第6章 風来坊

文字数 3,491文字

6 風来坊
 写真家は、転校した風来坊なので、相去小学校最期の日々を目撃していないに違いない。創立100周年は廃校の前年である。相去小学校は1976年3月末に相去第二小学校・鬼柳小学校と共に南小学校に統合、創立1101年でその歴史を閉じる。

 南小学校は相去町に属しているが、平野ではなく、高台の西の方にある。そこは葛西檀と呼ばれる地区で、坂道を登って新興住宅地の大堤を通り、新国道4号線を渡ったところだ。

 統合の前に、児童が相去小学校の備品を南小学校に運んでいる。相去小学校から南小学校まではおよそ3Kmある。東北本線の上に架けられた陸橋を渡り、かなり急な坂を登らなければならない。。その道のりを地球儀や人体模型、三角フラスコを児童が抱えて歩く光景は、寺山修司が見たら泣いて喜びそうなキッチュパレードである。「さよならだけが人生。ならばまたくる春はなんだろう」(寺山修司)。

 廃校になった後、友だちと校舎の仲を探検したことがある。古いレコードが放送室に散乱していたり、大量のサインペンが職員室の床に転がっていたりするなど荒れている。幽霊が出てきそうな廃墟だ。これがこの間まで自分達の通っていた学校なのかと呆然とし、これは死骸なのだと思ったことを覚えている。歩道橋の蛾のように相去小学校は死んだのだと感じ、もう2度と足を踏み入れるべきではないと痛感する。

 その後間もなく校舎は取り壊され敷地内で焼却される。燃え上がる炎の中に、作業着姿の大人が板や袋を次々に放りこんでいる光景を校門の辺りから見つめ、火の勢いに恐怖したことを記憶している。それは祖々父母から4代に渡って通った相去小学校の火葬に思えたが、寂しさはあったものの、残念とは感じない。。南小学校に愛着をすでに覚えていたからだ。

 南小学校は、全面ガラス張りの職員室や壁のない開放的な図書空間、天窓のある美術空間など実験的で意欲的な校舎デザインで、すぐ魅了されてしまう。巨大な防火扉などを除き極力空間を閉鎖するドアを設置せず、ガラスをふんだんに使って光を入れ、階段を含め壁や床に柔らかな樹脂素材が使われている。。おまけに、水洗トイレにセントラルヒーティングだ。児童も、相去小学校の時と比べて、落ち着いた感じになっている。その後も含めてこれほど快適な学校は経験したことがない。それらの校舎は建築の人間に与える心理的影響を軽視した箱にすぎない。南小学校の時は、校長のみならず、担任も他の教師の記憶もある。だから、相去小学校に未練はない。

 相去小学校の校舎部分の敷地は平地に戻されたが、プールと講堂、渡り廊下のトイレ、土俵だけは残されている。統合されたものの、南小学校にはプールがしばらくの間なく、夏休み中、ここが使用されている。もっとも、プールや講堂が残されたことは理解できるが、土俵に関してはまったくわからない。

 今は鉄棒のあった場所に閉校記念碑が建てられ、跡地は相去地区交流センターになっている。プールや講堂も取り壊され、土俵も体育館に代わっている。相去小学校の痕跡は何もない。ただ、ポプラと桜の木だけが残っている。「願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」(西行)。

 相去の中心ももう百人町ではない。大堤に移っている。人口も増加、交番も移転し、路線バスの本数も多い。コンビニも揃っている。

 写真家のおかげでいろいろと思い出したが、やはり記憶は断片的で、曖昧だ。記憶は作られるもので、つねに現在的である。時間的に後の記憶が前に影響を与える。明日思い出した時は今日と変わっているに違いない。思いこみや勘違い、混同もあるだろう。脚色だらけかもしれない。その話は願望にすぎず、自身にとって驚きがない。YouTubeで紹介したとしても、他の人にとって興味をそそられるものでもないに違いない。「昔かな炒粉かけとかせしことよ衵の袖を玉襷して」(西行)。

