの関係は長く続きそうだ。

「アキト。お前、騎士にならなくていいのか?」

「? どういうことカゲ」

「騎士になれば、アリス様の傍にいられる」

 カゲの言葉に、俺は一瞬だけ言葉を詰まらせた。

「……まあ、考えなかったわけじゃないけどさ」

 剣なんて授業以外で握ったことのない俺では騎士は無理だ。そりゃ、冒険者になったらいつかは剣を握るときは来るだろう。戦わなければいけない時なんていつだって来るだろう。なにしろ今は魔族や魔獣がいて、勇者様が戦っているようなご時世だ。だが、騎士になるような人というのは子供の頃から剣を握り、魔法の鍛錬を行ってきたようなやつなのだ。兄さんが小さいころから騎士になるために必死に努力してきたのを見てきたから分かる。

「俺には到底無理だよ。それに……」

「それに?」

 俺は、二年前のあの日。アリス様の隣に座って読んだ、あの本の内容を思い出す。

 嫌われ者だった魔法使いが、世界中を旅して人々を魔法を使って元気にしてあげて、そして最終的には王様に認められ、お姫様と幸せに暮らすことが出来たというあの本。

「騎士になれなくても、認められる方法はあるかもって思ってさ」

 俺が目指すのはあの本に出てくる魔法使い……とはいかなくても、まあ努力はしようと思う。

 カゲとドングリは大体、俺の言いたいことが分かったのだろう。

「そうか……まあ、だったら他の方法を探すしかないな」

「手柄をたてるとか」

「どうやってだよ……」

 俺たちはそんな話をしばらくしながらも、作業の手は止めずに働き続けた。



 ☆



 三日も経つと、割とハイスペックな二人はもう大半の仕事を覚えていた。まあ、それなりに知識と力を使うバイトではあるのだが、この二人にかかれば慣れればどうということでもないらしい。

 くそっ。それにしてもドングリのやつはどうして割となんでも器用にこなせるんだ。頭も良いしな。本人いわく、「いかに体を動かせずに行動できるかを考えている内にこうなった」らしいが、そんなもんで納得いくか。

 この三日はバイトに励んだり、授業で出された宿題を片付けているうちにあっという間に過ぎていった。その結果、三日後にローレスじいさんの言っていた新入りのバイトが来ることなんかすっかり忘れていた。ローレスじいさんがまだ帰ってきていないことも関係していたのかもしれない。

「よーし、んじゃあ今日も働くぞー」

「働きたくないでござる」

「ドングリ。お前は書庫に置いてある昨日、整理した図書を最上階まで運んで来い。ああ、そうだ。カゲは寄贈図書を地下に運んでくれ。たくさんあるけど、お前の能力を使えば簡単だろ?」

「了解」

 カゲの家に伝わる秘術は影の中に潜り込んだり、触れた物を同じように影の中に潜り込ませることが出来る。これが運搬にかなり便利なのだ。影同士で繋がっていれば、一度潜ってから離れた場所に出現させることも可能だし。とはいっても、そうポンポンと人前で見せるわけにもいかないので地下書庫限定だが。

 人手が増えたことで、確実に仕事の効率は上がっている。いやぁ、前よりも大分、働きやすくなった。俺の翻訳作業も捗るし。

「おい、そういえば今日はローレスじいさんが言っていた新入りのバイトが来る日じゃなかったか」

「あ、そういえばそうだった。忘れてた」

「もうそろそろ大体のクラスの授業が終わっているはず」

 俺たちは急いできたけど、普通に歩いてくるぐらいならそろそろ他の生徒が来ていてもおかしくはない。その証拠に、さっきからチラホラと生徒たちの姿が見えている。

 とりあえず、新入りバイトさんとやらに仕事を教えなければならない。どういった手順で教えていくか、カゲとドングリに仕事を教えた要領で計画を頭の中で組み立てていく。

 うん。大体方針は決まったかな。

「おいアキト。魔法生物飼育関係の本をリクエストされたんだが、どうすりゃいい?」

「魔法生物関係の本は三階の五番書架だ」

「オッケー。三階の五番書架ね。覚えた」

 ドングリは一度教えたことは一度で覚えていくれる。新人としてはこれほど使いやすく優秀なやつはそういないだろう。カゲもまたしかり。ああ、今日はいってくるらしい新人もこんな感じのやつだったらいいのになぁ。

