〇10章

文字数 11,426文字

何度目の高校3年だろうか。
もうすでにわからない、
俺はいつもの河川敷で、ボーッとしていた。
太陽が放課後、俺を呼びに来る。
いつもいつも子犬か? こいつは。
そのときぐうう……と音が鳴った。

「お前、腹へってるのか?」
「えへへ、少しだけ」
「じゃ、おでんでもおごってやるよ」

俺はコンビニでいくつかおでんを見つくろうと、
太陽におごってやつた。

「ありがとうございます、パイセン!
これでオレ……もうちょっと戦えるかも」

「腹がふくれたならそれでもいいけど……お前は別に、
家にいる必要なんてないんだぞ?」

「え?」

太陽が不思議そうな顔をして、首を傾げる。

「うちの高校はバイト禁止じゃないし、こっそりお金を貯めて
家から出て行くって手もある」

「先輩……」

「嫌なことがあったら、全力で逃げていい。別に戦う必要なんて
ないんだからな。
最悪、俺の家に来てもいい。そのかわり、家賃は払えよ」

そう言って、俺は太陽の頭をなでる。
太陽は大粒の涙を流して泣いていた。


次の日曜、俺はコンビニでガリガリするアイスを買っていた。
そこから見えたのはうちの高校の生徒会長。
店の名前は……『デ・コード』。
カードゲームの店だ。
不思議に思って生徒会長の様子を見ていると、
小学生相手に勝ちまくるというゲスいことをしていた。
これはまずいだろ。
そもそも生徒会長の南雲は、塾にも通っていると聞く。
今ってその塾の時間じゃね?
ちょうど休みの日の昼だ。
多分だが、俺の考えは当たっている。
南雲は何度も店の時計を気にしているし。
俺は堂々と店に入ると、食いかけの氷菓子を南雲の口に入れた。

「ふがっ!?」
「お前は塾の時間だろ? 子どもと遊んでる場合じゃないはずだけど?」
「んぐっ!!」

しゃべることのできない生徒会長を外に連れ出すと、俺は笑って言った。

「ガキなんて相手にしてる場合じゃねーだろ。本当のお前の相手は母親だ。
いくら辛くても、逃げる方が格好悪いじゃん?」

「お前……確かA組の……?」

「俺のことなんてどうでもいい。塾に行けよ。
親の期待とかそんなんじゃなくて……お前自身のためにさ。
1位じゃなくてもいい。ただ、お前は自分のために頑張れよ」

「不良が、僕に指図する気か!?」

「あのなぁ、俺はお前が俺よりも優秀だからそう言ってるんだって。
もったいねぇだろうが。自分の人生だぞ!
親が云々とか理由付けることはできるけど、少なくてもお前は
カンペなんかなくても実績を残してるんだぞ!?」

「実績……? はっ、僕の実績なんて大したこと……」

「俺からしちゃ、大したことあると思うけどな」

「えっ……」

「俺は少なからず、お前のことすげぇって思ってる。
そういうやつの夢、壊さねーでくれよ。な? 生徒会長さんよ」

俺がにやりと笑うと、アイスをかじりながら
南雲は顔を赤らめた。

「……ふ、ふん! 何も知らないやつが、ずいぶん好き勝手言ってくれるな?
アイスはもらっておいてやる……」

南雲の言葉はツンツンしていたが、
肩の荷がおりたような面持ちだった。


「ふん、あんな男……あんな男!」
「あんな男って、赤坂のことか?」
「うわぁっ!!」

学園のお嬢様と噂の千雨は、俺があり得ないところから出てきたのが
よっぽどびっくりしたらしい。
あのな、俺は自分で言うのもなんだが、不良だぞ?
朝礼なんてサボるに決まってるだろ。
だけど、朝礼のサボリ場所なんて決まっている。
屋上か中庭か。
そこら辺は先公たちの見回り場所になっている。
だから俺は、校舎と校舎の隙間……壁の間に隠れていたのだ。
お嬢はだいぶビビったようだが、そんなに驚くことかな?
ま、そんな話はともかくだ。

