第2話(序章)椿風雅

文字数 5,634文字


「なんか最近世の中物騒だよな」



三限の授業が終わると政広がふとそう言った。

昨日夜中にはしゃぎ回ったとはおもえないほど、政広の声ははっきりとしている。



「物騒? 何がだよ」



俺はと言えば対照的につい、あくび交じりの声が出てしまった。



「まだ眠いのか? もう三限目だろ。ほら、これだよこれ」



政広は分かっていない。三限目だからこそ来る眠気というのもあるのだと。

俺は前に座る政広の肩越しに何を見ているのか窺うと、そこには大きく開かれた新聞紙が政広の机を覆っているのが目に入った。



「圃鄭研究所ほてい研究所職員逮捕。不同意の人体実験を行ったとして七月五日逮捕ってこれ昨日の話かよ」

「そりゃこれには最新の情報が掲載されるだろ」 

「それもそうか。というかこの研究所どこかで聞いたことがある気がするんだよな」

「君のとこの研究所か?」

「いや、それを言うなら俺の親戚のところだな。うちは研究所は持っていないんだ」

「へぇ、研究は分家にお任せってところか。しかしまぁ相変わらず君のとこは物騒だな」

政広に同意し、どう実家をこき下ろしてやろうかと考えていると、



「時間だぞ、席に着け」



この学校で一番耳触りの悪い声が聞こえた。

休憩時間はあっという間に過ぎ、四限目が始まる時間になったらしい。

眠気がいい勝負をしているおかげで、とてもじゃないが今からの時間に集中できそうになかった。



時計を見ると、授業が始まってからたったの十五分しか経過していない。

体感的には三十分は過ぎたものだと思っていたため、ほんの少し残っていたやる気が完全に削がれてしまった。

周りの者はどうか、と前の席に座る政広を見ると、黒板なんかそっちのけで、退屈そうに窓の外を覗いているのが分かる。



俺も政広に倣って外の様子をのぞくと、どこかのクラスが飛び箱の授業を行っている風景が広がっていた。

今日は俺たちの棟からは体育の授業は無い日だから向かいの棟の生徒たちか、と思うと同時に、ふと昨日の夜、いや今日の朝と言った方が適切か、校則を破った俺と政広の二人以外にも、同じく校則を破った勇気ある二人がいたことが思い出された。



名前しか知らないが、もしやこの中にいるのではないかと思い、まじまじと上から、跳び箱を飛ぶ生徒全員の顔を一人ひとりじっくりと見つめる。



しかし、棟と棟を阻む距離は中々のものであった上に、昨晩のあの暗がりの中では、結局顔を認識することが出来ず、この三十人ほどいる生徒の内の二人が、お目当ての二人かどうかなんて到底わかるはずもなかった。

二人を探すにはあっちの棟に行って直接訪ねるしかないのだと思うと、今俺がやっていることが何の意味もないことだと気が付いてしまい、急にシラケる。



あと三十分、つまらないが古典の授業を真面目に聞いてやるか、と教室の中に意識を戻すと、俺の机の上に俺以外の影が大部分を占領していることに気が付く。

おそるおそる上を見上げると、俺たちの教室の担任である高田が、俺を親の仇かと勘違いしているような鋭い視線で見つめていた。



「いいご身分だな、椿。俺の授業を聞かずに優雅に外を眺めるとは」



俺の授業中の態度が褒められたものでないということは重々承知の上だったが、

「いいご身分」という言葉がどうしても俺の仲で引っ掛かり、どう返したものかと考えていると、外の様子に気をとられていたはずの政広が、いつの間にか振り向き、俺に代わって高田に弁明を始めた。



「高田先生、椿君は今日ちょっと体調が悪いみたいなんですよ。だから今日のところは見逃してあげてください」

「具合が悪い? そうか、それは悪かったな。じゃあ代わりに杉、お前が黒板の歌の意味を答えろ」



体調が悪いという政広の主張をはなから信じていないといったように、高田は俺に一瞥を投げると、政広の机を指でたたき自らの問いに答えるよう催促する。

俺をかばったばかりに、政広が高田の餌食にされてしまった。

高田の思わぬ指名に、思わず二人して目を合わせた後、政広は黒板に向かっていく高田の背中に向かってべっと舌を出した。



“思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを”



黒板には、高田の無駄に几帳面な字で、そう書かれていた。

ギィと鈍い音を立て、政広の椅子は床と擦れる。

俺の身長よりは少しだけ低いものの、政広の身長もなかなかの高さである。

目の前で立たれると、少し迫力を感じた。



「えぇっとこの歌は、【思いながら眠りについたので、あの人が夢に現れたのだろうか。 もし夢とわかっていたなら覚めなかったろうに】という意味だと解釈されていますが、眠与者の視点から言えば、この歌を詠んだ者は、恋い慕う相手にきっと眠りをかけられていると考えられます」