「あの~……」

 と、そんなことをかんがえていたら裏口から声がきこえてきた。きっと新人のバイトだろう。

「分かりました。今行きます」

 とりあえず、返却図書の整理をぱぱっと区切りの良い所まで終わらせて、残りの仕事をしばらくカゲとドングリに任せておく。新入バイトが来たというのにこの二人に行かせることは出来ないだろう。ここはここのバイト歴が一番長い俺が行くべきだ。

 仕事を二人に任せて小走りで裏口へと急ぐ。あまり待たせるのもいけない。まずは立ち話もなんだから、小部屋に案内して……と、そこまで俺の中で計画立てていたことは一気に崩れ去った。

 何しろ、裏口に立っていたのは――――

「あ、アリス様……?」

 間違いない。見間違えようもない。美しい金色の髪に宝石のような碧い瞳。誰もが知っているこの国のお姫様。そんな人が、どうしてこんなところに?

「ど、どうしてこんなところに?」

「ローレスさんから聞いてませんでしたか? アキトくん」

 名前!? 俺の名前を言ったのか今!?

 やばい。もう死んでもいい。

「え!? き、きくってにゃにを!?

「えと……ですから、図書館のアルバイトです」

「えぇぇぇええええええええええええええええええええええええ!?

 ローレスじいさん! 私、きいてない!

「あの……よろしくお願いします。私、アルバイトは初めてなので至らないところばかりでしょうけど、一生懸命頑張ります」

 ぺこりと頭を下げたお姫様を前に、俺はただただ茫然と突っ立っていることしか出来なかった。

 ついさっきまで、俺と彼女の距離はいまだ遠かった。

 だけどこれはちょっと……いきなり近づきすぎてませんかね?



 ☆



 まさかまさかの新入りバイト。その正体にはドングリとカゲも驚きを隠せなかった。俺はアリス様に出来るだけ失礼の無いようにして仕事内容を教えながら――――俺ってば王族の方々に処刑されないよな? と内心ビクビクしていた。お姫様にバイトをさせた罪で処刑。嫌すぎる。

「えーっと、そもそもどうしてアリス様はこんなところでバイトを? ていうか、こんな仕事ぐらい私たちでやりますので、アリス様は部屋でお休みになられては……」

「このアルバイトは私がお願いしたのです。ローレスさんが働き手に困っていたそうなので、私でよければと思ったんです。図書館は私も普段から利用していますし、ローレスさんのお役に立てればと思いまして。お父様からは社会経験の一環として許してくれましたし。それと、私たちは同じ学園の、同じ学年の生徒なんです。気遣いは無用ですよ? アキトくん」

「は、はい」

 そうは言われてもこっちはこっちでいっぱいいっぱいだ。流石にお姫様を呼び捨ては出来ない。

 アリス様は物覚えがよく、たった一日で仕事の大半を覚えてしまった。やっぱ凄いわ。子供の頃から優秀だったけど、その優秀っぷりは健在か。あー、それにしてもやっぱアリス様は綺麗だなぁ。可愛いなぁ。近くで見るとそれが改めてよく分かる。

 仕事を教えていく立場の俺なのだが、どうにも緊張してしまって今日は小さなミスを連発している。自分でカバーできる程度の物なのだが、それでもアリス様の前でこのザマは恥ずかしい。なんとか、挽回しないとなぁ。

 そうして、一日が終わった。



 ☆



「びっくりしたぁ……」

「まさか新人バイトがアリス様だったとはな。俺も心臓が一瞬、止まるかと思ったぜ」

「衝撃の事実」

 寮までの帰り道。俺達三人は今日のバイト中の出来事について語り合っていた。まさかお姫様が図書館のバイトに来るなんて夢にも思わなかったのだから。

「というか……一国のお姫様がアルバイトなんて大丈夫なのかな?」

「まあ、社会経験の一環としてならギリギリ通るかもしれんな。直接的に王位を継ぐのはクロード様だしな。もしアリス様が直接的に王位を継ぐ立場だったら危なかったかもしれんが。それに、学園の図書館だからこそ出来たことだろうな。これが街中とかだったら絶対に許可が下りなかっただろう。この学園の魔法防御策セキュリティは一流だし、仮に魔族が攻めてきても、相当の手練れでも無い限り破れないだろうし」