「赤坂……」

「おお、口の悪いお嬢がびーびー泣いてるとは意外なところに
出くわしたもんだ」

「う、うるせぇ!」

田中とかいう運転手が帰ったあと
千雨は中庭から動かずに泣いていた。

「……やっぱり私も死のうかな。
死んだら翼くん、お父さんのこと許してくれるかな……」

口の悪いお嬢が、ずいぶん愁傷な顔をしてるじゃねぇか。
俺はずんずんと千雨に近づくと、
やつの肩をつかんだ。

「きゃっ!? て、てめぇ、何するんだよ!」
「何もしないけど、話は聞け」

俺は真剣な目で千雨を見つめると、
思ったことをはっきり伝えた。

「確かに赤坂の父親は自殺した。でも、お前が自殺しようとしたとき、
赤坂はどうした? 親を殺したはずのお前を守ったじゃねーか」

「お前、なんでそのことを……」

「なんだっていいだろ。
だからさ、お前は赤坂と赤坂の母親に一生かけて償うんだ。いいな?」

千雨は小さくうなずいた。
きっと俺の話を理解してくれるだろう。
アイツはそういうやつだ。
どんなに口が悪くても、本当の千雨は純真な女の子だからな。


最後に俺が訪れたのは、隣の理穂ちゃんの部屋だった。

「お邪魔します」
「どうぞ」

今度は部屋にあった鍋を持つと
買っておいたお礼のお菓子を持って部屋に上がる。

「わざわざありがとう。お菓子までもらっちやつて」
「いえ。それより月城さん。俺の話を聞いてもらってもいいですか?」

理穂ちゃんは笑顔で俺を見る。

「……俺、たまになんで生まれてきたんだろうってことが
あるんです。
俺の父親は最低な人でしたから。
しかも大事な人が傷ついているというのに、
その人に対してひどいことを言いました」

「……そうなの?」

「でも、今なら言える。僕を守ってくれてありがとう、理穂ちゃん」
「理穂ちゃんって……天馬、くん?」


全員に会うと、僕はまた『デ・コード』のテーブルへと
戻ってきた。

「お帰り、こたくん」
「あれからみんなは?」

リツは俺にその後のみんなの様子を話す。
太陽はバイト代を貯めて家を出た。

南雲もカンニングをやめ、塾にもしっかり出ているらしい。
ストレスはやはりまだかかっているみたいだが、
いじめはしていない。

千雨は赤坂とともに家に向かい、赤坂の母親に事実を話した。
当然、母親は激怒した。
自分の夫が、千雨に殺されたようなものだから当たり前だ。
千雨はそのことを受け入れ、
自分の父親にも公でこのことを謝罪するように訴えた。
赤坂とはどうなるかわからないが、悲観する必要はないと思う。

理穂ちゃんは家との関係を完全に断ち切り、
もう二度と親たちに会わないようにすると
決めたようだ。
その結論を出したのは理穂ちゃんだから、
俺がそれに口出しする権利はない。

これで俺の勝ち……ってことになるのかな。
ずいぶんあっさりしていた。
ただ僕がしてことは、相手の話を聞いて
軽く励ましただけだ。
こんなことで人は、救われるっていうのか?

