第3話 クリスマス・イブ(3)

文字数 13,756文字

「ようやく本性を現したね?」
「………」
 甘王女は顎を引いて上目で睨む。
「ちょっと、なんの話?」
 フランソワーズは聞き捨てならないと食い込んでくる。騎馬命は、甘王女から目を離さないように気をつけながら言った。
「フランソワーズは知らねぇかも知れねぇけど、妖怪ってのはずる賢いんだ。それにたいてい、怨念にまみれてる。そこの甘王女だって、あたしらをたぶらかすために、そんなピエロみたいなカッコウして現れたんだぜ。そしてフランソワーズ、あんたはまんまと騙されて、コイツを小太郎様の前まで送り届けちまった」
「え?」
「小太郎様は優しいお方だ。当然、地獄巡りなんて下らねえ嘘は見抜いて、あたしに手を貸すように命じたさ。
 あたしだって騙されねぇよ。騙し騙されの世界に育ったかンな。
 ほら、ハロウィンちゃん、あんた、そんな怨念まみれの目ぇしてたら、カワイイ顔が台無しだぜ?」
 甘王女は、目をそらす。
 フランソワーズは慌てた。
「わたしだって閻魔の端くれよ。この子には力なんてないわ。だって、もし、地獄に災いをもたらすような存在だったら、わたしが舟に乗せたわけがないもの」
「防人の目には引っかからねぇよ。事実、力なんてこれっぽっちもねぇんだから。
 ただ、ね。
 気づいてるか、フランソワーズ」
「は? なにを?」
「そいつ、誰かを罰してほしいとか言いながら、実は殺そうとしてやがるんだぜ?」
「エッ?」
「あたしらをたぶらかして、犯人を捕まえさせた挙げ句、殺させて地獄に連れて行こうとしてやがる。自分には力がねぇもんだから、あたしら閻魔を利用しようって腹なのさ。そうだろ、ハロウィンちゃん?」
「………」
 返事はないが、憎しみを帯びた目を見れば、それが当たりだと知れた。
「フランソワーズ」騎馬命が面白そうに言った。「こいつに閻魔の掟の一つを教えてやれよ」
 唐突に話を振られたが、考えるまでもなく、この話に該当するのは一つだけだ。
「閻魔は人を殺めてはならない」
「そういうこった。掟はいろいろあるけどな、どれも掟破りをすると、こっぴどい罰が与えられる。だから手を貸す閻魔なんていないぜ。地獄まで行って、とんだ骨折り損だったな」
「あなた、なんで、そんなことを……」
 フランソワーズは、一言うめいて、瞳の気配を変えた。色のない灰色の瞳が、さらに冷たくなっていく。
 甘王女はフランソワーズを見ようとはせず、騎馬命を睨んで言った。
「エンマ様を騙すなんて、そんな大それたこと、一介の妖怪に出来ると思う?」
「そうかい。とぼけるのなら、納得できる返事をもらおうか」
 騎馬命は余裕の眼をして言った。
「あんた、最初のころ、言ってたよな。架空発注で、店主がすねて、それで店をたたむことになった……てよ。いたずらで他人の人生を狂わせたやつが憎いって、そんな顔してたよな。けど、さっきの話だと、ストロベリータイムは元々、閉店する予定だった。架空発注が原因ってわけじゃない」
「そんな話、わたし、しました?」
「したね」
「なら、すみません、わたしの記憶違いでした」
「おいおい」騎馬命はニヤリと笑った。「小閻魔騎馬命サマをナメてもらっちゃ困るぜ。あたしはこれでも、小太郎様のお膝元で修行している身だぜ、閻魔の本領はかじってるんだ」
「閻魔の本領?」
「ああ。小さな嘘から芋づる式に悪事を暴くっていう、本領を…よ!」
 騎馬命は目の奥に黒い炎を燃やした。
「あんた、ほんとは犯人に目星が付いてるだろ?」
「そんなことこそ言ってません」
「あ、確かに言ってねぇよな。けど、あのばあさんは心当たりがあったみたいだぜ。さっきの話の中で、【その子】って言ってたからな。それって、心当たりがあるって事じゃねえの?
