第5話(序章)椿雅子
文字数 6,080文字
店の前に着くとガラス戸から何人か人がいるのが分かった。
政広が先陣を切る。
「ごめんください」
そう言いながら戸を開くと、そこには思わぬ人間がいた。
「お、やっと来たな。って政広お前までいるのかよ」
「あれ、風雅と百乃だけって話だったけどな」
俺たちを迎えてくれたのは、去年豪生学院を卒業したばかりの
斎藤 有馬ありまと斎藤 有奈ゆうなの双子だった。
二人を認識した政広は大きい声で二人に話しかけた。
「え、何で有馬さんと有奈さんがこんなところに?」
政広の言葉を聞くや否や二人そろって笑い始めた。
「お前相変わらず元気だな。というか先に俺の質問に答えろよ」
「あーすみません。いや実は俺は今日は本当は来ていいはずじゃなかったけどたまたま付いて来たというか……」
「付いて来た? じゃあ政広には聞かせられないかもな」
二人で顔を見合わせて話している。ここまで来たというのに政広はこれ以上関われないことになるかもしれない。
「二人とも、違うんです。政広は勝手に付いて来たんじゃなくて、私が付いて来てほしいって政広に頼んだから今ここにいるんです。だから彼にも聞かせてあげて下さい」
桜も政広だけのけ者にされそうな雰囲気を察したのか、政広の言葉に付け加える。
「そういうことね……。まぁとりあえず椿さん呼んでくるから待ってろよ」
二人はそれだけ言うと、店員だけが入れるスペースから店のもっと奥まで入り込んでいった。
二人が去ったのを見届けて、俺たちは向かい合った。
「先輩たちがここにいるってこと斎藤から聞いてたのか?」
政広が俺たちに向かって言った。
「全然。お前と一緒で初耳だったよ」
「そうそう。けどびっくりだな……。椿君のとこの叔母さんと先輩たちって一体どんな関係があるのかしら?」
「さぁな、雅子叔母さんから二人の名前なんて一回も聞いたことがない」
「しかもそれだけじゃない。そもそもの話、斎藤と雅子さんがどんな関係性を築いていたかっていう点も気になるしな」
政広にそう言われた時、考えてみれば、雅子叔母さんと斎藤は何故知り合ったのだろうかと不思議に思った。
しばらく三人で話していると、先輩二人が消えていった場所が賑やかになったことに気づく。
静かにそちらを見つめていると、暖簾から一人の女が顔を出した。
俺の叔母、椿雅子だ。前に見た時と変わらない様子で、長い髪をなびかせてやって来た。
「お待たせ、風雅。それに桜さんってあれ政広、君もいたのか」
「雅子さん、その流れさっきもやったばかりなんですよ」
政広がそう言うと、雅子叔母さんは朗らかに笑った。
「ごめんごめん、二回目はつまらないから止めようか」
「そうしてくれると助かるって言いたいところですけど、俺って今日飛び入り参加なんでそこのところ大丈夫そうですか?」
「あー、そうだな……。かおるってこの事知ってるか?」
雅子叔母さんは有奈さんに聞いた。
「さぁ、私たちは何も聞いていないので多分知らないと思います」
「うーんそっか……。けどまぁ政広がいてもいいかな。きっと終生さんも気に入るはずだ」
雅子叔母さんが言うと、有馬さんも有奈さんも政広の顔を見ながら笑った。
「何で皆して俺の顔を見ながら笑うんですか」
「いい意味だから気にするな。ここで駄弁っていても仕方がないから、ほら付いて来い」
雅子叔母さんは俺たちを手引きして、暖簾に手を掛ける。
俺たち三人も大人しく先輩たちの後ろについていく。
暖簾をくぐった先は暗い道が続いていた。
店は太陽の光で照らされていたため、中の薄暗さは対照的に感じる。
