第2話 クリスマス・イブ(2)

文字数 13,234文字

 顔をひっかかれ、髪をくしゃくしゃにされ、船頭の衣装を台無しにされて、フランソワーズは、なんとか自力で桟橋に這い上がった。
 そして、桟橋であぐらを掻く騎馬命と、その前で正座をしている奇妙な衣装の少女を見た。その少女は、さっきの便で渡してきたばかりの少女だ。騎馬命と一緒にいるということは、地獄巡りの案内役は騎馬命ということなのか? それにしては、ふたりの表情は深刻だ。
 フランソワーズは騎馬命に喰ってかかるつもりだったが、珍しく騎馬命が真剣に相手と向き合っていたから、怒りの発散は一旦保留にした。
 桟橋の端に立ち、膝を見せてスカートの水を絞りながら、ふたりの会話に耳をそばだてると……。
「つまり? 誰かがハロウィンのケーキを大量に架空発注して営業妨害、そのせいであんたの大好きなケーキ屋の主人が廃業を決意してしまったと、そう言いたいんだな?」
「はい。わたし、そんなことをした人がどうしても許せないんです。ですから、その人を捕獲して、懲らしめて欲しいんです。さっき、あの人にやったみたいに」
 少女は言って、濡れねずみのフランソワーズを指さした。
 フランソワーズとしては、被害者たる自分のことをぞんざいにされて不快感を示しながら、濡れた前髪を掻き上げると反論した。
「わたし、懲らしめられる覚えなんてないんですけど!」
「そうなんですか? どう見ても懲らしめられてましたけど」
「あなた、ちょっと、目が、どうかしてるんじゃないの?」
「それよりさぁ」騎馬命が口を割り込ませた。「この子、ハロウィンの夜に死んだみたい…らしいんだけど、三途の川を渡ったのは今日だって言うぜ? おまえ、一ヶ月もサボってたのか?」
「サボってなんかないわよ! 人聞きの悪いこと言わないでくれる?」
 フランソワーズは髪を振り乱す勢いで騎馬命の前に立った。
「この子が来たのは今日のお昼前! もちろん、死人じゃないから気乗りはしなかったわよ」
「やっぱ? あたしも、気乗りしないんだよなぁ」
 その言葉に、少女がきょとんとする。
「気乗りしないの?」
「ああ、しないね」
 騎馬命はさっくりと言い、フランソワーズは付け足した。
「気乗りしなくてラッキーよ。騎馬命は死人には容赦ないから。相手が二度は死なないと思って無茶苦茶やるのよ」
「そういうこった。だから、おばけ相手じゃ物足りねぇのよ。手応えなさ過ぎて気乗りしねぇんだ」
 ハロウィン少女は困った顔をしている。
 騎馬命はニカッと笑い、それからフランソワーズを見た。
「ところでよ、どうして結局、おばけを舟に乗せたんだ? 気乗りしなかったんだろ?」
「だって…」フランソワーズはツンとして横を向いた。「かわいそうだったからよ」
「かわいそう?」
「向こうの桟橋で恨めしそうに立たれたら、わたしだってだんだん、悪い気になるわ。それに、ただ観光したいだけだって言うし…。つまり、善意で乗せてあげたのよ」
 フランソワーズがしれっと言った途端、少女が声を上げた。
「それ、違います! 新鮮な苺、三パックを支払いました!」
「!」
 フランソワーズが目を尖らせる。
 騎馬命はカッカと笑うと、「要領いいな!」と少女の頭を帽子の上からワシワシとした。
「よし、気に入ったぜ。死人じゃなくても、なんでもいいや。おまえらを困らせた悪いやつを懲らしめてやるよ。そしたらすっきりするんだろ?」
「…! ありがとうございます! 悪人に地獄の苦しみを味わわせてやってください!」
「愉快犯だろうし、向こうの生者だから、ほどほどに…だけどな」
「それでもいいです!
 罰を!
 罰を!