 ハロウィンちゃんよぅ、仮にそいつが誰かを知らなくても、あんた、話ぐらいは聞かされてんだろ? じゃなきゃぁ、妖怪になるほど恨むことも出来ねぇんじゃねぇの? ちがうかい?」
「………」
「そして、あたしらに【その子】を捕まえさせて、とっちめるどころか、殺してやろうって思ってるだろ。殺して地獄で焼こうとしてんだよな? 罰を!ってのは、そういうことなんだろ、ハロウィンちゃんよぅ」
 甘王女は顎を引いたまま、恨めしそうに見上げて返事をしない。
 慌てたのはフランソワーズだった。
「騎馬命、あんた、バカなの? そんなことで殺人なんて、二時間ドラマでもあり得ないわよ?」
「あり得ないって思うのは、フランソワーズ、あんたが結局、苺を食べ物だと思ってるからだぜ」
「……どういう意味?」
「言っただろ。苺妖怪のコイツは、あたしらを利用して、その人間を殺そうとしてる。人間が人間に報復するのと同じ感情をもってる。つまり、仇討ちだ。
 けどそれは、生物界の摂理を破ることになる。弱肉強食の掟、知ってンだろ?」
 騎馬命が誘導すると、フランソワーズは唇に指を当ててつぶやいた。
「弱き者は強き者の血肉となる」
「苺だって、人間の血肉になるだろ。つまり、弱肉強食だ」
「そうだけど……」
「それを、ひっくり返そうとしてやがる。いや、そこまでのことじゃないな、苺が人間を食うわけはないから、せいぜい、一矢報いてやろうと思ってやがんのさ。そいつを、ぶっ殺してよ」
 甘王女は唇を噛んだ。
 騎馬命は詰めた。
「無駄に死んでいった仲間たちの恨みを晴らすには、【その子】を殺して地獄に落としてやるしかない。そういうことなんだろ? 図星だよな?」
 すると甘王女は、顔を上げておどろおどろしく呻いた。
「そうよ。わたしはその人に会ったことは無いし、絶対に知らない人だって自信はあるけど、おばあさんはお店のお客さんの誰かだって思ってる。だから、なおさら許せない。
 ただでさえ、わたしたちは、無駄にされがちなんです。売れ残れば、捨てられる、不遇な運命をたどりがちなんです。それなのにその人は、わたしたちを遊び半分で殺した。
 そんなこともう、許せない…。だから、これ以上、犠牲が出る前に、殺す!」
「殺す…ですって?」
 フランソワーズが恐ろしいものを見る目をした。
 甘王女はフランソワーズに言った。
「わたしたち、あなたみたいに、わたしたちをおいしいって食べてくれる人は、大好き。だけど、あなたがおいしいって言っている影で、わたしたちは無駄に殺されてる。
 わたし、ストロベリータイムスは、大好き。だけどあのお店も、あのご主人も、わたしたちをどれだけ無駄にしてきたことか。
 わたしたちは本来、野山で赤い実をつけて、それをだれかにつままれるのが使命。鳥だってネズミだってみんな嬉しそうな目をする。人間も同じ。それは私たちにとって幸せ。だから…、だからね、飾られるだけで、食べられもせずに捨てられるなんて、そんなのわたしたちの本懐じゃないの。
 でも、今までは、百歩譲って我慢してきた。そういう風になってしまうこともあるって思って、いのち、委ねてきた。フランソワーズさんみたいな、おいしいっていう人の笑顔が励みになってたから。だから、ご主人のことだって恨んだりしてない。だって、わたしたちに優しく接してくれたし、廃棄するときだって、ほんとうに申し訳なさそうだったから。
 でもね、今度ばかりは許せないの。誰だか知らないけど、【その子】が許せないの。遊び半分でわたしたちを殺す、誰だか知らない人が許せない。そんな子なんて、殺して地獄で焼いてやる。今すぐに!」
 甘王女は悪魔的な牙を見せ、涙の一粒もなく言い切った。その思いは、わからないことはない。そして、思いの強さは想像以上だ。
 フランソワーズが口をつぐんだ。その顔を見て、騎馬命は異変に気づいた。彼女の灰色の瞳が、闇色に染まっている……
「おい…」
 騎馬命が声をかけると、フランソワーズはハッと我に返り、ばつが悪そうにチラッと騎馬命を見ると、それから呆れた顔を作った。
「人殺しなんて考えるの、やめなさい。
 絶対にダメ。許さない」
「そんなの、わたしの自由じゃないですか。口出ししないでください」
「そんな自由なんてあるわけないわ。言うこと聞かないなら、許さないわよ」
「そうですか、わかりました。じゃあ、さようなら」
 甘王女はフランソワーズを睨みつけると、ツバを吐くように言って踵を返した。そのまま駆け出そうと…。
 パシッ!