「簡単だったでしょ、月城天馬くん。
ほーらボクの言う通りだった。
『どんな不運でも、簡単にひっくり返せる』ってね」

「……そっか。
不運な人生を送ってきていても、
未来はわからないってことなのか。
騙されたなぁ」

僕は大きなため息をつく。
それを見てにやにやするリツ。

「今の勝負はキミの勝ちだ。
なかなか見ていて面白かったよ」

僕がみんなの人生を取り戻そうとしてもうまく行かなかった。
僕は、人を殺すことでしか解決できなかったから。
いや、解決さえできなくて、結局また他人の人生を乗っ取っての
繰り返し。
でも、柊虎太郎の言葉なら、みんな耳を貸した。
それって……。

「おっと、勘違いしないでね。天馬」

僕が答えを出す前に、リツが待ったをかけた。

「別にこたくんだからみんなが耳を貸したわけじゃない。
だだ……みんなが求める答えを、こたくんが持っていただけなんだ」

「どういう意味……?」

意味が分からない僕は再度リツにたずねる。

「わかって当然なんだよ。こたくんは5番目なんだから」

何のことだ?
5番目って……。

リツはまたシャッターを開けると、月城天馬に戻った僕を
見た。

「帰る? みんなの人生は前向きに進み出している。
だけどキミの人生だけはそのままだ」

「理穂ちゃんが生きてるなら、母さんや義父も生きてるの?」

「うん。キミは今、常盤西高の2年生だ。この先をどう生きるのかは
キミの自由。ボクは自殺なんてするなと思ってるけど、
それもキミの好きにすればいい」

「……わかった。リツ、今までありがとう」

僕はシャッターの下を通ると、
自分の家へ向かう。
マンションの15階。
その屋上から飛び降りたら、死ねるかな。
もう僕の気持ちは決まっている。
リツは自殺するのに反対していたけど、
僕は殺人鬼なんだ。
みんなは人生を前向きに進んでいると言っていた。
柊虎太郎がそうした仕向けたように。
誰も殺していない、そんな世界に今はいる。
でも、僕は僕である限り、人を殺すだろう。
だって、もう僕は知ってしまったから。
色々な人生で犯した罪。
金属バットで両親と姉を殺した。
太陽をいじめて殺した。
太陽と暮らしていた男も、赤坂も。
流れたみんなの血を浴びた僕は、とても幸せだった。
温かくてねとっとした赤黒い血。
それに錆びた鉄の香り。
身体中に塗りたくって感じたんだ。
人を殺したことで自分の生を強く。
この快感からはもう逃げられない。
みんながいくらまっとうな人生を進もうが、
僕だけは変わることができないんだ。
僕の不運は、一生ひっくり返らない。
だって僕には『覚悟』がないんだから。

エレベーターで15階を通り過ぎ、
屋上へ直行する。
秋の夜風は涼しい。
色んな人生を生きてきたから、
今が秋だということも忘れかけていた。
月がきれいだ。

靴を脱いでフェンスをのぼると、
僕は腕を広げた。
飛び降りるというよりも飛ぶイメージ。
今の僕は空をも飛ぶことができるような気がする。
はは、よっぽどイカレてしまったんだろうな。
だけど、そんな人生――月城天馬の人生は終わりだ。
そのまま前に倒れる。
落下する。これで僕は……殺人鬼だった僕は死ぬ。
そう思ったのに。

「……なんで生きてるんだよ」

僕が落ちたところは、植え込み。
しかもそこには布団が置いてあった。
どうやら1階のベランダに干していたやつが
そこに偶然落ちていたらしい。

「やっぱり僕は不運なんだな。死ぬことすらままならない」

僕が15階の部屋へ帰ると、
そこには誰もいなかった。
理穂ちゃんは家を出た。
義父の荷物がなくなっていることから、
母親とは離婚したのかもしれない。

次に僕が試したのは、ドアノブにひもをひっかけて
首を吊ることだ。
ひもってどんなものがいいのかわからなかったから、
家にあったビニールひもを使うことにする。
首をくくると、ドアノブにかける。
思い切り首を下に引っ張る。だが……。
プチンとひもは切れてしまった。
また失敗だ。

