4−1)

文字数 5,332文字

 武満山の麓には、森が広がっていた。密生する樹から伸びる枝は太陽から注ぐ光を遮り、抜けた光が地面に届いていた。地面に生える草の茎は黄色く堅牢で、葉は鋭く黄色味がかっていた。
 須臾と瞬息は密生する草をかき分け、踏みしめて森を進んでいた。草は踏むと簡単に折れた。後ろに道が出来た。
「瞬息様、ここに何があるのですか」須臾は、瞬息に尋ねた。
 瞬息は、帳面と周囲とを見比べながら須臾の前を歩いていた。
「姿ケ池から飛び地した力です。確証が薄いので可能性に過ぎませんが、ないとも言い切れません」
「可能性って、正確な場所は分かるのですか」
「飛んだのなら、植物の活性が上がっている場所があるはずです」
 須臾は後ろを向いた。通った森は生い茂る木々により、光が遮っていて暗かった。
「ここは迷いそうです」
「通った跡が残っています。戻りは容易です」
 瞬息は、立ち止まった。
 須臾は、瞬息の隣に向かった。「何かありましたか」須臾は、瞬息に尋ねた。
「ここが、飛び地した場所ですか」
 須臾は、瞬息の先を見た。三町程の開けた場所で、樹は密生しておらず、まばらに生えていた。濃い緑色の草が一面に生えていた。葉は艶やかだった。小さな羽虫が所々で飛び交っていた。
 瞬息は草をかき分け、開けた場所の中央に向かった。中央に来ると、かがんで生えている草の茎を掴んで曲げた。茎は折れずに曲がった。
 瞬息は草を離して立ち上がった。「ここが、飛び地した所のようです」
「飛び地、ですか」
「はい」瞬息は腰に付けている矢立を手に取ると筆を墨壺に付け、帳面に周囲の状況を書いた。「姿ケ池から力が飛んだのは、ここに元々大地の力があったからでしょう」
「あった、ですか」
 瞬息は足元を見た、足元には、枯れた草の茎や枝が落ちていた。
「ここの大地の力は完全に枯れていなかったので、姿ケ池にあった力はここへ飛んだようです。草や樹の活性が強いのが、その証拠です」
 須臾は足元に生えている草を見た。茎や葉は力強く、深い緑色をしていた。
「私には、単に日が差しているので植物がよく生えている位しか認識出来ません。いくら森が危険かも知れないとは言え、そんな私より那由多様や計羅様を連れて来た方が役に立ったのではないでしょうか」
 瞬息は、筆を矢立をしまい、帳面と一緒に腰にかけた。「貴方には、大地の力を引き出す儀に立ち会って貰います」
 須臾は、瞬息の言葉に眉を顰めた。「立ち会う、と言いますと」
「姿ケ池は陰の力に覆われ、力を繋げる妨げとなっています。陰の力の除去と接続の為、私は池に向かわなければなりません。故、私の代わりに立ち会って貰います」
「私が、ですか。しかし、私は穢れを持っています」
「造成と言う穢れを払うからこそ、穢れに向き合う貴方が適任だと考えています」
 瞬息は、樹に目をやった。樹に蔦が生えているのが見えた。
 須臾は曖昧に頷いた。果たして、瞬息の言葉は、須臾に否定の回答を与えない圧力を与えていた。
「私に力がないのは否定出来ない事実です。そんな私に出来るかどうか」
 瞬息は、草をかき分けて樹に向かっていた。
 須臾は、瞬息の元に向かった。「あの、私には」
 瞬息は、樹の元に向かうと、絡まっている蔦の葉を取った。所々に黄色い斑点がついていた。
「元々ではないようです」瞬息は蔦を掴み、軽く引っ張った。蔦は簡単に取れた。
 瞬息は蔦をじっと見つめた。葉は深緑で、所々虫食いの穴があった。虫食いのある葉を裏返した。虫はいなかった。
 瞬息は残念そうな表情をし、蔦に付いている葉を一枚一枚観察した。
 須臾は、瞬息の行動を見て話しかけるのをやめた。瞬息は何かに集中している時、人の話を聞かないのを知っていた。
 瞬息は蔦から葉を一枚千切り取り、折り曲げた。葉は柔らかく、簡単に折れた。瞬息は暫くの間、蔦を見つめると納得して頷き、手に持っている蔦と葉を足元に捨てた。
 須臾は、瞬息に近づいた。今なら瞬息と話が出来る。
「何かあるのですか」須臾は、瞬息に尋ねた。
「いえ、蔦の状態を見ただけです。大分斑が見えています。急激に活性化したのでしょう」
「あの、先程話した儀についてですが」須臾は、瞬息に話しかけた。自分に、瞬息の命が果たせるのか不安だった。
 瞬息は、空を見た。空は青色に黄色が混じっていた。
「帰りましょう。今日はもう十分です」
 瞬息は踵を返し、来る時に草を踏み潰した所を辿った。