 罰を与えてください!」
「よっしゃー、任せとけぇ」
 少女はパッと明るい顔をして、それから立ち上がると騎馬命に向かって頭を下げた。
「契約成立ですね。お礼は苺三パックです!」
「いいね、いちごか。十五の頃を思い出すねぇ!」
 騎馬命は、なにかのハンドルを握るフリをしながら、右手首をグイングインとスナップさせた。
「で? あんた、名前は? 季節外れのハロウィンちゃん?」
「はい。わたしはスウィート・ストロベリープリンセスと言います。【甘王女】とお呼びください」
「あまおうじょ? どっかで聞いたような名前だな」
「それは、気のせいですよ♪」
 甘王女は小粒な体で腰の後ろに手を組むと、自慢の衣装と言わんばかり、赤と白の姿を見せつけた。
「というわけだから」騎馬命は苦笑いしながらフランソワーズを見た。「舟、出してくれないか」
「………」
 フランソワーズは途端に閉口した。
 これ以上、深入りすると、ろくでもない目に遭う予感がした。
 チラリと新造のゴンドラを見る。
(ぶっ潰されるのは、もうごめんだわ!)
 断ろう。そう思ったところに甘王女のいたいけな視線が、騎馬命のニヤけた視線と混ざって襲いかかってきた。…いや、そうじゃない。お礼にもらった苺の味が、まだ舌のどこかに残っていた。
(そうだ、別にラブリー・サンズリバーⅡ世じゃなくてもいいのよね、三人乗れれば)
 フランソワーズは心で指を鳴らしつつ、口では自棄っぱちに言った。
「あああ、わかりましたよ! 出せばいいんでしょ、舟! ただし、お礼は遠慮しないんだから! 新鮮な苺よ、また苺を頂戴! わたしにも三パック! 三パックは譲れないわ! それと騎馬命には熟成ダージリン、美しいボーイ、美しい花を要求するわ!」
 騎馬命は、エッと言う顔をするが、その先手を甘王女が打った。
「良かった! いちご三パック、ちょうど手持ちで足りそうです。お安いご用ですよ、フランボワーズさん!」
「フランソワーズよッ!」
 甘王女はにっこりと笑う。見た目はほんの子供でありながら、プリンセスと名乗っただけあって高貴な雰囲気が幻想のように重なった。フランソワーズはちょっと負けを感じながら、それを背中で隠して桟橋の先端に立った。
 そして、深呼吸ひとつ…。
(苺はほしいけど、お子様に屈するつもりはないわ…! お姉さんのいいところ、見せつけて差し上げましょう!)
 心で目を吊り上げ、同時に両手を空へ差し向けた。
「ピンライトよ!」
 すると地獄の雲が渦巻く空から一条の光が差しこみ、フランソワーズの姿を一輪の花のように照らし出した。そうかと思うと、どこからともなく黒煙が湧き出し、禍々しく彼女の肌を絡め取った。
「変・身!」
 高らかに宣言する!
 すると黒煙が収縮し肌に張り付き、それがパッとはじけた。ゴンドラ向きの異国の衣装は剥ぎ取られ、新たに黒基調の水兵服があてがわれる。スカートはキュロットに変わり、つるんと伸びた足は甲板員仕様で裸足だ。さらに長く好き伸ばした髪が風の力で三つ編みにされてゆき、先っぽをキュッと赤いリボンで縛られて、しっかりとした一本の綱のようになった。さらに右手には漆黒のタクトがつままれていて、フランソワーズはそれを空へ向けるとサッと一振り……。
「歌える船頭フランソワーズ・テンプル・小閻魔が命ずる! いにしえのバルーン、赤フーよ! いざ、ここに!」
 すると、空を埋めた暗雲が大きく開き、高いところから真っ赤な熱気球がやってきた!
「まあ、すてき!」
 その赤が、恐らく心に響いたのだろう。甘王女が歓声を上げた。
 フランソワーズは鼻高々、桟橋に降りてきた籠を捕まえると騎馬命を見、騎馬命は意を得たりと頷くと甘王女を抱えて籠に乗り込んだ。そして最後にフランソワーズ自身が乗り込んで、種火のついたバーナーに「燃えていくわよ!」と一声かけた。そしてスロットルレバーを握りしめた!
「いざ征かん! 伝説の赤い風船号、発・進!」
 ゴウッ!
 ゴウウウウッ!
 頭上で真っ赤な炎が上がった!