「ダメ!」
 フランソワーズが手首を掴んだ。
「はなして!」
「放さないわ!」
 甘王女は振り払って逃げようとする。フランソワーズは掴んだ手首をねじり上げ、痛みを与えておとなしくさせようとする。けれど、甘王女は暴れ、フランソワーズは声を荒げた。
「おいしそうな苺のふりして、実は毒苺じゃないの! しかも、仇討ちとはいえ人殺しを考えるなんて!
 人殺しが簡単なことだと思った?
 悪い子だわ。そんな子は、わたしの説教を喰らいなさい!」
 フランソワーズはその場にしゃがむと甘王女の両肩をつかみ、ゆすり、顔を正面から見た。そして、姉のような眼になって言った。
 騎馬命は目を丸くした。
(なんだこいつ、どうしたんだ)
 フランソワーズの身から、真っ黒い気が漏れ出していた。裁きの場で鍛えられた小閻魔だから見える気だったが、今までフランソワーズと居て、そんな気を見たことはなかった。それに、いつもは感情に流されて己を見失いがちなフランソワーズが、今はそうはならずに理性的な様子も奇妙だった。心配になって気をつけてみると、目尻が歪んでいた。平静を装っているだけだとわかった。
 甘王女は顎を引いた。
「わたし、本気です!」
「本気でも何でもいいわ。とにかく聞きなさいよ!」
 甘王女は、年下に見られて目を剥いた。けれど、フランソワーズの顔は真剣で、視線も揺るがない。甘王女は気迫負けして口をつぐんだ。
 フランソワーズは、少し息を整えると言った。
「もし、わたしが弱肉強食の上にあぐらを掻いてきたのならごめんなさい。あなたたちみたいな、大切な生命を無駄にしていたらごめんなさい。でも、だからって、わたしは今、罰せられるつもりはないし、それをあなたに、怒られることでもないと思ってるわ。なぜって、人間だって生き物だもの、食べなければ生きていけないもの。知らない間に嫌われるようなことをしているかも知れないわ。
 でも、食べ物を無駄にするのは、間違ってると思うわ。あなたの言うとおり、命を無駄にしていると思う。わたしも、反省すべきところは反省します。その子が、もしここにいたら、わたしが反省させます。
 でもね、罰は別よ。そんなこと、あなたが心配することじゃないわ。食べ物を無駄にした人間は、遅かれ早かれ、地獄で裁かれるときに後悔するはずだから。仕方がなかったとか、みんながそうしてるとか、いいわけしながら後悔するはずだから。
 だから、仇討ちなんてやめなさい。そして罰を与えるのは、閻魔様に任せなさい。
 そんなことより、あなたは一日だって早く生物界に戻らないといけないわ。妖怪なんてしてたって、新しい生命にはありつけないでしょう? ぼんやりしていたら、あなたの血は絶えてしまう。わたし、苺のない世の中なんて、絶対に嫌なの」
 話している間に、黒い気が消えた。
 なんだったのか……。
 横から顔を伺うと、フランソワーズは大真面目だった。しかし、どう見てもそのまなじりには、理性的な自分を作っている気配があった。それも、さっきより、ずっと無理をして……。
 そんなこととは知らず、甘王女はいくらか語気を収めながらも険しい顔で拒んだ。
「嫌です。わたしは今、殺された仲間たちの悔しさを背負って、ここにいるんですから。
 それから、あなたたちを騙そうとしたのは事実です。それについてはお詫びします。でも、あとは一人でしますから、もう構わないでくれていいです。お礼はあとで送ります」
 フランソワーズは、なぜか辛そうに目をしかめた。同時に黒い気がワッと吹き出した。
(無理しすぎてる)
 察しが付いて、騎馬命は思わず助け船を出した。
「なあ、フランソワーズ。この子さぁ、今、ここに姿がある時点で、もう生物界からすっかりはじき出されちまってる。戻るには、それなりの手順がいるはずだぜ」
「手順ですって?」
「ああ。未練を断ち切るんだ。そのために、あたしがいる」
 騎馬命はフランソワーズと並んでしゃがむと、甘王女の頬を両手で挟み、無理矢理自分に向かせて視線を合わせた。
「ここまで付き合わせておいて自棄起こすなよ。ちゃんと面倒見てやっから。
 あたし、審理眼は持ってねぇんだけど、未練を作り出しているものは見れるんだぜ。だから、ちょっと、顔貸してくれよ」
 そう言いながら瞳に力を込める。閻魔の力で、未練の記憶を見れば、解決の糸口がつかめると思ったのだ。
 ところが。
 バシッ!
