5−1)

文字数 6,362文字

が明け、空が白けた。
 初老の村人はあぜ道を歩いていた。脇に生える草は朝露で濡れていた。
 開けた場所に来た。村人達が集まっていた。村人達は皆、踏鍬や鍬を持っていた。
「おい、どうした。名主様の元に行くんじゃないのか」
 村人達は一斉に、初老の村人を見た。
 初老の村人は、村人達の目線に驚き引き下がった。
「これから、名主様の屋敷に向かうか神社に向かうかどうか、話しているのだ」
「神社にか」初老の村人は、眉を顰めた。
 村人の一人は頷いた。「そうだ。俺は名主様から集まるよう指示を受けたのなら、素直に屋敷に向かった方が良いと思っている」
「昨日、俺達が集まって何を話してたのか忘れたのか」
「忘れてねえよ。名主様の元に行って、集まりを終えてから神社に行けばいいんじゃないかと思ってな」
「集まっている間に逃げられたらどうするんだ」
「だからと言って、名主様の集まりを無視する訳にも行かねえ」
 村人達は揉め始めた。
「なら、神社に先に行くのが良い」
 村人達は初老の村人の言葉を聞き、揉めるのをやめた。一斉に、初老の村人の方を向いた。
「自分を人柱にしに来たって話を知れば、神主様は逃げ出す。そうなる前に人柱にすればいい。名主様は寛容な方だ、遅れても話をすればきっと納得して下さる」
 村人達は、初老の村人の言葉に納得した。
「むしろ、名主様は池の呪いを消し去ってくれたと感謝するやも知れぬ」
「なるほど」村人の一人は、村人達の方を向いた。「よし、神社に行くぞ。皆に知らせろ。集会の前にひと仕事するから、神社のある丘の前に集まれとな」
 村人達は皆、神社に向かった。
 年老いた村人は、一人残り壮年の村人の元に来た。「どうして、神社に向かえと言ったのか。名主様の集まりの方が、よほど重要ではないのか」
「集会に鍬を持っていく奴はいない。神主様の元に行きたかったのだが、切欠がなかったのだろう。何より名主様の下に向かえと言えばどうなる。神主様じゃなくて俺が殺される」
 村人の一人は頷いた。壮年の村人の言葉は、自身が思った事と同じだった。
「俺も行く。殺されたくないからな」初老の村人は去った村人に追いつく為、あぜ道を歩いて行った。
 村人の一人は、初老の村人の後をついて行った。



 境内では、雀が桜の木に止まり鳴いていた。玉石は日光により黄色く染まっていた。
 須臾と計羅は、瞬息と那由多と対面する形で立っていた。
 須臾は、包みを入れた風呂敷を背中に、振分荷物を肩に担いでいた。
 那由多と瞬息は共に、白い小袖の上に薄い千早を羽織っていた。
「須臾、山への道は覚えていますか」
「分からずとも地図がありますから、問題ありません」
「道に迷わないようにして下さい。地図に書いていない場所に入れば、戻るのに難儀しますから」
 須臾は、頷いた。「はい」
「今まで行った儀と同じで構いません。計羅を頼みます」
 須臾は頭を下げた。
「僅かに心が揺らぎ負の感情が混じれば、力は均衡を保つ為に魂を取り込もうとします。緊張の糸を緩めないようにして下さい」
「あたしは、須臾様がいれば大丈夫だよ」計羅は、須臾の腕に抱きついた。
 瞬息は、那由多を見た。
 那由多は瞬息と目が合い、頷いた。
 瞬息は、須臾の方を向いた。「須臾、禰摩を人柱に立てた時を覚えていますか」
 須臾は、顔を曇らせた。
「私は六徳を通して、彼女の財布を預かっています。大事にして下さい」
 須臾は、村人が禰摩から財布を奪った時の状況を思い出した。自分の無力さ故に、禰摩を救えなかった。
「どうして、今になってその話をするのですか」
「貴方が穢れを負った証であるが故に向き合わず、捨ててしまうのではないのかと思いまして」
 須臾は、顔をしかめた。
「人は深い傷を負うと向き合わず、避けようとます。貴方も村の者も、禰摩を犠牲にした事実を無にして心の安定を得ようとするでしょう。しかし、貴方は穢れを負った者として逃げず、向き合わなければなりません」