 かつての同級生と思い出を確かめ合い、懐かしさや喜びを味わいたいとは思わない。思い出よりもその時空間で覚えた知覚の想起を味わいたいからだ。記憶を反芻することでそれは増幅される。想起が手間取るほど、つまり経験から時が経っているほど、大きくなる。しかし、それは誰かと共有する必要がある。

 思い出を語る時、それがいかにキテレツで心を揺り動かす事件・出来事だったかと物語化の誘惑にかられる。だが、その依存は過去を切り落とす。物語にならない過去は忘れ去られてしまう。ネットに情報がほとんどないように、相去小学校の日々は物語にふさわしくない取るに足らないことだ。しかし、そのさもないことでも大切にしている人がいる。
 
 その名前に覚えはない。けれども、この人物と共有する記憶があるように思える。あの航空写真を始め、入学式や卒業式、運動会、学芸会などで2年間同じ時空間を経験している。お互いに誰かと知らないし、関心もなかったに違いない。しかし、その場にいたことは確かだ。見知らぬ人物だが、断片的記憶はおそらくいくつか共有している。それは、言わば、ロッテ・オリオンズ対南海ホークスの消化試合を川崎球場のガラガラのスタンドで別々の座席で見ていたような感じだ。

 写真家はかつてを知らない人に対してそれを思い起こして撮った写真を展示する。彼は昔を同級生と懐かしむためにそうしているのではない。そもそも東京で催すことからもわかるように、個展を通じて同窓生と会えるなどと考えていないだろう。写真には、今の相去が写されているだろう。それは写真家にとっては変わり果てた風景に違いない。しかし、実際に彼がレンズを通して見ているのは写っていないものだ。その写真によって消え去ったものが蘇ってくる。現在を写しているにもかかわらず、過去が潜んでいる。この写真には物語がないけれども、断片的なエピソードとして共有され得る記憶がある。

 写真はその前後の時間を想像させる。語られぬままに消え去った過去を現在を通じてその感謝を蘇らせることは動画ではなく、写真ならではの力だ。

 そう思いながら、この風来坊に会ってみようと写真展に行くことを決める。


この空どこまで高いのか
青い空 お前と見上げたかった
飛行機雲のかかる空
風来坊 サヨナラがよく似合う
歩き疲れて 立ち止まり
振り向き振り向き 来たけれど
雲がちぎれ 消えるだけ
空は高く 高く

この風どこまで強いのか
北の風 お前と防ぎたかった
ピュー ピュー 身体を刺す風
風来坊 うつむきがよく似合う
歩き疲れて 立ち止まり
振り向き振り向き 来たけれど
背中丸め 直すだけ
風は強く 強く

この道どこまで遠いのか
恋の道 お前と暮らしたかった
振られ捨てられ 気付く道
風来坊 強がりがよく似合う
歩き疲れて 立ち止まり
振り向き振り向き 来たけれど
瞳熱く うるむだけ
道は遠く 遠く

この坂どこまで続くのか
上り坂 お前と歩きたかった
誰でも 一度は上る坂
風来坊 独りがよく似合う
歩き疲れて 立ち止まり
振り向き振り向き 来たけれど
影が長く 伸びるだけ
坂は続く 続く

坂は続く 続く……
(ふきのとう『風来坊』)
〈了〉
参照文献
森毅、『ひとりで渡ればあぶなくない』、ちくま文庫、1993年

川本忠平、「相去とは」、『コトバンク』
https://kotobank.jp/word/%E7%9B%B8%E5%8E%BB-1497861
「相去小学校」、『 北上市P連広報委』
https://pta85.webnode.jp/aisho/
「小田島孤舟(おだしまこしゅう) 」、『 盛岡市』、2005年10月25日更新
https://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankou/1037106/1009526/1024995/1024996/1025071.html
「亀井義則写真展:相去~あいさり~」、『デジカメWatch』、2011年11月02日更新
https://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/exhibition/1356/271/amp.index.html
横木安良夫、「亀井義則写真展『相去』あいさり」、『note』、2021年11月03日 09時20分更新
https://note.com/alao_yokogi/n/nb62183318ab5

青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/
北上市
https://www.city.kitakami.iwate.jp/
YouTube
https://m.youtube.com/?hl=jp&gl=JP
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