第3話(序章)桜百乃

文字数 3,194文字


寮と授業を受ける棟を結ぶわたり廊下を歩いていると、この時間に使われることが滅多にないため、たまに俺と政広がさぼり部屋として使用している部屋に人の気配を感じた。

不審に思い戸についた小さい穴から中を覗くと、そこには桜ともう一人、俺に背を向けていて顔は見えないが、女が桜と向かい合っている。

正確に聞き取れるわけではないが、戸越しに出来るだけ聞き耳を立てる。



「桜さん ~ごめんなさい ~の居場所とかって~」



居場所ということは誰かが行方をくらましたのか。

俺ら眠与者のクラスの中には思いあたる者はいなかったはず。

となると、眠受者のクラスかの誰か。

学年の中で一つしかない俺たち眠与者のクラスと、その他六クラスある眠受者のクラスはほとんど交わることが無い。



唯一顔を合わせる時といえば、入学式などの式典の時ぐらい。

それだというのに、眠受者クラスから出た行方不明者のことを眠与者クラスの桜に聞くというのは一体どういうことだろうか。

“ガラガラッ”

いろんな可能性を考えていると急に戸が開いた。

目の前には仁王立ちした桜と部屋の中央で驚いた表情で立っている数学担当の斎藤かおるがいる。



「椿君、こんなとこで何をしているの?」



まさか気づかれているとは思わず、心臓が波打っている俺とは対照的に、冷静な表情の桜が口を開いた。



「いや、ただこの教室はこの時間に使われることはほぼ無いからどうしたのかと思って。こんな時間に二人で何を?」



俺が逆に問いかけると、奥にいる斎藤がこちらに近づいてきた。



「何をって、それはこっちのセリフよ。今の時間は二時間目の授業が始まった時間のはずよ。さっさと教室に戻りなさい」

「斎藤先生、椿君は朝の出席の時は顔出してましたけど、一限目の歴史の時間から抜け出してさぼってます」

「まぁ。あなた昨日も職員室で高田先生に怒られていたでしょう。なんでも、一昨日の夜杉君と寮の屋根に上ったとかで」

「えぇ、まあ」

「はぁ。本当にあなた達はしょうがないわね。高田先生に言いつけようかしら」

「それは勘弁してもらいたいです」

「こんなに堂々とサボっているんだから素直に怒られておきなさい」



全く、と言いながら呆れたように斎藤は手を頭に沿えた。



「とりあえず今日のことは見逃してあげるから早くここから立ち去りなさい。

いいわね?……あれ、そういえば杉君の姿が見当たらないけど」

「……先生、それよりも今少し聞こえたんですけど、行方不明の生徒が出たんですか?」



言葉を遮ると、斎藤は次に続く言葉を飲み込んだ。

桜には話したものの、どうやら俺には聞かせたくない話のようだ。

それとも、公にしたくない話か。



「先生、俺も何か役に立てるかもしれません」



詳しく教えろ、と目を見つめ訴えるが頑なに口を開こうとしない。

ジッと目を見つめ返されるばかりで、逆にこちらが狼狽えるようだった。



「斎藤先生、私も彼のことが心配なので早く見つかる可能性があるなら、椿君にも聞かせてみてほしいです」



お互い引かない姿勢を見せる俺たちにしびれを切らしたのか、桜が横から口を挟む。



「斎藤先生」

「……これはあまり広めたくない話なのよ。それに椿君に話したところで何かが進展するのかしら」

「桜に話したら解決に繋がりそうだったから相談したっていうことですよね? で、俺に話してもメリットはないから話すことは無いと」

「……君はもちろんのことだけど、桜さんに話しても、うちの生徒が戻ってくるとは思ってないわ」

「戻ってこない? どういうことですか、てっきり私が彼と仲が良いから行方を知っているかと思って話してくれたのかと」



俺も桜と同意見だった。眠受者を探すというのに、眠与者の桜に相談したということは、その生徒はおそらく桜と何かの繋がりで仲が良く、そんな桜なら居場所を知っているのではないかと踏んでいたと。

