現代社会のトロッコ問題

文字数 1,131文字

 イギリスの哲学者フィリッパ・フットが考案した問題に、トロッコ問題というものがある。これは、たとえば、次のように説明される。

ブレーキが効かなくなったトロッコが暴走している。分岐(ぶんき)(てん)にいるAは、この暴走トロッコをB路線かC路線に進ませる選択ができる。B路線には5人の作業員がいて、AがB路線を選択すると、この5人は暴走トロッコの犠牲になるものとする。また、C路線には1人の作業員がいて、AがC路線を選択すると、この人は暴走トロッコの犠牲になるものとする。Aはどちらの路線を選択すべきだろうか?

 このトロッコ問題、単に道徳的なジレンマを引き起こさせる思考問題ではない。現代においても、自動運転自動車の設計に現れている問題なのである。たとえば、自動運転自動車がバイクに衝突するか、バイクを避けて壁に衝突するかの選択が必至となる状況で、自動運転自動車はどのように動くよう設計されるのがよいのだろうか、といった問題である。
 歩行者の犠牲か自動運転自動車の犠牲かの選択が必至の状況で、どのような選択がなされ得るのかを調べた調査によると、1人の歩行者を犠牲にするために自動運転車に乗車する1人の乗員を犠牲にすべきではないと答えるひとがほとんどだったそうである。しかし、歩行者の数がもっと増えて10人になった場合、4人に3人が、乗員1人を犠牲にするという結果となった。
 また、実際に自動運転自動車を購入する場合の選択についての調査が行われたときには、歩行者を守るのが道徳にかなっていると判断した人のほとんどが、乗員を守るよう設計された自動運転自動車が欲しいと述べたという。
 以上が、現代社会に生じているトロッコ問題の例であるが、自動運転自動車はどのようにして社会に受け入れられるのだろうか。スピード違反も飲酒運転もせず、携帯電話も利用しない自動運転車が、乗員を守るように設計されるとしても、交通事故の数は減るという意見があり、一定のリスクを受け入れて利用されることになるのかもしれないが、どういった設計になるにせよ、自動運転車によって歩行者が犠牲となるリスクがある以上、犠牲が発生した場合には、自動運転車に関係した人の責任が問われるようになる必要がある。現在では、自動車事故に対する同乗者の責任は原則としては問われないが、このような現行法は見直される可能性があるだろう。



資料
Bruce Bower. 2016. Moral dilemma could limit appeal of driverless cars
https://www.snexplores.org/article/moral-dilemma-could-limit-appeal-driverless-cars
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