第1話 クリスマス・イブ(1)

文字数 6,705文字

 閻魔の小娘2
   いちごクリスマス
           第六文芸


「わたしゃ、世界で一番♪
 気楽な稼業の少女~♪
 十三グラムのキミ乗せてー…って、
 今日のは死人じゃなくて、お化けだったわ~♪」
 三途の川の船頭フランソワーズは青と黄色のゴムボートに立ち、機嫌良く歌いながら棒状の櫂(かい)で舟を操っていた。グレーの瞳、いくらか幼さの残る横顔、小柄で、体つきも全くの少女だったが、実はその心は、【長い金髪が印象的なレディー】を目指して背伸びをしていた。
 目指すは、少女からの卒業。
 けれど、それは無理な相談だった。本人がどんなに望んだとしても、地獄の住人は、死んだときの姿から一歩たりとも成長することはない。もちろん、控え目な胸元は控え目なまま、足だって、これ以上、長くなることはない。
 しかし、そんなことを本人は気にした様子もなく、笑顔で、陽気な歌声を披露している。筏(いかだ)に立って、水中から上がってくる死人をつつく役目の鬼たちも、フランソワーズの姿を見たときだけは、その手を止めて表情を緩ませる。その隙を狙って空気を吸おうとする死人たちも、フランソワーズの声を聴くと、しばし苦しさを忘れている。
 この世とあの世を隔てる三途の川にあって、フランソワーズの歌声は、ほんの少しの間、人にも鬼にも夢を見せてくれる癒やしだった。死した者の世界にあっても、伸ばした髪の手入れをし、大人に背伸びをしている姿は、健気に映った。ここにいる誰もが経験した死を、一瞬でも忘れさせてくれる魅力があった。
 言うなればフランソワーズ・テンプル・小閻魔は、地獄の三丁目のアイドルだ。少なくとも、機嫌良く歌っているときは……。

 その様子を、今日の乗客はつぶらな瞳で見上げていた。
 彼女は、見た目はまだまだ小学生。ただ、その姿は奇抜だ。
 赤と白の横縞タイツに赤いパンプキンパンツ、白に赤を配したトップスに緑色のチューリップハットをかぶっている。顔を白く塗って鼻に赤いボールを付ければピエロになれる衣装、あるいはハロウィンの仮装と言ってもいい。
 けれど、彼女は本物のお化けだった。つまり、人の姿はしていたが、人間が死んだものではなく、それ以外の亡き魂、【妖怪】なのだった。なので、人間のための地獄には縁が無い……はずなのだが……。
 彼女は、霧の中を運ばれていきながら、フランソワーズに言った。
「お姉さま、長い棒の使い方が上手ですね」
「ニョイ棒のこと?」
「はい。右に左になめらかに。お料理も得意そう」
「お料理? そんな風に見える?」
 フランソワーズはちょっと得意げに少女を振り向く。
 少女は、にっこりと笑うと言った。
「寸胴ですね♪」
「寸胴? 失礼ね!」
「え? そういうことではなく、寸胴鍋をかき混ぜるのにぴったりな腰つきをしてらっしゃる…」
「……なんだ、そういうこと。わたし、てっきり……」
「てっきり?」
 悪意があるのかないのか、少女はニコリとする。フランソワーズは、いくらか釈然としない思いをしつつも、そんな負の面からは目をそらし、美少女である自分を印象づけた。
「いい? 三途の川は死人しか渡せないことになってるのに、あなたみたいなお化けが来たってなったら、わたしの資質が疑われるから、閻魔殿に着いて小太郎様にお目通りしたら、『三途の川の優しい美少女船頭さんが、かわいい子には旅させる』って言って舟に乗せてくれましたって、いうのよ?」
「はい」
「余計なことは、言う必要はないのよ?」
「はい、もちろんです」
「それから」
「話長いですね」
「茶々を入れない」
「はい」
 フランソワーズは「めっ!」と叱ると続けた。
「地獄巡りが終わったらさっさと帰ること。くどいようだけど、ここは人間のための世界ですからね」
「はい、わかりました」
「よろしい。では……。
 もう間もなく、地獄の三丁目でございまぁーす♪」
 フランソワーズはバスガイドよろしく手をひらりとさせると、霧の中から見えてきた桟橋にゴムボートを寄せていった。