「瞬息様も、そういう穢れを負ったのですか」須臾は、瞬息に尋ねた。
 瞬息は、苦笑いをした。「知らぬ間に穢れを負っているのかも知れません」
 須臾は俯いた。神主と言えど、他人に語れない穢れを持っているのだ。
「財布は、長持のある箪笥の中に封をして保管してあります。改めて、頼みますよ」
「はい」須臾は頷いた。
 那由多は、腰につけている小さな巾着を須臾に差し出した。
「これは」須臾は、那由多に尋ねた。
「桜の実と葉の粉です。米と共に撒き、界を区切って下さい」
「桜ですか」
 那由多は頷いた。「以前、桜には霊力を奪い固定すると話しました。桜の力で大地の力を固定し、安定するかと思います」
 須臾は巾着を受取り、紐を解いて中を見た。細かく砕いた桜の葉が入っていた。
「那由多様。お一人で作られたのですか」須臾は、那由多に尋ねた。
 那由多は頷いた。「これから武満山に向かう計羅や貴方の苦労を考えれば、大した労力ではありません」
 須臾は、巾着の紐を閉じた。
「ありがとうございます」須臾は、深々と頭を下げた。
「須臾様、あたしが持つよ」計羅は、須臾が持っている巾着を引っ張った。
 須臾は手を離した。巾着は温石に似た温もりがあった。
「では、山に行ってきます」
 須臾は頭を下げ、計羅を連れて鳥居へ向かおうとした。
 那由多は須臾の前に来た。「須臾、森から出なさい」
 須臾と計羅は足を止めた。
 計羅は、那由多を見た。那由多は、憂いていた。
「どうして」計羅は、那由多に尋ねた。
 那由多は、鳥居の方を見た。
 須臾も鳥居の方を向いた。男達の声が聞こえた。「村の者は皆、六徳様の元へ向かったのではないのですか」
「皆が皆、言う事を聞くとは限りません」
 瞬息は、須臾の元に来た。鳥居の向こうから響く声が、大きくなった。
 瞬息は、須臾の方を向いた。「時間がありません、森を回って出て下さい。森に出入り口はありませんから、囲い込むのは相当な人数が必要です。鳥居以外から声がしていませんから、鳥居以外に人がいないのは確実です」
 須臾は拝殿の脇を見た。誰もいなかった。
「では瞬息様、一緒に行きましょう」
「池は武満山に比べて近い場所にありますから、後からでも問題ありません。須臾、貴方は計羅を連れて先に出て行って下さい」
「村人達が押し寄せた時、神社が空になっていれば目的を失い、退散するのではないでしょうか」
「誰もいないと分かった途端、四方八方に分かれて探し始めます。そうなれば貴方達も引きずり出されます。誰かが足止めをしなければなりません」
 須臾は、瞬息の言葉に不安を覚えた。
「私にはこの神社と家族を、氏子を守る義務があります」
 瞬息は須臾に近づき、肩に手をあてた。「私は私のやるべき事をやるだけです。貴方は、貴方のやるべき事を成すのです。目的を見失ってはいけません」
 須臾は、大きく息を吸った。「分かりました。必ずです、必ず会えますよね」
「大丈夫です。須臾、山へ早く」
 計羅は、瞬息の表情に陰りがあるのを認めた。「お父、大丈夫だよね」計羅は、不安げに尋ねた。
「大丈夫ですとも」瞬息は、自信ありげに言った。
 計羅は、瞬息の言葉に納得し頷いた。
「計羅様、行きましょう」 須臾は計羅を連れ、拝殿の裏へ向かった。
「那由多、貴方も出て下さい」
「どうしてですか」
「貴女まで巻き込まれれば、村を救う術は有りません」
「ご心配なく」
「足止めが出来ると思いますか」那由多は、淡々とした口調で瞬息に尋ねた。
「分かりません」瞬息は力なく言った。「話を聞いてくれるとは思えませんが、僅かな時間なら稼げると思っています」
「別口に村人がいなければ、そこで待っています」那由他は踵を返し、拝殿の裏へと向かった。
 瞬息は鳥居に近づいた。
 村人達の、階段を登る足音が聞こえてきた。
 瞬息は、息をのんだ。
 村人達が境内に来た。髪は乱れ月代に汗がにじみ、顔を紅くして息が上がっていた。