「じゃあ、悪い奴がアリス様を攫おうとしても難しいってことか」

「そうなるな」

 なら安心だ。

「そういえば、バイトのおかげで結局、露店巡りツアーに行けなかったな。俺の腹が泣いてるぜ……」

「この食いしん坊!」

「そんなメガネに朗報。今夜、街中で祭が開かれる」

 いったい、いつもどこからそんな情報を仕入れてくるのだろうか。大方、人の影の中に潜り込みまくって盗み聞きしてるんだろうけど。

「マジか!」

 祭という単語に真っ先に反応したのはドングリである。その口からは「焼きそば、お好み焼き、リンゴ飴、フランクフルト、わたあめ……じゅるり」という言葉と一緒によだれも流れ落ちている。

「あれ? でも祭の告知なんてしてたっけ」

「急遽決定した。どうやら勇者が魔族四天王の一人を討ち取った記念らしい」

 カゲの情報によると、どうやらその祭が行われるのは準備時間などから逆算して夜の八時ぐらいかららしい。

「ということは……もう寮の外には出られないな」

「何言ってるんだアキト。規則ルールがなんだ? 俺たちを待ってくれる食料ひとがいるんだぞ!?

 こういう時だけ無駄に暑苦しくなるんだよなぁ。このメガネは。これでイケメンとか世の中間違ってる。ていうか、こいつはよく食べるし食欲旺盛だし、その割にはぜんぜん太ってないんだよな。なんでだろう。こいつの家の秘術に関係しているのだろうか。

「まあ、確かに祭の屋台に出てくるもんって美味いけどさ……そうだな。んじゃ、こっそり寮を抜け出して祭に行こうぜ」

「よく言った。それでこそダチだ!」

「カゲは?」

「同行」

「決まりだな。カゲの魔法があれば、寮を抜け出すことなんざちょろいもんだ」

 俺たちは寮までの道を歩きながら、今夜の計画を練った。

 そして八時ごろ。

 夕食は屋台で食べるので寮の食堂には向かわず、食堂まで移動している生徒たちに紛れてトイレに向かい、そこからカゲの魔法を使って脱出。カゲの秘術である『影潜りの魔法』は他人を引き連れることも出来るのだ。

 夜にもなると、もはやカゲの独壇場である。暗闇は辺り一面に広がっているので、どこにだって移動できる。俺たちは屋台が立ち並ぶ場所から少し離れたところに出現した。うっかりクラスメイトたちと出くわすと相手によってはアウトなので警戒しながら周囲を見渡す。

 俺たちは夜の街にある屋台を渡り歩いていく。一時間もした頃には、ドングリの両手には屋台で買った食べ物でいっぱいになっていた。俺とカゲも、もぐもぐとフランクフルトをはじめとする様々なものを咀嚼していた。美味しいなぁ。どうして祭で食べる食べ物ってこうも美味しく感じるんだろう。

「たまらんな」

「まったくだ」

「同感」

 俺たちは大満足していた。少し休憩するために、俺たちはまたカゲの魔法でこっそり人けのない別の場所に移動していた。どうやらそこはどこかのテントの裏だったみたいで、おあつらえ向きに木箱がいくつか置いてあった。そこに座って一息つく。

「あー、美味かった」

「『美味かった』って、現在進行形でカステラ焼きにかぶりつきながら言うようなセリフじゃないだろ、それ」

「同意」

 時間的にはもう九時か。確か、十時には就寝時間だからもうそろそろ戻って風呂にも入っておかないと。

 その時。

「アキトくん……?」

 暗闇の中から、誰かの声がきこえてきた。しかも、思いっきり聞き覚えのある声。

 振り返ってみると、そこにいたのは……アリス様だった。

「アリス様!? ど、どうしてこんなところに!?

「こんなところもなにも……ここ、王族専用休憩所の真裏ですよ?」

「痛恨のミスッッッ…………!」

 やってくれたなカゲ! そんなんじゃアサシン失格だぜ!

 どうりで人けが少ないはずだった。少なくて当然じゃないか! こんなところに人が来るわけがない!