そのあとも色々考えたけど……
地味に死ぬことがこんなに難しいとは思いもよらなかった。
人を殺すのは簡単なのに、自分を殺すのは難しい。
どうすればいいんだろう。
自分はこのまま平平凡凡と生きていくんだろうか。
人を殺すという誘惑に負けず、
何もないつまらない人生を送る。
そんな毎日は耐えられない。
何を楽しみに生きて行けばいい?
僕は部屋を出ると、デ・コードへ戻ってみることにした。


寂れた商店街にある、カードゲームの店。
デ・コードはまだあった。
リツは今もいるんだろうか。
コンビニでアイスを買ってから店をのぞくと、
黒縁メガネでエプロンをしたアイツの姿が見える。

「……リツ」

「天馬。今の人生に飽き飽きしてるって顔だね。
元の人生に戻ったのに」

リツは全部お見通しといった顔をしている。
手をさっと出し、僕の顔を見る。
店に入れってことか。
また僕は他人と人生を変えるのだろうか。
そしてその人生で何人も殺すなら、僕は……。

「ろくなこと考えてないなぁ~、天馬は」

イスに座ると、さっそくリツは僕に言った。
やっぱり僕の考えていることに気がついているんだ。
珍しくリツは、僕にお茶を淹れてくれた。
ハーブティーなのか、独特な香りがする。
いつもこのデスクでするのはカードゲームだけだった。
なのに今日は優雅にお茶を飲んでいる。
それが不思議だった。

「クッキーもあるよ。どうぞ」
「あ、うん」

ふたりで顔を合わせて、女子みたいにお茶会を開いている。
男同士でこれは、なんだかな。
まぁ、お茶もクッキーもうまいんだが……この平和すぎる感覚に
僕は慣れたいと思わない。
平和な日常よりも、刺激的な毎日。
生きるか死ぬかの瀬戸際。
僕はそんな日々を過ごしたい。

カチャリとカップを置くと、リツは何かを取り出した。
これは……人生のカードだ。

「見ていいよ」

カードを受け取ると、光にかざしてみる。
ヒイラギの絵が描かれているのがわかる。
ヒイラギ……。
『柊虎太郎』。

「キミがずっと入れ替わっていた相手だ」

僕はカードを見ながら、不思議に思っていた。
どうして僕は、柊虎太郎と入れ替わっていたんだろう。
千雨は虎太郎を善人だと思って選んだんだと思う。
確かに虎太郎は不良ではあったけど、悪いやつじゃなかった。
むしろみんなに積極的に関わって守っていた、というような……。
なんでだ?
僕は殺人を犯す運命を背負っている。
それなのに、虎太郎でいたときだけは殺人には関わらなかった。
ただ、虎太郎でいたとき不運だと感じていたのは、
『平凡で退屈な世の中をなんとなく生きていること』だった。
なぜ僕は、殺人を起こさないで平和に生きることができたんだろう。

「気になるでしょ、こたくんのこと」
「そりゃあまぁ」
「こたくんはね、5番目だったんだよ」

それは前にも言っていたな。
その5番目っていうのは何の番号だ。
不思議な顔をしていたら、リツは今までの4枚のカードを見せた。

「太陽、雲、月、雨。そしてヒイラギ。
ボクの店でのポーカーのルールは知ってるよね」

「チェンジは5回までってやつ?」

リツは大きくうなずくと、
4枚のカードにヒイラギのカードを混ぜた。

「5番目のカードはね、最後の賭けのカードなんだ。
天馬はすっかり忘れてるみたいだから、思い出させてあげる。」

リツはまたパチンと指を鳴らす。
僕の身体は小さく、血まみれに変わった。
あのとき――最初の殺人をしたときだ。

『ねぇ、キミ。ゲームしない?』
『げえむ?』
『最高に刺激的だと思うよ? キミが犯した殺人なんかより、ずーっとね!』

こうして僕は、人生を入れ替える勝負をした。
ポーカーに勝った僕は、その場で意識を失った。
だけどその前に、リツともうひとつ賭けをしていたんだ。

「この5枚のカードから1枚、引いてごらん」
「これは? トランプでもない。タロット?」
「違う。人生のカードだ」

僕はよくわからなかったが、1枚だけカードを引いた。

「ヒイラギか。キミはこれから何回も他人の人生と
入れ替わりたいって思うかもしれない。
だけど、人生をチェンジできるのは5人まで。
そしてこのヒイラギのカードの人生で、自分の運命を変えることができるなら
キミの勝ち」

