第1話(序章)光の粒

文字数 5,424文字


「おい、おいってば。」

聞きなれた声が、まぶたを一向に開けようとしない俺の意識を無理やり妨げる。



「ちっ、この寝坊助が。」



あとどのくらい強く声を張り上げられたら目を開けようかと逡巡していると、ずっと強く握りしめられ、激しく揺さぶられていた俺の肩が急に解放されたのを感じた。

残念なことに、今日はあっさり諦めてしまったらしい。

たった今消えた気配を探るために、目を開けると、そこには俺に背を向け、窓に向かっている杉政広すぎまさひろがいた。

頭を掻きながらドスドスと歩くその後ろ姿に、一人だけ先へ行くな、と俺はベッドから身を乗り出し、遠ざかるその右手をガシッと掴む。



「おはよう。いや、違うな。ついさっき俺たちは布団に入ったばかりだ。

こんばんはの方がまだ合ってるように思える」



ちらりと見た時計は、午前二時を指していた。学校という場で勉強に体育、頭も体も酷使した人間たちが起きるにはまだ早い。

先へ進もうとも俺の掴む手のせいでどうにも動けなくなった政広は、しぶしぶ俺の方を振り向いた。振り向いた政広の顔はいつもの、してやったりといった右の口元だけ少し引き上げ、ニヤっとした表情をしていた。



「ようやくお目覚めか、寝坊助君。ほら、体を起こせ」



掴んだ右手をサッとあしらわれ、政広は一人窓に向かって再び歩き始めた。



「寝坊助って言ったってまだ二時だろ? 起きている方が変だと思われる時間帯だ」



政広にならって地面に足をつけ、窓に向かって足を踏み出したが、真夜中だというのに足取りがはっきりしている彼とは違い、俺の足取りはまだおぼつかない。



「……、じゃあ君は大口を開けたみっともない面をさらしてまだ眠っていたら良い」

政広はそれだけ言うと、窓に足を掛け、上へと軽々しく飛び上がった。



「気を悪くするなよ、俺はまだ眠い。一人で上ったんじゃあふらついて屋根から転げ落ちるのが目に見えてる」



窓に足をかけ、一人先に屋根に上ってしまった政広にも聞こえるように少し声を張り上げると上からにゅっと、彼の手だけ伸びてきた。



「ほら、さっさと上がってこい」

その声に押され、俺も先ほどの広大と同じく足を窓のふちにかけ、掴んだ右手に思いっきり力をかけると、ふわっと体が浮き、気が付いたらごつごつとした感触を尻に感じていた。



「重っ。君全体重をかけたんじゃないだろうな?」

遠慮という言葉を知らないな、と隣で手を擦りながら政広はぼやいた。

「俺の全体重はこんなもんじゃない。お前もまだまだだな」

「よく言うよ」



俺たちが通う、豪生学院は十二歳に入学し、十八歳になるまでの六年間の間生徒全員が共に寮生活を送るという寮制度を導入している。

生徒たちは皆、俺たちがいるこの建物ともう一つ、向かいにある建物に全員が寝泊まりをしている。



「で? 結局お前はぐっすり寝ていた俺を何で起こしたんだよ」

「何でってそりゃあ、いつものだよ」



ほら、と顎で上を指したあと、仰向けになって空を見上げる政広にならって俺も隣に寝そべり、目を開けるとそこには真っ暗な闇の中にきらきらと輝く満点の星空が広がっていた。



「な、綺麗だろ?」



政広はよっぽど星が好きなのか、たまにくる快晴の日には、寝ている俺をたたき起こし、こうやって屋根まで俺を連れてくる。

幸い、俺たち二人の部屋は最上階で、角部屋なため広大の行動に気が付く者はおらず、咎める人間もいない。

出会ったばかりの時にこうして真夜中に起こされたときには一体何が起こったのかと飛び起きたものだが、それも今となってはいい思い出である。



「お前って本当に星好きだよな」

ずっと見つめているとその輝きに目がチカチカしてしまいそうで俺は横にいる政広の方を見る。

「まあな。ほらあれ見ろよ。中々綺麗に見える。」

政広は宙に向かって指を差した。

「あぁ、天の河か」



空には、星たちの粒が集まり、帯状に見える天の河が見える。



「そう。今日は天気がいいからよく見える」



夜中の今、昼と比べると比較的涼しい気温とはいえ、夏のこの時期はどうしても暑い。

屋根と背中に挟まった寝間着に、汗が染み込むのを感じる。



「しかし一年に一回しか会えないってどんな気持ちなんだろうな」

「織姫と彦星の話か? まぁ限られた日しか会えないからその一日を楽しみに一年頑張るんじゃないか?」

「織姫は機織りを、彦星は牛の世話に精を出す。良いことのように聞こえる。

でもそれってお互いの存在を神に人質として取られてるといってもいいんじゃないかって最近思うんだ」

「人質に? まぁ確かに二人が出会ってしまって、その役目を放棄したっていうなら、二人にとってのその役目とは、進んでやるような価値を見出せるものでは無かったということ。けど、二人が出会ってしまってからは、お互いの存在が何より大事なものだからその役目を放棄できない、と」