 それはプロパンや天然ガスの炎ではない。罪の因果が炎となった、熱量無限の地獄の炎だ。
 熱気球はフウッと上昇、目を輝かせる甘王女と、ふたりの小閻魔を乗せ、三途の川のほとりから飛び立った。


 その頃。
 閻魔殿では、小太郎が心穏やかでない気持ちでいた。
「……考えてみたら、妖怪が三途の川を渡れるわけがない……」
 親指を唇に当て、考え込む。
 彼の前の御白州には、いかにも袖の下の深そうな、ガマガエルのような風体の死人が正座をさせられていた。
「三途の川の船頭は、防人の役目も果たしているはずですが……」
 心ここに在らずの小太郎の目に、ガマガエルの姿は映っていない。それを付け入る隙と見間違え、ガマガエルはここぞとばかりに攻めに出た。
「このワシをお救いくだされば、札束を十本、いや百本は差し上げましょう! さあ、どこぞの良家のご子息殿、ワシを永代橋へお戻しください!」
「………うーむ、賄賂かな」
「足りないとおっしゃる気持ちもわかります。ですがお聴きください! ワシも痛い目をしてタダでは起き上がるつもりは毛頭ございません!
 今ごろはワシにかけた保険金が口座にたんまりと入っている頃でございます! 生き返ればワシは億万長者、貴方様も帝王にございます! さすればお礼はさっきの十倍、いや百倍に弾みましょう! すべて、ゲンナマでございますぅ!」
「ぼくは、羊羹がいい……」
 小太郎は耳に入った言葉に、思わず返事をしてしまう。
 死人はガマガエルよろしく大きく口を開け、手を振り上げてからひれ伏した。
「かしこまりましたぁああ! 銀座で一番のぉお、御菓子処をぉおお、明日にも地上げして差し上げましょううううう!」
 その声があまりに大きく、小太郎は迷惑そうに目をしかめた。
 そして一声。
「沸騰した血の池を羊羹の舟で渡る地獄」
 バタン!
「ああああー!」
 御白州の底が抜け、ガマガエルは奈落の底へ真っ逆さまだ。
 そして次の死人が連れてこられるまでの短い間に、小太郎は眉間にしわを寄せてつぶやいた。
「賄賂、買収、袖の下。これは、地獄にふさわしくない傾向です」




 十二月の青い空に、赤い熱気球が飛んでいる。
「昼間の都会は久しぶりだぜ! おおー! あれが噂のスカイツリイか!」
 雲を抜け、青空を渡り、都会の風に赤フーは乗っていた。
「やめてよ、みっともない。田舎者まるだしじゃない」
 地獄のバーナーを操りながらフランソワーズが冷たい目をする。そのふたりの間に挟まって、甘王女がはしゃいでいた。
「あれが感情十八号! こっちが目黒田通り!…ということは、この辺が自由ナ丘ですね!」
「おまえ、詳しいな」
「当然です! 輸送路チェックは王女のたしなみですから!」
 甘王女は眼下の街に目をやりながら、身を乗り出して指差した。
「アッ! ありました! あの赤いお屋根の建築物です!」
「え? どこ?」
「【世七】のパトカーが走ってるそばですよ!」
 パトカーの屋根に大きく描かれた識別番号を指さす。フランソワーズは目を細めて探した。
「世七…? あ、あそこね?」
「あ、もう七号はもうお店を通り過ぎました! 今は【東三】のバスが止まっているあたりです!」
「東…三ね?」
 バスの屋根にも識別番号が描かれている。
「ああっ! もう走り出しちゃいましたよ! もうっ! これじゃいつまでたってもお店に着けない!」
「………」
 フランソワーズがムッと黙る。それを騎馬命は笑って見ている。
 甘王女は「えーと、えーと…」と新たな目印を探す。
 騎馬命は冷やかす口調でフランソワーズを見た。
「あれ、使えよ」
「あれ?」
「都会には一杯いるだろ、平和の使者が」
「ああ、あの子達の事ね」
 フランソワーズはムッとしたまま言うと、タクトを取り出し、眼下の都会に向けて歌った。
「ポポポ・ポーポーポー・ポポポ!
 ポポポ・ポーポーポー・ポポポ!