「どういうこと?」

そのときはわからなかったけど……
僕が自分以外で人生を入れ替わったのは確かに5人。
太陽に南雲、千雨、父さん。そして虎太郎だ。

「キミはとんでもない運命を背負っている。
だけど……このヒイラギのカードの人生で、
その運命を断ち切るんだ。
それができたら勝ち。
天馬の呪われた運命を、ひっくり返すことができる」

そうして僕は『柊虎太郎』という人間になった。
でも、殺人鬼だった自分の運命を変えることは
できたのだろうか。
今でも人を殺したい欲求に駆られている。
これはもう、病気だ。

もう一度リツがパチンと指を鳴らすと、
高校2年生に成長した僕に戻った。

「こたくんになったキミは頑張っていたと思うよ。
みんなの不運に自ら立ち向かって行った。
だから……残念だけどキミの負けだ」

「え!?」

僕はデスクを叩いて立ち上がる。
僕の負け?

「みんなの人生はこたくんの言葉で前向きになった。
でも、天馬は何が変わった? 
みんなが新しい第一歩を踏み出そうとしているのに、
キミったら……あっは!」

「な……どういうことだよ」

「そのままの意味だよ。いまだに殺人に固執しているキミは、
変わることができなかった。
キミが人を殺す運命は、変わらないんだよ」

クッキーを食べ終えたリツは、
今度はナイフを持ってきて器用にリンゴを剥いていく。
僕はまた、人を殺すのか。
人を殺してしまう残忍な行為をやめることができず、陰鬱になる気持ちの中に
ワクワクする感覚。
あのどす黒い色の生臭い血を浴びることができるという楽しみ。

柊虎太郎だったらきっとしないことだ。
あいつは不良とはいえ、心は優しい。
人を思いやることのできる人間。
僕とは違う人種。
まるで僕と虎太郎は光と影だ。

僕の中に、柊虎太郎という人間はいない。
いるのは月城天馬という殺人鬼のみ。

最初から理由のある殺人なんて、なかった。
よくドラマや小説では、人を殺すきっかけがなにかしらある。
まぁ、僕にとってのきっかけは理穂ちゃんのことかもしれないけど……
正直そんなことどうでもよかったんだ。
人を殺せるチャンスを見つけた。
だから僕は、あの家の人間を殺した。

「最後に言うけど……天馬、キミは今の人生で殺人を起こしていない。
確かにお姉さんの事件はあった。でも彼女は今、前向きに生きている。
他のみんなもだよ。
キミは白いままだ。血塗られた人生じゃない」

リンゴを剥き終えたリツは、それを皿に盛った。

「今はね。でもすぐに赤く染まるよ。
僕はやっぱり……何の刺激もない人生なんてムリみたい」

デスクに置かれたナイフを奪うと、
リツにそれを向ける。
それでもリツは笑顔だった。

「まだ余裕でいられるなんて、アンタすごいね」

「え~? 余裕なんてないに決まってるじゃ~ん!
ナイフを向けられてるんだよ? しかも殺人鬼に」

ヘラヘラと笑うリツだが、僕は真剣だ。

「ねえ、アンタが死んだら……僕はどうなるの?
今までアンタに関わってきた人間たちは?」

「別にどうにもならないよ。
みんな虎太郎になったキミがそうさせたように
前を向いて生きていく。
キミだけ……『ボクを殺した』という汚点がついて、
人生はボロボロ。ボクが死んだら、もう他人と人生を入れ替えることは
できないからね」