 瞬息は、臆しなかった。
 村人達は驚いた。先手を打って逃げていると思っていた。
「何をしに押し寄せたのですか。六徳様より接触をするなと命を受けているはず。まして今は屋敷に行くよう言われているはずです」
「だから、どうしたって言うんだ」
「六徳様の命に反すると言うのですか」
「片付けてすぐ名主様の所に行く。名主様も人柱を立て、姿ケ池の安定を得られればお喜びになる」
「そうだ」
 村人達は、一斉に同意の声を上げた。
 瞬息は、村人の言った『人柱』に渋い表情をした。
「お前が池に呪いをかけたんだ、相応の罰は受けてもらう」
「証拠はあるのですか」
「池で多くの娘が死んだ、それ以外に何があるってんだ」
 瞬息は村人達の状態に、諦めと驚きが混じった表情をした。自分達の全てが正しいと思っている以上、何を言おうが自分の言葉に耳を傾けはしない。
「何も言えねえか。お前がやったんだから否定しようがねえな」
 踏鍬を持った村人は、瞬息の前に出た。「じゃあ、さっさとついて来な」
 村人は、踏鍬で瞬息の足を力一杯に叩いた。
 瞬息は足に強い痛みを覚えて悶絶した。
 村人達は、瞬息を囲い込んだ。
「気に入らねえんだよ」村人の一人は、持っていた鍬で瞬息の頭を横に殴り付けた。
 村人達は、村人の一人による瞬息への暴行を切欠に、罵声を浴びせながら暴行した。
 瞬息の顔は赤く脹れ、腕は鋤でへし折られた。服に血がにじみ出した。瞬息は意識を失い抵抗しなかった。
 村人達は一心不乱で瞬息に暴行を加え続けた。瞬息の服は血に染まり、手は潰れて肉が剥がれ、骨が出ていた。
 村人達は憐れみも怒りも消えていた。普段の農作業と同じ感覚で暴行していた。次第に何も反応のない、肉の塊となった瞬息への暴行に飽きてきた。
 村人達は疲弊し、暴行をやめた。瞬息に目をやった。瞬息の顔は原形を留めない程に腫れ、頭蓋は砕けて変形していた。服は瞬息の血と泥に塗れていた。四肢の骨は砕けて曲がっていた。
 村人達は、瞬息の死体に恐怖を覚えた。自分達が、怒りにかまけて人を殺したという事実が重くのしかかってきた。
「おい、本当に殺しちまったのか」村人達の集まりの中から、力の抜けた声がした。
「殺すのが目的だったんだ、これでいいんじゃないか」
「馬鹿言うな。人柱は、生きたまま埋めないと効果がない。旅の娘も生きたまま埋めたと聞いている」
 村人達は一斉に凍りついた。自分達の行為が無意味だと気付いた。
「俺達は、人を殺しただけだってのか」
「呪いをかけた張本人を殺したんだ、十分だろ」
「本当に、そうなのか」
 村人達は、まじまじと瞬息の死体を見つめた。服に付いた血は黒く固まっていた。
 拝殿の奥から、玉石が擦れる音がした。
 村人達は、音がした方を向いた。那由多が立っていた。
 那由多は、村人達の方に向かって歩き出した。
 村人達は引き下がった。
 那由多は、瞬息の死体の元に来た。
「瞬息は、帰幽したのですね」那由多は、淡々とした口調で村人達に確認を求めた。
 村人達は何も答えなかった。
「足止め、苦労をかけました。貴方には余りに重い仕事だったようです」
「那由多様」村人が一人、集まりの中から出てきた。
「何故、殺す必要があったのですか」
「そ、それは」村人は話そうとするも、口が震えて話せなかった。
 那由多は瞬息の目を閉ざし、俯いた。須臾の命が奪われると分かっていながら何も出来なかった後悔と、命を賭してでも責務を果たした夫への慰労の気持ちが混じっていた。
「責めるつもりはありません」那由多は。冷たい目線で村人達を見つめた。
 村人達は、那由多の眼に圧倒された。
「村を良い方向に向かいたい。そう願うのなら。私を姿ケ池へ連れて行って下さい」
 村人達は、那由多の言葉にざわついた。
「死体に用は有りません。村の災いを止めるのは、生きている者だけです」
 村人達は、那由多の淡々とした口調に言葉に驚いた。伴侶の死を重く受け止めず、しかも殺した当人に対して感情を出さないと言うのは全てを許す聖人か、心がない畜生以外にあり得ない。