「あ」須臾は、小さく声を漏らした。
 瞬息は、わざと話を避けているようだった。
 須臾は眉を顰め、瞬息の後ろについて歩いた。草を踏み潰した所を辿っている為、歩き易かった。
 森を抜け、山道に出た。足元の土は赤く固まっていて、所々木の根が出ていた。道の脇には樹が密生し、根本には笹が茂っていた。木々の隙間から見える山脈は緑色に染まっていた。鳥のさえずりや、風で葉が擦れる音があらゆる所から鳴り響いていた。
 瞬息は、慣れた勢いで山道を降りていった。
 須臾は、瞬息の後に続いて山道を降りた。山道を降りるのに慣れず、一歩を踏む度重心が崩れてよろけた。。次第に瞬息と須臾との間が開いていった。
 瞬息は、須臾の足音が聞こえなくなったのに気付き、立ち止まり後ろを見た。須臾の姿は視界になかった。
 暫く経つと、須臾がよろけながら山道を降りてきた。
 須臾は瞬息の元に着いた。須臾の息は上がっていた。「瞬息様、早いです」
「これでも、山の中腹に比べれば緩い方です」
「そんなにきついのですか」
「ええ、こことは比較出来ない程に」
 須臾はため息をついて瞬息を見た。瞬息は落ち着いていた。
「瞬息様、私が池に行き、瞬息様が山に向かうと言うのはどうでしょうか」
「山に登りたくないのですか」
 須臾は瞬息の質問に、戸惑いを見せた。「いえ、それは」
「池にある陰の力を断つには経験が重要です。池に私が行かなければなりません」
 須臾は、気難しい表情をした。
「力を呼び出す為、計羅をここに向かわせます。その時、誰が計羅を守るのですか」
「計羅様を、ですか」
 瞬息は頷いた。「力を制御するより、引き出し方が楽ですから。貴方に頼むのは森で話した通りです」
 須臾は、瞬息の言葉に重く頷いた。瞬息が何故、自分を森に連れて来たのか理解した。「はい」
「頼みます」瞬息は前を向き、山を下りた。
 須臾は、瞬息の背中を見ながら転ばないよう、一歩一歩地面を確かめながら歩いた。
 山道は、次第に開けて来た。粘土質の土は砂利交じりの土となっていった。
 須臾は空を見た。青に黄色が僅かに混ざった色をしていた。「もう暮れますか。随分、早くなりましたね」
「珍しいですか」
「え」須臾は、眉を顰めた。「そうではないですが、その」
 瞬息は笑みを浮かべた。「歳を取ると、変化が当たり前になってしまうようです」
「当たり前ですか」
「歳を取ると、そういった感覚が鈍っていくのでしょう」
 瞬息と須臾は、道なりに歩いて行った。道は起伏があり、歩きにくかったが山道程ではなかった。
 日が傾いていき、暗くなると同時に空の黄色味は強くなっていった。
 瞬息と須臾は、田が広がる場所に出た。所々に藁葺の家があり、飯炊きの煙が昇っていた。田の中は無数の稲穂が垂れ、村人が立ち入って穂の状態を確認していた。
「人が出て来てますね。何もなければいいのですが」須臾は不安そうに言った。
「こちらから刺激しなければ、問題ありません」
「いつまで、こんな状態が続くのでしょうか」須臾は、瞬息に尋ねた。
「呪いが消えるまで、変わらないでしょう」
「なら、呪いは誤解だと言えば」
「誤解と言う確証がないのに、どう説明しますか」
「山の中に大地の力が」
「大地の力を説明して、理解出来ると思いますか」
 瞬息の言葉に、須臾は黙った。瞬息の言う通りで、反論出来なかった。
「説明出来ない物を理解しろと言っても無理ですから、結果を見せるより他にありません」
 須臾は黙って頷いた。旅の娘を人柱にした時の厘や村人の様子を思い出した。騒ぎ立てる人間に何を言っても無駄だ。
 瞬息と須臾は、田が広がる区域を通った。
 農作業が終わり、帰路についている村人が、瞬息と須臾との対面方向から歩いて来た。
 村人は瞬息と須臾に気づき、慌てて踵を返して去って行った。
 瞬息は、去っていく村人を見て、眉を顰めて立ち止まった。
 須臾は、瞬息に合わせて立ち止まった。「何かありましたか」
「村人が私達を見て、去っていきました」
「その程度なら、何も問題ないでしょう」
 瞬息は、歩き始めた。
 須臾は、瞬息の後ろについていった。
 村人達の集団が、瞬息と須臾の対面方向から向かって来た。
 瞬息と須臾は立ち止まり、村人達を見た。皆、眉間に皺を寄せていた。
 村人達は、瞬息と須臾を囲った。
「神主様、ここに来るなと名主様から言われてなかったか」若い村人は、威圧的な口調で瞬息に尋ねた。