「そうそう。神ただ一人にとって都合のいい話なんだ。……君だったらどうする?」

「俺が同じ立場になったら……」



考えるが、答えは見つからない。



「……分からない」



正直にそう言うと政広はにやっと笑った。



「分からないか……。けど僕は分かるんだなこれが」

「やけに自信満々じゃねぇか。言ってみろよ」

「……それは君が考えることだ。今日は僕の場合の話をしよう」

「何だよ。もったいぶって言わないのか」

「僕はさ、相手が僕にしてほしいことをしてあげられる」

「……答えになってなくないか?」



しばらく政広の言葉を自分の中でかみ砕いてみたが、全く形にならなかった。



「なってるよ。いつか分かる。それより向かいをほら見ろよ。あっちの棟でもだれかが俺たちと同じように空を見てる」



政広の指の先を目で追うと、そこには確かに俺たちと同じく屋根の上で仰向けで夜空を眺めている二人組がいた。



「あいつら知ってる奴かな? 風雅、君見覚えあったりしないか?」



政広は目を凝らして向かいのやつらを見つめているが、誰よりも友好関係の広い彼が知らないのなら俺が知っているはずもなかった。



「さあな。遠目に見る限りじゃわかんねえな」

「だよなぁ。うーん、これも何かの縁だし思い切って名前聞いてみるか」



聞いてみる? 二つの棟の間にはなかなかの距離がある。一体どうやって聞くのか、と俺が頭の中で考える隙も与えずに、政広は向かいの二人に向かって声を張り上げた。



「おーい! 君たち! 名前教えてよ!」



こそこそと他のやつにばれないように、二人で度々この星空を見るのを密かに楽しんでいたにも関わらず、経った今、横にいるこいつはぐっすり寝ている奴らを全員起こしたいのかというほどの大声を出してしまった。

慌てて政広の口を塞ぐが、もう遅い。



「お前っ、ふざけてるのか? 今の声で高田まで起きたらどうする」



俺たちの担任の高田は、学年主任で、怒らせるとなかなか面倒なタイプの教員だ。屋根に上っていたことがばれる前にさっさと退散してしまおうと急いで立ち上がり政広の手を引っ張るが、俺の焦りとは反対にのんびりとした口調で



「ちょっとだけ待たしてくれよ。ほんの少しだけ」と、俺がいくら腕に力を入れようが動かないため、俺は諦めて再び政広の横に腰を下ろした。



「あいつらだって屋根裏に上ってたのバレたくないだろうし、返事なんて到底返ってくるわないだろ」



だから部屋に戻るぞと言っても政広はジッと真向いを見つめ、動こうとする気配は全く感じられない。

普段はそう感じられないが、政広はふとした時に、頑なに自分の意思を曲げない頑固さが垣間見れるときがある。今日はついていないことに、その日らしい。



「これは予想でしかないが、とても素晴らしく響き渡る僕のこの声はきっと一階まで響いているだろう」



だから今逃げたってもう無駄さ、とあっけらっかんと言う政広に、俺は気づかないうちに入っていた肩の力がすうっと抜けたのを感じた。

二人で夜空を見るという、この貴重な時間を手放すのは惜しかったが、今後二度と来なくなるわけではない。真夜中に自分たちと同じように屋根にいる人間と、大声で言葉を交わすという、今しかできない体験も悪くはないと思い、素直にこの状況を楽しむ政広に俺も乗っかることを決めた。

突如、向かいから発された声が辺りに響く。



「ノブユキ! それとアケミ!」



何の変哲もないこの夜に、奇跡的にあほが四人集結したらしい。

先ほどの政広の急な問いに多少困惑していたように見えた二人だったが、ようやく状況を理解したのか目一杯の声で返事をしてくれた。



「おい、聞いたか? ノブユキとアケミだってさ」

「あぁ、聞いたさ。良い名前だ」



政広に同意を示した後、俺は勢いよく吸えるだけの息を吸って声を振り絞った。



「俺らは! 政広と風雅! よろしくな!」



こんなに大きな声を出したのは久々かもしれない。今の声を聞いた政広はどんな反応をしているだろうか、と様子を窺う。

隣にいる政広は俺が思い描いた通り、お腹を抱えて屋根の上で笑い転げていた。



「君のそんな大声久々に聞いたかも。だめだ、面白過ぎる」



政広は笑い過ぎて、息を吸えないほど笑いがこみ上げているようだ。



「笑いすぎだろ。それにしても明日にでも眠受者の棟に行ってみて二人を探してみるかな」



丸まったまま肩を震わせる政広をしばらく見つめた後、二人の顔がどうにか見えないかと、再び向かいを再び見ると、先ほどまで、のんびりと逢瀬を楽しんでいるように見えた彼らが、急に慌ただしくうろたえているのが遠目からでも感じられた。