 突然、フランソワーズが騎馬命の手をたたき落とした。まるでつまみ食いをしようとする手を叩くように……。
 騎馬命は慌てて睨んだ。それをフランソワーズはにらみ返した。その灰色の瞳には、氷のように冷え切った暗闇が走っていた。
(なんて目、しやがる)
 騎馬命は息をのんだ。
 フランソワーズは甘王女を見た。
「この人、死人には容赦ないの。あなたも生物界から落ちこぼれたなら、たぶん死人扱いよ。酷い目に遭わされるわ。食い殺される程度じゃ済まない。絶対に。
 それに比べて、わたしは優しいわ。恨み辛みを知ってるから。どう? その未練、わたしに話してくれない? そうしたら、力になってあげないでも、ないわよ?」
 甘王女の睨む眼に、かすかだが迷いが浮かぶ。
 騎馬命はフランソワーズに舌打ちした。
「それはあたしの仕事だよ。てめぇ、さっきから、なにムキになってんだよ?」
「ムキになんてなってないわ。ただ、この子の味方になりたいだけよ」
「さっきから平気な顔してるけどよ、なにか隠してんだろ? 仲間にも言えないようなことなのか?」
「あんたを仲間だなんて思ったことないわ」
「はぁ?」
 フランソワーズはしれっと言って立ち上がった。
「あ…」
 甘王女は、思わず声を漏らした。
 立ち上がったフランソワーズに手を取られていたからだ。
 柔らかな手のひらに、自分の小さな手が収まっていた。強い力じゃない。けれど、しっかりと握られていた。
「………」
 唐突に聞かされた【味方】という言葉にも動揺していた。なんのつもりかと振り仰ぐと、フランソワーズは騎馬命に対決姿勢をとっていた。瞬きもせず睨み、口を噤み、我を押し通す顔だ。
「な、なんだよ?」
 騎馬命がひるむ。
 フランソワーズは声を低めて言った。
「妖怪でもなんでもいいわ。だまされて三途の川を渡したのは、わたしの失敗。だからわたしが最後まで面倒みる。それでいいでしょ?」
 それだけ言うと、議論を拒むように甘王女の手を引いて歩き出した。その様子はまるで、幼い妹の手を引く姉のようだ。
 甘王女は、手を握られただけで毒気を抜かれて、それどころか味方になりたいと言ったフランソワーズの意図がくみ取れず、逆に何をされるのかと怖くなって、助けを求める目を騎馬命に向けた。
「おいっ!」
 騎馬命はフランソワーズを呼び止めようとする。
 けれどフランソワーズは立ち止まらなかった。
 甘王女は、有無を言わさず手を引っ張られて行く。
 騎馬命は、フランソワーズの心が読めず、親指を眉間にやって苦虫をかみつぶした。




 フランソワーズは、甘王女の右手を引いて歩いた。
「恨みを晴らすなとは言わない。でも、誰かを殺してまで……なんて、そんな考えは、捨てなさい」
 もちろん、甘王女は頷かない。
「わたしの仲間が犠牲になったのに、ハイそうですかって言えません」
「恨みを晴らしたいなら晴らせばいい。だけど、殺すのはだめ。それを言ってるの」
「いちご十パックの命は、人間ひとりの命よりも小さいですか?」
「そういう話をしてるんじゃないわ」
「わたしは、みんなの思いを背負って、やっとこの体を得たんです。今さら、やめましたなんて言えません」
「そう。責任感が強いのね」
 フランソワーズは、戦法を変えた。
「そんな責任感があるのなら、今できることを考えた方が、百倍マシじゃない?」
「今? できること?」
「このまま指をくわえてたら、三百個のケーキが捨てられることになる。違う?」
「え………」
「あなたは仲間を見殺しにするの? そんなの絶対に後悔する。だから、あなたが救うの。それが今、あなたのすべきこと。恨みを晴らすのは後回しよ」
「でも…」
「恨みを晴らすのと後悔を背負うのは別問題」
 フランソワーズは決然と言った。
 甘王女は、フランソワーズの横顔を見上げていたが、色のない灰色の瞳の隅、前を向くまなじりに、青く小さく光るものを見て、反論する意欲を失った。
 なんだろう、あの、青い星のような光……
 甘王女は考え、足を止めた。
「フランソワーズさん…」
 手を引っ張られても頑として足を出さない。
「聞き分けがないわね」
 フランソワーズは時間を気にして空を見上げる。
 もう、夜がすぐそこだった。
 甘王女が言った。
「一つ、教えてください」
「え? なによ?」
「どうして、そんなに冷たい眼をしてられるんですか?」