「接触するなと言われているだけで、境内から出るなとは言われていません。現に迷惑をかけないよう、朝早く出てこうして帰ってきた次第です」瞬息は、冷静に答えた。
「俺達を馬鹿にしに来たんだろ」
「訳分かんねえ事、言ってんじゃねえよ」
 村人達は、須臾と瞬息に文句を言い始めた。
「何が目的だ、俺達をまた陥れる気か」
「いえ、私達は姿ケ池の呪いを」須臾は、村人達に説明しようとした。
「やっぱり呪いじゃねえか」若い村人は瞬息の話を遮り、詰め寄った。
 須臾は、思わず一歩下がった。「誤解です、私達は呪いをどうにかする方法を」
「須臾、無駄です」瞬息は、須臾の話を切った。
 須臾は、話を止めた。
 若い村人は舌打ちをした。「こいつ、気に入らねえ、この場で潰そうぜ。そうすりゃ呪いが解けるかもしれねえ」
「誰を潰すだって」厘の声が、村人の集まりの中からした。
 村人達は騒ぐのをやめ、厘の方を向いた。
 厘は村人の間を抜け、若い村人の隣に来た。
 若い村人は、須臾を指差した。「こいつらに決まってるだろ」
 厘は瞬息と須臾を見た。二人共、服が泥や草の汁で汚れていた。
「名主様から、そう言われたのか」
「何だ、てめえは。こいつらの肩を持つってのか」
「仮に神主様と禰宜を殺したとして、そいつの責任は誰が取る」
「何言ってやがる、関係ねえだろ。神主様を殺して終わりだ。呪いも消える。皆万々歳じゃねえか」村人の一人は厘を睨み付けた。
「何処が万々歳だ、人殺しておいて」
「何だと」若い村人は、厘に殴りかかった。
 厘は若い村人の拳を、掌で球を掴むように受け止めた。「那由多様と計羅様は、皆に入るのか」
「那由多様は村を良くして下さる方だ、元凶とは関係ない。殺したって文句は言わねえ」
「じゃあてめえは、てめえの女と子供が殺されそうになっても見逃すのか」
「は、何言ってやがる。それとこれとは違うだろうが」
「同じだろ、家族が殺されるのを見逃す奴が何処にいる。少なくとも奉行に話に行くだろうよ。そうなれば俺達は打ち首だ」
「うるせえ」若い村人は、厘に殴りかかった。
「名主様の許可なしに、勝手な真似をするな」厘は若い村人の腕を掴み、強く捻った。
 若い村人は腕に釣られて体が回転し、仰向けに倒れた。
 村人達は厘と倒れている若い村人を見て、一斉に引き下がった。
「分かってないのか、神主様をこの場で殺せば呪いは消える」
「ここに来た女を人柱にしたのはどうする。お前が仕組んだんだろうが」若い村人は、強い口調で言った。
「名主様も了承しているから、皆黙っている。お前の勝手とは違う」厘は、若い村人に手を差し出した。
 若い村人は厘が伸ばした手を取ろうか迷った。村人の自尊心が、若い村人の差し出した手を取る行為に迷いを与えていた。
「ここで寝そべってる気か、てめえの腹、踏みつけんぞ」厘は、若い村人を睨みつけた。
 若い村人は渋い表情をし、厘の手を取った。
 厘は腕を引き、若い村人を引き起こした。
 若い村人は、手で服についた泥を払った。
「名主様が了承すれば、いいんだな」若い村人は、厘に尋ねた。
「てめえの身勝手さはお見通しだ、許可する訳がねえ」
「許可したら、どうする」
 厘はため息をついた。「する訳ねえよ」
「言ったな、覚えとけよ」
 若い村人は踵を返し、村人達の集まりをかき分けて去っていった。
「ほら、お前達も帰れ」厘は、犬を追い払うように手を振った。
 村人達は困惑した表情を見せ、散っていった。
「厘、済まない」須臾は、厘に頭を下げた。
 厘は、あからさまに嫌な表情をした。勝手な村人達を諭す為に集まりに入ったのに過ぎなかった。
「感謝されたくねえな。何もお前らが無実と決まった訳じゃない。勝手一つで村がなくなるのが嫌なだけだ」厘は、瞬息の方を向いた。「俺が出てきたからいいものを。お前らも、勝手に出て俺達に関わるな。死にたくなければ名主様の命があるまで大人しく籠っていろ。面倒見きれねえ」
 厘は踵を返し、瞬息達の前から去っっていった。
「帰りましょう」瞬息は、あぜ道を歩き出した。
 須臾は、納得出来ない表情をした。「このままでは、何も解決しない気がします」須臾は、周辺を見回した。村人はいなかった。
「私は、何も出来ないのでしょうか」須臾は、瞬息の後をついて行った。
 二人は神社に向かった。
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