 師走。
 師も走るなんて言うけれど、閻魔殿はいつもと変わらず、いつも通りの忙しさだった。
 そんなところに、地獄巡りがしたいと言って【妖怪】がやってきたものだから、小太郎は正直に困惑した。
「……騎馬命、どう思う?」
「どうもこうも……ハロウィィィインはもうとっくに終わったぜ。……てか、今日、クリスマスイブじゃねえか?」
 見た目は子供の閻魔小太郎と、見た目も心もスケバンの小閻魔騎馬命は、困った顔で来訪者を見下ろしていた。小太郎は地獄の三丁目の閻魔、そして小閻魔騎馬命は彼の配下だ。
 そしてやってきた少女は、どう見てもまだ十歳未満、さらに、その姿は奇抜だった。
 赤と白のめでたい横縞タイツにパンプキンパンツを履き、同じく、桔梗のように裾が広がったトップスを着て、頭には緑色のハットをかぶっていた。
 どう見てもハロウィンの仮装。ただし季節外れ。繰り返すようですが師も走る季節、しかもクリスマスイブです。
 騎馬命は、小太郎に呼ばれて奥から出てきたのだったが、ハロウィン少女は騎馬命を見るなり涙目になった。
「閻魔殿が恐ろしいところとは聞いてました。けれど胴長スカートの鬼がいるとは聞いてません…」
「なんだ? なにげにディスってないか?……てか、話をそらすなよ」
「ですね。地獄巡りがしたいなんて見え透いた嘘、初めて聞きました。まあ、本当の地獄巡りがしたいというのなら、体験させてあげてもかまいませんが……」
「体験入獄か! グツグツ煮られたり石臼ですりつぶされたり、そりゃぁもう、見るも無惨な世界を体験できるぞぉ!」
 ふたりして脅しを掛ける。
 ハロウィン少女は汗をダラダラ流しながら胸では悲鳴を上げていた。
(ど、どうして嘘がバレたのかしら?)
 そう、二人はまるで最初からわかっていたかのように、ハロウィン少女の嘘を見抜いてしまったのだ。
(あっ…もしかして、エンマ様っていうのは、ウソツキスズメの舌を抜いたとかいう、あの伝説の……ウソ見抜き名人?)
 ようやく考えが巡って、少女は真っ青になった。
「わ、わ、わたし、本当は地獄巡りに来たんじゃなくて!」
 勇気を出して声を上げる。
 騎馬命は眉をひそめた。それを小太郎は横目で見ると言った。
「察するに未練があるようだ。断ち切ってやりたいところではあるが……」
 小太郎が騎馬命を呼んだ理由がそれだ。騎馬命はいささか白けて見せてから御白砂に降りた。
 大柄で厳つい目をした騎馬命がやってくる。ハロウィン少女は怯えて首をすくめた。
 騎馬命は片手を腰に突くと言った。
「おまえ、何企んでんだ?」
「た、た……」
「あたしらを馬鹿にしてると、痛い目、見るぜ? さっさと白状しちまえよ」
「は、は、…薄情者!」
「………」
 迫られたハロウィン少女は、目を回しかけて叫んでしまう。騎馬命は困った顔になった。
「トリック・オア・トリート。…ほれ、言ってみ?」
「と…ととと、とりっく、おあー、とりーと……?」
「ついでにメリークリスマス」
「め、め、めりぃくりすます!」
 少女は小さくなりながら言った。
 騎馬命はチラッと小太郎を振り向いて、やっぱりだろと言うような目をすると、片手でボールを投げ上げる仕草をし、空中に小さな何かを生み出すと、自然落下してきたそれをパシッと掴んだ。そして少女の手を取って握らせた。
「トリックの発音がよかったから、あんたはやっぱりハロウィンちゃんだ。
 じゃあ、ほら、おかし。ここは【お化け】が来るところじゃないよ、帰んな」
 話も聞いてもらえず門前払いをされそうになって、ハロウィン少女は今にも泣き出しそうな目をしたが、手の中に渡されたものを見ると、その涙も引っ込んでしまった。
「……キタローのおじさん?」
「目玉キャンディー。ハロウィンの定番じゃねぇの?」
「わたしは…」
「ん?」
 少女は目を上げ、困った顔をした。
「わたしは、こんな不気味な【めんたま】よりケーキが好き! わたしは、ケーキに乗ってる、あの…」
「ケーキに目ん玉?」
「違います! ケーキに乗ってる、赤くて小さくて…」
「ああ、なるほどな」騎馬命は察して言った。「そのカッコ、赤と白だと思ったら、つまり、イチゴか。あんた、苺の妖怪なんだな。
 いいよな、苺。ガブッとやりゃあ、外は赤くて中は白、人間の逆だな。歯ごたえはしゃくっとして、奥歯で謎のつぶつぶをいちいちプチプチ噛みつぶす。カ・イ・カ・ン♪だよな!」
 顔を突き出し、牙を見せて威嚇する。その様子を横から見てた小太郎は、子ども相手になにをするかと白い目を向けた。一方、ハロウィン少女は真にうけてすくみ上がった。それを騎馬命は容赦なく追い込んだ。
「ちなみに地獄に生モノはない。手に入れようとすれば眼を引っこ抜くほど高い。ここは地獄の三丁目だからな、気温が高くてすぐ腐る。運んでくるのも楽じゃない。だからみんな生モノに飢えてる。そんな旨そうなかっこうでウロウロしてたらガブリとやられちまうぞ。そんなの嫌だろ?」
 さっさと追い返そう。騎馬命は言うだけ言うと少女の頭に片手を乗せ、彼女のことを駒回しでくるりと反転させた。
「帰り道、途中まで送ってやるぜ」
 騎馬命は少女の背中をグイッと押して歩き出した。
「騎馬命」小太郎が呼び止める。「どこまで行く」
「ん? どこまでって、フランボワーズのとこまでだぜ。こんな奴を渡してきた了見も確かめたいし、な」
 フランボワーズ? その言葉に小太郎は眉をひそめ、こんな奴呼ばわりされた少女は緊張のあまり悲鳴じみた声を上げた。
「フ、フ、フランボワーズは苺の一種です!」
「なんだ、嬉しそうだな」
「野いちご系で、ちょっとおしゃれなケーキとかドリンクにぴったり…」
「はいはい、わかりました。じゃー、行こうか」
 ここが人間のための場所、地獄だとはいえ、小太郎はハロウィン少女がここへ来た理由くらいは聞きたいと思った。妖怪は基本的に人間と仲が悪く、地獄には近づこうとしない。何か思いがあるに違いないと思ったのだ。
 けれど騎馬命には、妖怪に有無を言わせるつもりはないらしい。少女の手首をつかむと、小太郎には任せろと言わんばかりに片手を上げて、グイグイと板戸を出て行ってしまった。