「冷たい……目?」
「そうです」
「そんな目をしているつもりはないわ」
「ないなら、なおさらです。だって、普通だったら、犯人に腹を立てたり、わたしに同情したり、そんな風になるのが普通じゃないですか? でもフランソワーズさんは、さっきから、ただ、わたしを、片付けようとしているみたいに見えます。頼まれた仕事を、ただ片付けようとしているみたいに見えます。そんな人の言うこと、わたし、聞きたくないです。たとえ、あなたが正しいことを言っていたとしても。
 それに、味方ってなんですか? ゴミ箱に捨てられたわたしたちのこと、わかりもしないでしょう? なのに、味方? なんなんですか、それ?」
 甘王女は目を尖らせてフランソワーズを睨み上げた。
 フランソワーズは、表情をピクリともさせずに言った。
「時間が無いって事、わかってて、言ってる?」
「わかってます。あなたが言っていることも、だいたい…」
「わかる? わかるの? そう……ずいぶん、自信家なのね」
「じしん…か?」
「どのくらいの思いを背負ったか知らないけど、うぬぼれるなって言ってるのよ」
「………」
 甘王女は唐突で不条理な批判を受けて目を吊り上げた。けれど、やはり反論できない。フランソワーズの瞳の昏さにようやく気づいたのだった。
(このひと、なにか隠してる)
 昏さの中に、苦痛、悲しみが潜んで見えた。甘王女は、自分でも知らないうちに、フランソワーズの心の傷に手を触れたらしい。同時に、フランソワーズが、その感情を抑え込むのに必死だということもわかった。しかし、だからといって、子どものように黙って言うことを聞くには、背負った怨念が大きすぎた。
 フランソワーズは、後ろにいる騎馬命を振り返った。
「あんたは先に行ってて」
「あ?」
「あんたには関係ない話するから、先に行ってて」
「エエッ?」
「行けッつってんのよ!」
 フランソワーズは口汚くわめいた。
 騎馬命は一瞬で見ぬいた。その一言は感情をむき出しにしたようにも見えた。けれど、そうじゃない。ただの悪びれだった。
 騎馬命は理解できずにムッとしたが、やり合う気はないとそっぽを向くと、つまらなそうにふたりを追い抜いて道の先へ行った。一つ先の街灯の下まで行って、そこで待つ。
 甘王女は目を丸くしていた。
 フランソワーズは鬱陶しそうに言った。
「わたし、騎馬命に比べたら子供っぽく見えるかもしれないけど、地獄では騎馬命より先輩なのよ。ほんの六、七十年だけど」
「え?」
「あなたは妖怪になったばかりだから、わからないと思うけれど、霊魂として生きると言うことは、そういうことなの。見た目の年齢なんて、意味ないわ」
「………」
 その言葉は、甘王女を追い詰めるようだった。そして甘王女自身、そんなことまでは考えていなかった。
 動揺が目に出た。
 フランソワーズは、騎馬命に見せた怒りを収めると、一つため息をついて、言った。
「今から話すこと、絶対に、誰にも言わないで」
「え……」
「同情してもらいたいわけじゃない。あなたを納得させたいだけ。だから訊いて欲しい。でも、そのためには約束が欲しい」
 一体、どんな話をされるのか。どうしてそんな約束を求めるのか。甘王女は空恐ろしくなって返事ができない。
 フランソワーズは、ばつが悪そうに余所へ目をやると、白状した。
「閻魔の掟に…ね、自分が死んでしまったときのことを話してはいけないというがあるの。聞くことも許されないわ。なぜって、死ぬ理由は様々でも、死んだという事実は分け隔てないものだから。もし、死んだときの話をしてしまったら、そこに優劣の感情が生まれてしまう。罪を裁く立場の者同士、いさかいを生んでしまう。人間だもの、仕方のないことかもしれないけれど、閻魔にとっては、許されないことなのよ。
 だから、騎馬命を追い払ったの。あなたは閻魔じゃないから、話してもかまわないのかもと思うけど、もし、あなたが誰かに話して、それがだれか、閻魔の耳に入ったら、わたしはもしかしたら、もう閻魔としては生きていけないかもしれない。それに、あなたから話を聞いた人も、あなたも、お咎めを受けるかもしれない。だから、約束して欲しいのよ」
「どうして、そこまで……」
「言ったでしょ、あなたを納得させたいだけだって」
「味方になりたいっていうのは…」