もしくは、桜が何かの目的でそいつを匿っているとみて探りをいれた。

しかし、今の言い方であればこの二つの線は消える。



もしかするとだが、消えた生徒の行方の見当はもうとっくについていて、桜に居場所を聞いた理由は、そいつが本当にここから消えてしまったのか、その確認をとるためかもしれない。

そもそも自分の意志でその場から姿を消した場合は行方不明とは言わない。

おそらく、斎藤は他の人間にも、消えた生徒の居場所を知ってそうな者に声をかけたのだろう。

しかし行方を知っている者はおらず、桜がその生徒と関係が深い最後の人間だったというところか。



桜の責める声に斎藤は答えず、黙ったままだ。

時計の短針が刻む音だけが辺りに響く中、ぽつりと桜が口を開いた。



「……椿君、曇百春っていう子知ってる?」



曇?



「……いや、知らない」

「眠与者と眠受者の生徒はほとんど関わりが無いんだもの。知っているはずないわよね」



俺の何の役にも立たない返事を聞いても、桜は微動だにしなかった。

桜は俺の情報には欠片の期待も寄せていなかったようで、本命の斎藤に詰め寄ろうと後ろを振り向く。

しかしながら俺は桜の手を掴み、こちらに再び振り向かせた。



「そいつのことは知らないけど俺、この件に関して何かできることがあれば協力したいと思ってる」



俺がそう告げると、桜は目を丸くした。



「……貴方がそんなこと言うなんて珍しいこともあるのね」

「それどういう意味だよ」

「あぁごめんなさい。ただ不思議に思っただけなの」



桜が不審がるのも無理はない。

もうかれこれ三年目の付き合いにはなるが、桜と俺はぎこちない距離のまま、決して縮まらない。



「これも何かの縁だと感じた。それだけだ」

「そう……」



桜との距離が縮まらないのは俺が原因であるところが大きいだろう。

俺を見つめる桜の瞳は、俺を頼っていいものか揺らいでいると迷っているのがよくわかる。

もう一押し、俺に何が言えるのか。



「……今聞いただけのことからでも、桜がそいつを大事に思っているのはよくわかった。そして、少なからず俺も桜の気持ちが分かる。俺にもそんな人間がいるから」

分かっていると言ったものの、珍しく気が立っているように見える今の桜には逆効果だったかと少し後悔する。

“お前に何が分かる”なんて、ちゃちな共感と受け取られてしまえばどうしようもない。

桜の返事がないため、次に続ける言葉を再び頭の中でぐるぐると考える。



しかし突如、掴んだ手の中で桜の手が蠢くのを感じた。

いつの間にか力が入りすぎていたのか、と慌てて手を緩め桜の腕を解放してやると、掴まれていた部分を擦りながら桜は言った。



「そうだよね……皆一緒。分かってたつもりなんだけどな」



俺はその言葉を聞いて面を食らってしまった。

固まったままの俺を見て、桜はふっと笑みを浮かべた。



「そんな顔しないで。ごめん、こっちの話だから」

「いや、桜の中で納得がいってるならそれでいい」

「ありがとう」



桜の纏う空気が少し緩まったのを感じほっとしていると、先ほどから俺たちの様子をジッと見つめていた斎藤が口を挟んだ。



「椿君、君叔母さんと仲はいいのかしら?」

「え? 叔母ですか。まあ両親よりも世話になっていると言っても過言ではないですけど、急に何を?」

「そう、それなら今週の日曜日彼女に会いに行くといいわ」

「日曜日? 外出許可を取ってですか? どうせすぐに夏休みになるっていうのに」

「いえ、今週の日曜日に行くことを強く勧めるわ。……だって曇君の行方が知りたいんでしょう?」



曇という名が斎藤の口から出たことで、俺と桜は思わず顔を見合わせた。



「斎藤先生、やっぱり百春の居場所に心当たりがあるんですね。知っていることがあるなら教えてください。お願いします」

「桜さん、申し訳ないんだけど私の口から言えることはそう多くはないの。だから日曜日、椿君と一緒に彼の叔母を訪ねてちょうだい」



そう言った斎藤の表情は、嘘を言っているようには見えない。

桜も俺と同じように受け取ったらしく、それ以上斎藤に詰め寄ることはなかった。

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