この店は年季の入った外観からも分かるが、大分昔に造られた物のようで、六人もの大所帯で歩いていると、一歩足を進める度にギシギシと嫌な音がした。
「これあと二、三人増えたら床が抜け落ちそうだね」
三人の中で先頭を切った政広が桜を振り返って言った。
「確かにそうね。今は歩いているだけだからいいけど、この人数でも走ったりなんてしたらどこかに穴が開いちゃいそう」
「そろそろ改修をしても良い頃なんじゃないか?」
一番前にいる雅子叔母さんにも聞こえるように俺は声を張った。
「いいのいいの。このお店はそんなに重要じゃないから」
重要じゃない? どういう意味だろうか、と思うと同時に俺の足は止めざるをえなかった。
何故なら、前にいた政広の足を踏んづけたからだ。
「痛っ。君ぼーっと歩くのはやめた方が良い。前見て歩けよな」
その言葉に意識が戻ると、全員が足を止めて俺を見ていたことに気づく。
「悪い。だって急に止まるから」
「俺の意志で止まったんじゃない」
「先頭の私が急に止まったからね。悪かったよ」
どうやら急に止まったのは、政広ではなく雅子叔母さんだったようだ。
何か見てほしいものでもあったのだろうか。
「あー、ごめん。全員もう一歩だけ下がってほしいかな」
その声を聞き、俺と桜は一歩後ろに下がった。
「よし、ありがとう」
雅子おばさんはそう言うと、急にしゃがんで下の方の壁を手探り始めた。
「あれ? ここらへんだけどなあ」
中々目的のものが見当たらないらしい。
有馬さんと有奈さんも一緒になって壁を触り始める。
「椿さんって、ずっとここ使ってるのにいまだに装置探すの下手ですよね」
「その言葉は見逃せないな。私が見つけるのが下手なんじゃなくて、蛍聖が複雑にしすぎたんだよ」
「それ本人に言ったらどんな顔するかな」
雅子叔母さんの言い分を聞くと、有馬さんは笑いだした。
「あ、見つかりましたよ。やっぱり蛍聖さんのせいではないかも」
雅子叔母さんに代わって、有奈さんはすぐに目当てのものを見つけた。
瞬間、下の方からゴトっと鈍い音がする。
壁に意識を取られていた俺たちは驚いて、床の方を見る。
するとそこには真っ平な床に突如、取っ手が生えていた。
「え、こんなのさっきまでありましたっけ?」
政広が大きな声を出すと、有馬さんがすぐさま返した。
「魔法だよ」
「魔法? へぇどうやったら僕も使えますか? 教えてくださいよ」
あからさまにからかわれていると政広も気づいているようで、有馬さんのその言葉に乗っかった。
「はいはい、茶番はそこまで。その話はまた今度な」
雅子叔母さんが途中でぶった切った。
「じゃあ悪いけど有馬、ここを開けてくれ」
雅子叔母さんが言うと、有馬さんは先ほど現れた取っ手を掴み、上に引き上げた。
開けた場所をのぞき込むと、再び暗い空間が広がっていたが、更には下に続く階段がそこにはあった。
俺たち三人は我先に、と首を伸ばし開いた空間を見ていたため、夢中になりすぎた政広が急にバランスを崩して体が傾いた。
「おっと、危ない。大丈夫?」
桜は政広の腕を掴んで、政広が下へ落ちるのを防いだ。
しかし、俺はというとこれもまた桜と同じように反対側の政広の腕を掴んでいたため、政広は両腕を掴まれた間抜けな体制をとる羽目になっていた。
「ありがとう。二人とも助かったよ」
「あんまりはしゃぐな。二人がいなかったら君、この階段を転げ落ちてたかもしれない」
雅子叔母さんが言った。
「そうは言うけど、俺も驚いたよ。まるで秘密基地みたいじゃないか」
俺の返しに雅子叔母さんは笑い出した。
「そうか。幾つになってもこういうのは心がくすぐられるものだったな」