「大方はあっているな。まぁしかしお前のことだ、手元の教科書をそっくりそのまま見て言っているんじゃあないだろうな?」

「いえ、誓ってそんなことはありません」

「ほう、まぁいい。座れ」



少し詰められたものの、割とすぐ解放された政広は、ドカッと音を立てて椅子に腰を下ろした。

それを見届けた高田は、板書をすすめながら政広の答えに付け加えていく。



「眠受者のこの歌の見解は先ほど杉が言ったままで間違いない。だが、我々眠与者の立場からこの歌を考えると、また違った読み取り方ができる面白い歌だと考えられる。国家試験にも頻出だからな、覚えておくように」



この世の人間を分けるとすると2つに分けられるとされている。

一つ目は、俺たち”眠与者”と呼ばれる人間たち。

俺らは、眠りのエネルギーを保有している人間だ。

この世の中にいる人間が眠るために必要なエネルギーを俺たち眠与者が独占しているということであるが、このエネルギーの利用は眠りだけでなく、俺たち眠与者が活動をする上で使われるエネルギーとしても利用されている。



眠受者がエネルギー補給のために食事をするのと同様に、俺たちも食事をするが、それはエネルギー目的ではなく、単に娯楽のためといった部分が大きい。

なぜなら、俺たちが主に日常活動で使用しているエネルギーとは、眠エネルギーであるからだ。



眠与者という呼び名からして、俺たちは眠りを与えるだけで、眠りは必要ないようと思うかもしれないが、そうではない。

俺たちも眠受者と同じように睡眠を必要としている。寝ている間に、活動エネルギーにもなる眠エネルギーを回復しているからだ。



そして2つ目が”眠受者”と呼ばれる人間たち。

彼らは眠りのエネルギーを持っていない。つまり俺たち眠与者の持つエネルギーがなければ眠受者が眠りにつくことは決してない。

そして彼らは、俺たちの眠エネルギーに自分の眠りが左右されていることを知らない。



俺たち眠与者が眠受者にどのように眠エネルギーを渡すのかと言うと、大きく分けて2パターンある。

一つ目は先ほどの歌の中で出てきた二人のようなパターンだ。眠与者は自らが持つ眠のエネルギーを、眠受者に向けると、それを受けた眠受者は途端に眠りについてしまう。しかし、これには弱点があり、その場にいる一人だけに狙って眠らせることが出来ないという点だ。時と場合にもよるが、大体教室ほどの大きさであれば眠与者はその場にいる眠受者を全員眠らせることが出来る。

これは、一人を狙って眠らせることはできないが、この時代に行きつくまでに数多くの犯罪に使われてきた行為で、現在は法律で禁止されている。



二つ目の手段として、眠与者が生きて生活をする上で自然と放出される眠のエネルギーを、眠受者がこれまた自然に体内に取り込むというものがある。

これが、主に眠与者と眠受者の間での眠エネルギ―のやりとりに使われているものだ。

俺たち眠与者はただ生きているだけで眠のエネルギーを分散させていて、眠受者はそれをいつの間にか取り込んでいる。



眠受者と眠与者の最大の違いとして挙げられるのが、俺たち眠与者は眠のエネルギーのやりとりを知っているが、眠受者はその存在を知らないということだ。

いや、正確には知りようがないといった方が正しい。



世の眠与者たちの多くは、自分たちがいないと眠りにもつけない存在として、眠受者たちを下にみているものが多い。そして、社会の機関の最上位に位置する役職につくのは眠与者が多い。人口の割合で考えると、眠与者の方が圧倒的に眠受者よりも少ない数のはずだが、眠与者たちは眠受者たちを押しのけ、多くの場合トップ層に君臨し、世の中を自分勝手に回している。



もちろん、眠受者の中にも、国の機関のトップに立つ者もいる。

現に今の国の総理大臣は眠受者であるとされている。

ただ、眠受者たちは国会議員や、眠エネルギーの研究所の研究員等、眠エネルギーを持つものと持たない人間がいるということを理解せざるをえない立場になってからやっと、俺たちを隔てるこの概念を知る。



偉そうにこの世にはびこる眠与者たちは、このほんの少しの限られた数の、眠エネルギーについて知らざるを得なくなった眠受者たちが決してこのことを他の眠受者たちに広めないように口止めをする。

それがどんな手段を使っているのかなんて考えたくもない話である。

このため、眠与者だけがこの世の事実を知っているという不平等な社会が出来上がっている。





“キンコーンカンコーン”

俺の代わりに政広が目をつけられた後も、俺に火の粉が降りかかってくることは無く、高田が発する言葉を、ぼーっと聞いているだけの時間を過ごしているといつの間にか昼休みの時間になった。