 ヘルプのメロディー、集えよ黒き従者たち!」
 すると、眼下の街のどこかからか、次から次に鳥が集まってきた。
 力強い黒い翼に、見る者を冷たく射貫く黒い瞳、そして禍々しいまでに黒く鋭いくちばし……
「あ、カラス! つまみ食いされちゃう!」
 甘王女が身を潜める!……が、赤フーの回りに集まってきた黒い集団は甘王女のことなど見向きもせず、フランソワーズを中心に回った。
「ふん」とフランソワーズは勝ち誇った目で甘王女を見る。今度、ムッとなったのは甘王女だった。フランソワーズはそれが気に入らず、カラスに目配せし、数羽を甘王女のそばにいかせるとガアーと威嚇させた。その目、そのくちばしに、甘王女はしゃがみ込むと頭を抱えた。
「や、や、やめてくださいー」
 騎馬命は大人気ないフランソワーズに軽く呆れつつ、けれど甘王女を助けようとはせずに口を開いた。
「さてさて、王女さま。その店の名前を教えてくださいな。目印を教えてもらうより、その方が早いんで」
 甘王女は、飛び回るカラスに脅され、キャとか、ヒャとか声を上げながら答えた。
「じ、じじ、自由ナ丘パテスリー【ストロベリー・タイムス】。創業五十年の、し、しに、老舗ですぅ」
 その言葉を聞いて、カラスたちが編隊を組み百八十度急旋回、地上の一点を目指して急降下を始めた。
「え? そっち?」
 フランソワーズが慌てる。
 どうやら赤フーは、だいぶ風に流されている。
 そばからカラスが消えて、甘王女は立ち上がると膝とお尻をパタパタとはたき、それから何もなかったかのような顔でフランソワーズを見た。
「どうしたんですか、運転手さん?」
 白けた眼をしている。カラスをけしかけられことを根に持っているのがありありとわかった。
「うるさいわね。放り出すわよ」
 フランソワーズは機嫌悪く言うと、バーナーの脇のロープを引き、熱気球の弁を開けて降下を始めた。
 そして。
 赤い風船号は無理な降下で着陸に失敗、住宅街の、何の変哲もない電線に引っかかった。


「王女さまにいいことを教えてあげますわ。風に流されがちなのは、風船も人生も変わらないのですよ」
「言い訳は結構です」
 電線に引っかかったのは風のせいと言い張るフランソワーズと、無駄に対抗意識を向けられて白ける甘王女。どうやらフランソワーズと甘王女の反りは合わないらしい。フランソワーズは鬱陶しそうな眼で甘王女を見下ろしてから彼女の襟首をつまみ、閻魔の霊力で緩やかに飛んで道に降りた。
「ありがとう」
「どういたしましてでございますわ」
 すまして礼を言う甘王女に、無理に丁寧な言葉を使うフランソワーズ。ふたりは互いにツンとすると先を争って歩きだした。その後をついて歩く騎馬命は、さっきからずっと苦笑いだ。
(フランソワーズも、まだまだ子どもだねぇ……。
 それにしても……)
 騎馬命は歩きながら空を見上げた。そこにはさっきからずっと、数十羽のカラスが舞っていた。赤フーが電線に引っかかったのもだいぶ目立っていたけれど、カアカアと鳴き交わすカラスたちに先導される自分たちも、なかなかの目立ちっぷりだった。周囲の人の目が三人に集まり、騎馬命は露払いを買って出たかのように先頭に出ると肩で風を切った。
「あたしら注目の的…だねえ」
「大丈夫です。私たちは、自然と人々の暮らしの中になじんでいます!」
「その自信、その変なかっこうのどこから沸くのよ?」
 フランソワーズは白い目をする。
 騎馬命は、このふたり、どうにもならないなと苦笑いしつつ、甘王女に聞いた。
「ところで、まだかな、ストロベリータイム」
「ストロベリー・タイムスです」
「細かいな」
「大切な部分なので」
「そうかい? すまないね、英語は赤点しか取ったことないもんで」
「赤点は、赤ってところだけが素晴らしいですね」
 騎馬命が口笛を吹く。
 フランソワーズが早口に付け加えた。
「この小閻魔はフランス語も全くだめなのよ。何しろフランソワーズとフランボワーズを言い間違える、聞き間違える、意味取り違える…なんですから」