「私をも死体にする、只の畜生に堕しましたか」
「いえ」村人の中から、力の抜けた声がした。「いえ、那由多様の仰る通りにします」
 村人達は、誰一人として反対しなかった。



 六徳の屋敷の庭に集まった村人達は、目をこすったりあくびをしたりしていた。
「こんな所に朝から呼びつけて、名主様は歳の割に元気な方だな」
「まだ飯も食っちゃいねえよ」
「飯位、戻れば食えるからまだいい。俺なんか田んぼにすら行ってねえ。雀が食っちまうかも知れねえのによ」
 六徳は式台に立っていた。集まっている村人達を見回した。
「少ないな。まだ全員来ていないのか」
 六徳は、式台の元にいる厘に目をやった。「厘。疑うつもりはないが、全員に伝えたのか」
 厘は頷いた。「急ぎとはいえ、全員に回しました。まだ準備にくれている者や寝ている者もいるかも知れません。呼びに行ってきます」
「止むを得んな。すぐ戻って来い」
「はい」厘は庭から平門へ進んだ。鳥の鳴き声がしていた。日陰で庭にいた時の暖かさはなかった。厘は平門の敷居をまたぎ、あぜ道へ走ろうとした。
「ねえ」平門から子供の声がした。
 厘は声がした方を向いた。載が立っていた。
「いたのか」
 厘の言葉に、載は苛立った。「子供だから、いつまでも寝てるって思ってたんでしょ」
「親の手伝いがあるんだ、この時間なら皆起きてる」
「ふうん。何処に行くの」
「何処って。皆来ていないようなので、様子を見に」
「もしかしてだけど皆、須臾様の所に行っているんじゃないのかな」
 厘は載の言葉に、眉を顰めた。昨日、村人達が民家に集まり神社に行くと言っていた。
「何故、皆が神社に行くのを知っているんだ」
 載は俯いた。「何か嫌な気分なの。胸の中で何かがぐるぐる回っている感じがしてて」
「神社か。神主様を人柱にすると言っていたな」
 載は、厘の言葉に驚いた。「なら一緒に行く。那由多様や須臾様もどうなるか、心配だもの」
「仮に神社に集まっていたとして、人柱にしようって奴は頭に血が上ってるからな」厘は、載を見つめた。「名主様の元に帰った方が良い」
「行くったら行くの。あたしに手を出したら、お父が黙ってないよ」
 厘は、呆れのため息をついた。子供と言うものは、一旦言い出したら実行して納得するまで引かない。「分かった。一緒に行こう。但し離れないでくれ」
「うん」
 厘は、あぜ道へ走って行った。
 載は、厘の後をついて行った。
 一帯に広がる田の中で、雀が穂をつついていた。厘は周囲を見回しながら神社へと走って行った。
 厘は走っているあぜ道の先に、須臾と計羅が並んで歩いているのを見つけた。
 載も、須臾と計羅の姿を認めた。
「須臾様」載は気持ちを抑えらえず、声を掛けると全力で須臾の元に向かい、前に回り込んだ。
 須臾は載の姿に驚き、立ち止まった。「載様」
 計羅は、載の姿に驚いた。「載、どうしたの」
 厘は須臾の元に向かった。「須臾」
 須臾は、厘に声をかけられ立ち止まった。「厘、どうした」
 計羅は、何だと思い厘を見た。
「名主様の集まりに人がいないので、様子を見に来た。載様は嫌な予感がしてついてくると言って聞かなくてな。誰かに会わなかったか」
「会う、会わない以前に鳥居の下から声がした。村人が集まったのだろう。瞬息様は話をするからと言って留まり、私と計羅様は森を経由して別口から外に出た」
「声だと」厘は眉を顰めた。「夜明けに全員屋敷に来るよう通知したはずだ。名主様の命を無視して、神主様を人柱にしようと集まったのか」
 須臾は何も答えなかった。
「神主様は、連れて行かれたのか」厘は、須臾に尋ねた。
「少なくとも、私がいる時は村人達が入って来ていなかった。今はどうなのか分からない」須臾は曖昧に答えた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み