どうしたのだろうか、と辺りを伺うと向かいの棟の最上階の部屋からこちらを見上げる瞳と視線が交わる。

さすがにこの騒ぎに目覚める奴が現れたようだ。



「おい政広、向かいの棟のやつがこっちに気が付いてる。多分こっちの棟の連中も何人か窓から様子を窺っているだろうな。今度こそ部屋に戻るぞ」



慌ててまだ寝転がったままの政広の腕を引っ張ると、ぐえっとカエルのような声を上げたが、今度は満足したのか大人しく俺に連れられ、行きと同じように窓をくぐり、二人で無事に部屋まで辿りついた。



「生徒の何人かは絶対に気づいてるけど、高田にはさすがにばれてないと信じたいところだな。ご丁寧に名前も名乗ってることだし言い逃れは難しいしな」



なあ? と声をかけるがそういえば、と先ほどから妙に大人しく声を出さない政広に疑問を抱いて後ろにいる彼を振り向く。

すると、先ほど名乗り合った二人に手を振り続ける政広の姿がそこにはあった。

残念なことに政広が振る手の先の彼らは、部屋に戻るので精一杯なのか政広の振る手に返そうとはしない。



「おい、いつまで手を振ってるんだ。もうさすがに今日は寝るぞ」

「なんか全然手振り返してくれないんだよな」

「当たり前だろ。あいつらだってきっとばれたくないんだ」

「今日は中々特別な日になると感じたんだけど。仕切りが悪いなぁ」

「これが特別でなかったらお前にとってはいつが特別なんだよ。今日はもう寝て明日、二人を探しに行こうぜ」



窓のそばから一向に動こうとしない政広の肩を掴み、力づくで窓から見て左側の彼のベッドに押しやろうとする。



「向かいの棟って言ったら眠受者の棟か……。 うん、それもそうだな。よし今日はもう寝よう」



俺の押しやる力に加えて、政広の自力により、政広の体はあっという間にベッドに沈んだ。

それを見届けた後、俺も反対側のベッドにもぐりこみ毛布を着こむ。



「じゃあな、明日に備えて今日はもう大人しく寝ろよ」

「あぁ、もちろん任せて」



政広の良い返事に俺は睡魔に身をまかせようと目を閉じた。

先ほど屋根の上にいた時は微塵も感じなかったが、睡眠の途中でむりやり覚醒させた体は未だ睡眠を欲していたようで、外で響く虫の鳴き声が鮮明に聞こえるほど静かな部屋の中で目を閉じると、あっという間に眠気に全身が支配される。

明日も政広と一緒にいたら騒がしい一日になることは間違いない、さっさと意識を、迫る眠りにすべてを任してしまおうとふっと意識を遠のかせた最高の瞬間、邪魔が入る。

それは隣で俺と同じく眠気に襲われつつあるはずの、政広だった。



「あ、それとさっきの特別な日ってやつ訂正いれたいんだけど」



まだ眠る気がないのか、勘弁してくれと思いつつもなんだかんだ政広の話は無下にできない自分がいる。

体は八割睡眠状態に入っていて、指先の一つも動かせない状態ではあるものの、なんとか頭を働かせ、口をかすかに開く。



「さっきの?」

「そう、さっきの特別な日ってやつ。あれ、よくよく考えたら二人に手を振り返してもらわなくったって今日は特別な日だったなって」



政広はついさっき寝る前の挨拶を交わし合ったというのを忘れてしまったとしか思えないほどハキハキと俺に話しかける。



「へぇ、」

俺も訂正したいよ。八割体は寝てるって言ったけど、もう9割9分は寝てる。政広がしゃべる音は耳に入ってくるけど、言葉として理解できない。

明日は何をするんだったけっな……、



「うん。だってさ、君と一緒に夜空を見れたから……」



返事が返ってこない風雅に、政広は不思議に思い隣を見るが、返事が返ってこないのもそれもそのはず、風雅は睡魔にあらがえず既に寝息を立て、ぐっすりと眠ってしまっていた。

またさっきと同じように無理やり起こしてやろうか、とも一瞬頭によぎる政広だったが、あまりにあどけなく眠る風雅の顔を見ると、さすがの彼の政広の良心も痛み、残念だが明日に持ち越すことを決めた。

「おやすみ、また明日」

そう風雅に告げると、政広は薄い掛け布団に潜り込み、静かに目を閉じた。

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