「……え?」と甘王女は耳に手を当てた。「今、なんて?」
「フランソワーズとフランボワーズと言い間違える、聞き間違える、意味取り違える…のよ!」
「えっ? もう一度」
「言い間違える聞き間違える意味取り違える!」
「そっちじゃなくて」
「フランソワーズとフランボワーズよ!」
「ふらん…?」
「フランソワーズとフランソバーズ!」
「もう一度」
「フランソバーズとフランソボーズ!」
「後ろの方を!」
「フランスボーズ! フランスボーズよ!」
 なによ、なんなの!とフランソワーズはムキになる…が、甘王女に遊ばれていることに気づいていない。
 甘王女はクスクス笑うと言った。
「わたし、フランボワーズは大大大好き。だって苺の一種だから!」
「フランソワーズよ!」
「ついでに主張しておきたいのですが」
「なによ?」
「フランボワーズは、いちごネイティブ的に『フランヴォワーズ』と発音します(にこり)」
「!!!」
 フランソワーズは頭から湯気を上げ、顔は真っ赤にして地団駄を踏んだ。騎馬命はフランソワーズの肩をポンとやると、「バイリンガルも大変だな」と笑った。
「それより」騎馬命は鼻をクンクンとさせた。「さっきからなんだろな、この甘ったるい匂いは」
「甘ったるい匂いですって?」
 フランソワーズはピタリと立ち止まった。確かに甘い匂いがする。うっとりと女子の心を掴んで離さない、なにかの匂い……。
「着きました! ここがストロベリー・タイムスです!」
 高らかな声を振り返ると、レンガ貼りの壁にアーチ窓の入った、ちょっとレトロなケーキ店の前で、甘王女が両手を広げて笑っていた。カラスたちは頭の上でおぞましく急速旋回を繰り返している。いつの間にか三人は、目指す洋菓子店の前へたどり着いていた。
「この美しい香りは……」
 フランソワーズが魅了の術をかけられたようにふらふらと店に引き寄せられた。そして、甘王女の頭を手で押しのけて店内に……
「ああっ! やっぱり!」
 入ると正面に大きな冷蔵ケースがあり、その中に、白いホイップクリームをまぶしく纏ったケーキたちが整然と並んでいた。
「こ、この白雪姫のような若々しく美しいケーキ…! なめらかな口触りのクリームに卵色のスポンジを包ませて、頭にちょんと苺を載せたケーキの王道! そ・の・名・は~?」
 フランソワーズは狭い店内でくるくる回り、最後はド・ミ・ソ・シーの曲振りでピタッ!と騎馬命達に向かってポーズを取った!
「シンプル・イズ・ベスト! 
 ショーーート、ケイィキィィィイイ!!」
「………」
 甘王女はポカンとなる。
 騎馬命は小声で伝えた。
「フランソワーズに好物を見せると、……狂っちまうんだ」
「……しようのない方ですね。でも…」
「でも?」
「情熱的な人、嫌いじゃありません」
「へぇ? 情熱的? ……確かに食い意地は張ってるけどな…」
 甘王女はほほえましく、そしてどこか神々しく、見守るようなまなざしでフランソワーズのことを見ていた。その横顔には、見た目の幼さとは裏腹に、心の余裕のようなものが見て取れた。対照的にフランソワーズは、まるで小さな子供のように冷蔵ケースに張り付いた。
「女子の憧れ、純白のウェディングドレスを思わせるホイップクリーム! 婚姻後の家庭を占うようなツノの立ち方も絶妙よ! これは、最高の職人技! そして何より……苺! 真っ赤な苺がわたしのハートに火をつけるぅッ!」
 冷蔵ケースの向こうで、すっかり年を召された女性がドン引きしている。騎馬命が代わりに「すみませんね」と詫びるが、老婆はスケバン騎馬命の笑顔に二度のけぞった。
 甘王女は、老婆に頭を下げると冷蔵ケースに歩み寄った。
 そして、ガラスに張り付いたフランソワーズの横顔を覗く。
 フランソワーズは眼をハートにして、
「ケーキ、ケーキ、ケーキ!」
と、子供のように繰り返している。
 その視線の先には、トレイ一面に載せられたショートケーキが……。
 その数、百、二百…、小さな店には常識外れな数だ。
 甘王女は瞳を曇らせた。
「みんな、殺されちゃう……」