「私もちょっと今わくわくしてます」
「私も最初、お母さんに連れられてここに来た時はドキドキしたな」
桜、有奈さんの同意が続いた。
「皆考えることは一緒だな。まぁ元々ここは地下で漬物を漬けてる場所ではあったんだ。ただ、この地下に続く仕掛けをいじったのは蛍聖だけどね」
「そうだったんですね。一番遊び心が豊富なのは蛍聖さんかもな」
雅子叔母さんの説明に有馬さんが言った。
俺たちは、地下に続くという階段を一歩一歩、ゆっくり降り始めた。
地下なだけあって、夏の暑い日差しが猛威を振るい、気温が高い地上とは違ってだいぶ涼しい。
日差しが一切入らないため、先頭にいる雅子叔母さんの持つランプだけが頼りだ。
階段を下りるにつれ、この店に入った時から香っていたぬかの匂いがだんだんと強くなっていくのも感じる。
それもそのはず、階段を降りきったおれたちの目に最初に入ったのは多種多様な壺だった。
暑さを感じないこの地下なら、中々良い漬物が出来上がりそうなものだ。
「わぁ、すごい数の漬物ですね」
目の前に広がる光景を見て桜が言った。
「結構ここの漬物は味がいいんだ。お土産に持って帰るといい」
「美味そうだけど俺たち確か、寮には外で買ってきた食べ物とか持ち込んだらいけなかったはず」
政広の言葉に雅子おばさんは意外そうな顔をした。
「そんな規則あったかなぁ。二十年以上前の話だと学校のことも色々変わってるもんだな」
「別にこっそり持ちかえることも出来なくはないけど、俺たちの担任は中々面倒なやつなんだ」
「面倒?」
「あぁ。俺と政広には特に目をつけてるやつでさ。今日だって俺は一人で教室の掃除を命じられてたけど、無視してここに来た」
「高田先生があなた達二人に厳しいのは、今日みたいなことを平気でするからでしょう? 私とか他の生徒にはそんなことないはずよ」
桜が眉をひそめて、俺に言った。
「じゃあなんだよ、今日お前との約束を無視して一人惨めに掃除しておけば良かったってことか?」
「……今日はまた話が違ってくるわ。そもそもそんなことを命じられるようなことをしなければいいってことを言いたかっただけよ」
「どうだかな。僕と風雅、特に風雅に関しちゃ、高田は生涯の仇かと思っているような目で、風雅の言動に目を光らせてる。百乃が同じ事をやったってそうはいかない気がするよ」
俺の劣勢を見かねたのか、政広が助け舟を出してくれた。
「口を挟んで申し訳ないけど、高田って高田淳だったりする?」
俺たちのやり取りに口をつぐんでいた雅子叔母さんが突如言った。
“高田淳”なんてあいつがそんな洒落た名前だったか、と記憶を辿る。
「淳? あー、下の名前なんて気にしたことなかったからな」
「確かに政広と同じで先生の名前なんて気にしたことなかったけど、言われてみれば高田淳だったような……」
政広も桜も曖昧なようだ、なら俺が知っているはずもない。
「多分、下の名前淳であってると思いますよ」
悩む俺たちに突然正解を告げたのは、有奈さんだった。
「よく知ってますね。卒業する前、二人の高田が担任だったりしました?」
「そうそう。私たちの担任をお母さんがやる訳にもいかないから。それで数が絞られたのか、ほとんど高田が担任を務めてたんだよね」
お母さんは担任が務められない?
まるで豪生学院に母がいるかのような言い方だ。
思い起こしてもそんな人間は思い当たらない。
「……もしかして有馬さんと有奈さんのお母さんって斎藤かおる先生だったりします?」
横で桜がそう言ったが、俺はすぐにはその内容が理解出来なかった。
斎藤かおるってこの件の話を持ち出した、あの斎藤か?