リツの目は俺に問いかける。
『それでいいの?』と。
今度人を殺したら、僕はもう戻れない。
他人の人生を乗っ取ることもできない。
高校2年生の殺人犯として、警察に追われるだろう。
逃げる?
逃げたところで捕まるのは確実だ。
日本は狭い。
こんな狭い国を逃げ回ったところで、すぐに逮捕される。
では外国に脱出するとか?
そんな手立てはない。
偽造パスポートなんて持ってないし、
そういった裏のツテもない。
たったひとりの人間を殺しただけで捕まるなんて、
つまらない。
刑務所の中で、くだらない作業をして、
更生に向けて頑張る?
気が変になりそうだ。
もちろんその間、人を殺すこともできない。
執行猶予がついたとしても、僕の人生は終わりだ。

……人生が終わる?
そうだ。さっきは地味に死のうと思って失敗した。
だったら今度はド派手に死んでやろう。
リツを殺したら、今度は僕だ。
そうだな、僕もラストに大きな花火を打ち上げてみよう。
派手で、確実に死ねる方法。
……線路に飛び込むことだ。
色んな人に迷惑をかけるだろう。
だけど迷惑をかけた分、
みんな僕のことを忘れられなくなるはずだ。
僕の轢かれた姿を見た人間たちは、
きっと僕のことを一生忘れない。
ぐちゃぐちゃにつぶれた内臓、
むき出しになった骨。
ちぎれた指……。
細切れになった僕の肉片を、ずっと脳内に焼き付けて
夢にも僕が出てきて……。
よく言うだろう。
『人の記憶に残る人間になれ』って。
僕がみんなの記憶に残る方法は、これしかない。

大犯罪者ってほどでもない。
ただ、ひとり男を殺した子ども。
リツを殺す理由なんてない。
理由がないのが理由だ。
僕が人を殺すのに、きっかけなんてない。
ただやりたいから。
殺したいから殺すんだ。

人殺しをしたときの理穂ちゃんは、僕に言った。

『天馬だけは絶対、どんなに泥をかぶっても守るから……
きれいなままでいてね?』

きれいなままであることは無理だったんだよ。
だって僕は最初から穢れてたんだからね。

「どうする? このままキミは殺人を犯した『月城天馬』として
生きていく。それでいいのなら、ボクを殺しても構わないよ」

「……そうだね。リツには死んでもらうよ。
大丈夫、僕もすぐに死ぬからさ。派手にね」

「その前に」

リツはポケットからまたトランプを取り出す。
ハーブティーとクッキーがのっていた皿、
それにリンゴの皿をどけると、
イスに座る。

「勝負しようよ。
最後の最後だし、ボクはやっぱりトランプが好きだから。
1回くらい付き合ってほしいな」

「……賭けるものは?」
「そうだなぁ~……」

僕もナイフをわきに置き、イスに座る。
1回くらいならいいだろう。
賭けるものなんて僕にはないけど、
これでリツが満足するなら。
なんだかんだで世話になったからね。
その世話になった男を殺す前に、カードゲームをするなんて……
僕はやっぱりヤバいのかもしれない。

「ボクはこのリンゴを賭けるよ」
「僕はそうだな……じゃ、このナイフを賭けてみようかな?」

僕は笑った。
今までは人生を賭けてきた。
もう僕に賭けるものなんてない。
リツも僕の持っているもので興味があるものなんてないだろう。
だったら起死回生のチャンスってことで、
ナイフを返してあげてもいい。
ナイフを手に入れたら、リツは逆上して僕を刺すかな?
それならそれでいい。
僕はもう、自分の命になんて興味がないんだから。
かぶるのは自分の血でも構わない。

「ポーカーでいいよね」
「うん」

いつも通りの慣れた手つきでカードを切ると、
僕と自分に5枚ずつ配る。
デ・コードのルールではチェンジは5回まで。
僕の手持ちのカードは……。

「どう? 天馬。ど~んなカードが手元に来てるのかなぁ?」
「リツは? いい加減その笑顔、やめたら?」
「笑顔?」

リツはほっぺたをむにむにと引っ張ったりつねったりしている。
もしかして、あいつの笑顔って……無意識?