「わたしも、人を恨んだことがあるの。そして、殺してしまったの。けれどそれは過ちだった。
 正直言って、あなたのことは好きじゃないかもしれない。でも、人を憎む気持ちはわかる。あなたが苦しむ姿も見たくない。見れば自分も苦しくなるから。つまり、過ちを犯してもらいたくないってことよ。それを、味方と言っただけ。いい言葉が浮かばなかったから」
 フランソワーズは、横目で甘王女を見た。その手はまだ、甘王女の手を握っている。ただ、指の力が、だいぶ弱くなっていた。甘王女が腕の力を抜けば、自然と離れていくくらいだった。その力加減は、ここから先のことは、甘王女の気持ち一つだと言っているようだった。
 つないだ手の間に、十二月の風が差しこむ。
 甘王女は、ぶるっと震えてしまった。そんな些細なことで、手が離れかけた。けれど咄嗟に指に力をこめたので、手は離れなかった。
 甘王女はゴクリとツバを呑むと、フランソワーズに頷いて返した。聞けば仇討ちに挫折するかも知れないと思いながら、覚悟を決めて頷いていた。
 フランソワーズは、頷いて返すこともせず、淡々と、冷え切った瞳を前に向けた。そして、語り出した。
「わたしは、タイタニック号で死んだの」
「たい…たにっく?」
「イギリスからアメリカに向かっていた大きな船。北の冷たい海で、氷山にぶつかって沈んだの」
「……死んだの?」
「そうよ。じゃないと、地獄には入れないわ」
「………」
「それじゃなくても、もう普通に死んでるくらい、昔の話…だけどね」
「………」
 フランソワーズは、嘆きの吐息をした。
 甘王女は体が冷え切ってくるのを感じた。
「わたしは、兄と二人で船に乗り込んでたわ。わたしは、この通りの少女だったけど、兄はもう大人で、それまでは運河でハシケの仕事をしてた。わたしはその仕事のお手伝い。だけど、櫓を扱うのは楽しかった。楽しかったんだけどね…、兄は、安いお金で、こき使われるのが面白くなかったみたい。アメリカに行けば、もっと儲けられるって言って、私たち、家出同然、荷役の格好をしてアメリカ行きの船に忍び込んだの。それが、タイタニック号だった。
 ほら、これを見て」
 フランソワーズは、背中に下ろした三つ編みを胸に回した。長く、太い三つ編みの先は、赤いリボンで縛られて、その先をふんわりと房にしていた。
 その赤いリボンを見るフランソワーズの目には、葛藤が生まれた。
「船に乗るときに、わたし、この髪を切った。だから、この髪は、本当だったら今、ここにはないものなの。兄が、お金に換えてしまったから……」
 フランソワーズは言いよどんだ。ほんの短い間、髪を握り、リボンを見つめ、それから、語りたい思いを振り切るように、髪を背へ返した。
「アメリカに着いたら、また伸ばせばいいって兄は嬉しそうだったけど、わたしは悲しかったわ。でも、兄の言葉を信じた。それに、長い髪のままじゃ、荷役の子に化けて忍び込むなんてできなかったはずだし……。仕方なかったって事よ。
 それでも、船が出たら、楽しかった。一等船室の美女が舳先で鳥になってるのをまねしてみたり、ボーイが運んでる苺をつまみ食いしたり」
「………」
「その時の苺の味は、忘れられないわ」
「………」
「で、ある夜、船室に、なにか重たいものをこすりつける音が響いて、そのあと、船が横に傾きだしたの。兄もわたしも、曲がりなりにも船乗りだから、船が横に傾く怖さは知ってる。なにかが起こったって思って、すぐに甲板に出たの。そこは後甲板で、航跡の向こうに氷の山が浮かんでるのが見えて、あの音の正体を知ったの。
 船は、氷山とぶつかったのよ。
 兄は大きな船に憧れていて、氷山の恐ろしさを知っていたみたい。だから、すぐに青くなったわ。でも、沈むかもなんて、一言も言わなかった。そんなこと言ったら、わたしがパニックになるってわかってたから。
 前の方の甲板には人があふれて、身分のある人たちからボートに乗っていった。女性と子どもが優先で、ね。その時になってようやく、わたしは船が沈みそうだって事に気づいた。運河と違って、周りに何にもない海の真ん中で、船が沈むんだって。それを知った途端、わたし、泣きわめいたわ。わたし、泳げないのに!……ってね。
 運河でハシケとは言え、船の仕事してたのに、泳げないなんて、おかしいでしょ? でも、本当のことなの。兄は泳ぎが得意だったけど、わたしはいわゆるカナヅチの子だった。最初はただのお手伝いのつもりで握った櫓が、楽しくなっちゃって…。つまり、楽しさに勝てなかったって事。バカよね。