 子供に似合わぬ深刻な声を聞き止めたのは騎馬命だった。
「あ? 殺し?」
「いえ、別に」
「………」
 振り返った視線をかわすように甘王女は顔を背ける。
 その様子を見て、騎馬命は改めて冷蔵ケースを見た。
「……ショートケーキばっかだな……」
「………」
「あたしは、チョコのヤツがいいんだが」
「………」
 甘王女は顔を背けたまま沈黙を貫いた。
 しかたなく騎馬命は、老婆にたずねようと腰を伸ばした。
 すると老婆は、甘王女を冷蔵ケースの上から見下ろして言った。
「甘王女ちゃんがお友達と来るなんて珍しいわ。みんな、上がってらっしゃい。ケーキをごちそうしますよ」

 古い洋菓子店は、売り場の奥に厨房、その脇から居間に上がる作りだった。
 厨房には、かなり高齢の亭主と覚しき老人が、今はやることもなく椅子に座ってこちらに背を向けていた。
 すぐに老婆が皿にケーキを盛って出してくれ、フランソワーズが「いただきます!」と間髪入れずにフォークを持った。
 角の立ったホイップクリームを一口、それから三角の先の部分にフォークを立ててスポンジと一緒に二口、三口目には苺をポン!と口に放り込んで「んん~♪」と眼をハートにした。
「美味しいですか? フラン…ソワーズさん」
 たずねたのは甘王女だ。フランソワーズはそっちを見ることもせずにコクコクと頷くと、苺のいなくなったところのクリームをすくって食べた。
「夢中すぎるぜ……」
 騎馬命が呆れる。
 けれど、フランソワーズの耳には入らない様子だ。
「本当に、好きなんですね」
 甘王女が微笑む。
 騎馬命は、少しホッとさせられながら、部屋の様子に目を向けた。
「見た目は洋風だけど、中は普通に和風なんだな」
 畳敷きにちゃぶ台、小ぶりなテレビに茶箪笥。
 老婆が紅茶を出しながら言った。
「この店は、元は寿司屋だったんですよ」
「寿司屋? それがケーキ屋になったんですかい?」
「ええ。主人の実家だったんですけど、代替わりの時に借金して改装したんです。主人、寿司屋のせがれだったんですけど、ケーキ職人になりたいって言ったら勘当されたんです。でも、銀座の洋菓子店で修行しましてね、コンテストで賞を取って、それでお父さんも折れましてね、改装費用は全部自分で借金する事で店を譲ってくれたんです」
 そんな話をする老婆は、懐かしそうに眼を細めている。
「それが、五十年前なんですかい」
「ええ。そういえば、その頃は、あなたのような不良少女もよく来てくれたんですよ」
「へえ?」
「甘いものが好きな人に、良いも悪いもありませんよね」
 騎馬命は甘王女に耳打ちした。
「甘いもの食べ過ぎると、逆に口は辛口になるんだな」
「どういう意味ですか?」
「心当たり、あるだろ?」
「ありません」
 甘王女はきっぱりという。
 騎馬命は、ケーキに夢中のフランソワーズを横目にしながら老婆にたずねた。
「このハロウィンちゃんから、営業妨害に遭ってるって聞いてきたんですが」
 甘王女が老婆を見る。
 老婆は、話してよいものかと厨房を見るが、店主の背中は振り向く気配もない。彼女は小さくため息をつくといった。
「じつは……そうなんです」
「じゃあ、ハロウィンに合わせて何者かが架空発注したのは本当なんですかね?」
「ええ。実は、今までも時々あったんです。
 電話の声はいつも同じ人。いつも注文だけしてお買い上げにいらっしゃらないので、わたしは数を揃えることはしないのですけど、このあいだ、ハロウィンの注文が入ったときは、わたしがちょっと手が離せなくて主人が出たのです。
 主人が嬉しそうに笑っていたので、わたし、それがいたずらだって言えなくて」
「それで苺一〇パックが無駄になってしまった…と」
「一〇パック…、どうしてそれを?」
 老婆は怪訝な目をする。できあがりのケーキの数ならいざ知らず、材料の数を言い当てるなんてと思ったのだ。騎馬命は苦笑いでごまかそうとし、甘王女も身を乗り出して何かを言おうとしたが…。
「ゆるせない」
