第4話 修羅

文字数 886文字

紀元前二一0年七月

始皇帝は、すでにこの世の人ではなかった。
年始の十月から出発し、咸陽ー楚ー呉ー斉ー咸陽を回る第五回目の巡行中に、沙丘平台(現在の河北省広宗県)にて崩御した。
享年五十歳
東方六国(韓、趙、魏、楚、燕、斉)を次々と破り、中国統一を成し遂げた覇者。
世界で初めて自らを皇帝と名乗り、数々の伝説が今もなお語り継がれて止まない人物である。

八月
始皇帝の亡骸を乗せた温涼車(おんりょうしゃ)は、ようやく秦の首都である咸陽に到着するところであった。

真夏の温涼車の中は、うだるような暑さと亡き始皇帝の腐臭と、それを誤魔化すために積んだ魚の塩漬けの臭いで地獄のようであった。
その生き地獄のなか、主人である始皇帝の亡骸の横に中車府令(ちゅうしゃふれい)趙高(ちょうこう)が控えていた。中肉中背の冴えない面構えの男である。

趙高は、趙の王族の縁戚であったという説もあるが定かではない。史実では、娘婿の存在も記されているため成人してから宦官になったものと推測される。
何かしら罪を犯し宮刑に処せられたか、もしくは連座した可能性もある。秦の宦官として登用された経緯も不明とされる。

趙高は、とても博識であったのと、常に的確な進言をしたことで、晩年に始皇帝は大変重用したようだ。末子の胡亥(こがい)の教育を任せたほどである。胡亥にとってみれば先生であった。
わからないことや困ったことは全部、趙高に聞けばよい。わずらわしい事は誰かが何とかしてくれる。生来の気質と末子として可愛がられ、甘やかされた胡亥は自信のない依存性の高い大人に成長することになるのだった。

趙高は数えきれないほど吐いた。頬がこけ、顔色は青ざめ疲労困憊の極限状態であった。
だが、彼の頭だけは冴えわたっていた。

「千載一遇のこの期を逃してはならぬ!
私の明晰な頭脳をもってすれば、普通の人間など赤子の腕をひねるようなものだ。
皇帝さえも思うまま操れる。全てを、私の手の中に握ってみせる!」
趙高の内部で、欲望という真っ黒で粘着質な液体が、ボコッ...ボコッと不気味な音をたてて
発酵していた。
もはや、趙高の面相は修羅に変わっていた。

この男の野望によって、秦帝国は滅亡への道を加速度的に進んでゆくのだった。
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