「どうやってここに? 確か、外には魔法結界がはってありますし、見張りもいたはずですけど」

「それはまあ、ほら……企業秘密? ですよ。な?」

 しどろもどろになりながら俺は答える。こんなところで秘術を使って脱出したら暴露するようなものなので、脱出できないでいる二人に向かって答える。

 二人はこくこくと頷いた。それでいい。

「確か、三人は寮住まいでしたよね? 駄目じゃないですか。こんな夜中に出歩いては」

「それはそうと、アリス様はどうしてお祭りに?」

「私は、国王の娘としてお祭りの閉会の挨拶をしなければならないんです。その関係で参加しています。とはいっても、ここから出させてもらえませんけど。それよりもアキトくん、話を逸らそうとしてもだめですよ」

「はい……」

 ああ、これはもう素直に白状するしかなさそうだ。そう思って俺が諦めかけた直後。

 アリス様の視線がじっと俺の右手に持っているクレープに向けられていることに気が付いた。

「アリス様?」

「それは……もしかして、お祭りの屋台で買ってきたものですか?」

「? はい、そうですけど」

 こんなところで嘘をついてもすぐにバレるだろうし、もうこの際思いっきり白状しておく。

 アリス様は少しの間、考えるそぶりを見せたあと、まるで何かを思いついたかのように、いたずらっ子のような笑みを浮かべる。その顔に思わずドキッとしてしまったのは……仕方がないことなのだろう。

「もし、今ここにアキトくんたちがいることを寮に報告したらどうなりますかね?」

『それだけは勘弁してください!』

 そんなことをすれば寮監督の先生であるクラーク・オールポート先生に息の根を止められる。

「ふふっ。じゃあ、取り引きをしましょう」

『取り引き?』

 つまり、その何らかの取り引きをすれば見逃してもらえるのだろうか。

 でも何だろう。そんな俺たちの心配をよそにアリス様は、

「はい。こっそりと、お祭りの屋台にある食べ物を買ってきて欲しいんです」

「へっ?」

 正直なところ。かなり……拍子抜けだった。

 そんな程度のことが取り引き? カゲとドングリも同じようにきょとんとした顔をしている。



「もちろん、お金は私が出しますよ?」

「いえいえいえ! 大丈夫です、自分たちが出します!」

『自分……たち?』

 そうだよお前らも出すんだよ。ドングリとカゲはどさくさに紛れて俺に出させるつもりだったらしいが、そうはいかない。二人も、この場を乗り切れるのなら別にかまわないというような表情をしていたので、俺たちはさっそく、屋台の立ち並ぶ夜の街へと繰り出した。

 アリス様からは特に指定がなかったので、俺たちはてきとうに屋台に売っている食べ物を買って、また『影潜りの魔法』でアリス様のところに戻った。

「わぁっ。ありがとうございますっ!」

 アリス様は俺たちが持ってきた食べ物をキラキラと目を輝かせながら、まるで宝物を見るようだった。

 そんなにも良いもんかなこれ。ただのお祭りに売っているような、普通の食べ物なんだけど。

「私、ずっと前からお祭りの屋台に売っている食べ物をたべてみたかったんですっ」

 うーむ。俺には分からん。城で普段から出されている食事の方がよっぽど美味しいだろうに。

 だが、ドングリとカゲは「わかります」と言いながらうんうん頷いていた。

「実家で出される豪勢な料理ばっか食っているとこういうチープ食べ物に憧れるんだよなぁ」

「まったくもって同意」

 カゲがまったくもって同意だと? それほどドングリの考えに共感しているのだろうか。俺が普段から見ているドングリとカゲは割とむしゃむしゃと美味そうに寮の食事やら街で売っているようなもんやらを食べていたから気づかなかったな。いや、だからこそ寮の食事や街で売っているようなもんを美味しそうに食べていたのかも。

「はぁ。俺も一度でもいいからそんなセリフを言ってみたいよ」

 こいつらのいうチープな味こそが俺が普段から食べている味なのだ。

 まあ、アリス様が満足してくれているならいいか。

「あの、今日のことはお互いに秘密にしましょうね? 私たちだけの秘密、です」

 取り引き成立、といったところだろうか。だけど、俺にとってはそんなことよりも俺たちだけの秘密(ドングリとカゲはいないものと考える)というフレーズにドキドキしていた。

 ああ、なんだ今日は。なんてラッキーな日なんだろう。

 その後、俺たちはなんとかバレずに寮に戻ることが出来た。

 俺はとても幸せな気持ちになりながら、ベッドの中に入った。

 こんな日常がいつまでも続くと思っていた。

 こうやってバカやって、楽しく過ごせたらいいと思っていた。

 だけど、俺は忘れていたのかもしれない。

 外の世界は魔族との戦争が続いていていることに。



 その現実を突きつけるように、ある日俺たちの学園を魔族が襲撃した。



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