「あはは! ごめん、ごめん! ボク、笑ったままだったか~」
「笑ったままっていうか、ずっとその顔だったよ」

リツは声を出して笑ったまま、頬をぐにゅぐにゅ
揉む。

「これって営業スマイルっていうかさ。
ボクの相手って昼は子どもばっかりじゃない?
フツーにしてたらお客さんなんて来ないからさ!」

ずっと仮面みたいな笑顔だと思っていた。
やつぱり作っていたんだな、表情を。

「もうこんな表情しなくっても、天馬には見せてもいいか!
ボクの素顔を……」

リツの素顔?
メガネを取った顔なら見たけど、かなりのイケメンだった。
はっきり言ってムカつくくらい。
それとは違うのか?

「……はあ、本気になるのって、10年振りくらいだからね」

一度静かに目を閉じるリツ。
ゆっくりと開けると……先ほどとはまったく違い、
鋭く細長い切れ目に変わる。
まるでキツネだ。

「さあ、ゲームをはじめようか?」

ものすごい迫力を感じる。
僕自身だって何人も人を殺してきたんだ。
それなりに常人とは違う雰囲気をまとっているんじゃないかって
勝手に思っていた。
だが、リツの雰囲気というかオーラは、
人間が出す迫力の比ではない。
……本気のリツに勝てるかどうか。
カードの強さは覚悟による。
僕の覚悟、か。
今までのことを思い出してみる。
ポーカーは今まで全勝している。
それは他人と自分の人生を変えるためだ。
今の僕には何の目的もない。
覚悟か……あるとするなら、『死ぬ覚悟』だ。
絶対に負けない、強い覚悟。
他人になりかわるための覚悟じゃない。
逃げる覚悟でもない。
自分のための、自分のためだけの覚悟だ。
こんな強い気持ちで、負けるわけがない!

Kが4枚。すでに役はできている。
フォーカードだ。
ここで1枚捨てるか。
いくらここまで強くても、油断はできない。

「1枚チェンジ」
「ってことは~、フォーカード?」

その言葉にドキッとする。
リツの目がきらっと光った気もした。
だが、びくびくする必要はない。
僕は絶対に負けないんだから。

「それともフラッシュ狙ってるのかな~?
いやいやそう来てフルハウス?」

大丈夫そうだな。
リツはわかってない。
こいつはどう来る?

「ボクは~……オールチェンジ!」
「えっ……」

何を考えてるんだ、リツのやつ……。
もしかしてブタでやけになったとか?
まぁ、僕に勝てるとしたらファイブカードか
ストレートフラッシュだ。
アイツに勝算があるとでも?
くっ……面白いじゃん。

「ふふっ、やつとその顔、見られた」
「な、何がだ?」

にいっと嫌な笑みを見せるリツ。

「やっとカードゲームを楽しんでくれてるって感じ」

何言ってるんだ、こいつ。
いまさらゲームを楽しんでるとか……。
まぁ、楽しんでるか。
もともとゲームなんてくだらないものなんだ。
それにリンゴとナイフなんて賭けあって。
リンゴとナイフ……。
実際は僕の命とリツの命。
ナイフを手に入れた方が勝ち。
僕はどっちが生き残ろうがどうでもいい。
ただ、この勝負だけは勝ちたい。
自分の覚悟をリツに見せつけてやりたい。