 ………。
 兄は救命ボートに近づこうとしたけど、クルーがそれを許してくれなかった。そのうち船がすごく傾いてきて、すごい音を立てて折れて、海に放り出された。
 海水は氷水みたいに冷たかった。わたしは兄にしがみついて必死だった。兄も必死になって立ち泳ぎして、なんとか浮き上がろうとしてくれた。だけど、船が沈むときの流れに巻き込まれて、どんどん深く引き込まれていった。夜の海なんて、右も左も真っ暗よ。その真っ暗な中で、わたしは感じたの。息を詰めていた首に、人の手のぬくもりが触れて、顎の下をグッと握って、それがわたしを兄から引き離そうとしたの。わたしは無我夢中でその手を掴んだ。両手で、ね。そしたら、兄と体が離れてしまった。
 手は、一気にわたしを突き放したわ。
 わたしは慌ててもがいたわ。
 真っ暗な中で、兄を探してね。
 だけど、その手をかいくぐって、誰かの足が水を蹴っていった。
 上を見たら、星の明かりが見えるような水面に、誰かの影が遠ざかっていったわ。
 反対にわたしは、闇の色をした海の底に、引きずり込まれていったわ。
 それっきり…よ」
 フランソワーズは、冷え切った目で夜空を見上げた。そこには涙もなにもない。悲しい話をしているはずなのに、涙もないのはなんでだろう? 甘王女が思ったとき、フランソワーズが続きを語った。
「兄は、助けられて、アメリカに渡った。そして、大きな川の外輪船の乗組員になった。アメリカはイギリスと違って陽気な国で、兄もそれに染まっていった。出港の時には歌を歌い、みんなの人気者になった。イギリスでは、歌なんて歌ったこともなかったのに。
 楽しそうな姿は、憎らしかったわ。
 わたしの方が、うまく歌えるって思ったわ。
 だけど、わたしの声は届かないし、兄もわたしの事なんて、もう覚えてなかったわ。
 仕事も順調、お給料もいい。恋人もできて、楽しい毎日。
 でも、兄には、妹がいたはずでしょう? その子のことは、どうしたの?
 気づいたら、わたしは毎日、チャンスをうかがうようになってた。
 その日は、時々風が強くて、船に乗り込んできた貴婦人の帽子が飛ばされた。帽子は水に落ちたわ。船はまだ、出航前で、桟橋にあったわ。兄は上を脱いで、甲板からかっこよく飛び込んで帽子を取りに行ったわ。泳ぎが得意だもの、帽子は簡単に捕まって、兄は立ち泳ぎしながら帽子を頭の上で振ったわ。そしたら、貴婦人も船員仲間も、桟橋の人も、みんな拍手したわ。
 だけどね。
 わたしは、待ってたの。
 そんな風に兄が、船から水に入る瞬間を。
 水中から忍び寄って、器用に立ち泳ぎする足に、しがみついたわ。
 泳げないわたしは、とっても重いから、手の力だけじゃ浮いてられないわ。
 兄はもがく間もなく水に沈んで、水中でわたしを振り返ったわ。
 わたし、どんな顔してたんでしょうね…。兄は青ざめて、もう二度とわたしの方を見ようとせずに、必死になって足をもがいたわ。だけどわたし、絶対に離さなかったわ。
 兄は、びっくりして水を飲んでしまったから、あっという間だったわ。もしかして、あの日のわたしよりも短かったかもしれないわ。それでも、桟橋に引き上げられた兄の顔は青ざめていたし、唇は紫色だったわ。
 死体のそばには、自分の死体を見下ろして立ち尽くす兄がいたわ。
 わたしは声を上げて笑ったわ。
 でも、兄には聞こえてなかったみたい。
 聞こえていたのは、恋人の悲鳴だけだったみたい。
 彼女と、船員達と、兄を知る人たちと、その場にいた人たちはみんな、兄の死を悼んでいたわ。そんな中で笑っていたのはわたしだけ。わたしひとりだけだったのよ」
 フランソワーズは、冷え切った目で甘王女を見下ろした。色のない、グレーの瞳が、白さを増して氷のようになっていた。
 涙は、かけらもなかった。最後まで、一粒もなかった。灰色の瞳は、すべてを凍らせる冬の空のように冷え切って、さっき見た、瞳の端の青い光は、明らかに幻覚だった。甘王女は空恐ろしい気持ちになった。
 フランソワーズは、淡々と言った。
「あなた、みんなが悲しんでいる中で、ひとりだけ笑ってられる? 兄は、わたしに酷いことをしたけど、わたし以外のみんなには、認められていたのよ? そんな中で笑ってられる?