 カチャリ…とフォークが置かれた。振り向くと、右のほっぺたに生クリームをつけたフランソワーズが、恐い眼をして老婆を見ていた。
「生クリームは日持ちしない。その日に食べきるのが基本。苺だってそう。一番おいしいのはヘタを取る瞬間まで。犯人、それを知ってて嘘の注文をしたのに違いないわ。ゆるせない…!」
 拳がギュッと握られる。その様子に甘王女は目を丸くし、言いかけた言葉を呑み込んだ。
 フランソワーズが厳しくたずねた。
「今まで、どれくらいのケーキが無駄になったんですか?」
「最初は十個、それ以降はわたしが話を止めてましたから…」
「この間のハロウィンは?」
「……百個です」
「ひゃ、百個?」
 フランソワーズは、バン!とちゃぶ台を叩いて甘王女を睨んだ。
「妖怪になって出てきたくなるのもわかるわ。こんなに美味しいショートケーキが百個も無駄になったなんて……。苺十パックをなめてたわ……」
 甘王女はフランソワーズにおずおずと言った。
「ショートケーキは、てっぺんの苺こそ一個だけですけど、三段重ねのスポンジの間にもだいたい一個ずつ、つまり苺は三個使われてるんです。とくにストロベリータイムスのショートケーキは外側の壁のところにも苺が貼り付けてあるから、百個作ろうとすると十パックは必要なんです。
 わたしだって、一度くらいなら、もうどうしようもないって諦めますけど、二度目ってなると……」
 困惑して身を乗り出し、冷蔵ケースを見やる。
 冷蔵ケースは、ショートケーキで埋められている。
「今回は、いくつだってんだ?」
 騎馬命が数えようとすると、甘王女が残念そうに言った。
「三百個」
「さ、三百! つ、つ、作ったんですか!」
 フランソワーズ悲鳴を上げた。
 老婆は「主人が、話を聞いてくれなくて……」と小声で言った。
「もし、楽しみに買いに来たのにケーキがなかったらどうする。その子が可愛そうじゃないかって」
 フランソワーズはポカンとなる。頭の中では恐らく、無駄になる苺の数を計算している。
 騎馬命は老婆の話に首を傾げてから、ふと気づいて言った。
「そういえば、クリスマスケーキがないな…」
「明日のクリスマスで、店を閉めることにしてたので……」
「それは、営業妨害されたからですかい?」
「いえ。もう、私たちも歳ですし、跡継ぎもいませんし、何かあって急に店を開けられなくなったら、お客さんや問屋さんに迷惑がかかるので注文を受けなかったんです。それに、楽しいクリスマスに、閉店するケーキ屋のケーキなんて、似合わないと思うんです。それで、十月の後半には門の前に張り紙を出して……」
「門の前?」騎馬命は記憶をたどった。「そんな張り紙、あったか?」
「ああ……またなのね」
 老婆がため息をつく。
「張り出しても、いつの間にか、誰かがはがしてしまうんです。いたずらだと…思うんですけど」
 騎馬命は甘王女を見た。
 甘王女は、なにかを察したように、スッと目を逃がす。
 突然、フランソワーズが悲鳴を上げた。
「三十パック? そんなに!」
 両手の指を使って、ようやく計算がついたらしい。
 騎馬命は肩で呆れてみせると、その勢いでケーキを口に放り込み、口いっぱいにもぐもぐしながら「ほにかく、はんひんはがひ」と言って立った。

 店の前に出て、門のところを見ると、確かに紙を剥がした痕があった。
 フランソワーズが腕にカラスをとまらせて情報を聞くが、
「特別、気づいたことはないみたい。ここは人通りが多いから」
仕方ないわと言う。カラスが舞い上がるのを待って甘王女が言った。
「人通りが多いと言うより、張り紙は食べられないから気にもならなかったんじゃないですか?」
「なにそれ、嫌味?」
「そういうわけじゃないですけど」
 キッと睨まれても甘王女はツンとしている。
 その様子に、ぷっと吹き出すのは騎馬命だ。
「なによ?」
「いいや、べつに」
 明らかに笑いをこらえている。
 フランソワーズは不愉快極まりない顔をする。
 だが、それがまた面白い。
(ほっぺにクリームつけて目ぇ尖らせて。……かわいい奴め!)