僕の手元に来たのは……クローバーのA。
フォーカードのままだけど、勝算はある。
何せアイツはオールチェンジしている。
これでいい役がそろうわけがない。

「はい、オ~プ~ン!」

僕はKのカードを4枚見せる。それと、残りの1枚。
Aのクローバー。フォーカードだ。
……で、リツはどうなんだ?
ふるふると震えているようだけど、どうせ僕の勝ちだ。
リンゴか、悪くない。
僕はナイフを手にして、リンゴに刺そうとした。
そのとき。

「ちょ~っと待ってよ。そのリンゴ、食べるの」

カードが1枚、僕の手をかすめる。

「痛っ……」

ただのカードのはずなのに、当たったところには切り傷ができて
血が流れた。
僕が勝ったはずだ。それなのに、なんで待ったをかけられる?
じっとカードを見ていたリツは、パッとカードを広げた。

「ファイブカード。ボクの勝ち。言ったよね? 
キミの運命はボクの手の内だって」

「う、嘘だっ!! 僕は……僕の覚悟は
リツなんかに負けるようなものじゃ……」

カードをテーブルに投げると、リツはナイフを奪い、
僕に向けた。

「キミの覚悟は『死の覚悟』……自分の命を賭けたんでしょ?
わっかんないかなぁ? それが一番弱い覚悟だってね」

「よ、弱い……? なんでだよっ!? 僕は命を賭けたんだよ!?」
「前にボク、言ったよね? 自殺は逃げだって」

そうか……。
僕はデスクに手を置いた。
『自殺は逃げ』。
要するに僕は、勝負を捨てていたってことなのか。

「……でも、賭けは賭けだ。ナイフはボクがもらう。
お別れだね、天馬」

「お別れ?」

突然の言葉に、僕はうろたえる。
なんで……?
リツの目はさらに細められる。
僕は失敗したと思った。
リツは人の人生を変えることができる。
どこかで僕は安心していたんだ。
黒縁メガネでエプロン姿の細身の男。
ただの勝負が好きな変人だって。
それに僕はポーカーでは全勝。
負けることはないと、油断していた。
まさかオールチェンジしてファイブカードを出すなんて技、
誰ができる?
最初のゲームを思い出す。
ババ抜きでは圧倒的に負けだった。
……リツはJOKERなんだ。
今もスペードのAとともに
デスクの上に並べられていて笑っている道化師。
これがやつの正体。

「十分キミには楽しませてもらったよ。
ま、ゲームオーバーってところかな」

「殺すなら殺せよ……僕は死ぬ覚悟ができてる」
「死ぬ覚悟? ……あっは! ははははっ!!」

なんで笑うんだよ。
今、リツの手にはナイフがある。
僕はそのナイフで一度はやつを殺そうとしたんだ。
それにナイフを賭けたってことは、
自分の命を賭けたのと同じこと……。
それなのにリツは、ナイフをしまった。

「笑っちゃうね。死ぬ覚悟なんて大したものじゃないよ。
それにキミに死なれたところでボクにメリットなんてないでしょ?
自殺志願するのは勝手だけど、ボクに迷惑かけないでよ」

……確かにそうだ。
僕は死んでも構わなかったが、リツは僕の生死に興味はない。
僕が死んだところで、死体が店にあっても困るし
殺人犯にされてしまっても厄介だ。
じゃあ、本当に賭けたのはナイフそのものだけなのか?
でも、それならゲームオーバーって……?

「はっきり言ってね、キミの運命に飽きちゃったんだ。
『どんなに他人の人生と入れ替わっても殺人を犯してしまう』運命。
初めてキミと出会ったとき、ボクは久しぶりに楽しめそうだと思った。
平凡で退屈な世の中をなんとなく生きることに、
ボクは飽き飽きしていたところだったから」

平凡で退屈な……?
それはずっと僕が思っていたことだ。
リツも同じことを思っていた……?

「『ボクのゲーム』は終了だ。今度は……キミの番だよ。
新しいJOKERくん」

リツは僕にトランプの束を渡す。
僕はそれを自然と手にしていた――。

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