「何だか初耳みたいな言い方だな」
俺たち三人は有馬さんのその言葉に顔を見合わせる。
「あれ……、もしかして本当に知らなかった?」
三人でそろって頷く。
「うわ、てっきり知ってるものかと……。まぁ知らなかったなら仕方がない。改めて言うと、斎藤かおるは俺たちの母さんなんだ」
「え、本当に今初めて知りました。何で今まで話してくれなかったんですか」
政広が驚きに満ちた声で言うと、有奈さんも負けじと返した。
「隠してた訳じゃなくて、とっくの昔に話した気になってたのよ。だからさっきもお母さんの話したけど、それは知ってる前提で話しちゃってたの」
言われてみればさっきも二人の母の話が出ていた。
しかし、これで漸く意味が通った気がする。
「俺も全然気が付かなかったです。よくよく考えれば苗字が一緒だし気づいても良かったかもしれないのに」
「そうだよ、と言いたいところだけど斎藤なんてありふれた苗字だしな」
「それもそうね。まぁこれで三人とも知ってくれた訳だから、これからはこれを前提で話をするからそこのところよろしくね」
「勿論です。ところで、さっき雅子叔母さんが言いたかったことって何なんだ?」
ひと段落したところで、宙に浮いていた話を戻す。
「あぁ。今の新事実に比べたら本当にどうでもいいことだから、なんだか言いづらいな」
「雅子さんも斎藤家の話知らなかったんですか?」
「いや、私はもちろん知っていたよ。斎藤かおるとは君たちと同じく、豪生学院で出会った仲だからね」
「へぇそうなんだ。逆にそれ、私たちも初耳です。古い仲だとは聞いてましたけど」
有奈が言った。
「そうそう。で、かおるだけでなくて、高田淳も同じく私たちと同胞だったっていう話さ」
「叔母さんと高田が?」
「あぁ。高田が、あの高田だとしたらそうなる」
「うへぇ。じゃあ風雅が高田に目つけられてるのって雅子さんのせいじゃないですか?」
政広が苦虫を潰したような顔で言った。
「私が高田に何かしたって? いやぁ、そんな覚えはないけどな」
「よく思い出してくれよ。そのせいで俺が割を食ってるかもしれないんだから」
俺が非難じみた声で言うと、雅子おばさんは笑い出した。
「分かった分かった。思い出したらその時はまた風雅に教えるから」
「頼むよ。この一年、いやもしかしたら今後の学生生活全部が懸かってる」
「僕からも頼みますよ。ほら、僕と風雅って一蓮托生の仲だから」
政広がそう言うと、雅子叔母さんは俺たち二人の頭を掴んだ。
あまりに強い力に、ミシミシと音がしそうなほどだ。
「それはいたずらをする上での仲。という意味じゃないだろうな?」
「痛てて、違いますよ。そのままの意味ですって」
「ほう、ならいいけど。じゃあもう行くか、終生さんも首を長くして待ってるはずだ」
漸く解放された頭はまだズキズキと痛む。一体どれほどの強さで握られていたのだろうか。
改めてこの空間を見ると、階段を下りてきて最初に着いたこの部屋からは、通路が四本に分かれているのが分かる。
「この四本の道はそれぞれどこに繋がってる?」
「この道はそれぞれ進んでいくと、途中でまた分かれ道があって一周回れるようになっている。詳しいことはまた紹介するとして、今日用があるのはこの道だ」
雅子叔母さんは四つある内の一つを指さした。
「薄暗いからな。足元には気を付けて」
雅子叔母さんに連れられ、通路に入ったがそこは中々の狭さだった。
一列に並ばないと、壁に体を擦る羽目になる。
「こんなに狭い通路、どうして作ったんだろう、実用性に乏しすぎる。秘密基地を愛する人間のために造られたといっても信じられる」
政広は辺りを見渡している。
「確かに政広の言う通りかもな。この地下室の本来の目的はさっきの中央の部屋だけで完結している。この通路四本は、本来とは違う目的で広げられたんだ。そしてその目的とは……君にとっては劇薬かもしれない」
雅子叔母さんは、途中までは政広に向かって話していたようだったが、最後の一言だけは、俺に向けて言っているように感じてならなかった。
しばらく歩くと、明かりが漏れている場所にやってきた。
薄暗かった通路に慣れた目にとっては、明るい光が漏れるその一角は眩しすぎて、俺は目を細めた。