「さっきのお方はだなぁ、あんたと同じくらいの子どもに見えるがなぁ、地獄の鬼も震え上がる恐怖の大閻魔、小太郎様ってんだ。嘘が大嫌いで、その折檻は想像を絶するぜ。そこを穏便迅速に門前払いにしてやったんだ、あたしには感謝しろよな!」
 騎馬命はハロウィン少女に説教しながら地獄の三丁目を歩いていた。
「とにかく、いいか? これだけはよーく覚えて帰るんだぞ。
 地獄は死人が来るところなんだ。おばけが遊びにくるところじゃねえんだよ。わかったか? わかったら黙って歩くんだ」
 ハロウィン少女はシュンとなりながら、その一方では、すれ違う鬼たちに目線を送っていた。誰か助けて…と言わんばかりに。
 しかし。
 赤と白、そして緑の帽子をかぶった奇抜な姿は、すごく目立っていた。すれ違う死人達、それに赤鬼青鬼も、少女の仮装に一時の夢を見るようで、皆、振り返っていく。しかし、騎馬命のやっていることに楯突こうという者はいない。申し訳なさそうな笑顔で小さく手を振ってくれるだけだ。
 ハロウィン少女はしょぼんと言った。
「鬼さん……みんな恐い格好ですけど、根はやさしいんですね」
 それを聞いて、騎馬命は「はぁ?」という顔をした。
「あいつら、死人にむち打つのが仕事なんだぞ。あんなの嘘の笑顔に決まってんだろ」
 少女は困った顔をする。
「もし、今ここに、十パックの苺があったら、あの人達をみんな、笑顔にすることが出来たのに」
「……? はあ? 笑顔?」
 騎馬命には、少女がなにを言っているのか、全く響いてこなかった。ハロウィン少女は面白いかっこうこそしていたが、とにかく、ろくに興味が湧かなかったのだ。
 さっさと厄介払いして酒が飲みたい……。棺桶で昼寝もしたいし……。そう思うと、はあ…とため息が出た。
 そのため息を聞いて、少女がおずおずと言った。実は、諦めつかず、とりつく島を探っていた。
「お姉さんも…、根は、やさしいんですよね?」
「はぁぁあ? あたしのどこを見てそんなこと言ってんのさ」
 騎馬命は前を向いたまま口を尖らせる。そして、無口になると三途の川の桟橋に向けて歩を早めた。
 結局、とりつく島はない。