 騎馬命は笑いをこらえて空を仰ぐ。
 フランソワーズの右の頬には、さっきのケーキのクリームが、ピトリとついたままだった。フォークにケーキを刺したまま振り返りでもしたのだろう。
 そしてその事は、甘王女も黙っている。カラスをけしかけられた報復だろうか。
「とにかく!」フランソワーズが騎馬命を指さした!「犯人さがし! とっ捕まえて生皮剥がしてやる! さあ騎馬命! あなたの出番よ!」
「え? あたし?」
「このお店のケーキは絶品! ということは、犯人は嫉妬深いライバル店で決まり!」
「安直だなぁ」
「いいから今すぐライバル店を偵察して、審理眼で犯人をつるし上げて頂戴!」
「審理眼? そんなの持ってねぇよ」
「持ってない? なんで? あなた、閻魔殿に住んでるのでしょう?」
「なんか関係あんのか?」
「大ありよ! もし審理眼も持っていないなら、どうして小太郎様があなたを手元に置いているのか、ほんのちょぴっとだけ疑問に思ってしまうからよ!」
「ああ。そのことか」
「そ、そのことか……って」
 フランソワーズにとって一大関心事だ。
 それを手玉に取りながら、騎馬命は言ってやった。
「小太郎様は…よ」
「うん……」
「あたしに首ったけ! なんだよ♪」
「!!!」
 騎馬命はカッカと笑う。
 フランソワーズは言葉も出せずに湯気を噴く。
 そんな二人を、じっと見上げる瞳があった。
 甘王女だ。
 なにかを思うでもなく、交互に二人を見ている。
 けれど、どちらかというとその目は、フランソワーズの顔に向きがちだった。

「よぉし、手始めにこの店だぜ!」
 自由ナ丘にはたくさんのスイーツ取扱店がある。騎馬命は、黒基調でシックなたたずまいのスイーツ専門店を前に腕組みをした。
「話によると、電話をかけてきたのは若い男。疑わしきは罰せよ! 片っ端から締め上げてやるぜ!」
 声を上げて笑うスケバンに、店に入ろうとする女子も、ショップバックを手に出てくる婦人も目を丸くする。
「撮影かしら」
「じゃない?」
 コソコソと声がする。それはそうだろう。でかいスケバンに、頭にカラスの羽根を挿したキュロット少女、そして赤と白のハロウィン少女(季節外れ)だ。正常な判断をしろというほうに無理がある。
「おらおら、アイドルみたいに見てんじゃねーぞ! こちとらマジでタイマン張りに来てんだ! おらぁッ、出てこい、ケーキ野郎!」
 騎馬命は周囲を威嚇しながら一人でケーキ屋に入っていく。
 フランソワーズは口を突き出して胸に腕を組む。それをちらりと見上げて、甘王女も胸に腕を組み口を突き出した。
 そして待つこと十数秒……。
「失礼しやしたー……」
 騎馬命がペコペコと頭を下げながらドアを出てきた。
 そして頭を掻き掻き、二人のところへ戻ってくると、怪訝な顔に一言言った。
「うまかった」
「はあ? なんの話?」
 フランソワーズが眉をそびやかす。
 騎馬命は唇に残ったチョコソースを舌でペロリとやってから、改めて言った。
「ここのケーキは絶品だ。こんなケーキを作る男に悪いやつなどいない。あたしにはわかる。なので、ここは関係ない」
「??? はあっ?」
「そういうわけで、次いこうか、ハロウィンちゃん」
フランソワーズが慌てて追いかけた!
「ちょっと騎馬命! あなたずるいわよ、自分だけ食べて! レディーファーストを知らないの? わたしの分ももらってくるのがマナーでしょう!」
「あたしもレディーなんだけどな!」
 ……という具合で、ふたりは先を争って次に向かった。
 そして。
「おうおう!」
「失礼しやしたー」
「おらおら!」
「お見それしやしたー」
「ひれ伏せやがれー!って、あんた、女か。うん、かわいいね、尊敬するぜー!」
 手当たり次第、物色していく。
 フランソワーズは食べるのに夢中で声も出さないが、その目は、ここぞとばかりにスイーツパラダイスを堪能している。
 甘王女は、そんなふたりのことを、どちらかというとフランソワーズのことを、ジッと見ていた。
 そして十件目。
「ありがとうございましたー」
 会計を済まして出てきた騎馬命は、漆黒の巾着を怪訝な眼で振った。すっからかんでほこりも出てこない。その巾着には赤い糸で、おどろおどろしく【経費】と刺繍されていた。
「コイツは……大目玉食らうぞ」
 騎馬命はブルッと震え上がった。
 一方、それを横からのぞき込むフランソワーズに切迫感はない。
 騎馬命は巾着をスカートのポケットに突っ込むと言った。
「おまえ、食べ過ぎ」
「それはお互い様でしょ」
 フランソワーズはハンカチを取り出して上品に唇を拭う。けれどほっぺたの白いクリームには気づかず、それはまた、そのままになった。
「まぬけ」
 唐突に甘王女が不満を口にした。
 ふたりが振り返ると、彼女は口を尖らせていた。
「うどの大木。寸胴鍋」
 悪意のある言葉だ。フランソワーズが噛みつこうとするのを、騎馬命が腕で止めた。そして、ニヤッと笑った。
「ようやく本性を現したね?」



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