 わたしは…、笑ってられたわ。
 ざまあみろって思ったわ。
 居心地は悪かったけど、ざまあみろって思ったわ。
 あなた、わかる? それが恨みを晴らすってものなのよ。
 あなたの場合は、そうね、ちょっと違うかもしれないけど、今日、今から無駄になる三百個のケーキたちが、ゴミ箱の中で泣いているのを聞かされながら、自分だけいい気になって笑っているようなものよ。それに、本当に犯人を殺したとしたら、もしかしたら、それだけじゃないかもしれないわ。
 あなたが笑っている陰で、きっと誰かが泣いているわ。そんな責め苦に耐えることが、恨みを晴らすって事なのよ。気持ちはわかるけど、自分で手を下すこともできないような甘ちゃんが、そんな責め苦に耐えられるかしら。だったら、もっと他に、できることをしたら?って言ってるのよ」
 フランソワーズは始終淡々と言い切った。感情を抑えているような、そんな気配は見せていなかったが、少女のために、かなり無理をして話したのだということは、わずかな声の震えになって伝わった。
 とうとう、甘王女はうつむいた。
「小閻魔さんには…かないません」
 降伏宣言だった。同時に、命拾いしたような気分だった。
「恨みを晴らすって、残酷です」
「そうよ」
「わたし、恨みを晴らすより、三百個の仲間を救わないといけないんですね」
「わかればいいのよ。さ、時間が無いわ」
 フランソワーズは、甘王女の手を引いて歩き出そうとした。
 けれど甘王女は、やはり、その場を動こうとしなかった。
 フランソワーズは冷たく振り返ると責めた。
「やるべき事、わかったんじゃなかったの?」
 甘王女は首を横に振った。
 そして、そうじゃないという目でフランソワーズを見た。
「わたしの目を見てください」
「目?」
「いいから」
「なにか企んでるんじゃないでしょうね?」
「そんな力、わたしに無いのはわかってますよね?」
「………」
「いいからしゃがんで、わたしの目を見てください! まっすぐ、見てください!」
 怒った顔で甘王女は喚いた。
 フランソワーズは時間を気にしながらも、幼い子のワガママと言わんばかり、渋々としゃがんだ。そして、甘王女の尖った目を見る。
「見たわよ?」
「少し左を見てください」
「左?」
 いぶかりながらも、そっちに目を振り、顔を向ける。……と。
 チュッ……!
「!」
 フランソワーズは、頬に柔らかな感触を覚え、舌が肌を舐め取る感覚にブルッとなった。
 ギョッとして眼を振ると……。
「………」
 後ろ手に手を組んだ甘王女が、フランソワーズの頬に口づけをしていた。まるで天使のように他意もない様子で……。
「なにを……」
 さすがにフランソワーズが戸惑っていると、甘王女はそっと唇を引いて、フランソワーズを見つめて、それから口の中で舌を転がした。ストロベリー・タイムスの生クリームは、いつの間にかほんの少し塩気を足されて、そのせいか、甘王女の心に染みて広がった。
 甘王女は、ニコリとした。
「やさしくて、甘い人。わたしを、導いてください」
 生クリームのことなど気づいてもいなかったフランソワーズは、きょとんとするしかない。完全に毒気を抜かれてしまった。そして、親愛の情を向けられたのかも、と思った。
「まあ、いいわ。行きましょう」
 少し赤くなりながら立ち上がる。
 その手を、甘王女はキュッと握った。
「行きましょう」
 ふたりは手をつなぎ合い、道の先、街灯の下で腕組みをする騎馬命のもとへと歩き出した。
 甘王女は、視線を上げていた。
 フランソワーズは、相変わらずの昏い眼だ。
 騎馬命は腕組みをほどくと、目を伏せ、黙り、普段は抱くこともない畏怖の念に震えていた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み