教科書を片手に持ち、熱心に歌を詠んでいた高田も授業の終わりを告げるその音で、パッと時計を振り向く。



「しまった、もうこんな時間か。仕方がないからこの続きはまた次回。しっかり予習復習をしておくように。号令っと、その前に椿風雅はこの後すぐ、一人で職員室に来るように」



今日は珍しく見逃してくれるのかと思いこんでいたが、どうやら勘違いだったらしい。

しかも、教室での説教ではなく、わざわざ職員室まで来いという誘いだ。

どう考えてもねちっこく責められるに決まっている。

どうやっても行くべきではないとしか考えられない。

学級委員の桜の”起立”の声で全員が椅子をガタガタといわせた。



「気を付け、礼」

「ありがとうございました」



「風雅、君災難だったな」



高田が教室の扉をくぐり終えるのを見届けた後、すぐさま政広は俺の方を振り向いた。

「災難どころじゃない。うざったい説教のお言葉をこれから一時間みっちり聞かされるんだ」



もうすぐ夏休みのこの季節は、一年の中で一番と言っていいほど暑い。少し伸びた前髪が額に張り付き、鬱陶しい。



「おーおー、男前は髪をかき上げるだけでも様になるねぇ」

「茶化すなよ」



また前髪をかき上げてやると、政広はにやっと笑って



「ほら、高田が待ってるぞ。早く行ってこい」



職員室へと俺を急かした。



「あぁ。なるべく早く終わらせる。そうだ、ついでにさっきの四限の課題、俺がいない間にやっておいてくれてもいいんだぜ」

「昼休みが終わる前までにお前が高田から解放される自信があるっていうなら」

「任せろ」

「じゃあ終わらせて君のこの机の中に直接突っ込んでおくから、さっさと帰って来いよ」

「有難いけど、その音バンバンうるせえよ」



机の中を叩く政広の手を掴むと、

「椿君」と俺を呼ぶ声がしたため振り返る。

するとそこには学級委員の桜百乃が、冊子を片手に持ち立っていた。



「申し訳ないんだけどこれ、高田先生に持って行ってくれない?」

差し出されたものを見ると、それは”二組 指導書”と書かれたノートだった。

「誰のなんだよ、名前も書いてねぇけど」

「三限目は教卓の上には無かったから、十中八九高田先生のだと思うのよね」



そう言われてよくよく手元のノートを見ると、確かに黒板に書かれた文字とよく似ている気がする。



「あぁ、高田のか。それは分かったけど、何で俺が高田のノートを持って行かなきゃいけないんだ」

「だってさっきの話じゃ椿君は今からすぐ職員室の高田先生のところに向かわなきゃいけないんでしょう?」

「好きで、今から一階まで階段を下るんじゃない」

「そんなこと分かってるわ。とにかくこれ、お願いね」



無理やりノートを押し付けると、桜はさっさと俺に背を向け、群れになる女子のところへ歩を進めた。

誰がついでとは言え、嫌いな高田のためにノートを届けてやらなければならないんだ。



「おい、勝手に人に押しつけるなよ」

「え? 嫌だった?」



俺の非難の声に振り返った桜は、心外だという顔をしていた。



「逆に俺が高田のためにノートを届けることが嫌じゃないとでも思ったか?」

「だって、ただついでにノートを届けるだけじゃない」

「そりゃついでだが、俺は高田が心底気に食わないんだ」

「あぁ、なるほど」



怪訝な顔をしていた桜は、納得がいったというような顔をした。



「じゃあ私が直接高田先生に届けるから、一緒に職員室へ行きましょう。それならいいでしょう?」



俺の手を掴んだ桜の手の力は、体格のわりに、どこからそんな力がでているのかと思うほど強かった。



「おい、だれが一緒に行ってほしいなんて言った?」



教室の戸に向かってどんどんと進んでいく桜を止めるために、俺は足に力を込めた。



「もう、急に止まらないで。それにあなたに待つ時間なんてないと思ってたんだけど?」



どういう意味かと、桜の目線を追うと時計の針が、授業が終わってから十分も過ぎていることを示していた。



「ね? だから早く行きましょう」



桜の言う通りにするのは少し癪ではあったものの、俺が高田のためにノートを持っていくよりかはマシと思い、素直に二人で職員室に行くことを決める。



「あぁ、分かった。行く気になったからとりあえずこの手を放せ」

「はいはい、放してあげる」



桜の手から解放され、二人で教室を出ようとした途端、後ろから政広が声をかけてきた。



「おい風雅、ちょっと待て」



しかし、桜に急かされた俺は職員室に一刻も早く出向き、高田の説教の時間を少しでも減らすことで頭がいっぱいだった。



「悪い政広、また後で聞く」
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