 三途の川の桟橋では、異国風の衣装を着た船頭少女フランソワーズが、棒状の櫂を膝に抱えてしゃがんでいた。彼女は、目をハートにして、職人から届けられたばかりの真新しいゴンドラを愛でているところだった。
「二代目三途のゴンドラさん、あなたの名前は、ラブリー・サンズリバーⅡ世号よ♪」
 桟橋に係留されているのは、進水したばかりのゴンドラだった。初代が不遇の死を遂げてから約半年、夏が来て秋が過ぎ、冬になって、ついさっき、ようやく届けられた愛すべき舟だ。フランソワーズは、その美しい姿に惚れ惚れとしていた。
「明日から一緒にお仕事しましょうね。大丈夫、死人はみんな十三グラムなの、楽な商売よ。そうだ、今日はわたしたちの出会いのお祝いに、今からふたりでピクニックに行きましょう。ちょうど、おいしい苺が手に入って…」
 ゴンドラに向かって、まるで恋人とでも話しているかのように頬を染める。…と、そのとき。
「よう!」
「キャッ!」
 背中にワッと声がかかった! 
 フランソワーズはビクウッ!と飛び上がり、膝に乗せた櫂を水に落としそうになって前のめりになり、頭から水に落っこちそうになった。そこを咄嗟に、バシッとゴンドラの縁に手をついて耐えた!
 しかし、それは大失敗だった。
「あ、あ、あ…!」
 舟が当然のように水面を向こうへ滑った!
 結局、櫂も膝から水に落ちた!
 そして足は桟橋、手はゴンドラの船縁を掴んで…という状況で、フランソワーズの体は伸びきって渡し板のようになってしまった!
「た、た、た!」
「わわ、いま助けるぞ、フランボワーズ!」
 このままじゃ手足の限界が来て水に落ちる! ところが騎馬命は言葉だけで何もしない。ニヤニヤと成り行きを見ている。
 フランソワーズはグググ!と歯を食いしばり、手の指とつま先を踏ん張り、腹筋を人生最大に発揮して、尺取り虫のように腰を山にしていった。ゴンドラが徐々に引き寄せられてくる!
「お、やるねぇ」
 騎馬命は目を細くすると、山なりになった腰を狙って腕を伸ばし、「うぃーん!」とクレーンゲームの擬音を発しながら、両手をワニワニとさせた。
 そして腰骨あたりを両側からワシッ!と掴んだ。そこは人体で一、二位を争うくすぐりポイントだ!
「あひゃあっ!」
 フランソワーズは悲鳴を上げた!
 同時に背筋に電撃が走って手足がビンッ!と伸びきった!
 当然のように手は船縁をはじき、足も桟橋を離れた!
 体が宙に浮く! その体重が騎馬命の両手にかかる!
「重いッ! 手が、手がぁ!」
 騎馬命はふざけて声を上げ、直後にパッとフランソワーズの腰を解放した。すると、当然。
 ザッパーン!
 フランソワーズは三途の川へと落っこちた。
「あ、わ、た、た、たすけて!」
 バシャバシャともがく。
 その姿に、水中を歩いてきた死人達が群がった。
 水中から青白く冷え切った腕が何本も突き出て、自慢の長い金髪、そして服の襟に袖にとしがみついた。藁にも縋ってなんとやら、だ。
「あ……あ……ッ!」
 フランソワーズは小閻魔とはいえ、騎馬命と違って戦闘力のない少女だ。死人達を追い払うことも出来ず、怒りとも絶望ともつかない目をして騎馬命のニヤニヤ顔を見上げ、もがきながら水中へ引きずり込まれていった。
 騎馬命は、深いところから泡が立ち上ってくるのを見ながら腰を伸ばし、それから季節外れのハロウィン少女を振り返った。
「どうだ? これでもあたしの根は、やさしいか?」
「………」
 少女は唖然としていた。
 それはそうだろう、なんの落ち度もない人を水に落として、しかも見殺しにするようなまねをしたのだ。
 騎馬命は「してやったり」という顔をしたが、相手の目の気配が変わったのを見ると笑いを飲み込んだ。
「ん? どした?」
 すると少女は、覚悟を決めたような目で訴えた。
「悪虐非道、鬼畜お姉さん! どうかわたしにお力を!」
 恐れることを知らず、素直すぎる言葉を口にされて、騎馬命は苦笑いした。けれど、そんな風に冗談を笑う中でも、騎馬命は少女の瞳に、未練に似たもの、たとえば人間なら、死んでも割り切れないような思いを、こっそりと見てとっていた。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み